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「うっ、うっ……こんなの、ヒック、あ、あんまりだ、ヒック!」

 さて、ラッキースケベならぬアンラッキースケベを食らった後。妙にデレオンに気遣われながら別の部屋を掃除し、昼食にキッチンへ向かうと、自慰行為を目撃された彼がショックと羞恥の果てに、ぐでんぐでんで管を巻きながら酒を浴びていたのを発見した。

「オイオイ、昼間っから荒れてんなァ」

「ああ、なんでもデレオンとナギサにマスかいてるとこ見られたらしいぞ」

「ヒエッ、なんつー惨い話だ……」

「ナギサにも同情するが、あいつも哀れだな」

「せめてノックはしてやれよ、デレオン」

「そうだそうだ。ナギサにトラウマ植え付けるなよ」

「何故僕が責められるんですか」

 いたいけな少女──と彼らが勝手に思ってるだけだが──が、おっさんの自慰行為を目の当たりにしてショックを受けていると判断したのか、泣いてる被害者を放置してやいのやいのと言い出すクルーたちに、心外だとばかりにデレオンは眉間を押さえた。

「掃除の時間は告知していたはずですよ。人の話を聞いていない彼に非があるでしょう。第一、あんな惨めなモノを見せつけておいて被害者面とはいい度胸じゃないですか。本来なら、僕とナギサに謝罪を求めたいくらいです」

「こ、こいつ、自分がご立派だからって……!」

「ナギサにゃ謝罪はあっても、てめえにはいらねえな」

「デレオン、お前に人の心ないのかよ」

「だから何故僕が責められなきゃならないんですか」

 いや、人の股間見て惨めとかいう奴に人の心はない。お昼のチャーハンをかき込みながらその端正な横顔見ながら思っていると、ついに泣きながら飲んだくれていた彼が顔を真っ赤にして立ち上がった。

「チクショウ! デレオンおめーはいいよなァ! ご立派なモンぶら下げてりゃそんな自信も漲るだろうよ!! ウッウッ、おれなんか、おれなんか、どうせ、どうせ短小包茎だよ! どうせ惨めだよ! ウッ、ウッ、チクショウ、チクショォォオオ……!!」

 怒ったり泣いたり忙しく騒ぎながら酒を呷る彼を見るデレオンの視線はまさに汚物を見るソレだ。まあ食事中聞きたくもない話題であるのは大いに同感だけども。ていうかレディがいる前で話すようなことじゃないと思うんだよね。どんな顔していいのか判断付きかねていると、涙でぐしゃぐしゃになった彼とバチリと目が合ってしまった。すると彼は、しゅるしゅると空気の抜けてしぼんだ風船のように机に突っ伏して顔だけこっちを見てきた。ちょ、怖っ、と、びびってチャーハン用のスプーン持ったまま椅子から仰け反ってしまった。すると彼は益々落ち込んだように泣き出してしまった。

「やっぱ男はデカさなんだな……そりゃそうだよな、デカくて困ることはねぇもんな……陸の女だって小より大を取るに決まってんだ……ナギサだって剥けてる方がいいよなあ……そうだよなあ……やっぱ世の中理不尽なんだ……」

「ナギサ、今なら彼の頭叩き割っても僕が許しますよ」

 顔のいい男はセクハラにも敏感だった。わたしまで巻き込んで泣かないでほしいのが正直なところだし、知ったこっちゃねえって感じなんだけど、彼があまりにも悲惨な顔で泣いているので、ちょっと同情心が芽生えてしまって。スプーンをテーブルに置いて、泣いてる彼の傍にそっと近づく。

「慰めてくれんのか、ハハッ、お前はほんと優しいなァ、ナギサ……ごめんなあ、お前だって嫌な思いしたのになあ……でもよォ、これが世の中の真理なんだ……不細工よりもイケメン、チビよりノッポ、小より大、それが答えなんだよ……チクショウ、おれだってデレオンの爪の垢ほどの魅力があれば、おれだって、おれだって……女の子にイチャイチャできたかもしれないのによぉぉおお──っ!!」

 欲望に忠実すぎる嘆きに「そうだそうだー!」「もっと言ったれー!」など、賛同する声がチラホラ上がる辺り、やっぱデレオンみたいなのが異色なんだろうなあと思いつつ。そりゃまあ、外見的魅力は目を引くし、あって困ることはあまりないだろう。けれど、それだけが魅力と決めつけるには早計過ぎる。

「ん、なんだ、ナギサ……女の子から見て、こんなおれにもモテる可能性ってあるもんか……?」

 泣きすぎて干乾びそうな眼窩はちょっと怖かったけど、わたしは彼の背をぽんぽんと叩いた。不思議そうな顔したままこちらを向く彼の心臓部分を、人差し指でとんと突いて微笑んで見せた。

「え──?」

 男はハートで勝負、なんてベッタベタすぎる慰めかもしれないけど。でもさ、どんなに顔が綺麗でも、背が高くても、ペニスがデカかろうがセックスが上手かろうが、その心が凍てついていてはどんな魅力も台無しだ。勝負所は間違えてはいけないと、もう一度ニッコリ微笑む。彼は鳩が豆鉄砲を食ったようにぽかんとして、わたしと自分の心臓部分を交互に見やっていた。やがて、その意味を徐々に理解していったのか、彼の涙で爛れた顔に生気が戻り出す。

「ナギサ……すまねェ、おれは長い船旅で、大事なモンを忘れちまってたみたいだ」

 だん、と彼は力強く立ち上がってテーブルに足をかけた。

「短小が何だ! 不細工が何だ!! 大事なのはそう──ここだろ、お前ェら!」

『『『おおおおおっ!!』』』

 とんとん、と自分の胸を親指で叩く彼は、先ほどまでヤケ酒呷ってたとは思えないほど活き活きとしている。周りのおっさんたちも、そうだそうだと囃し立ててきて、彼は益々元気に満ちていく。デレオンはテーブルに上るなと煩わしそうな目線をくれていたが、何か言う前にわたしがそっと制する。いい感じで持ちあがったんだから水を差すんじゃない。

 すると彼はくるりと向きを変え、45度きっかり腰を折ってわたしに頭を下げた。

「ありがとう、ナギサ。おれァ自分にとって何が誇りか、ようやく思い出せたぜ。そうだ、世の中外見じゃねェ! 女は見た目だけじゃ決して振り向かねェ! 一番は、そうだ一番大事なのは荒波にも負けねェ、熱いハート、こいつに尽きるってなァ!!」

 ……まあ、ハートだけあってもしょうがないこともあるんだけど、せっかく元気づけた彼に現実を突きつけるのは酷というもの。大人しく、曖昧な笑みを浮かべておくことにする。笑顔と周りのヨイショがあったおかげか、彼は益々勢いづいていく。ま、ぎゃあぎゃあ泣かれるよりはいいだろうと、わたしは騒ぎからひょいっと抜け出すと、ぶすくれた様子でチャーハンを突くデレオンの所へ戻る。

「全く、単純というかなんというか……どういう思考回路してるんだか」

 呆れた様子のデレオンに、横に座っていたベックマンさんが本から顔を上げた。

「ま、アレだ。人に言えねェ悩みを打ち明けてスッキリしたんだろう。この男所帯だ、仲間に言えねェことも一つや二つじゃないだろうしな」

「そういうものですか? ナギサ、大したことしてませんけど」

「ナギサみてェに、他人を否定せず、笑って頷いてくれるだけで楽になることもあるもんだ。お前みたいな若いモンには分からんだろうが、男ってのはごくたまに、肩の荷を下ろしてェって気にもなるもんだ」

「その程度で悩みが解決する単純な彼らが羨ましい」

 デレオンの毒舌は留まるところを知らない。よっぽど彼のイチモツを目の当たりにしたのが気に障ったのだろう。美に執心するデレオンらしいやと、わたしはチャーハンをかき込んでごちそうさまをする。ま、なんにせよ、元気になったらそれでいいや。さあて今日も掃除を頑張りますかね、と食器を片そうとした時、がしりと誰かに肩を掴まれて振り返る。そこには、見覚えのある下っ端クルーがいて。

「なぁ、ナギサ。ちっと話があるんだが、いいか?」

 ──思えば、その一言が皮切りだったのかもしれない。



***



「実はおれ、水虫なんだ……」

「なァ、幻滅されっかなあ、これ地毛じゃなくてヅラなんだ」

「デレオンが大事にしてた花瓶を割っちまって……」

「副船長のタバコくすねちまったって正直に言った方がいいかなあ」

「笑えよ。おれ、お頭の靴になりてェ」

 などなどなどなどなどなどなどなど。以上が、ここ数日でわたしがクルーたちから相談もとい告発された彼らの秘密の数々の、ほんの一部である。どうしてこうなったか、正直わたしも知りたい。

 アンラッキースケベ事件から一週間ほど経過しただろうか。わたしの雑なアドバイスでみるみるうちに元気になった彼の姿を見たからか、はたまたわたしなら誰にも秘密をバラさないだろうと確信したからか、でなければわたしならどんなことも馬鹿にしないと彼の姿を見てぴんときたからか。どうにもここ数日、ひっきりなしにそんな報告をされるだけの時間を過ごしていた。正直、アドバイスのしようもない話ばかりだし、悪いことしたらさっさと謝れとしか言いようがないのだが、彼らはわたしにあれやこれやと勝手にまくし立てては、スッキリした顔で去っていくのである。

「お悩み相談室みてェだな」

「どっちかっていうと懺悔室だろ」

 そんなわたしの姿を見たヤソップさんやベックマンさんがそんな形容をしたのも記憶に新しい。そう、気分はまるで懺悔室に佇むマリア像だ。彼らはわたしに、答えや救いを求めることはない。自分の胸の内に溜めていたものを懇々と吐き出して、スッキリして帰っていくのである。まあ、親しい人には言えなくとも付き合いの浅い相手なら言えることもあるだろうし、それでみんなが元気になるなら安いもんだと思うけど、噂が噂を呼んでわたしの懺悔室は休館日知らずとばかりにひっきりなしに人が訪れるもんだから、掃除の時間が取れないのが困りものだ。そして何より、わたしを取られてデレオンが拗ねるで、ご機嫌取りをする必要があるということである。

「いいんですよ。僕一人で掃除しましたから」

 ホレ見ろ、メンドクサイ彼女みたいな拗ね方しやがる。今日も今日とて、大浴場の掃除をしてる途中に呼び出され、いくつか前の島で寝た女が忘れられないと女々しく涙を流す男の恋バナを2時間ぐらい聞かされた後、そこまで未練あるならラブレターでも出せばいいのでは、というわたしの雑なアドバイスを前向きに受け取ったらしく、嬉々としてペンを取ったところでようやく解放された。戻ってみれば、デレオンが一人黙々とデッキブラシ片手に浴場の隅を掃除しているもんだから、ちょっと怖かったことを此処に記しておく。

「別に……気にしませんよ。君の隣の心地よさを他の連中に気付かれたことなんか、ちっとも悔しくありません。ええ、ちっとも。大体、僕ほどの美しさを持つ男がそんな、たかだか女性一人に、別に、なんとも、ないです、し」

 面倒には変わりないが彼も海賊、分かりやすい拗ね方で大変助かる。よしよしとその背を撫でてやると、鼻を啜られた。普通の女性なら胸キュンでもするところなのだろうか。わたしには駄々っ子の五歳児の影がダブって見えて仕方ないんだけど。

「だ、大体、君も、人が好過ぎるんですっ。面倒なら、いやなら、断ればいいんです! あんな、しょうもない、聞くにも下らぬ、取るにも足らぬ彼らの悩みなんて!」

 はいはいとわたしは話半分に彼の背を撫で上げ、掃除を切り上げさせてうだうだ言い続けるデレオンを引き摺って大浴場を後にする。そろそろお風呂の時間だからだ。

「だというのに……君はどんな悩みも……誰の苦労も……決して笑わない……絶対に、軽んじたりしない……」

 ぶつぶつ言いながら引きずられるデレオンに、いい加減一人で歩けと嘆息する。どうにも彼には、わたしの半マリア像化した懺悔室がお気に召さないらしい。オキニを取られて拗ねてるだけだと思ってたけど、この独り言を聞くに、どうやらそれだけじゃないらしい。宴の準備が始まってる甲板に出て、眩い夕陽を浴びながら、彼ら一人一人の顔を思い浮かべた。

 大した話じゃないのは百も承知だし、それほんとにわたしが聞かなきゃいけないか、ってレベルの話もあったし、正直専門用語が多すぎてちっとも理解できない話も合った。だけど、黙って聞いて頷いて時には当たり障りのないアドバイスして、そうして晴れやかな顔を見るたびに、少しだけ心が浮き立つのだ。だってそれは、シャンクスに与えられた救いを受けたわたしと、同じ顔をしていたから。彼がわたしに与えてくれたモノ、少しでも彼のクルーに返せたならこれほど嬉しいこともない。文字も大して読めず、腕っぷしが強いわけでも特別美人なわけでもない、ただのお掃除係のわたしをここまで重宝してくれている彼らに、ほんの少しでも何か返せたと錯覚できるだけで、わたしの歩んできた道にもちょっとぐらいは意味があるんじゃないかって思える。こんなにも訳の分からない世界の中で、わたしの残した意味が数日でも数秒でも、続いてくれればと思えば、お悩み相談なんて安いものなのである。

「……君は、何を聞いても、笑わないんですか」

 わたしに襟首引っ掴まれたままのデレオンが、ぽつりとそんなことを口走った。辺りは酒樽を抱えた人たちで溢れてきて、徐々に賑やかさが増していく。そんな中、寂し気に呟かれた彼の声はひどく耳に残って。

「──本当に?」

 デレオンの、色素の薄い瞳がこちらを向いた。どこか縋るようなその目は、陰のある美青年を無駄に助長させたように見えた。本当にキレイな顔をしてるんだなあ、と他人事のように思いながら、わたしは頷いた。

「ナギサ……」

 彼は、何かをひどく言い淀んでいるようだった。わたしに列をなした彼らのように、きっとデレオンにも打ち明けたい何かがあるのだろうと、すぐに分かった。あれほど馬鹿馬鹿しいとばかりの態度だったデレオンをそんな風にさせる悩みとは、一体何だろう。どういう心変わりかなんて無粋なことは、聞きはしまい。大事なのは今。下らないと、鼻で笑っていた彼さえも縋りたくなるほどその悩みが重たいものなのか。それとも、それを打ち明けてもいいと思えるだけの存在に、わたしが成れたのか。

「──君に、伝えたいことがあります。今夜、書庫まで来てください」

 憂いを帯びた横顔は夕日に照らされ、物悲しげな影を描いていた。それでも、真っ直ぐに届く言葉を、彼は迷いながらも伝えてくれた。断る理由も、道理もない。わたしは彼の目をじっと見つめて、静かに頷いた。デレオンはちょっと面食らった顔をしたが、すぐに表情を綻ばせて見せた。

 そして約束を果たした時、わたしは此処数日で一番の衝撃を知る。


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