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「つーわけで今日からしばらく船に乗ることになった。ナギサだ、お前ら仲良くな!」

「オーッ、女の子だー!」

「お頭の客人だー!」

「宴だー!」

 出会って三秒で歓迎された。上が上なら下も下である。

 と、いうわけで、わたしは海賊船の船長をしているというシャンクスに連れられ、赤い竜の船首がついた大きな船に乗り込んだ。誰だ誰だ女の子だお客さんかなと、船に乗るあらゆる人にじろじろ見られながら、シャンクスはわたしを紹介した。右も左もおっさんばかり。女の人は一人もいない。海賊ってか船乗りって、女性軽視な風潮あったしそういう意味合いもあるのだろうか。何にせよ、客人としては歓迎されているようで、すぐに食べ物や飲み物やお酒やフルーツやが所狭しと並べられ、船上はあっという間にお祭り騒ぎになった。誰彼構わず酒を飲みかわし、肩を組み、歌を歌い、大いに笑っていた。オラ飲めぐっと飲めどんと飲めと、初対面にも拘らず飲みにケーションを押し付けられ、わたしは乗り込んだ船を間違えたかと思いながらオレンジジュースを飲み進める。数時間もすれば死屍累々とばかりにみんなして船の甲板で大の字に寝っ転がっていびきをかき始めたので、数少ない素面のおっさんたちと共に毛布をかけて回って、先の思いやられる船出にため息をついたのだった。

 ともかく、シャンクスとは見知ってさほど時間は経過していないが、そんな彼の人柄によく似た部下、もとい船員たちばかりだったので、誰もわたしを警戒せず、大手を振って出迎えてくれたのだ。此処まで来ると誰か一人ぐらい「誰よその女!」ぐらい言って掴みかかってこないものかと思いつつ、トラブルがないのは良いことだと独り言ちる。空き缶の守りがなければ眠ることさえ出来なかったわたしでさえ数日で断じるほど、シャンクスは底なしに良い人だった。彼はよく笑い、よく騒ぎ、よく喋った。船員も同じだ。毎日何かと理由をつけては宴を開き、甲板や廊下で酔っぱらって眠りこける毎日。船が陸を離れて幾日と経過したが、海が荒れることもなく、海賊らしく他の船を略奪する・されるなどはなく、ただどんちゃん騒ぎの船旅が続くだけだった。

 シャンクスがわたしを客人と紹介したせいか、当初のわたしはこの船で信じられないほど厚遇を受けていた。衣食住には困らせないというシャンクスの言葉に嘘はなく、食事も着るものも申し分ないものが与えられ、寝泊りする部屋には大きなベッドやシャワーが備え付けられていた。なんでこの時代にシャワーが、なんて常識を持ち出すのはもうやめた。とにかく、何もせず座ってるだけで勝手に食事は出てくるし片付けもされるしお風呂は暖かくてベッドはふかふか、おまけに客人が珍しいのか船員があれこれ気を使ってくれたし、もっと言えば彼らは聞いてもない冒険談をあれこれ語ってくれた。しかし、悲しいかな働きアリと称されたジャパニーズ産のわたしは、そんなお姫様のような生活は数日で耐え切れなくなった。

『『『お掃除改革ゥ!?』』』

 そんな訳で、じっとしてられなくなったわたしは、第一次お掃除改革をシャンクスたちに持ちかけた。何せ男所帯、汚すぎて目も当てられない、なんて場所が多かれ少なかれ存在した。海の男たちは大らかを地で行くのか、さほど気にしていないようで、船賃は貰ってるんだからと、わたしが働くことに心を痛めているようだった。しかし勘違いしないでほしい。あんたたちのためにやるんじゃない、わたしが我慢ならないから掃除するんだ。とは流石に言えないでいたが。ともかく、説得を続けると、このお掃除改革に乗り気な船員もチラホラ出てきたのだ。例えば副船長のベン・ベックマン、少しゃ片付けろ馬鹿ども、と苦言を呈す彼の執務室はこの船で一番整理整頓がされていた。お頭があれでも副船長が言うのならと、晴れて私はお掃除改革の立案者としてのお墨付きをいただいたのである。

 それからわたしは、無心で掃除に精を出した。お手洗いやキッチンといった水回りは歯磨き粉を使ってピカピカに磨き上げ、窓の一つ一つを丁寧にふき取り、廊下や甲板はデッキブラシを持って右へ左へと走り回った。水カビだらけのお風呂もタワシを装備して飛び込んだし、油まみれのキッチンの換気扇はビタミン接種用に船で栽培されてるオレンジの皮を使って真っ白にしてみせた。一人暮らしの家事の知恵が微妙に活きているのが何とも物悲しい。ただそのおかげでわたしの改革は徐々にその輪を広げていき、たまには部屋片づけるかぁ、なんてボヤきが聞こえるほど。

「おはようございます、ナギサ」

 朝、いつものように起きて食堂に向かう。焼きたてのパンを頬張っていると、デレオンがにっこりと微笑みながら挨拶をして、わたしの向かいの席に座った。パンを咀嚼しながら挨拶代わりにちょこんと頭を下げる。ある種、こいつも改革の輪によって変革が持たされたうちの一人ともいえる。

「いやですねぇ、ナギサ。そう構えなくてもいいじゃないですか、我が友、親友」

 敬語とはいえ、会って数日でこの馴れ馴れしさ。コミュ障を地で行くジャパニーズが身構えてしまって当然ではないだろうか。ジト目になると、デレオンはわたしの向かいでくすりと微笑む。背後にバラだか百合だかの花が見えるような、美しい微笑みである。

「ああ、存分に見とれて下さって結構ですよ。金子までは取りませんから」

 当たり前だろ、とは、パンを頬張ったままなので言えず。こんな調子ではあるが、黙っていれば本当にイケメンなのである、この男。年もまだ若く、この船では新参者と聞く。一見すれば亜麻色の髪にこれまたとびっきり甘いマスクの爽やかな好青年。海賊というよりはマイク持ってステージに立ってる方がよっぽど似合う。本人も自分の顔に自覚があるせいで、年も近いだろうとわたしの面倒を押し付けられた時、

『困ります。お頭の連れですよ、惚れられでもしたらどうするんですか』

 なんてベックマンさんに抗議するもんだから、思わず体裁を保つのを忘れて鼻で笑ってしまった。何故かその後妙に懐かれたので、とびきりの変人かドマゾのどちらかなのだろう。何にせよ彼はこの船で数少ない改革支持者で、おまけに何故かわたしを気に入ってくれたようで、食事も掃除も一緒が多かった。顔に違わず綺麗好きでガーデニングが趣味だという若きデレオンはおっさん多きこの船では少々異彩を放っていたせいもあり、懐いたのだろうと思った。ちとナルシストで面倒な男だが、海風で痛む髪にとヘアオイルを分けてくれたのできっと良い人なのだろう。

 現に、既に骨付き肉を頬張りながら食堂にやってくるラッキー・ルゥに爽やかな挨拶をした。こんな涼風吹き抜けるような柔らかな笑みを浮かべられる男が、悪い人なわけがないのである。

「おはようございます、ルゥさん」

「よォ。仲いいな、お二人さん」

「いやあ、それほどでもありますよ」

 こいついけしゃあしゃあと、ジト目で見ながらテーブルの下で長いおみ足を蹴っ飛ばすも、デレオンはアハハと爽やかに笑うだけだった。初対面の印象の悪さは、そう簡単には拭えないらしい。食堂に現れたルゥさんにからかわれながら、わたしは黙々と美味しいスープを飲み干して、ごちそうさまをして、立ち上がろうと思ったその時──。

「おーっすナギサ! これでも食らェエエエーッ!」

「”ギャアアアアア!!”」

 どこからともなく現れたヤソップさんが黒光りする触角のナマモノを投げつけてくるもんだから、わたしは渾身の叫び声をあげてその場を飛び退いた。瞬間、ゴトゴトゴトッと落ちてくる『ギ』と『ャ』と大量の『ア』。しかし投げつけられた黒光りのナニガシをよくよく見てみれば、それはゴム製のおもちゃだった。

 くそまたか、と内心舌打ちするわたしを他所に、朝食に来ていたクルーたちはわたしが発した“言葉”を囲い、文字の大きさを測っていた。

「45.6センチ! 新記録だぜ、ヤソップ!」

「チクショー、負けた! おれなんかまだ20センチちょっとだぜ」

「だっせえなあ、おれなんか37センチ出してやったぜ!」

「にしても、幹部クラスはやること成すことデケェなあ」

「女の子にゴキブリのおもちゃ投げつけることがデケェことかよ!」

「ダッハッハ、そりゃそーだ!」

 人の声で遊ぶな。と、強く言えないのが居候の悲しいところ。このように、いい年したおっさんたちがか弱いレディに悪戯しかけて、出た声の“大きさ”を測って勝負するのがこの赤髪海賊団のトレンドだった。どうもこの船の乗務員たちは声が具現化する人間は、ちょっとしたビックリ人間としか捉えていないらしく、こうしてたびたび遊ばれた。掃除中に濡れた手で首元掴まれたこともあるし、頭に剣ぶっ刺したままわたしの前に転がり出てきたこともあったし、昼食のサンドイッチにタバスコが塗りたくられてることもあった。おかげでコックとベックマンさん以外の人間からポテチ一枚も貰えない。人間不信になりそうだと思いつつ、強く否定できない悲しいジャパニーズのなあなあ精神。いいとも悪いとも言えず曖昧な笑みを浮かべていると、今度は二日酔いに悩むシャンクスが食堂にログインしてくる。

「おー、なんだお前ら。朝から騒々しいな」

「聞いてくれよお頭ァ! ヤソップの奴がナギサ声の新記録出しやがった!」

「驚け、なんと45センチだ!」

「なにィ!? ナギサの奴、おれの悪戯じゃ一声も上げてくれねェのに!」

 ぶーたれるいい年したおっさん、おまけにこの船の船長。ダセーなお頭、とクルーたちに大笑いされているシャンクスを見ながらため息をつく。そう言われても、シャンクスは何か隠し事するとすぐ顔に出るのが悪い。だから何となく、「あ、こいつなんか仕掛けたな」ってのが分かってしまう。ビックリとドッキリは心の準備をされたらおしまいだ。おかげでシャンクスの前では情けない声を上げたことはなかった。いや別に競い合ってるわけじゃないけどさ。

 よーしヤソップの新記録を祝って宴開くぞー、なんて言い始めるシャンクスたちに呆れながら、わたしは食器を片付けにキッチンへ向かう。デレオンも一緒になってついてくる。

「全く、下らないゲームですね。ナギサも嫌なら嫌と言えばいいんです」

 気取ったように取り繕いながら、デレオンは心配するように言葉をくれる。やっぱ良い人だな、と思いながら大丈夫の意を込めて微笑んだ。ほんとに嫌なら嫌だと言ってる。何だかんだ、セクハラみたいな度を超えた悪戯はされたことはない。みなわたしを娘か妹かってぐらい可愛がってくれてる。その事実は、純粋に嬉しく思えるのだ。少なくともみんなに構ってもらえる間は、孤独を忘れさせてくれる。

「……ま、君が本気で嫌ならどうとでもなる、か。それじゃあ、ナギサ。今日はどこから片付けましょうか?」

 ワクワクしたような様子のデレオンは、純朴な少年のように見えた。何だかんだこの船のクルーなんだなあ、と思いながらわたしが指差したのは、この船の大浴場。いいですね、なんて笑うデレオンと共に、わたしはクレンザーとタワシを握り締めるのだった。



***



 毎日が、慌ただしい。わたしやデレオンの尽力程度では隅から隅まで清潔に保つことなど出来はせず、掃除してもしてもしたりない。だというのに、わたしの声で遊ぶクルーたちにからかわれ、掃除が中断してしまうこともままある。それでも、この船は笑いが絶えず、人の声で満ちている。それがとても心地よかった。昼も夜も、酔っ払いのおっさんたちの大きな笑い声が響いてくるこの船に、どうしようもない安堵を抱いてしまうのはきっと、静かな夜は嫌な思い出を連れてくるからだ。一人、温かなベッドに潜り込んで眠りに沈む。たまに宴をしない日があれば、さしものこの船も静寂が寄せては返す。そんな日に眠りにつけば、決まってわたしは夢を見る。

 それは思い出したくもない日々。背筋の凍るような、おぞましい略奪と、簒奪と、理不尽な死の世界。ぬるま湯に浸かるような生をしか知らないからこそ、きっとそこはわたしの地獄だった。冷たい檻。重たい枷。全てを投げ出した伽藍の瞳。息も詰まるような臭気。飛び散った目の覚めるような、アカ。何故、だなんて。どうして、だなんて。そんな思考さえ停止させてしまうほどの、死に満ちた時。

 “しょうしつ”した、底の抜けたような世界。

「──ッ!!」

 ガバリと飛び起きる。ドッドッド、と心臓が早鐘のように打ち付け、心音で耳鳴りがした。背中まで冷や汗びっしょりで、額に伝う脂汗を袖口で拭う。暗闇の中、柔らかなベッドに身を沈めながら、心を落ち着けようと、思考をカラにしようと必死になる。けれどそう思えば思うほど、こびりつくような呪いがわたしを蝕む。じわ、じわりと、それは腐すようにわたしにまとわりつく。振り払おうと思えば思うほど目が冴えて、感覚が研ぎ澄まされ、記憶が鮮烈に蘇る。いやだ、もうあれは見たくない。思い出したくない。いやだ、いやだ、違うんだ。わたしじゃない。どうしてか分からない。けれど現実だった。ふざけるな。あんなの、ちがう、わたし、そんなつもりじゃ──。

「ぐおー」

 けれどそんな間抜けたいびきが、わたしを現実に引き戻した。

「……」

 暗がりでも、その声はよく知っている。何せ、ほぼ毎晩聞いているいびきだ。手探りでベッドに手を這わせれば、やっぱり、同じベッドの上で大の字に寝っ転がっていびきをかいているシャンクスがいた。当然の話である。彼の名誉のために弁明するが、この暖かいベッドにシャワーがついた豪奢な部屋は、何を隠そうシャンクスの部屋、即ち船長室に他ならないのだ。

 雨風凌げればどこでもいいというわたしの意見は即刻却下され、鍵付きの部屋がいいよな、女の子だしお風呂は別がいいだろ、おっきなベッドがあればいいよな、なんて意見がまとまる頃には、わたしの部屋は船長室と決められていた。多分だが、この船のおっさんたちはわたしを子どもだと思っており、わたしは実年齢マイナス15歳ぐらいの扱いを受けていた。なんかやたらとお菓子くれる人いるし、ヤソップさんにいたっては「お前と同じぐらいの息子がいてなァ」なんて言い出すから飲んでたオレンジジュースを思いっきり吹き出す羽目になった。どう見ても30代半ばのヤソップさん、成人して久しいわたしと同年代の息子がいるはずもない。何故こんなことになるのか。原因は明らかだ。この世界の女性は縦に長く、そして細い。GカップHカップクラスの爆乳がそこいらを闊歩しているのだから、それらに見慣れた彼らが中肉中背のわたしを子どもと思い込むのも無理はない。しかしそれを素直に伝えるのもシャクだし、何より子どもに思われた方が都合が良かった。世間知らずを無知として受け入れてもらえるし、目の肥えている彼らは決して、わたしを“女”として見ない。何分女性のいない船だ、心配ないと断言できるほど流石のわたしも女を捨てていない。

 そんな訳でシャンクスと一つ屋根の下、もとい同じ部屋同じベッドで寝泊まりが始まったわけだが、当然何が起こるわけでもない。というか、シャンクスが夜、部屋に戻ってくること自体が稀だった。何分ほぼ毎日宴だ酒だと騒いでるような彼らだ、部屋に戻らないなと思ったら酒樽に抱き着いたまま廊下に転がっている、なんてこともザラだったからだ。最初は気を使わせてるのかと思ったが、数日もすればこれが素なのだと思い知る。まあわたしも「キャアッ男の人と同衾なんてフキツッ」、なんてかわい子ぶるほど子どもでも純情でもない。ちょっとうるさい湯たんぽがたまにベッドに潜り込んでくるような感じだ。猫かな。

「ぐおーぐおーぐおー」

 ……いや、猫はこんなに煩くないし、酒臭くもない。わざとらしいいびきではあるが、これがシャンクスの通常快眠モードなのは廊下で眠る彼に何度も毛布をかけてあげてるわたしがよくよく知っていた。いっそすがすがしいまでの大いびき、寝てても煩いとは恐れ入る。なんて思いながらわたしはシャンクスの鼻をつまんだ。

「ふごっ……」

 シャンクスは一瞬、苦しそうに息を詰まらせた。ぱっと鼻から手を放せば、シャンクスは再び気持ちよさそうに寝息を立てる。もう一度鼻をつまむ。ふぐっ、と、やっぱり苦しそうな声。すぐに手を放す。また眠りにつく。

「……ふふっ」

 思わず、擽られたかのように鼻が息を吐いた。暗闇に目が慣れれば、実に幸せそうな顔でいびきをかくシャンクスがハッキリと見えてきた。うつ伏せになったまま、しばらくシャンクスの鼻をつまんでは放して遊んだ。こんだけやっても起きないってことは、よっぽど深い眠りについているのだろう。こりゃ明日は二日酔いコースだな、なんて思いながらわたしも仰向けに寝っ転がる。船長だけあってキングサイズのベッドは、一人で眠るには広すぎた。大の字で眠るシャンクスに、ほんの少し身を寄せる。じんわりとした温もりと、強いラム酒の香り、それから潮風とほんの少しの鉄のにおい。ベッドと同じ、シャンクスのにおい。それが何だか、無性に眠気を誘う。どうしてこんなにも落ち着けるのだろう。こんな状況下で、父性を求めているのだろうか。……いや、そこまで年は離れてないよな。

 シャンクスは、矛盾の塊だ。無精ひげのせいで妙におっさんに見えるが、恐らく10も違わないだろう。無骨で、喧しくて、無邪気な笑顔が良く似合う。けれど、たくさんの船員を率いる海賊の船長。海賊と言うからには、悪い人なのだろうか。でも、彼が誰かを殺したり、略奪したり、凌辱したりする姿は見たことがないし、想像が出来ない。限られた酒を際限なく使い込んでベックマンさんに正座させられ、クルーに先を越されまいとわたしに悪戯仕掛けても不発に終わって拗ねて、酔っぱらって船のどこででもいびきかいてるような、少年がそのまま縦に伸びたかのような、大人。

 そうしていつも、邪気のない温もりに救われている自分がいるのだ。


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