宵の明星は勝利の両翼を夢見るか


 不足の美、とかいう美意識があるだろう。

 完璧な物ではないものの中に美を見出す、あれだ。わたしも詫び寂を重んじる日本人、言われればああなるほど分かるような分からないような、という気もしてくるわけだ。日本人に留まらず、人間というのは得てして“空想”が可能な生物種である。一説には生後間もない赤子でも福笑いをさせたら『ヒトの顔』モドキを作れるというが、サルにはそれができないという。無から有を想像し、或いは創造できることこそが、ヒトが地球上で繁栄できた所以だと学者が語れば、なるほど一理あると言えなくもない。

 まあ確かにミロのヴィーナスを見れば「どのような腕が生えていたのだろう」「何を持っていたのだろう」「本当に金の林檎を手にしていたのだろうか」なんて、無い腕に対してあれこれと考えを張り巡らせることが出来よう。サモトラケのニケを前にすれば、同様に「どんな顔がついていたのか」「女神を模ったその貌はどれほどの輝きか」「本当に顔なんかあったのだろうか」なんて、まあ誰もが一度は想像することを、わたしも容易に思案することだろう。

 閑話休題。とはいえ、だ。それはあくまで相手が銅像、美術品だからそんな判断ができるわけで、残念ながらわたしの恋人兼船長はまごうことなき人間である。ヴィーナスほどではないが彼にもかけた部分はあるが、どれほど想像力を膨らませても彼に欠けていた部分は“腕”以外の何物でもない。いや、この世界のことだし、案外フックとかオノとかサイコガンでもついてた可能性も否めない。……そういうのって、普通腕を無くした後につけるものか。

 まあとにかくだ、なんでそんなことを考え出したかと言うと、冷静になってみるとシャンクスってめちゃくちゃ男前なんだな、と思ったわけなのだ。イケオジ、とわたしが表現できるほど年も離れてないのだが、客観的に見てもいい男なのである。たはーっ、羨ましかろう。そのいい男、わたしの船長なんですよーってか。あ、あと恋人でもあります。フヒッ。此処に日本にいる友人たちがいるのなら、迷わず胸張って自慢するだろう、それぐらいには、ええと、いい男です。はい。

 まず、目を引く赤の髪。これがいい。潮風に晒され、ロクに手入れもされてないその髪はゴワゴワしてるけど、触り心地は悪くない。なにより、コロナのように輝く赤はどこにいたってわたしの目に飛び込んでくる。目の三本の傷もいい。最初こそはその筋の人かと警戒もしたが、少年のような笑顔とは裏腹に深々と傷つけられたその痕は、隠しきれない海賊の“性”を物語っているようで。無論、肉体もすごい。身長は2メートルほどあるし、片腕でもわたし程度なら軽々と抱き上げてしまう力強さ、押しても引いてもびくともしない胸板は厚く、オトコノヒトだなあ、なんて感心してしまうほど。いやまあ、散々見せつけられたからそこはよく知ってる。ええ、まあ、うん。詳しくは割愛。

 そんな中で、ぽっかりとあいた穴のように、あるべき場所にない腕を見て、思う。なるほど、古の欠けた銅像にあれこれと空想を膨らませるはずである。その腕が辿った歴史、失われたその瞬間、幻視しているであろうその痛み、何よりも、彼の両腕に抱き締められるその瞬間──わたしは愚かにも、ほんの爪先程度でも夢に見てしまうのだ。勿論、彼のことだ。失われたものに対する悔いはないだろう。過去は過去、それで救われた命があるのならと、どうせ笑い飛ばしてしまうのだろう。だからわたしも、その空想を口にすることはない。

 別に、不満があるわけではない。ただ、考えずはいられなくなる。なるほど、これが不足の“美”たる所以かと、独り言つ。あれやこれやと空想を形作ることができるヒトだからこそ、美しくも欠けた月を見上げては歌を詠み、詩を吟じたのだ。それと同じなのだ。わたしは月を空を愛し奏でるように、彼の不足を思い描き、現実に存在する彼の笑顔に、満ち足りた人生を得るのである。

 わたしの視線に振り返るシャンクスに、今日も一つ愛が募る。

「ナギサ、どうかしたか?」

「なんにも」

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