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 勝負というからにはルールが必要。というわけで、わたしVSベックマンさんの酒飲み対決は、どちらかが『酒を飲めなくなる』、『リバースする』、『眠る』、その時点で勝敗を決する、という即席ルールが敷かれた。

 迎える一杯。互いにジョッキ一杯のラム酒を飲み干すが、顔色一つ変えない。そうこなくては面白くない。続く二杯目、三杯目──そうやってカウントも面倒になるほど飲み進めたが、一向に相手にダメージが蓄積されている様子はない。なるほど、確かに強い。シャンクスならこの辺で吐きに行っているが、ベックマンさんは身動ぎ一つせずただジョッキを呷るだけ。とはいえ、わたしもまだまだこれからである。

「ス、スゲエ……あの二人、何て闘気だ……!」

「ああ。こんな一戦がこの船で見られるなんてな……」

「まるで白ひげと戦り合うお頭みてェだ」

「あれ、そのお頭はどこ行ったんだ?」

「二人と同じペースで飲んでゲロってるぜ」

 周りも騒然とわたしたちの戦いを見守る。隣で釣られるようにして飲んでいたシャンクスは本日三回目のリバースだ。わたしより年上だとしたら、さほど若くもないはずだから無理すんなと、呆れ顔で続くもう一杯を呷る。ウーン、酔いはまだまだだが、そろそろお腹がたぽたぽになってきた。膀胱炎になったら笑えるな、と、くつくつ一人で笑っていると、向かい合うベックマンさんも釣られるように笑ってくれた。良い人である。

「大した女だな。まさか弱音一つ吐かねえとは」

 弱音なんて。まだまだこれからでしょ、とわたしは通算何樽目かも数え忘れたラム酒の樽にジョッキを突っ込んで酒を酌む。実際、釣られて飲んでゲロ吐いてるシャンクスに比べりゃ全然気分もいいはずだ。しいて言えばトイレ行きたいくらいだけど。

「酒に、じゃねェ。この状況に、だ」

「──!」

 わたしの顔を見て、ベックマンさんは呆れたように笑ってから、ぐいっとジョッキを逆さにして飲み干す。わたしは次の一杯を飲む手が、ほんの少しだけ震えた。アルコールのせいに出来たらよかったのに。そう断じることが出来ない程度には、わたしの思考は酒に惑わされてはいなくって。

「お頭が突然、女を船に乗せるなんざ言い始めた時にゃどうしたものかと思ったがな。事情を聞いても、おれは賛同できなかった。ああ、勘違いすんなよ、お前が嫌いなわけじゃねェ。ただ副船長として、この船の二番手を預かる身として、そう簡単に納得できなかったってのは、賢いお前ならよく分かってるはずだ」

 ベックマンさんは、大凡人に──しかも当の本人に──言い辛いだろうことを、本当に何でもないように話してしまうから、わたしは素直に頷く他なかった。まるで昨日の夕食は嫌いなキノコが入ってた、ぐらいのノリでそんなことを言われてしまうと、まあそうだろうなという気持ち以上に、そんな軽い話でいいのか、と閉口せざるを得ない。

「いいんだ。お頭の言うことは絶対だからな」

 そういうものなのか、わたしはコクコクとラム酒を飲み続ける。まあでも、船の上だもんな、ここ。上は誰かハッキリさせておかないと、いざ何かあった時にすぐに瓦解する。第三者の助けも介入も、孤高の海の上では望めまい。なるほど、みなそんな覚悟を胸に彼に、シャンクスについていっているのか。船首の方でルゥさんと一緒にゲーゲー吐いてるシャンクスを見ると、イマイチ信じられなくなってくるけど。

「それでも、お前だってお頭に惹かれてこの船に乗ったんだろう?」

「……フフッ」

 思わず、笑みがこぼれた。とても小さな声だったから、それがカタチになることはなかった。お頭に、シャンクスに惹かれたから、だって。そんなの、そんなの当然に決まっているだろうに!

 彼が手を差し伸べた。その手にわたしは、自分の運命を見たのだ。右も左も、自分が立つ大地の名前さえ知らない世界。縋るべきよすがもなく、友もなく、親もなく、見上げる空はただ遠く、わたしの知る青空と同じ色。それでも歩き続けた。それでも、立ち止まらなかった。立ち止まっていては、きっと追いつかれてしまうから。だから慎重でもいい、一歩一歩でもいい、前へ進みたかった。そうして出会った、眩しいほどの情熱の色。

 これが運命じゃないなんて、一体誰か言えようか!

「全く、イイ顔しやがる。本当に大した女だよ、お前は」

 そう言いながら酒を飲むベックマンさん。どんな顔だろう、思わずジョッキを置いて自分の頬に触れる。……よく分からない。いつもの馴染みある、自分の顔だと思う。だよね、とわたしはジョッキの中のラム酒を覗き込む。透き通った琥珀色の波紋の中に、眉根を顰めるわたしの顔があるだけだ。

「ま、何にせよ、お前で良かったってことだ」

 真っ直ぐに届く、ベックマンさんの言葉が心地よい。きっとこの人は、わたしがとっくの昔に成人していることに気付いているし、わたしが子ども扱いを享受しているのをも気付いて何も言わないのだ。だから彼の言葉は子どもにかけるものではなく、成人女性にかけるもの。故に、わたしの心に響く。別に子ども扱いに不満があるわけじゃない。この船は温かく、優しい。ちょっぴり鬱陶しいけど、それでも此処は、孤独を忘れられる。

「お、なんだなんだ。おれの話か?」

 なんて少ししんみりしたところに、再度顔をスッキリさせたシャンクスが戻ってきた。人のこと言えた義理でもないが、この人の肝臓も中々に強靭である。介抱に向かったデレオンの方がもらいゲロして遠くで吐いているのが見えたので、シャンクス相手には振り回された方が負けなのだろうと、心に刻む。

 ベックマンさんも同じようなことを思ったのか、軽いため息を一つ。

「みんな、あんたに首ったけってことさ」

「なんだ気色悪ィ。ナギサに言われるならまだしも」

「大丈夫だ、ナギサだってあんたに夢中だとよ。なあ、ナギサ」

 え、その話題こっちに振るの。いやまあ、夢中っていうか、運命っていうか、その、なんだ、そういう特別視はしてるけど。なんかその言い方だと、あれじゃん。なんかこう、違うじゃん。

「お! そりゃいいや! ありがとな、ナギサ!」

 苦い顔のわたしに対し、ニッコニコのシャンクス。ああ、うん。そうだよね、この人の中じゃわたしはせいぜい十代半ばの少女。パパー、わたし大きくなったらパパと結婚するのー、と言われてデレデレしてる父親の心境と大差なしか。……別に残念ではない。わたしだってそういう気持ちでシャンクスと夜を共にしているのだから。いや、この表現はだいぶアレだ。シャンクスと一緒に寝ているのだから、か──どっちにしろ微妙だな、日本語って難しい。

「で、勝負はついたのか?」

「全く。酒が尽きる方が先だな、こりゃ」

「なんだそりゃ。ルゥ一人勝ちかよ」

 つまらねェな、とシャンクスはぶーたれる。しかし、ベックマンさんの言葉は事実だ。お互い顔色一つ変える気配はないし、船中の酒を消費し切るのが先か、わたしの膀胱が音を上げるのが先かの勝負になってしまう。ちっとも様子の変わらない飲み対決にクルーたちも飽きたのか、こっちのことなど気にも留めず勝手に盛り上がっているし……この対決、引き分けでいいのではないだろうか。ていうかこの際、勝敗云々どうでもいい。トイレ行きたい。

「じゃ、おれはもう戻るぜ。お前らもほどほどにしておけよ」

「おい、このままじゃ不戦敗だぞ」

「誰も見てねェさ。真相は、お頭の胸の中にでも秘めといてくれ」

 そう言って、ジョッキを置いて颯爽と立ち去るベックマンさんを引き留める者はいなかった。気付いている者さえ、いたかどうかも怪しい。相も変わらず、何が楽しいのか毎日笑って騒いで歌って踊って肩組んで、大騒ぎしている彼らにとってクルーが一人ひっそりと場を後にしたぐらいじゃ気にも留めないようで。

 しゃーない、わたしも戻るかね。ふわあ、と欠伸を噛み殺しながら伸びをする。シャンクスは戻らないのかとちらりと見やるも、シャンクスの手にはすでにラム酒が注がれたジョッキが握られていた。ああ、うん。まだ飲むのね。こりゃリバース四回目も近いだろうなと思いながら、コッソリその場を後にする。ただ、もらいゲロしてたデレオンが可哀想だったので、トイレに行った後、タオルとコップ一杯のお水を届けてあげた。

「あ、ああ……ナギサ、ありが、ウッ……!」

 美男子が青い顔でゲロ吐く姿、果たして清少納言でもいとをかしぐらい言ったのだろうか。わたしはそうは思わないけど。きざったい顔も、ゲロってしまえば影も形もなく。どことなく哀愁漂う横顔に、わたしはそっと彼の背をさすってやるのだった。



***



 その鼻と同じぐらいプライドの高いデレオンの介抱までは行わなかった。弱味見せたくないタイプだろうしね。そんなわけでわたしは早々に自分の部屋、もとい船長室に戻る。さっとシャワーを浴びて、あったかいうちにベッドに潜り込む。アルコールの力もあってか、すぐに眠気がさざ波のように迫ってくる。うつらうつらと、波に揺られるように意識が浮上しては少し落ち、また少し浮上してを繰り返していると、船長室のドアが開いた音が聞こえた。少し意識が現実寄りになる。ああ、目を開けるまでもない。シャンクスだ。流石に何日も同じベッドで寝たせいもあって、この人の気配というかオーラというか、そういう雰囲気はすぐ分かるようになっていた。

 シャンクスは寝室に戻ることがあっても、その時刻はとうに私が夢に旅立った後だ。だからいつもわたしが先にベッドで丸くなって、その横にシャンクスがいつの間にか眠っている、という構図が出来上がっている。流石のシャンクスもレディへの気遣いはあるのか、二人して肌を寄せて眠る、なんてことはない。ただベッドが広いだけな気もするけど。ありがとうキングサイズのベッド。なんて感謝をしていた時、どうやら今日はその“いつも”に含まれていないようで。

「“ぐえあっ!?”」

 腹にドスンという衝撃が落ち、わたしはカエルの潰れたような声が捻り出た。案の定、ドカドカッ、と暗闇の向こうに何かが床に落ちるのが聞こえた。わたしの情けない“声”だろう。しかし、半ば眠りかけているところにいきなりダイヴされては、こんな声も出よう。思わず上半身を起こして何事かと夜目をこらせば、わたしの半身に覆い被さるように倒れ込んでいる赤い髪の大男が見えて。

「ナギサ〜、お前すげェなあ〜」

 顔が見えないが、へろへろのニコニコ顔のシャンクスが目に浮かぶ。そんな気の抜けた声だった。すげえなあ、すげえなあ、とうわ言のように繰り返すシャンクスは、わたしの上で身動ぎ一つしない。おいこれこのまま寝るパターンだろ。起きろ退けいと揺り動かす努力虚しく、シャンクスはそのまま寝息を立て始めた。ちょっとこれ、え、なにこれ。こちら仰向け、あっちうつ伏せ、おかげでシャンクスの寝息という温もりが、お腹に滞留する。すげーあったかいけどそういう問題じゃない。え、何この人、このまま寝るつもりか。試しにその真っ赤な頭を叩いてみるが、うんともすんとも言わず、ぐおーという寝息しか返ってこない。あ、だめだ、これ快眠モード入ってる。

 抵抗は五分でやめた。シャンクスは酔えば人間と酒樽の区別も付かないのだ、仕方ないと割り切ろう。これは猫だ、大きな猫だ。そう思えば恥ずかしいとか男がとか女がとか、そういう感情が薄れて、またもやうつらうつらと眠気に襲われる。まあ、別にいいか。シャンクスだし。わたしはそう結論付けて、思考と意識を一緒に放棄したのであった。

 翌日、特に何事もなく起床したわたしと、これまた何事もなく少し遅れて起床したシャンクスとの間に昨晩の話が持ち上がることはなく。何故かベックマンさんに、

「次の島に店があったら、ベッド買ってやる」

 と、言われた。彼には千里眼でも備わっているのだろうか。船の二番手を預かる人の慧眼には敵わないなと思いつつ、わたしはへらりと微笑んで、遠くで二日酔いで頭を抱えているシャンクスはずうんと項垂れるのだった。


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