それはひどくありふれた顛末でした。 ※別ver

コレのオチ違いver



















 私の人生において、『滑舌がいい』という誉め言葉は日常茶飯事だった。

 正直、自分ではそんな自覚はあまりない。ただ、十七年という短い人生の中で何度となく同じセリフをかけられると、世間一般的にはまあそうなんだろうなあ、といったぼんやりとした自信のようなものはついてきた。始まりは幼稚園の絵本の朗読だっただろうか。若い先生の、『凪沙ちゃんご本読むの上手だねえ〜』なんて一言から始まり、小学校で教科書を朗読している時も、中学で放送委員会に入った時も、似たようなお褒めの言葉を頂いてきた。おかげで数少ない特技ぐらいの認識にはなってきたので、青道に進学した際、放送部の扉を叩いたのは、ごく自然なことだったように思う。

「いっつも思うけど、天城さんって英語の発音もいいんだな」

「ありがと。でも、それは初めて言われたかも」

 老齢の英語教師は、何をするにもペアワークを好んでいた。そうでなければ、いつも一人で小難しいノートを読むか、野球部の人とつるんでいる隣の席の御幸くんとは、こうして友人のように言葉を交わすことはなかっただろう。

 教室中はわいわいと、拙い英語と日本語が飛び交っているので、教科書通りの英会話文を二人で読み交わしてさえいれば、多少の雑談も目を瞑ってもらえるのがこの授業のいいところだ。まあ、ぶっちゃけ御幸くんと仲睦まじいとか、個人的に好意があるとかそういうのではないんだけど、少なくとも『エジプトの建造物に対する感想』とかいう使い道が一度二度あるか分からぬ英会話を読み込むよりは、雑談していた方がずっと楽しいわけだし。ましてや、相手はあの御幸くんなのだから。

 御幸くんといえば強豪で名高い我が青道高校のキャプテンで、うちの学校を何年かぶりに甲子園へと導いた立役者だった。これで顔もおっとこまえなんだから、なんかもう民衆の前で野球やる為だけに生まれてきたような人間よね、とは友人談。なんかもうこれだけで異世界の人間相手みたいで最初こそ委縮していたが、よく考えなくとも甲子園に出場した野球部のキャプテンって毎年何十人も排出されてんだよね。しかも、こうして口を開けば、普通の、十七歳の男の子だしなあ、というあれこれを総合し、私の中の御幸くんはギリ普通のクラスメイトとして認知していた。

 しかし、それはそうとして、彼ほどの男に褒められて悪い気はしない。下手に謙遜するのも何だし、ドモドモ、なんて素直に返せば、御幸くんがにたりと笑む。

「さっすが、全日本高校放送コンクール準優勝者って感じ?」

「全国高校放送コンテスト、ね。ていうかあの時の原稿、日本語だったし……」

 英語関係ないんだよねえ、なんて言いながら、ちらりと教師の様子をうかがう。近くまで来ていたので、教科書を読むふりしてぺらりと捲る。

「っていうかよく知ってたね、そんなん」

「いやいや。夏休み明けに垂れ幕かかってたでしょ。『2年B組天城凪沙、全国放送コンテストアナウンス部門準優勝!』って」

「あー、あったなあ、そんなの……」

 正門の校舎からどどんと垂れ幕が落ちてきた時は恥ずかしさで憤死しかけたほどだ。とはいえ、私は別に美人でも可愛いわけではないので、甲子園出場を決めた御幸くんたちほど騒がれなかったのは不幸中の幸いと言えよう。せいぜい、委員会などで名前を出すと一瞬ざわつく程度で済んでいる。

 しかし意外だ。こう言っちゃ何だが、御幸くんはわりとぼっち──いや、他人に興味がない人だと思っていた。そりゃ最低限の愛想と社交性はあるけれど、隣の席の人間が男か女かも記憶してないじゃないかと睨んでいたのだが。そんな驚きが顔に出ていたのだろうか、御幸くんは、いやいや、と呆れたように言う。

「俺らで言う甲子園準優勝みたいなもんでしょ、知らない奴の方がおかしいって」

「いやいやそんなそんな。御幸くんたちだって甲子園行くわけだし」

「準優勝と出場決定は違うだろー」

「いやいや」

「いやいや」

 二人して謎の謙遜の殴り合い、そうして同時に二人して吹き出す。御幸くん、クールで冷めてそうに見えるけど、案外下らないことで笑うんだな、と思いながら離れていく教師を尻目に私は続ける。

「それにほら、御幸くんたちは甲子園優勝するでしょ?」

 焚きつけるつもりはないし、野球のことはあんま分かんない。でも、不思議とそれを確信していた私が何でもないように言えば、御幸くんはニッと悪戯っぽく笑った。

「とーぜん!」

「でしょ? 一緒一緒」

 全国で待ってるぜ、なんてクサいセリフは流石に続けられなかったが。そもそもステージが違いすぎる。全然一緒じゃないよな、と自分で言っててセルフ突っ込みをしたくなる。だって甲子園優勝とまでいけば、今なんか比較にならないほど大騒ぎになるのだろう。甲子園優勝て、それってつまり、その世代で一番野球がうまい人たちがなるんでしょ。そりゃあプロのお誘い、みたいな話があるわけだ。クラスメイトからプロ野球選手が出たらすごいだろうなあ。孫子ぐらいまでは自慢できそうだ。

「プロかあ……そうなったら、流石に一緒一緒とは言えないか。世界の違う人になっちゃうもんねえ」

「えー、それ天城さんが言う?」

「え?」

「え?」

 お互い顔を見合わせる。え、私、違う世界に行く予定あったっけ。首を傾げる私に、御幸くんは眼鏡の奥で目を丸くしている。

「だって、なるでしょ。アナウンサー」

「い──いやいやいやいや!!」

 当たり前のことを何をいまさら、とばかりに言ってのける御幸くんに、私は寝耳に水と思わず声量が大きくなってしまう。幸い、後ろからどでかい声のカタカナ英語が被さってきて、私の声を中和させてくれたので大事にはならなかったが。ただ、御幸くんはぽかんとした顔をして私を見つめ返してきた。

「違うの?」

「考えたこともなかったよ」

 アナウンサー。アナウンサーってあれでしょ、朝や夜にニュース読んだり、番組の司会進行したり、時にはバラエティ出たり、食レポからクイズまで幅広く対応するテレビの顔。それを、なに。私が?

「えー……無理くない?」

「なんで? 天城さん頭いいし、声綺麗だし、実績もあるし、いけるでしょ」

「えええ……」

 確かに、その、この夏のコンテストでは身に余るほどの賞状を頂いたわけだし、滑舌はいいと言われたこともあるけれども。そりゃ、人前で喋るのは苦手じゃないし、原稿を書くのも好きだった。だから将来はTV番組の構成に携わるとか、或いはラジオ番組でパーソナリティするとか、そういうことができたら面白いなとか、そういうことは考えたことはあった。だけど、アナウンサーを提案されたのは初めてだ。しかも、あの御幸くんにここまでべた褒めされて、だ。むずむずとした笑みがこみ上げるのを必死で押さえながら、そうかなあ、なんてぼやく。

「なれるかなあ」

「なりたきゃなれるって。っていうか、なってもらわないと俺が困るというか」

「え? 困るの?」

 ここにきて、突如話がどっか飛躍したような気がする。んんん、なんて唸っても、『私がアナウンサーにならない』と『御幸くんが困る』、という因果関係が全く成立していないよう思う。っていうかしてないよね。一体何の話をしてるんだと、きゅっと目を細めると、御幸くんはにぃーっと意地の悪そうな笑みを一つ。

「分かんない?」

「分かんない……ねえ」

 何が楽しいのか、にたにた笑う御幸くん。からかっているのは分かるけど、不思議と嫌な気はしないのは、彼の生来の人柄というか、そういうものを見知っているからだろうか。彼は決して、不必要に人を傷つけたり惑わせたりして悦に入るタイプではない、はずだ。だからこの分かりづらい言い回しにも、何か意味があるんじゃないかと勘繰った。だが、どれだけ考えても、私がアナウンサーにならないと御幸くんが困る未来が全く想像できない。

「結構あるあるだと思うんだけどな」

「あるある……」

「ありきたりすぎても面白くねえけど、やっぱ王道が一番かなって」

「王道……」

 一生懸命、御幸くんの考えをトレースしようと、ぽんぽんと出てくる単語を口に出してみるが、ますます訳が分からなくなる。あれ? 私たち今、何の話してたんだっけ? 可能な限り会話のきっかけを遡ってみるも、徒労に終わる。だめだ、どう考えてもさっきの『困る』発言で全てが飛躍したとしか思えない。それまではちゃんとスムーズに会話できてたと思うんだけど。

 ……考えている間に授業が終わりかねない。降参降参とばかりに軽く両手を上げてホールドアップしてみせる。答えを促す私に、御幸くんはちょっとだけ眉を顰めた。なんで理解でいないのか、そんな表情で彼は──とんでもないことを、口走る。

「よくあるでしょ。野球選手とアナウンサーの結婚」

「は、?」

 言葉が、詰まる。

 結婚。ケッコン。ぐるぐると、その単語だけが脳裏を駆ける。いやまあ、よくある話だけどね。大柄な選手の横に、ちょこんと佇む美人アナウンサーの図。いやでも、それ、だって、そういう。活火山みたいに体温が急上昇する私を横目に、御幸くんは頬杖をついたまま、何でもないように、それこそ教科書に綴られた実用性のない英文を読むのと同じぐらいのテンションで、こう語る。

「ヒーローインタビューでプロポーズ、そういう予定なんで」

 だからなれよ、アナウンサー。そんな優しさを孕んだセリフが、教室の喧騒内に消えてなくなれば、どれだけ心音を落ち着けられたか。けれどそんな都合の良いことは起こらない。彼の言葉はまっすぐに、私の耳に飛び込んで離れない。ヒーローインタビューってあれだよね。そういう、あの、あれ。当然インタビューされるのは御幸くんだろうし、てことは、インタビュアーって。アナウンサーになれって。それって、つまり、?

 全てを理解するのと、彼曰く『綺麗な声』とやらが、今日一番の奇声を発する羽目になったのは、ほぼ同時だった。





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御幸一也……(鳴き声)

2021/04/11


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