Vega's curse

※いつにも増して何があっても許せる方向け

※GOSHO神のとび森ネタあり




























みーんみんみん。蝉が鳴く。

突き抜ける青空を見上げた。暑い。遠い。ああ、夏が来る。





***





「よ、安室。一年ぶり」

「……その台詞、毎年言わなきゃ気が済まないのか」

「仕方ないでしょ、今は『安室』じゃないかもしれないんだから」


ね、降谷、と唇だけが声なき音を紡いで笑う彼女は、その言葉通り一年ぶりに会う存在。関係としては、如何様に言うべきか。友人というほど親しくもなく、ましてや恋人なんて甘ったるい関係でもなく。かつては同じ場所で寝食を共にした同期、といえば聞こえはいいが、蓋を開けてみれば単なる腐れ縁。互いにしぶとく生き残ってしまったもの同士というだけだ。

―――天城凪沙。所属は、変わっていなければ警視庁組織犯罪対策第四課警部補、ああいや、ついこの間昇進していたから、今は警部だったか。かつては共に机を並べ、共に学び共に競い合った仲だったが、所属が異なる関係から、また自身が公安に所属している都合から、警察学校卒業後に進んで親交を深めるようなことはなかった。けれど一人、また一人と同期たちがこの場所で眠るようになってから、年に一度自然に顔を合わせるようになっていた。日取りは、別に彼らの命日でもなんでもない7月7日。年一で会うには随分、らしい日にちではあるが、再三重ねるように、この女と親しいわけではない。恋人どころか友人関係であるかも怪しい。それでも彼女がこの日と定め、なんの義理かそれに付き合っているだけの繋がりが、もう何年と続いている。


「―――」

「―――」


みーんみんみん。煩いくらい蝉が鳴く。それ以外の音はない。墓場とはそういう整然とした場所である。そんな虫の声だけがしじまを満たす中、二人は並びもせずにそれぞれ異なる墓石の前で、眠る同期たちに手を合わせて祈る。祈りの時間も、お互いてんでばらばらで。気が済めば次へ、済まなければたまに隣り合ったりもするし、しないこともある。伊達と刻まれた墓石から顔を上げる。凪沙は静かなかんばせで故人の冥福を祈っている。

―――祈ってるにしては、随分な格好をしているが。


「おい」

「……あ? 呼んだ?」

「また増やしたろ」


それ、と注ぐ視線の先には惜しげもなく晒される彼女の二の腕。墓参りにしては露出の多い、タンクトップにショートパンツにサンダルという恰好。しかし、本来肌色を見せるべきそこには小麦の色はなく。二の腕から―――これはあくまで予想だが―――恐らく背中にかけて、色鮮やかな桜が散らされている。記憶にある限りでは、その墨はまだ片腕だけだった。それが今や両腕に伸びている。

彼女はその視線の意味に気付き、ああ、と間の抜けた相槌を打つ。


「別にいいじゃん」

「良くない。同じく部下を預かる身として、放っておけない」

「優等生だねえ、四課[ウチ]と違って」


含みのある言い方に、思わず、顔をしかめる。それそのものを悪と断じることはできないにしても、世の中には体裁と言うものがある。身体上の不具合、という理由で職を失わせることも出来るほどには、間接的な意識下の規制が敷かれているのだ。ましてや国のために身を捧げる警察官がと、正面から詰ることが出来ないのは、ひとえに彼女の所属にある。

警視庁組織犯罪対策第四課―――通称、マル暴。主に暴力団関係のヤマが回ってくる所以か、所謂問題児が集まる場所とされていた。他の刑事課で行き過ぎた捜査をした者、上の命令を聞かない者、やる気のない者、悪い意味で血の気の多い者、みんなみんなこの課に回された。


「ああ。まあでも、温泉行くわけじゃないし」

「水着も着れないだろ、それ」

「残念でした。着ていく相手がもういませーん」


そんな中、進んで四課へコマを進めた彼女―――否、彼女たちは異彩を放っていたといいのだろう。お前がスーパーマンなら、あいつらはバッドマンかもな、と笑ったのは誰だったか。ただ、道は別つとも、志した正義は揺るがない。

彼女たちの仕事は、もっぱら情報収集と聞く。警官とは思えぬ入れ墨やらピアスやら派手な格好でアウトローに溶け込み、雀荘や競馬場、賭場で活動をしているらしい。派手な顔立ちも相俟って、黙ってれば二人揃ってどこぞの美人局に見えるから、天職天職と笑っていたのを覚えている。そうやってアウトローたちの集まる場所にするりと入り込み、彼女たちは密かに、淡々と、そして着実に正義を執行した。そうして女の身で、ましてや四課という厄介者揃いの集団の中で着実に戦果を挙げていき、一人、また一人と部下を従えていく。そうしていつしか、あらくれ揃いの四課の中で「カリブの聖域」なんて呼び名を賜り、彼女たちは本当に輝いていた。傍目から見ても、そう思えるくらいには。

皮肉にも海賊の片割れが、海の底で見つかるまでは。


「……ようやく分かったのか」

「ああ、最終的にはなけなしの歯型が決め手だったよ」

「そうか……長かったな、三年か」

「顔の原型が残ってりゃ、もう少し早かったんだけどね」


ようやく葬儀を上げられるよと、寂しそうに彼女が笑った。

―――かつての警察学校時代、班員に凪沙以外の女がもう一人いた。同性ということもあり凪沙と仲が良く、二人揃って四課を志願した変わり者だった。四課希望とか奴ら女じゃないと松田が呆れていたのが、つい昨日のことのように思い出せる。そんな彼女が三年前、行方が分からなくなった。それからしばらくして、東京湾から身元不明の遺体が上がった。その時から、覚悟は出来ていた。けれど、遺体の損傷が激しすぎて、長らく身元の確認が取れなかった。何せ数か月と海に沈み、体は塩水を吸って柔らかな肉塊と化し、そんな肉は魚だ哺乳類だに散々貪られていたと聞く。極めつけは、骨が粉砕される程度の打撲が全身に広がり、打撲裂傷腐敗により顔も変形していて歯型の一致を取るのさえ至難の業であった。

覚悟はできていた。けれど、また一人逝ってしまったのかという寂寥感が胸を吹き抜けていく。凪沙同様、特別親しい間柄ではなかった。けれど、共に正義のために競い合った仲で、降谷零にとって、胸を張って言い切れる仲間の一人だったのだ。


「―――ついに僕たちだけになったな、天城」

「びびるわほんと。爆死二人に事故死に溺死、私らの期、ぜってー呪われてる」

「馬鹿言え。呪いで人は死なない」

「……あんたらしいね」


よいしょ、と墓石の前から立ち上がる凪沙。さらりと流れる髪は長く、桜の花びらを見せては隠す。ポケットからおもむろにタバコを取り出し、一本取り出して口に咥える。シュッ、と安っぽいライターで火をつけて、深く吸い込んで吐き出せば、ゆらりと紫煙が立ち上る。慣れた手付きのそれに、降谷はたまらず顔をしかめる。


「吸うなら一声かけろ。臭いがつく」

「せめて私の健康を案じて」

「言って止めるような殊勝な女ならいくらでも、だ」

「承知しました、だ」


嫌味っぽく返し、凪沙は笑った。そう言いつつ、手にした煙草を消そうともしないあたり、面の皮の厚さに驚かされる。否、これくらいでなければ潜入捜査官は務まらないと考えれば、やはり彼女は優秀な警官なのかもしれない。


「細かいこと言ってくれるなよ。最後にするからさ」

「喫煙者は全員同じことを言う」

「そりゃ、違いない」


フーッ、と凪沙が一息吐けば煙が矢のように空に放たれた。朧な白煙が澄んだ青空に消えるのに、数秒とかからない。そうして消えていく白を、何とも言わずにただ眺める。

みーんみんみん。蝉の声が煩い。


「……この道から逃げようとは思わないけどさ」


もう一度、フーッと長く白煙を吐き出す息遣い。



「それでもやっぱ、応えるわ」



静かな声が、鉈のように振り下ろされる。

―――覚悟していた。けれど、現実に直面して平静を保てるほど人を捨てられなかった。自分にもっと力があればと、亡き友を前に悔やむ思いが、痛いほど分かる。けれど、だからといって立ち止まれないからこそ、その侘しさを理解できる。結局、人が一人二人死のうと地球は回り続けるし、太陽は東から昇って夜になれば月が出る。そんな世界の中で、たった幾人もの死に心が抉られるなんてと、客観的に自分を弾ずる声がする。分かってる。

だからこそ、その死を踏み越えてでも自分たちは此処にいる。彼の、彼女たちの正義をせめて無駄にせぬようにと。


「聞いたぞ。近々動くってな」

「そ。ただ、連中のバックには香港マフィアがいる。戦争になるよ」

「―――まさか、三合会[トライアド]と、か?」

「万年素寒貧の連中のシマにアホほどクスリが流れ込んできた理由がようやく分かったよ。上手くいけば、そっちで追ってる組織との取引照会ぐらいは引っ張れるかもね」

「馬鹿言え、相手を考えろ!」

「此処が分水嶺なんだ。此処で潰せなきゃ、次に海に浮かぶのは私だ」


まだまだ長さ残る煙草を、線香代わりとばかりに墓前に突き立てる凪沙。ああ、そういえば銘柄が萩原の物と同じだったか。けれど、涼しい顔で死地へ向かう兵士のような悟りを見せる凪沙のかんばせの向こうに、彼女と同じように変わり果てた姿で海に浮かぶ未来が見えた気がして、思わず凪沙の元へ近づいてぐいっと腕を引っ張った。

みーんみんみん。蝉の声に頭痛さえ感じる。ふうわりと漂う煙草の残り香と、石畳の焼けるにおい。湖畔のような彼女の表情。ああ、きっと彼女も、この手を振りほどいていってしまう。


「死ぬ気か、天城」

「やるかやられるかだよ。死ににいくつもりはない」

「それでも、今のお前じゃ無理だ」

「不思議だね、どうして蚊帳の外にいるあんたにそれが分かるわけ?」

「―――お前が、好きだから」


みーんみんみん。みーんみんみん。

煩い蝉の声、痛いほどの夏の日差し、驚きの染まる彼女の顔。そんな一つ一つの出来事が、まるで映画のフィルムのようにワンシーンごとにカットされていく、そんな感覚。掴んだ腕が、赤くなるまで握り絞める。彼女は痛いとも放せとも言わない。ただただ驚いたように、目を丸くさせるだけ。


「それはその……知らなかったよ」

「ああ。僕も言うつもりはなかったからな」


けれど、彼女は自分とは違う覚悟を決めていた。同じ失う覚悟でも、自らの意思でそこへ足を踏み入れるか、訪れる死の舞踏に絡め取られるかでは全く違う。彼女は今、残された人間のやるせなさを理解していながらその全てをかなぐり捨てようとしている。

―――させるか。これ以上、何も失わせてたまるか。


「何が最後[・・]だ、ふざけるのも大概にしろよ、天城。死んだら僕が殺してやるからな」

「……やめてよ。あんた、天岩戸も素手でぶち壊してきそう」

「嫌なら生きろ。何があっても生き残れ」


きょとんと、こっちが驚くぐらい素直に凪沙は目を見開いていた。先ほどまであった、虚無にも似た表情は嘘みたいに消えていた。凪沙はぱちぱちと目を瞬かせ、しばらくあれこれと考え込んでいたが、やがて降参するようにへらりと笑ってみせた。


「私、あんたのそういうとこ嫌いじゃなかった」

「そうか。僕はお前のそういう煙に巻くところが嫌いだった」

「え、なに。あんた嫌いな奴好きになったの? その顔で実はドMだったりする?」

「ホー……何なら、今から確かめに行くか?」

「ウワ、今のセリフおっさんっぽい」

「来年三十だぞ、もう十分おっさんだろ」

「やめて。聞きたくない。私がおばさんになったらあなたもおじさんよ……」

「その曲が出てくるあたり、お互いいい年ってことだ」

「ヤダーッ」


ぽんぽん飛び出てくる、軽口。かつて制服に身を包み、恐れも穢れも知らぬ若かりし頃にもこうしてふざけあって、笑って、肩を並べて未来を見据える眼差しに恋をしたのを思い出した。

降谷零のために死ぬななんて、大それたことは言えない。けれど、此処に来る時に誰にも会えないのは嫌だと、思えた。死を覚悟した彼女を引き留められるとは、本当のところは思っていなかった。けれど、年に一度の逢瀬だって、会えるだけでよかったんだ。去年と少しずつ変わっていく彼女に口出しながらも、本質は何一つ変わらない彼女が愛おしかった。あの頃と同じように、笑っていられる彼女の隣が欲しいと思えた。ただ、それだけだ。

みーんみんみん。蝉が鳴く。頭痛はしない。仕方ないと、彼女が笑う。


「そこまで言われちゃ引き下がれないね。いいよ、あんたのために白を着てやろう」

「おい。誰もそこまで言ってない」

「は? 三十路女捕まえて結婚前提じゃないとか抜かす気か?」

「冗談だ。けど、お前こそ僕と結婚する気あるのか」

「知らなかった? 私、あんたのことちゃんと好きだよ。でも浮気したらぶちころがす」

「なるほど、嬉しくもあるが、まさに人生の墓場だな」

「あいつらも祝ってくれてるかな。見てるかー、主に伊達ー! 一人勝ちはさせないからなー!」


まさに墓地のど真ん中でそんなやり取りをして、不謹慎ながらまた笑ってしまう。いや、きっと彼らもまた笑って、手を叩いて、口笛吹いて囃し立て、散々こねくり回してからかい倒した末に、おめでとう、と告げてくれるだろう。それが実現しないというリアルに、一抹の寂しさが胸をよぎる。けれど、目の前に凪沙がいる。彼女は生きている。

それだけで、今は十分だった。


「……で」

「なに」

「いつになったら、僕たちは織姫と彦星を卒業できるんだ」

「あー……いや、あんた忙しそうだし、連絡入れるのも何かと思って、つい」

「構うな。恋人との時間ぐらい作れる」

「出たよ要領のいい男はこれだから」

「嫌いか?」

「割と好き。そんじゃ、卒業記念に茶でもしばきにいく?」

「悪いが、家には何もないぞ」

「あんたのミニマリストっぷりはヒロから聞いてる」

「あいつ、僕に隠れてコソコソと……」


二人、並んで歩く。こうしているだけで、あの頃に戻ったようだ。けれど、あの頃に比べて、些か何もかもが変わりすぎた。いなくなった仲間、年を取った自分たち、夢を見るだけじゃいられなかくなった現実、繋がれた手。その手に彩られた、桜の鮮やかな墨―――。


「なあ、なんで桜なんだ。そんなに好きだったのか」

「答えはシャネルの五番と共に、ってのはどう?」


悪戯に笑う彼女の笑顔に、寝言はベッドで聞いてやると返した。その顔でオッサンムーブはやめてと背中を叩かれ、じんとした痛みが響く。けれど、悪くない気分だった。お互い潜入捜査官の身であるし、残念ながらその答えを暴くことができるのは先になりそうだ。それまで首を洗って待ってろと、繋がれた手のひらに力を籠める。彼女は、真っ直ぐに先を見つめていた。そしてちらりとこちらの顔を見て、今まで見たこともないような柔らかな笑顔を浮かべたのだった。

その笑顔に、今日は勘弁してやるか、なんて思ったのだった。











けれど答えは唐突に、そして最悪の形で知ることになる。











数か月後、警視庁組織犯罪対策第四課天城凪沙警部は水死体となって発見された。捜査の途中、マフィアの抗争に巻き込まれたのだという。二階級特進の末、言葉通り無垢の如き白を被せられた遺体は、三年前亡くなった彼女の親友同様、足元をコンクリートで固められ、全身をバールのようなもので殴られた跡があり、塩水を吸い込んだ肉はもはや原型を残さぬほど肥大化し、腐され、海の生物たちに散々貪られた後だった。身元の確認さえ危ぶまれると言われたその時、鑑識課の検死によりその素性が即座に特定された。

両腕と肩に広がる桜の花びら、その胸元にはさんざめく太陽が彫られていて。

それは彼女の、刑事としての誇りである何よりの証拠であった。






みーんみんみん。蝉の声。

年に一度ずつかけられた呪いが、生涯解けることはない。





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ゼロの執行人に滾った記念&七夕なので(一日遅れ

2018/07/08


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