飴色に溺死

※ネームレス

※現パロのつもり

※こまけえこたあいいんだよ














 大人になると、誕生日もさほど嬉しいものでもない。ちょっといいディナーを食べて、ケーキを食べて、プレゼントを貰う。自由に使えるお金と時間があれば、記念日だろうとなかろうと、『誕生日』に親や友達からもたらされた物は、大抵自ら得ることができるからだ。とはいえ、それでも愛すべき恋人と一緒に食事をして、ケーキを食べて、事前におねだりしていたプレゼントなんかを貰えたら、やっぱり浮足立ってしまうというものだ。矛盾している自覚はあるが、人間とは得てしてそういうものである。

「そろそろだな」

 付き合いも長くなってくると、プレゼントのサプライズネタも底を尽きてくる。そんなわけで、ここ二年ぐらいは誕生日前に予め欲しいものを聞くのが暗黙の了解となっていた。何かの懸賞で貰ったカレンダーを見ながら、彼がそんなことを言い出した。

「今年は何がいいんだ?」

「誕生日? まだ一か月はあるけど」

「こちらにも準備というものがあるからな」

「マメねえ、アーチャーは」

 アーチャー、それが私の恋人。無論、本名ではない。私が勝手につけたあだ名だ。大学のアーチェリー同好会で出会った私たちは、様々な紆余曲折を得て交際を始め、社会人なった今もこうして互いの家に入り浸っている。遊びや高校の名残で弓引いていた私たちの中でただ一人、鷹のような目で的を見つめる横顔に恋をしたあの日から、もう随分と長い時間が流れたものだ。街中でその名を叫ぶと困った顔をするが、どこか日本人離れした容姿の彼に、不思議とそのあだ名はしっくりきて、ついには本名を呼ぶのが恥ずかしいくらい、定着してしまった。尤も、本人も本名があまり好きじゃないようなので、さほど気にした様子もないけれど。

「去年の教訓を活かしたいだけなんだがね」

「大袈裟な。ケーキ食べたいって言っただけなのに」

「正確には、『手作りの』ケーキを、『いくつも』食べたいだ」

 やれやれと、呆れたように言って二人掛けのソファに腰を下ろす彼の横に、私もちょこんと腰掛ける。雑誌を読んでいるのかと思ったら、本のタイトルは『お菓子大百科-焼き菓子とケーキ編-』だった。

「今年はどんな無茶な注文が来るかと、ひやひやしているんだ」

「無茶な注文でも、叶えようって思っちゃうわけだ」

「何か問題でも?」

「ない。すき。アーチャー大好き。愛してる」

「はいはい」

 真剣にレシピに目を落とす男の肩にぐりぐりと頭をこすり付けると、何も言わずに肩に手を回されて、がっしりとした腕に抱き寄せられる。

「で、ご注文は?」

「そうねえ」

 脳内の欲しいものリストをさっと開くも、どれもパッとしない。アクセサリーも、化粧品も、洋服も、美容器具、家電、映画のBlu-ray、色々な物が掲載されているが、そのどれもが『誕生日』には相応しくないと思えた。年を取るのは、別に嬉しくも悲しくもない。欲しい物は自分で手に入るようになった。ならばと私は思うのだ。手に入らないものが、欲しいと。

 だから去年は、料理上手な彼にお手製のケーキをたくさん食べたいと頼んだ。久々に形に残らぬプレゼントに、アーチャーは安上がりだと肩を竦めた。だが、蓋を開けてみれば一口サイズのケーキや焼き菓子などを何種類も、まるでケーキバイキングさながらの美しい光景が贈られた。『彼氏の手作り』というタグをつけて乗せたその写真はSNSでバズりまくって雑誌だかWebニュースに掲載したいというDMが何通も飛んできたほどだ。全部無視してやったが。まあそういった承認欲が満たされたことも嬉しかったわけだけど、一番は『誕生日』という特別感を贈られたことだ。明日のコンディションも気にせずケーキを食べるなんて何年ぶりだっただろう。おかげで向こう一週間は体重計と顔を合わせられなかったが、それを差し引いて尚有り余る思い出だ。

 そんな去年を思うと、アーチャーにとって今年のハードルは中々に高いのかもしれない。故に入念な準備期間を、ということか。私、どんだけ愛されてるんだろう。ニヤつきながら、私はあらかじめ用意していたこの一言を告げる。

「アーチャーが、して欲しいこと」

「……どういう、意味だ?」

「そのまんま。私の誕生日は、アーチャーがして欲しいことをして欲しいの」

 そう告げて彼の顔を見上げると、ぱちぱちと瞬きを数回した後、思いっきり眉を顰めるのだから思わず笑いそうになる。

 アーチャーとの長い付き合いの中で、困ったことや喧嘩したことなんか何度もあった。そのうちの一つが、人にはこんなにも尽くすことができるのに、自分自身には驚くほど無欲ということだ。私だって頑張った。彼の好みをリサーチし、知り合い知人を片っ端から話を聞いて回り、迎える誕生日に様々な贈り物やサプライズを用意した。でも、彼は困ったように微笑むだけなのだ。身に余るとでも言いたげに、形だけのお礼を口にする。慣れていないだけだ、そういう男だと思ってくれ、彼は何度となくそう告げる。それが少しだけ、寂しくて、悲しくて、虚しくて。最近じゃちょっと諦めがついていた。それでも、私が毎年毎年世界で一番幸せなのだと窓から身を乗り出して叫びたくなるような思いを、彼にも感じて欲しいと思うのは、おかしなことだろうか。彼の愛情を疑っているわけではない。ただ、自分と同じものを、得て欲しいと思っただけ。傲慢な願いなのだろうか。でも、一度ぐらい、私だってあなたを。

「……オレ、の?」

「そう、あなたの」

「君の誕生日だぞ」

「分かってるわ」

「何故」

「自分が一番、よく知ってるでしょう」

 にっこりと微笑めば、途端に彼は言葉を詰まらせる。困らせてるのは、百も承知。けれど、誕生日なのだ。主役は私。主役の言うことは絶対だ。私に尽くすことを何ら惜しまぬ彼の優しさに付け込む私も大概嫌な女だ。今でも十分幸せなのに、もっと、さらに、と求めてしまう。あなたがただ、傍にいるだけで世界はこんなにも輝いて、美しい。それ以外何もいらないとさえ思えるのに、愛に果ては無いのだと知る。

「楽しみにしてる」

「……善処しよう」

 苦々しくそう零して、アーチャーはぱたんと本を閉じて立ち上がる。どうしたのかとシャツの裾をちょんと摘まむ。怒った? 気を悪くした? そんなことで気を損ねるような、短い付き合いではないのに、愛の裏には常に不安の影がせせら笑う。

 けれど、戸惑う私に彼はただ、穏やかな笑みを浮かべるだけ。

「お茶を淹れるだけだ」

「……こないだ買った、ピーチティーがいい」

「分かっている」

 頬を撫ぜて、キッチンへ向かう大きな背中に抱き着こうか一瞬迷って、彼が残したレシピ本を捲るだけに留めた。あれこれ書き込みや付箋がつけられたその本に、また一つ愛しさを感じて本を抱きしめる。ああ、私って世界で一番の果報者。



***



 そして一か月はあっという間に駆け抜けた。幸運にも今年の誕生日は日曜日。別段当日に祝わなければならない決まりはないけれど、やはり記念日に直接顔を合わせて祝ってもらえるのは嬉しいものだ。その日は前日から彼の家に泊まり込み、ドラマを見たり、本を読んだり、セックスをしたり、日々の疲れを癒す。そうして私の誕生日まであと十五分というところで、アーチャーはキッチンの方へ向かう。

「どうしたの?」

「……君のご要望に沿おうと思ってね」

「ほんと!?」

 ソファでゴロゴロしていた私は突如跳ね起きた。正直、ああは言ったものの、白旗を上げるのではないかと思っていたのだ。それくらいに、彼は自分の欲望というものがない。そりゃまあ、食べる、寝るなどの人間としての欲はある。けど、願望──とでもいうのか。特に他人に何か求めるようなことを、彼はしない。どうしてと聞いても、返る言葉がないその人の心の奥底に眠る『欲』を見つけることができなかった、私が無い知恵を絞って振り絞った最後の賭け。

 まさか、勝ったのか、私は。何年と探っても分からなかったその問いを、彼は一か月という時間の中で用意してきたのか。どこまでも『他人』の為なら真摯になれる男とだと、驚きと呆れが半分ずつ。だったら私の数年の努力は何だったのかと言いたくならないでもないけど、それ以上に彼が何を用意するかが気になった。リクエストは、『彼がされたいこと』──今更だけど、ハードなプレイなんかを要求されたらどうしよう。いいや私とて、命と衛生面の心配がなければ大抵のことは受け入れられる覚悟はある。どんとこい。そんな気分で目を瞑って彼の到着を待つ。かちこちと、少し調子の悪い電波時計が不規則なリズムを刻み、かちっ、とコンロが火を吹く音、がちゃがちゃという食器が触れ合うノイズ、視界を閉ざしたことにより色んな波が私を包む。

 そうして少しばかり襲ってくる眠気に根負けしそうになったところで、アーチャーが私を呼んだ。

「なあに?」

「こっちだ」

 そう言って、いつも二人でご飯を食べるダイニングテーブルを指す。テーブルには、二つのティーカップと、ティーポット。こないだ買ったフルーツティーの香りが、部屋いっぱいに満ちている。一体何をもたらされるのか、ドキドキと早まる鼓動を感じながら椅子に座る。アーチャーも私の向かいに座る。テーブルの上で手を組んで、いつまでも合わない視線がどこか宙を彷徨う。そうしているうちに彼の背後にある時計が、零時を指した。

「日付、変わった」

「……そうか。誕生日、おめでとう」

「ありがと。それで、これは一体どういう催し?」

 紅茶は好きだが、深夜に飲むことはあまりない。カフェイン入ってるわけだし、眠気を妨げられてしまう。だから、『これ』が私のリクエストの一環だということは分かるけど、その背景まではまるで分らない。いつまでも沈黙を破らない彼に、私もだんだん心配になってくる。ねえ大丈夫、そう言おうと口を開いた。その時。

「……これ以上、思い浮かばなかったんだ」

 蚊の鳴くような、小さな小さな呟きが紅茶にぽちゃんと落ちた。はた、と動きが止まる。彼の言葉を、分解する。ワードは実に、シンプルだ。因数分解する必要もない。では、『これ以上』とは何か。目の前に広がる光景を今一度見る。紅茶と、彼がいる。彼がいて、私がいる。

 ──嘘でしょ、と顔に一気に熱が集まる。もう何年目かの付き合いになって、互いの裸体にも見慣れてきて、年齢も重ねたことで、どきどきよりも安心するような、そんな間柄になったはずなのに。だってそんな、彼が言う、『これ以上』って、つまり。

「オレが淹れた紅茶を、君とこうして飲む」

 紅茶を淹れるのは、いつだって彼の役目だった。たまには私がと言っても、いつも椅子に座らされる。彼が淹れた方が美味しいし、こだわりでもあるのだろうといつからか私はその申し出をしなくなった。だから、好きでやってるんだろうとは、思ってた。だけど、こんな、こんなのって。

「──それ以上の望みが、どこにあるんだ」

 直視することすらおこがましい、柔らかな笑顔に言葉が出ない。目線を落とした先にあるティーカップにさえ、飴色の液体の中に彼の笑みが浮かぶ。どうしよう。どうしよう。こんな、こんなの、全くの予想外だ。どこかかっこつけで、皮肉屋で、でも、誰よりも人の為に生きる人だった。自分さえ犠牲にしているのではと、危うさすら感じるほどに。けれど。

「ばかね」

「……ああ。我ながら、呆れて言葉もない」

「自覚があるだけ、マシなのかしら」

「そう捉えてもらって結構だ」

「ばかよ。本当に、あなたって、ばかだわ」

 こんなの、プレゼントでも何でもない。ただの日常。いつもの光景。何年もの間に、何度となく繰り返してきた。だというのに、どうしてこんなに胸がいっぱいで、苦しさすら感じるのだろう。彼に縋りついて、泣き叫びたくなるのだろう。この感情を、この想いを、理屈をこねた言語なんぞに表すなんて、もう無理だ。だから。


「私だって、あなたがいれば何もいらない」


 ばかで愚直で愛しい人。どうか最期まで、私だけの『愛』でいて。


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