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 モーテルで一人、眠る。睡眠は大事だ。これを怠るだけで次の日の活動に大きな支障が出る。此処に来てから、綺麗で柔らかくて暖かいベッドで眠れる幸福に気付かされた。もう、光の差さない冷たい石の床はこりごりだ。けれど、あの体験してしまったからか、仕事から帰って適当にご飯作ってお風呂入って、次の日に待ち構えるタスクに憂いながら眠りについていた日々にはもう戻れないようで。

 ベッドに潜り込んでしばらく、嫌な予感と共に目覚めたわたしは、自分でも驚くぐらい素早い動きで枕の下に隠していた小銃を取り出して眼前に突き出した。

「いい勘してるな」

 聞き覚えのある、男の声が嗤った。

「だが、遅い」

 けれどすぐに小銃を持った手は捻り上げられ、ドンッとベッドに縫い付けられた。仰向けに寝ていた身体に馬乗りにされ、人間の重みと人肌の温度を布越しに感じ、冷や汗が伝う。暗闇の中、顔は見えないが声に覚えのある男はにやりと口元を緩めた気がした。

迷うなら[・・・・]引け[・・]。命は一つ、人生は一度きり。躊躇う暇なんてない、そうだろう?」

「──ッ!!」

 大の男に両腕を拘束され、身動きは取れなくなる。身体に圧し掛かられているため、脚も動かせない。わたしは自分の愚かさに唇を噛み締める。男は暗闇の中、楽しそうに辺りを見回している。

「しかしすごい部屋だな。忍び込むのも一苦労だったぞ」

 軽々しく言われたその言葉に、きっと苦労などせずに容易く侵入したことはすぐに分かった。そう、わたしは誰も信用してない。誰かがこの部屋に忍び込む可能性だって想定内だ。けれど、寝込みを襲われて鮮やかに撃退できるほど、わたしは戦闘に慣れているわけではない。だから、誰かが侵入したらすぐに起きれるように、部屋という部屋中に空き缶と紐を張り巡らせ、缶には小石を詰め込んだ。窓の縁、ドアノブ、床、天井、カーテン、ベッド周り、あらゆる場所に張り巡らせた。こんなの気休めだって分かってる。でも、やらなきゃ眠ることさえ儘ならない。何せ此処は、何が起こるかも分からない場所なのだ。だけど、だけど、こうも簡単に、すり抜けられてしまうなんて!

 暗闇の中でじっとしていると、目が慣れてきたのか男の輪郭が徐々にはっきりしてきた。やはり、昼間に合った顔傷男だ。何が目的だと、ギッと睨み付ければ、男は少し驚いたように目を見開いた。

「お、おい、そんな顔するな! おれァ別にお前にどうこうしようってわけじゃ……!」

 見ず知らずの女の部屋に忍び込んできた男が何言ってんだ。強姦魔にしてはどうも締まらない男に、一体何しに来たのだと、少し肩の力が抜けてしまう。

「なあ、明かりをつけていいか? こう暗いと顔も見えやしねェ」

 何故私に許可を取るのか。もう好きにしろよ面倒だな、と思いながら頷くと、よかった、と男はほっとしたようにベッドサイドの明かりをつけた。ぱっと視界が光り、今まで眠りこけていたわたしの目は光に眩み、目をぎゅっと瞑った。両手両足拘束されてる今、もうこの程度の油断は些細なものだった。案の定男は何もしない。それどころか、わたしに小銃を持たせたままそっとわたしの上から離れていくではないか。

「悪かった。まさかいきなり銃を突きつけられるとは思わなくてな」

 いや、正当防衛の範囲と声を大にして言いたい。悪漢とコントするつもりもないので言いやしないけど。男は昼間見た時と同じ格好で、敵意はないのだとばかりにホールドアップしてベッドから数歩下がっていた。昼間と違う点を挙げるとするなら、帯刀していないことぐらいか。だがそれが何の安堵につながるというのか。わたしは黙ったまま小銃を向けたまま、威嚇を続ける。男は、アッ、と何かを思い出したようにポケットに手を突っ込む。ぐっと小銃を握る手に力が籠る。

 けれど、男が差し出したのは、手紙だった。

「ほら、落としものだ」

 その手紙は、紛れもなく“あの人”に届けなければいけない、彼の手紙。わたしはハッとして服のポケットを漁る。だが、手紙はない。あまりの焦りに一番大事なものを落としてくるなんて、どこまで大間抜けを演じれば気が済むのだ、わたしは。

 しかし方法はどうあれ、男はわたしに手紙を届けに来たらしい。わたしは警戒心を解かないまま、右手に銃を構えたまま、左手を伸ばして男に手を伸ばす。けれど、手紙に触れるか触れないかというところで、男は手紙を高々と掲げてしまった。

「何故、お前はこの手紙を持ってるんだ?」

 咎めるでもなく、責めるでもなく、彼は純粋な疑問を投げかけた。だが、答える義理はない。わたしはぴょんぴょんと跳んで手紙を奪おうとするが、男の身長はわたしが両腕一杯伸ばしてジャンプしても届かないぐらい高かった。

「この手紙を届けるよう、あいつに言われたのか?」

 その言葉に、わたしは手紙を奪おうと飛び跳ねるのを辞めた。この口ぶり、男は彼の知り合いだったのだろうか。だが、そんな約束などないわたしは口を噤むしかない。だって彼は、わたしに頼まなかった。今となっては、それが彼の望みだったのかも分からない。分かっているのは、彼が帰りたかったことだけ。わたしはその思いが痛いほど理解できて、目的のないわたしのよすがにしただけだ。そこに義理も憐憫も同情も、ありはしない。

「……そうか。お前は、優しいな」

 ぽんと、男の右手が私の頭に乗せられた。不器用な手つきでそっと与えられた温もりが、どうしてこんなに胸を締め付けるのだろう。ぐっと唇を噛んで耐える。どうして目の奥が熱いのだろう。優しいだなんて。何も知らないくせに。だって何も、言ってないはずなのに。だから何も、分かってないはずなのに。そんな、そんな言葉をかけてもらう資格なんて。そうだ、わたし、わたしは──。

「おれは、その手紙を書いた奴を知ってる。ある男の船に乗ってた見習い海賊だ。つい一か月前に海賊になったばかりで、それまでは金持ちの息子として好き勝手して生きてた、と聞いてる」

 男は、静かにわたしの頭を撫でる。人の心を落ち着けるような、ゆったりとした声で話されたその言葉は、つい先日当の本人から聞いた内容と合致していて。

「お前さえよけりゃ、おれたちがその手紙を送り先に届けたいと思った。そいつは海賊だからな、海の向こう、そのまた向こうにいるんだ。お嬢ちゃん一人で辿り着けるような航路じゃねェ」

 けど、と男はわたしの頭を軽く叩く。

「それじゃ、意味がない──そうだな?」

 うん、わたしは静かに頷いた。そうだ、ポストに投函しておしまいでは、わたしの物語に意味がなくなってしまう。何度でも言う。これは同情でも憐憫でもないのだ。わたしは、こんな意味の分からない世界で、こんな意味の分からない目に遭っているわたしの人生に意味を持たせるために、この手紙の届け先を探していたのだ。他人の手に預けたのでは、わたしの目的がなくなってしまう。

 この世界で見つけた、たった一つの目的が消えてしまう。それは心の底に穴が空いてしまったかのような喪失感と恐怖に苛まれる。だめだ、それではだめなのだ。わたしは、この手で“あの人”に手紙を届けなければいけないのだ。絶対に──絶対に、だ。



「だったら、おれが連れて行ってやる」



 ほら──ほら、やっぱり、思った通りなのだ。

「ちょうどヤボ用もあったしな。物のついでに連れていってやるさ。あ、勿論タダとは言わねェ。駄賃はお前の全財産。その代わり、衣食住と身の安全は保障する。長旅だからな、これくらいの対価は払って欲しいところだが、どうだ?」

 ほら、ほら、ほら、思った通り、思った通りだ!目的一つで、道が開けた。身一つで放りだされ、どうしようもないと嘆いていたわたしに、差し出す手が現れた。ならばどうして、その手を取らないでいられようか。罠かもしれない?甘い嘘かもしれない?今までの警戒心はどうした?馬鹿そんなの、“運命”以外の何があるというのか!

 訳も分からず、意味も知らずに自分が立つ大地の名前さえ知らないわたしの前で死んだ彼、そして残された手紙に、渡りに船。これが運命と言わずして、なんというのか!きっとこのためなのだ、全て。この手紙が、わたしの全てを握っている。だからこの旅の果てに、あるのだ。わたしの本当の場所が、わたしの、辿り着くべき場所が。

「今度は、迷いねェ、って顔だ」

 わたしは静かに頷く。小銃をポケットにしまい、欲しけりゃくれてやるとばかりに宝石の詰まったバックを投げる。男はびっくりしたようにワタワタしながら鞄を受け取った。わたしはニッと笑って右手を差し出した。男は少しまごついたが、鞄を降ろして右手で握り返した。そして気付いた、この男、左腕がない。上腕の少し上ぐらいから、ごっそり欠けている。まあ海賊だし、隻腕ぐらいいるか、とわたしは気に留めない。

「おれはシャンクスだ。よろしくな、ナギサ!」

 ぶほっ、とわたしは握手したまま咳き込んだ。いや、え、なんで、名前、あれ、わたし名乗ったっけ。この世界に着て、わたしは自分の名前はホテルのチェックインの時しか使っていない。というのも、どうも此処は西洋風の名前が主流のようなので、日本人丸出しの苗字・名前では浮いてしまうかと思い、チェックイン時は名前だけを綴ったのだ。今思えば偽名の一つでも使っておけと思ったが、今日に限ってはこの男に追いかけ回されてそこまで気が回らなかったのだ。まさかこいつ、受付の人を脅したんじゃ……と、視線を鋭くさせていくと、男──シャンクスと名乗った男は、わたしと同じようにブハッと吹き出した。

「なんだ、その顔! ホテルの受付で聞いたんだよ。此処に重たげな荷物を持った女の子が泊まってねェかって。届け物がしたいって言えば、すぐ名前と部屋番号教えてくれたぜ!」

 わたしは自分の迂闊さを、ほんの少し呪う。異世界に、プライバシー保護法など存在しないことを念頭に置かなかったことを。異世界生活もまだまだ慣れないなと、わたしの手を握ったまま笑い続けるシャンクスを見て思ったのだった。


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