とある言霊師の魔王考察


「頼む、ナギサ。おれの娘に会いに行かせてくれ」

 真顔で頭を下げるシャンクスに、非常事態だと悟るには十分すぎた。

 シャンクスに娘がいたなんて初耳だけど──まあ、どうせこの人のことだし、血の繋がった子ではないのだろうけども──、にしても急な話である。ニュース・クーが運んでくる新聞を見るや否やこれなのだから、娘さんはよっぽどの『事』を引き起こそうとしているのだろう。

 ──歌姫・ウタが故郷エレジアで初ライブ。新聞に大々的に銘打たれたその宣伝に、赤髪海賊団は朝から騒然としていた。わたしとしてはこの世界にライブという概念があることも驚きだし、電話もインターネットもないくせに映像電伝虫とかいう謎の生き物によって疑似的にネット配信のようなこともできるのだから言葉もない。なんでもありな世界である。今更だけども。

 まさかそんな歌姫が娘だなんて、目を丸くするわたしの横でデレオンが苦い顔をする。

「一体どういうことですか? お頭に娘だなんて、聞いたこともない!」

「ああ……ウタとはもう十二年会っていないからな。お前らが知らないのも当然だ」

 十二年、とデレオンと共に顔を見合わせる。そりゃあ、新参者のわたしたちには寝耳に水のはずだ。

 シャンクス曰く、赤ん坊だった彼女は若い頃襲った敵船の宝箱に閉じ込められており、十年近くこのレッド・フォース号で過ごしたのだという。けれど、彼女の食べた悪魔の実の能力と、それに誘われた災厄が一つの悲劇を生みだし、親子の絆はいとも容易く引き裂かれた。そうして少女は歌姫に、父親は大海賊として袂を分かち、十二年の時が流れた。そして彼女は今、再びその災厄を呼び起こそうと企んでいるのだとか。

「これ以上、おれは娘を人殺しにはさせたくねェんだ、頼む!」

「頼む、ナギサ!!」

「あいつはお頭の──いや、おれたちの娘だ! 家族なんだ!!」

「あの子の歌はを、世界征服のために使わせちゃならねぇ!!」

 次々に、赤髪海賊団の古参たちが頭を下げる。どれだけ彼女を思っているのか、痛いぐらい伝わってくる。だからこそ、わたしはその願いを口にする前に、言わなければならないことがある。

「──なら、彼女を置いていくべきじゃなかった」

 罪を被ってあげた、なんて庇った側の美談でしかない。幼い少女は父親が滅ぼした島に取り残され、さぞ孤独な日々を過ごしたことだろう。涙するほど愛していたなら、置き去りにすべきじゃなかった。それを罪だというのなら、共に背負ってあげるべきだった。親を名乗るのなら、傍に居てあげるべきだったのに。

「分かってる。……当時は、それが一番いいと思っていたんだ。馬鹿だったよ、あの頃は。若く、浅慮だった」

 心底悔いているのだろう、シャンクスは珍しく唇を噛み締めて吐き捨てた。十二年前、まだ若造と呼べる時代。こんな世界だ、全うに子どもを守り、育むなんて土台無理な話だったのだろう。まあ、反省はしているようだし、境遇を聞くとなんだか他人事とは思えない。仕方ないと、わたしは緩やかに笑う。

「頼み方が、違うよね?」

 重々しい表情のシャンクスは、一瞬きょとんとしたように瞬いた。けれど、すぐにわたしの意図が伝わったのだろう。恭しくかしずくわたしに、シャンクスが吠えた。

「命令だ、ナギサ! おれたちをエレジアまで連れていってくれ!」

「了解、お頭!」

 お願いなんか、しなくていい。だってわたしは、あなたの恋人である以前に、あなたに心酔した部下なのだ。だからわたしは、自らの声を揮わせる。わたしの力じゃ歌で世界を征服することも、救うこともできないけれど、世界の反対側で娘に会いたいと願う父親を送り届けることぐらいは、できるんだから。



***



 目を覚ました時には、すでに彼女は事切れていた。

 コトコトの実は強力だ。ある程度のことであれば何だってできる、まさに万能の力。その気になれば“南の海”から新世界までひとっ飛び、なんてこともできなくはない。ただ、それにはわたしがどれだけその場所に行きたいか、その人に会いたいかを強く強く念じる必要がある。わたしはウタに会ったことがないし、エレジアにも行ったことがない。言ってしまえば赤の他人がいる、見知らぬ土地。そこへ船ごとワープさせるのは中々に困難だった。

 おまけに、この能力は意志の強い人間には効きが悪い。何度『ウタの元へ』と叫んでも、エレジアに近付きはするのだがピンポイントで飛べなかったのだ。だから多分、彼女は分かっているのだろう。自分がしていることが無茶苦茶だということも、それを聞きつけてシャンクスがやってくることも、全部全部。彼女はシャンクスを拒絶している。だから、上手くその場へワープできなかった。

 けれど、全くの隙がないわけじゃない。拒絶している反面、シャンクスを待っているのだ。会いたいけど、会いたくない。そんな複雑な思いを抱えて、彼女は世界を引っくり返すとしている。だからわたしはその相反する思いの間を縫うように、叫び続ける。そうして無事エレジアへ辿りついた時、わたしは能力を使い過ぎて気絶してしまったのだった。

「──もう、大丈夫なんですか?」

 デレオンの気遣いに、わたしは微笑んで頷いた。

 レッドフォース号は再びエレジアを発った。けれど、今度はちゃんと彼女も一緒。わたしが気絶している間にシャンクスたちは成すべきことを成し、そして彼女はその罪を償うように命を燃やして歌い果てた。眠るように横たわる彼女を囲うシャンクスたちが何を思っているか、聞くに及ばず。

 そんな彼らを遠くに眺めながら、デレオンと二人で肩を並べる。

「しかし……奇妙なものですね」

「?」

「トット・ムジカです。あれは一体、何だったのでしょう」

 ああ、とわたしも曖昧に頷く。トット・ムジカ。古より伝わる人々の負の感情を束ねた『魔王』。ウタウタの実の能力者だけが顕現させることのできるモノとわたしも後から聞かされた。けれど確かに、その存在はあまりに謎に包まれている。

「ウタウタの実の能力者がいなければその存在を示せないなんて、世界を滅ぼす魔王にしては、あまりに条件が限定的過ぎる」

 彼女に思い入れのないデレオンは、ひたすら不思議そうに首を傾げている。その疑問も尤もだ。この世界には世界地図もなく、飛行機もなく、ワープなんて魔法もない。ウタウタの実の能力者は世界に一人しか存在しないのだ。それがエレジアに封印されていた魔王を呼び起こす確率なんて、砂漠から一本の針を見つけるのと同じぐらい低い可能性だ。トット・ムジカが世界征服を企む大悪党だとしたら、気が長すぎるし、運に頼り過ぎだ。

 ではトット・ムジカは、一体何だったのか。何のために、存在したのか。

「ウタウタの実は、トット・ムジカを封じるための鍵だったのでしょうか? そうでもしなければ『魔王』を封じることができなかった……けれど、幸か不幸かエレジアは音楽の都として栄えてしまい、何度となくウタウタの実の能力者をおびき寄せてしまった──とか?」

 なるほど、その仮説もまた、筋は通る。どういう理屈かは不明だけど、ウタウタの実の能力者自身が魔王を起動するための鍵。鍵は世界のどこかに葬られるはずだったのに、皮肉にも音楽の都として栄えた国にはウタウタの実の能力者が集い、その都度悲劇が繰り返された。故にトット・ムジカの伝承が残されていた、と。うむ、一理ある。

 けれど、わたしの仮説は、こうだ。

「たぶん、逆」

「……逆、ですか?」

「トット・ムジカが、ウタウタの実のバックドアなんだよ」

 ウタウタの実。能力者が力尽きるまで、ウタワールドを展開し、歌を聞いた者の精神を捕らえてしまう能力。そこから自力で脱出することは敵わず、そうして肉体と精神を乖離させてしまえば、生かすも殺すも思うがまま。ウタよりももっと邪悪な人間がその能力を得てしまったら、世界はおしまいだ。だから人々は対抗策として、トット・ムジカを紡いだのだ。トット・ムジカの顕現で、現実世界とウタワールドは唯一の繋がりを持つことができる。そうすれば、ウタウタの実の能力者と同化したトット・ムジカを倒すことで、ウタワールドを消し去ることができる。

 唯一無二の、解決方法──そう考えた方が、辻褄が合う気がするのだ。

「では、トット・ムジカは魔王ではなく、寧ろその逆──と?」

「最初はね。でもきっと、どこかで歯車が入れ替わった」

 ウタワールドに対抗するための楔でしかなかったはずのトット・ムジカは、いつしか人々の負の怨念を身に纏い、厄災をばら撒くようになってしまった。或いは、そうして破れてきたウタウタの実の能力者たちの怨念がそうさせたのかもしれない。

 いや──或いは、もっと単純な話なのかも。楔でしかなかったトット・ムジカが、いつしか感情を持つようになった。ただの音楽でしかないはずのその歌は、最初は世界の命運を分けるための戦いのために描かれたのに、いつしか厄災を振りまく魔王として人々の手によって屠られ、誰も奏でることが無くなってしまった。悪を屠るための歌は、悪と戦うことで災害を振りまき、人々に恐れられ、正しい伝承共々、世界の果ての果てに封じ込められた。

 それが後世に『魔王』として伝わってしまったのではないか?

「寂しそう、だったもんね」

「……起きていたんですか? あの、戦いの中で」

「そんな気がしただけ」

 そう言って、ひょいと手摺りから飛び降りる。最愛の娘と最後のお別れをした仲間たちは、わたしが通る道をゆっくりと開けてくれる。棺の中には眠るように横たわるウタがいて、酒やら金品財宝やらに囲まれている。らしいといえばらしいのだろうけれど、年頃の女の子なのだ。もう少しやりようがあるだろうに。

「“きれいだよ、ウタ”」

 そう告げると、金品財宝の隙間を植えるように真っ赤な花が次々に花開き始めた。品種は分からない。ここ何年かで、シャンクスたちと冒険してきて、記憶に残った美しい花たちを添えていく。父と同じように、焼けつくように眩い夕日の色をした花を。

「……ああ、きれいだ」

 肩を抱き、シャンクスが唸るように零す。肩に添えられた手は震えており、俯きがちだった。誰も物言わぬ中、わたしが静かに重い棺の蓋を閉めて、祈りを捧げる。せめて彼女の往く道が、眩いばかりの赤に彩られるように、と。

「なあ、ナギサ。ウタにも、アレをやってくれないか?」

 アレ、と一瞬シャンクスを見上げて、ああ、とわたしは頷いた。全く、頼み方が違うと忠告したばかりなのに。けれど今日ばかりは、頼れるお頭の頼みではない。ただ一人、ウタという少女の父としての願いだ。聞き入れないわけにはいかないと、わたしはその願いを口にする。

「“もう二度と、ウタウタの実がこの世に生まれることはない”」

 いつかわたしが食べたコトコトの実にもそう宣言したように、ハッキリと言い切った。この能力が真に発揮するのなら、もう二度とウタウタの実がこの世に生まれることは無い。でもまあ、仮にこの『声』に抑止力などなく、また第二第三のエレジアの悲劇が生まれたとしても、大丈夫。いつだって人は悪魔と戦ってきた。抗ってきた。生き残ってきた。今回だって何とかなったんだ。だからきっと、どっちに転んだって、大丈夫だ。

「“良い夢を、ウタ”」

 泣きたくなるぐらい輝く夕日が反射する波に、とぷんと棺が流れていく。二度と醒めぬ夢を見ながら、彼女は波任せにゆらりゆらりと漂っていく。世界最高峰の歌姫をアーティストとしてではなく、海賊として弔うなんてバチ当たりだなあと零せば、海賊はバチなんか気にしねえ、とシャンクスは強がった。そうして少しずつ、レッド・フォース号に活気が戻っていく。ウタが迷わずに行くべき場所に行けるように、こちらは大丈夫だから安心しろと伝えるために、海賊たちは今日も樽を叩き割り、酒を酌み、肩を並べて、歌って、踊って、涙が枯れるまで泣いた。泣いて泣いて、泣き喚いたのだ。

 そうしてわたしたちは、海を行く。彼女の願った新時代を、この目で見届けるために。
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