The (Wo)Man with the MachineGun(前)


「乗るか。乗らないか。道は全てお前次第だ、ナギサ」

 男の誘いは、いつだってずるいものだった。逃げ道を与えているようで、その実、退路なんて断たれているに等しいぐらい、蠱惑な提言を並べ立てる。元より女には、逃げる心算は毛頭ない。共に行けというのなら、劫火逆巻く地の底へも付き従おう。だが、彼は決して命じることはない。どんな時だって、彼は道を示し、自分の意志で、自分の足で進むことを求めている。それが分かっているから、この男はずるいのだと、ナギサはくすりと微笑んだ。

 その夜、女は腹を据えて歩き出した。



***



 ──時は巻き戻ること12時間前。赤髪海賊団を乗せたレッド・フォース号はとある夏島に身を寄せていた。食料補給に加え、晴れて仲間入りをしたナギサの部屋に置く家具を見繕うためである。下っ端の海賊見習いとはいえ、船長の恋人であり、女性である彼女を他のクルーたちと雑魚寝させるわけにもいかないからだ。じゃあおれの部屋でいいじゃねェかと愚痴る船長の言葉は、副船長の待ったによりあえなく撃沈した。あくまでナギサは、海の上では“海賊”であり、“赤髪海賊団の下っ端”だからだ。“赤髪海賊団の賓客”を脱した今、クルーの一人として、また船上の共同生活を送る上でも、けじめはつけるようにと厳しいお達しが出され、シャンクスはすこぶる不機嫌だった。一方ナギサは、誰が聞き耳立てて不思議ではない船の上でアレコレと恋人らしく振る舞うのは如何なものかと考えていただけに、ベン・ベックマンの姿に後光を見たわけだ。斯くして恋人たちはその関係性を海の上では仮初のものとし、よき船長とクルーの関係だけを続けたのである。

 だが、それは海の上での話。海賊の流儀を陸に持ち込む道理はないと意気込むシャンクスだったが、生憎と当のナギサは予定でいっぱいだった。自室の家具を買いたいのに昼間に出歩かずいつ行くのかと説き伏せること一時間、ようやく彼女は護衛代わりにシャンクスやデレオンたちを伴って買い物へ繰り出すことに成功した。なお、この島は赤髪海賊団のナワバリでもあるため、逃げも隠れもする必要はなく、少なくともシャボンディ諸島なんぞよりは安全にかつ快適な買い物時間が約束されていた。女の買い物は長いからなァ、と気を緩める男たちは、家具も服も目にして気に入ったら3秒で購入を即決するナギサの潔さにより、その両腕は荷物でいっぱいになるのだった。迷いない女の買い物は、ものの2時間で終わりを迎えたのだった。

『白い家具ばかりですね』

 湿気に強い楢をあつらえた家具は、どれもこれも白ばかり。汚れた時とか目立ちませんかね、と主婦のような心配をするデレオンに、だから白がいいのだと、ナギサは嬉しそうに微笑んだ。なるほどと頷きながら、その笑みが伝播したように笑うデレオンに、何二人で納得してるんだと荷物持ちたちがブースカ文句を言う。そんな彼らに、デレオンはやれやれとため息をついた。

『情けない。少しばかりは乙女心を慮る機会があっていいのでは?』

 船長相手であろうとも、デレオンの強気な姿勢は変わらない。クルーたちに交じって首を傾げるシャンクスに堂々と言い切った彼は、どこか幸せそうな面持ちで道を往く。なお、煌く美丈夫の笑顔は、うるせーB専、の野次の一声で般若の如き歪みを見せ、乱闘一歩手前の騒ぎになるのだが。残念ながら、デレオンの秘め事は矢をも超えてレッド・フォース号を駆け巡り、乗組員全員に知られるまで1日とかからなかったのである。

 さて、そうこうしているうちに日も暮れ、夜になればシャンクスたち行きつけの飯屋にて大規模な宴会が開かれた。此処は飯がうめェんだ、と笑うシャンクスは故郷の“西の海”で造られた酒を飲んで笑っていた。確かに、本当にただの食堂、といった感じの店だった。だが、出てくる食事はどこか素朴で懐かしい味わいで、ナギサはキムチチャーハンをシャンクスを奪い合うようにして平らげた。食べ盛りの男たちのおかげで店員はひっきりなしにホールを駆けずり回り、厨房からは火がゴウゴウと燃え盛り、包丁がまな板を叩く音が子犬のワルツのように響き渡り、酒気と笑いと歓声の渦の中で、ナギサは実に楽しいひと時を過ごしていたのだった。そんな中、ほろ酔いのシャンクスがちょいちょいと手招きして、ナギサを店の外に誘った。飲みの場だというのに、珍しく吐いてもなく泥酔もしていないシャンクスに疑問を覚えたナギサが、大人しく彼に誘い出されるのは至極当然の事だったろう。そして、彼女が立ち上がり店を出るその後ろ側で、大量の札や金貨が行き交ったなど、当然ナギサの知る由もないことで。

 そうして店を出て、シャンクスと二人で歩きながら夜空を見上げた。ナギサにとって、夏島はこれが二度目だった。デレオンが教えてくれたあの星の名前はなんだったかなと、紅く光る恒星に思案していた時だった、目の前にちゃりんと突き出されたものに、ナギサは物の見事に面食らった。古き懐かしいアクリルのような材質のそれに繋がれていたのは、まるでどこかの鍵のようで。そうして投下された冒頭のセリフに、ナギサはようやく全てを悟ったのだ。しかし、腹を括るのにさほど時間を必要としないのが、良くも悪くもナギサの美点であった。少し照れがちに、シャンクスの右手を取るその姿に肯定と取ったシャンクスは、実に嬉しそうに人気もまばらになってきた道を歩いていくのだった。

 そんな中、ナギサの脳裏に思い浮かんだのは、恋人と迎える初夜についてではなく、船医の言葉だった。

『へェ。こりゃまた珍しい免疫持ってんな』

 ナギサは船に乗り込んだ当初から、時間を空けながら少しずつ、ワクチンを投与されていたため、よく医務室に顔を出していた。船旅には疫病はつきもの、賓客とはいえ倒れられたらお頭の立つ瀬がねえからな、とドクターは説明した。その際に当然採血もされていたのだが、その結果が仲間入りしてしばらくして、ようやく出たらしい。検査結果を見ながらはしゃぐドクターに何の用かと聞いてみれば、ああ、と本題を思い出したように頷いた。

『結果からすると、文句なしの健康体だ。おれが投与したワクチンのおかげで、抗体も出来始めてる。これなら、どこへでも行けるさ。よかったな、ナギサ』

 大人になると流れ作業のような健康診断しか受けられなかったナギサにとって、これはまたとない朗報であった。よかったよかったと胸を撫で下ろすナギサに、ドクターはニヤリと笑んだ。

『因みに、お頭も健康体そのものだから安心しな』

 健康体も何も、此処数十年風邪を引いた記憶がないとかぼやいていたシャンクスを見知っているだけに、何を今更という思いが強かった。だが、その下卑た笑みが何を意味するのか5秒で察し、ナギサは居心地悪そうに椅子の上で身じろいだ。そんなナギサに、ドクターはすまんすまんと笑い飛ばす。

『だが、女にとっちゃ死活問題だろう? 海賊なんざ、どこの女とまぐわってるか分かったモンじゃねェからな。もうちっと避妊具が出回ってくれりゃあ、おれも苦労しないだんがな……』

 ドクターのその言葉に、自分のいた日本ほど避妊具は一般的ではないと知るナギサ。まあ、車もなければ飛行機もないような世界だ、文化ならまだしも文明そのものを覆す力などナギサにはない。ただ、陸の上では恋人である彼を思うと、ナギサにとっては気が重くなった。子を望まないとは言わないが、流石にその覚悟も度胸も実っていない。つい先日までは死に臨んでいた彼女にとって“妊娠”は、今はあまりに非現実的すぎた。かといって、今でも散々お預けくらってへそを曲げているシャンクスに、これ以上の“待て”はあまりに哀れすぎたし、ナギサとて欲目の一つや二つは持ち合わせているのだ。どうしよう、と肩を落とすナギサを前に、ドクターはそんな心配を吹き飛ばすように快活に笑った。

『おいおい、おれを誰だと思ってるんだ。泣く子も黙る赤髪海賊団の船医だぞ? 種馬どもに手綱一つつけられないようじゃ、この船ではやってけねェのさ』

 ドン、とドクターが取り出したのは小瓶に入った薬らしきもの。青白いそれは、小瓶の中でたぷんと揺れている、飲み薬のようだが、なんぞこれ、と首を傾げれば、ドクターはふふんと自慢げに胸を張った。

『殺精子剤だ』

 馴染みのないワードではあるものの、その語感から何となく薬の効力は読み取れる。だが、ナギサの知る『殺精子剤』は、座薬よろしく女の膣に入れるものであって、まかり間違っても飲み薬ではなかったはずだ。益々理解に及ばず顔を顰めるナギサに、ドクターは分かった分かったと答え合わせ。

『上陸前、男どもが何か飲んでるとこ見たことあるだろ? それの正体がこれだ。こいつを飲めば、数日程度だが生殖細胞の分裂を封じられる。モノは出るが、まァ、種無しになるようなもんだ。勿論、人体に害はねえ。数日もすりゃ薬の効力が切れて元通りって寸法さ。こいつを精製するのにゃ3年もかかってなあ……ホラ、男ってのは海じゃああでも、陸に上がれば性欲馬鹿どもばっかだからな。こいつなしじゃ船から降ろせねェってわけさ』

 なるほどなるほど、とナギサは頷く。確かに、前に町がある島に上陸した時も、ドクターが飲み物を配って回っていたのを思い出す。その時は男性用ワクチンみたいなもんだと説明されたが、強ち間違ってはいないようだ。だが、同時に疑問も浮かぶ。3年もかけて、何故そのような薬を作り、クルーたちに飲ませるのか。言ってしまえば、娼婦がどこの誰とも分からぬ客を身籠ることは、少なくとも避妊具がまともに普及していない時点で珍しくはないはずだ。過去を振り返らず、海がおれを呼んでいるとばかりに女たちの制止を振り切っていくのが海賊だ。そりゃあ、立つ鳥跡を濁さずとする方が、娼婦たちの商売を思えば理想的ではあるだろうが。だが、ナギサの疑問は意外な回答を得ることになる。

『ナギサはあんま知らねェみたいだが、ウチはそれこそ、この“偉大なる航路”に名を馳せる大海賊団なんだぜ。最近じゃ『四皇』なんて担がれ方してるぐらいだ。地位も名声も、当然富も得た。故に、さ。お頭にしろその幹部にしろ一端のクルーにしろ、『あなたの子を産んだのよ』なんて女に言われる隙を、極力減らしていきたいのさ』

 ナギサの仲間入りは異例中の異例だしな、とドクターが付け加え、ナギサはただただなるほどと頷いた。赤髪海賊団は、海“賊”を名乗るより冒険家と名乗った方がいいのでは、と思えるほど、性根が真っ直ぐな人間しかいない。そんな彼らだ、見ず知らずの女性であれ「あなたの子です」とすり寄られて、迷わないはずがない。地位も名声も富も得た彼らの利用価値は、ナギサの知る以上に高く付く。故に、ドクターは3年もの歳月をかけ、“男が使うための”殺精子剤を精製したのだ。

『──ま、お頭にゃ必要ないかもしれねえがな!』

 ガッハッハと笑うドクターの頭上に、ナギサの叫んだ『喝!!』が落石したのも、まあ無理のない話であった。

 閑話休題。そんな前置きがあったからこそ、ナギサの中にある不安要素のうちの一つは取り除かれていた。今回の上陸時にも、男たちはまずいまずいと言いながら薬を口にしていた。その集団の中にシャンクスがいるのを、ナギサは決して見逃してはいなかった。色々思うところはあれど、少なくとも安堵は出来た。いずれ何らかの奇跡の元、子を授かることがあったとしても、それは今であってはいけない。まだ自分の身も守れないナギサには、二重の意味で重い。

 さてそんな問題を解決したところで、まだまだ問題は山積みなのが困った話で。そもそも性交自体がご無沙汰であるナギサは、見るからに百戦錬磨な男と夜を過ごすことに一抹のどころの話ではない不安を抱えていた。彼の抱いてきた女たちに比べて貧相な肉体、未だ子どもに間違われる見かけも、無意識のうちに気を重くする要因であった。こうなると“声”も厄介極まりない。いざそういう雰囲気になって、喘ぎ声の一つでも実体化すれば、ムードなんて木っ端微塵も同然。上げた声が可視化される、それも嬌声。これほど恥ずかしいことも他にあるまい。どうにか無言のままやり過ごせないか、いっそ猿ぐつわでもするよう頼みこんでみようかなど、愛した男との夜を前にナギサが考えているのはそんなことではあったけれど、本人は至極真面目に悩み抜いているのだった。

 だが、気付けばホテルと思しき部屋の一室に転がり込んだ時、彼女は悟る。今は悩んでいる場合ではないのだと。なんたって、夜はこれからなのだから。
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