親不孝なムスメ

万事屋なんて看板をぶら下げてはいるが、坂田銀時にとっての最優先事項は命の恩人の警護であったりする。本人の前では死んでも言ってはやらないが。しかしながら、恩人も恩人でこちらがボコボコにされるぐらい強かに生きる夜の蝶、銀時がその役目を果たしたことは数える程度のものだろう。ただ先日、守れなかったあの日々を思うと少しだけ、ほんの少しだけ気を張ってしまうのは二度と約束を違えないと誓ったからだろうか。とにかく、日も暮れ、夜の蝶たちが羽ばたきながら歌舞伎町を闊歩し始める中、階下から聞こえてきた騒音と怒鳴り声に、坂田銀時はガラでもなく寝転んでいたソファから起き上がり、木刀だけを腰に差して玄関を出て、下の階を見下ろした。そこには命の恩人―――お登勢に掴みかかる、若い女が一人。


「いい加減にしてよ、いつまで意地張ってるつもりなのっ!?」


暗いが、やけに目鼻立ちの整った女だと分かった。浅葱色の着物をまとった女は年若く、自分と同年代ぐらいだろうか。今流行りのミニ着物だのニーハイだの、そんな若者らしいトレンドを一切排したような出で立ちは、まさに清廉な刀のような、武家の娘といったイメージだった。しかし上から見下ろすその顔に、銀時はどこか覚えがあって首を傾げた。あんな美人、一度会ったら忘れられる気はしない。いや、美人だが自分好みではないからだろうか。自分はどちらかというと結野アナのような、なんて取るにも足らないあれこれを考えている間にも、女とお登勢の怒鳴り合いは続く。


「アンタみたいな小娘に言われる筋合いはありゃしないんだよ!」

「人の気も知らないで、このッ―――死にたがり!!」

「どの面下げて戻ってきたかと思えばまたソレかい。他に言いたいことはないのかィ?」

「……ッ!!」


女子どもには例え怪力馬鹿でもコソ泥でも、とことん甘いお登勢にしては珍しく、突き放すような物言い。よほど怨恨深いのか、それとも他に理由があるのか。しかし何にせよ、余計なトラブルには違いないが銀時が出る幕ではなさそうだ。訳アリ美人はもう勘弁、とあくびを噛み殺しながら引き戸に手をかけた、その時だった。

二人の口から出てきた怒声に、眠気が吹き飛んだ。


母さん[・・・]の分からず屋!!」

バカ娘[・・・]につける薬でも持って出直してくるんだね」


思わず手すりから身を乗り出して階下を見下ろす。女はぎゅうっと唇を噛み締め、もう一度何か言おうと口を開いたが、バッと勢いよく首を上に上げた。先の会話に驚きっぱなしの銀時は、バチッと音が鳴りそうなほど女と目が合ってしまった。人に見られていたことに気付かなかったらしい女は弾けるようにお登勢から離れたかと思うと、一目散に歌舞伎町のネオンの海へと飛び込んでいき、すぐさま見えなくなった。

一瞬の沈黙の後、袖からたばこの箱を取り出して軽く握って一本取り出したお登勢は、百円ライターをカチッカチッと鳴らして火を点けて大きく吸い込み、そして白煙を空に向かって吐き捨てた。何でもないようなその素振りを見下ろしながら、銀時は二人のやり取りを咀嚼する。巻き戻して、思い起こして、繰り返して、そしてようやく整理がついた時、肺腑一杯に吸い込んだ息を、思いっきり叫んだ。


「……ム、ムスメェェエエエエエエ―――ッ!?」





***





「岡っ引きなんです、私」


口問いとも呼ばれてましたが、と女は酒杯に注がれた鬼嫁を一気に飲み干して笑った。

お登勢の娘だという女は、案外すぐに見つかった。探そうと思った理由は色々あったが、自分で整理をつけるより先に女を見つけてしまった。というか、普通に行きつけのおでん屋台で御猪口片手にしかめっ面をぶら下げていたのだ。しかしこちらを見るや否や、十手を差した背中をぐるりと回してこちらに向け、にこやかな笑みで飲みに誘って来るのだから―――断じて奢りますといった言葉に惑わされたわけではない―――、銀時もまた女と並んで御猪口に注がれた酒に酔いを回していくのだった。

そんな中、ロクに自己紹介もしないままぽつりぽつりと伝えられる女の過去。幼い時分より、腕の立つ父から武術の指南を受けていた彼女。実の父が攘夷戦争から帰らぬ人となったと知った時、すでに女だてら一端の侍さえも伸してしまうほどの腕前に成長した彼女は父と同じよう岡っ引きを志したのだという。全てはひとえに、残された母を守るため。


「戦争に行く前、父に言われたんです。『お前は強いから、俺の分まで母ちゃんを守るんだぞ』って。勿論、『俺が戻るまで』という意味だったのでしょうけれど。でも、それが父と交わした最後の言葉だったんです。私にとっては、それが父の遺言になってしまったんです。だから言葉の意味が何であれ、母を守らなければという強迫観念に取り憑かれてしまいました」

「そら、ババアもおかんむりだろうよ。実の娘に守られるような親なんざいない、なんてな」

「ええ、まさに仰られた通りのことを怒鳴り散らされました。けれど幼い私はその親の意地というものを理解できませんでした。どうしても私に剣を取らせたくない母と散々言い争った挙句、私は荷物をまとめて京へと飛び出したんです。……ほんと、本末転倒にもほどがあります。守らなければならないと思っていた母を、江戸に置いていってしまったのですから」


そんな馬鹿娘が、十年ぶりに戻ってきたのですと女はへにゃりと笑った。十年か、と銀時は返事をしてもう一杯呷った。その言葉が本当なら、自分は彼女と入れ替わる形でお登勢の傍に転がり込んだと考えていいだろう。なんとまあ、奇妙な運命というかなんというか。まるで彼女の父がそう仕向けたのかもしれないなんて、ガラにもないことを思ってみたりもした。

短い黒髪を耳にかけ、赤く染まった頬をそのままに酒を呷るその横顔が誰かさんとダブって見える、なんて馬鹿げたことはないけれど。なるほどよくよく見てみれば目元などは母親譲りのようだ。昔引き受けた仕事で、あのババアも天女のように美しい時期があったのだという―――尤も銀時も今この瞬間まで忘れていたことだが―――、なるほどあの話もあながち嘘ではないようだ。彼女もまた、短い髪に差されたかんざしが、よく似合う。


「んで、そんな馬鹿娘が戻ってきたってことは―――」

「……ええ。母が大怪我をしたと、とある親子[・・]に伺ったんです」


懐かしそうに瞳を細める彼女に、なるほどそれでこのタイミングか、と銀時は合点がいった。脳裏に描く似ても似つかぬ任侠親子は息災のようで、女はカラカラと笑って煮卵と餅巾着を注文した。


「ほんと、馬鹿なんです。京で馬鹿みたいに罪人をしょっ引いて、傷だらけになって、それでも一日一日乗り越えられたたびに己の強さを誤認して。これだけ強くなれば母にも認められるだろう、そうたかをくくっていた私は、その一言で全てが吹き飛びました。私の強さなんて、母の容態一つでもろく崩されてしまうほどのものだったのだと、ようやく気付いたんです」


お登勢を刺した本人がどの面下げて娘にそれを伝えたのかは想像しようもなかったが、とにかくあのガングロ卵は己が罪を吐露したようだ。当の娘は張っていた意地を崩された方に衝撃を受けたようだったが。


「そんで血相変えて帰ってきて、早々に親子喧嘩とはなァ」

「……返す言葉もございません」


結局、お互いが意地を張り続けてしまった訳か。似た者親子も考え物だと銀時が呟けば、女はもう一度、返す言葉もございませんと言いながら腕を枕にカウンターに突っ伏した。こりゃ時間がかかるだろうなと独り言ちながら出された大根の皿を取り、味噌を乗せる。


「……銀色のお侍さま」

「あん?」

「あなたですよね、私の母を守ってくださっていたのは。私のいない十年間、あなたがずっと、母を守ってくださっていたのですよね。本当に、なんとお礼を言ったものか」

「……守れてねーよ」


今思い出しても、ゾッとする記憶だ。滴る雨、コンクリ詰めにされ上手く動かない身体を無理やり前へ前へと進めてみれば、出会ったあの墓場で血を流す恩人の姿。血の気の失せた顔、とめどなく流れていく血の川が泥水と融合して濁り、溶けていくその光景はいくら酒を浴びたって消え失せるとは思えない。

悪かったな、と一言呟いた。女はむくりと顔を上げた。酒が入ったせいで少しだけ水気のある大きな瞳が、じいっとこちらを見ている。なんとも居心地が悪い。これを言うために探し出したとはいえ、タダ酒をかっ食らっているとはいえ、やはり追いかけるべきではなかったと、思った。


「では。言い方を変えましょうか」


女はすでに冷え始めた煮卵と餅巾着の入った皿を自分の方へと引き寄せながらそう言った。はあ、と名前返事をする銀時に、女は熱燗を注文し、鍋から出された銚子を手にこちらに向けた。何を思う訳でもなく、反射的に空になった御猪口を彼女に差し出した。とくとくと、注がれる酒が揺らせば波打つほどになった時、女は銚子をカウンターに置いて身体をこちらに向けたかと思うと、深々と頭を下げたのだった。



「母を助けてくれて、ありがとうございました」



そう言って、女は何でもないように身体の向きをおでん鍋に戻し、銚子に残った酒を自分の杯に注ぎ切り、冷えた餅巾着を突き始めたのだった。切り替えの早い女の姿に、これまた周りにいなかったタイプの女だとしみじみ思いながら女に注がれた酒をぐいっと飲み干した。旨い。いい女に注がれる酒は格別だった。

そういえば、この女の名前をまだ聞いていないことに気付いた。


「お前、名前は」

「寺田凪沙です。銀色のお侍さまは?」

「坂田銀時」


名前を尋ねたのは、勘だった。この女とは、付き合いが長くなりそうだという。女―――凪沙もまた訊ね返して己が名をぽつりと呼んで、酒で赤らんだ顔を、へにゃりと笑んで見せたのだ。彼女を見てお登勢を思い出すことがないことに、何故か安堵を覚えた。

結局、銀時の勘も的中し、どうやら京から江戸に越してきたらしい寺田凪沙は仕事終わりには必ずお登勢の店を訪ねた。毎日毎日飽きもせず、ギャーギャー言い争う声に最初は新八が、神楽が、たまがキャサリンがマダオが源外のじいさんお妙に真選組の馬鹿どもetc…と、決まって銀時に尋ねるのだ。『あの女は誰なのか』と。本人に聞けと思いながら律儀に答えながら、喧嘩終わりに決まって店を飛び出す自分の姿を顧みて、だから俺に聞いたのかと馬鹿みたいに合点した。馬鹿みたいに一点突破を狙っては、破れて逃げかえる女の背中を追いながら、不器用な女だと呆れたものだ。ただ、失いかけた親子の絆を今一度甦らせんと奮起する彼女の姿は、親のいない銀時にとっては理解しがたいものではあったが、不快ではなかった。いくら腕が立つとはいえ―――そこらのチンピラに絡まれた時は『刑法249条恐喝罪未遂により逮捕します』と十手片手にしょっ引いてた姿を何度も目撃しているが―――、女は女。見てくれも悪くない、治安の悪い夜の歌舞伎町をぶらつかせるわけにはいかないからだと、銀時は彼女を追う自分を冷やかす声にそう返答する。

そんな日々が三か月ほど経った頃だろうか。いつものように階下の店から凪沙とお登勢の怒鳴り声が響いてきた。恐らく店の邪魔をしたくないからなのだろう、まだ日も落ちていない程度には明るい時間から始めるのが二人の暗黙の了解と化していた。そんなBGMを耳にしながら新八はカレー用のニンジンを刻みながらこう言った。


「すごいですね。もう何日目ですか、これ」

「明日で百日目アル」

「数えてたんだ、神楽ちゃん……」

「凪沙、『そろそろこっち来て百日だし、百夜通いになりそう』って言ってたアル。銀ちゃーん、モモヤカヨイって何ヨ?」

「ああ? そりゃー、お前、アレだ。この後、桃をたらふく食えるところに通ってんだろ」

「マジでか!? 私、ちょっと凪沙追っかけてくるアル! 新八ィ! カレーはタマネギどろどろになるまで煮込んでおけよ! あと、じゃがいもは大きめに切るヨロシ!!」


そんなことを叫びながら、止める間もなく弾丸のように飛び出す神楽。間髪入れるより先に階下でも今日の言い争いが終わったのか、声が途切れ、荒々しく引き戸が開いてパタパタと一人走り去る音が聞こえたので、今日は神楽に任せるか、と銀時は起こし損ねた身体を再びソファに横たえた。


「銀さん、今日は行かないんですか?」

「神楽が行ってんだろ。凪沙も子どもじゃねェんだ、迎えに何人もいらねーだろ」

「そうじゃなくて」


そう言う新八は、ニヤニヤと笑みを浮かべている。持っているカレーのお玉でぶん殴ってやろうかともう一度身体を起こすと、キッチンから顔を覗かせる新八は慌てて顔を引っ込めた。けれど、言いかけた言葉は止めなかった。


「銀さんこそ、『百夜通い』になっちゃいます、よ!」


そう言いながら、カレー鍋に集中してますとばかりに必死に混ぜ合わせる新八。しょうもないこと言いやがって、と舌打ちを漏らす。しばらく黙り込んでいると、野菜が煮詰まれる匂いがキッチンから流れてきて、胃袋がキュッと跳ねる。けれど夕食に臨むには時間が早いし、神楽は帰ってきていないし、腹の底に何かが澱んでいる感じがして食欲も湧かない。チッ、ともう一度舌打ちをしてから、銀時はソファから立ち上がり、ぺたぺたと歩きながら玄関まで向かう。


「やっぱり行くんじゃないですか」

「バカヤロー。誰があいつのとこ行くっつったよ」

「え?」


ブーツに片足突っ込みながら言うと、新八がお玉とミトン片手にこちらに飛んできた。ぽかんとした間抜け面に、銀時はニヤリと笑って見せたのだった。


「悪ィな凪沙。百夜目は俺が頂くぜ」


そう言いながら向かったのは、お登勢の店だった。

幸か不幸か、今日に限って暖簾が上がっていなかった。勝手知ったる、とばかりに我が物顔で店に入る。案の定、手前の明かりは消えていたが、奥の明かりはしっかりと灯っており、そこにはカウンター席に座るお登勢の姿。珍しくウイスキーグラスを傾けており、たまやキャサリンの姿はそこにない。


「外、見えなかったのかい。今日は休みだよ、帰んな」

「残念だったな、ばーさん。アンタの娘は一日に何度も来るようなはた迷惑な女じゃないらしいぜ」

「……フン」


お登勢は鼻を鳴らすだけだった。銀時は勝手にカウンター内に入り込み、自分でウイスキーグラスを引っ張り出し、丸氷を入れてカウンター席に戻った。そしてお登勢から二席離れた場所に座れば、お登勢がカウンターテーブルの上を滑らせ、ウイスキー瓶を寄越した。

二人、並んで同じ酒を呷る。それは奇しくも、百日前の光景と同じだった。残念ながら、横にいるのは若く見目のいい女ではなく、男だか女だか分りもしない妖か―――ガシャンッ、とそこまで考えた時、横から飛んできたウィスキーグラスが銀時の脳天を吹っ飛ばした。椅子から転がり落ちる銀時を他所に、お登勢はしれっとカウンターから新しいグラスを引っ張ってきた。


「全く、親不孝な娘だよ」


ぐい、とウイスキーを呷るお登勢。流石にこの町も長いからか、この程度で酔うほどヤワではないらしい。化け物め、と胸の内で毒づきながら、グラスの破片を振り払いもう一度席に座る。さほど酒に強くもない銀時は、まるで麦茶のようにウイスキーを消費していくお登勢を横目にちびちびと飲み進めていく。どんどん酒が進み、ウィスキー瓶が三本カラになったあたりで、お登勢はようやく酔いが回ってきたのか、口を開き始めた。


「元はあの人が悪いのさ。女の子だっつってんのに、『この子には剣の才能がある!』だなんて、言って聞かないんだよ。結局あの子もあの人の背中見て育っちまったせいか、周りはおままごとだのあやとりだのに精を出してる中、凪沙は竹刀振り回して近所の道場を駆けずり回っててねェ。ホント、着物は破るわ泥だらけにするわ、全身傷だらけで帰ってくるから家にゃ赤チン常備しなきゃならないわ―――」

「そーかィ」

「そんで手前が腹痛めて産んだ娘が、夫と同じようなこと言い出すんだから頭も痛くなるってもんさ。なんだって岡っ引きなんだろうねェ、なんだって剣なんだろうねェ。あたしに似て顔はいいんだから、待ってりゃそのうちいい男捕まえて、玉の輿でも股の輿でも何にでもなれたはずなんだよ、あの子は」

「そーかィ」

「それがなんだって、死んじまった旦那の遺言に囚われちまうかねえ。あの人が死んで、次郎長はおかしくなっちまうし、凪沙は狂ったように道場に通い詰めるようになるし、もう散々さ。子どもが親を守るだなんて、それがあの人の望みだなんて、馬鹿を言いだして聞きゃしない」」

「……そーかィ」

「あたしはねえ、銀時。あたしはただねぇ」


流石に十五杯目を超えたからか、管を巻くような物言いになるお登勢は、これまた奇しくも腕を枕にカウンターに突っ伏した。似た者親子だと思いながら、いくら酒が入っているとはいえ、徐々に近づいてくる足音に気付かないほど銀時も間抜けではなかった。ちょこん、と窓から覗く見慣れたぼんぼりと玉簪から垂れる鎖のついたガラス玉を、銀時はちらりと見やってから、すっかり出来上がったお登勢に視線を戻す。

ただ、ただ、とぶつぶつ言い続けるお登勢に、今日は無理かと嘆息した、その時。



「―――自分の娘に、幸せになってもらいたいだけなんだよ」



酔っ払いとは思えない、はっきりとした声が聞こえた。

幸せになってもらいたい。なるほど、自分が腹を痛めて産んだ娘を思えば、それは親として当然の帰結なのだろう。銀時に親はいない。だからお登勢の気持ちも、凪沙の思いも完全には理解できない。けれど、無いならないなりに、思ってしまうのだ。親が子を守りたいと思う気持ち、親を守りたいと思う子の気持ち、どちらもあっていいのではないか、と。それがこの意地っ張り親子、一か零しか頭にないようで、百日の間ギャアギャアと騒ぎ続けていたというわけだ。全く、こんなやり取り不毛だ。馬鹿げている。けれどそれを断じる権利は、銀時にはない。何故ならば、彼もまた、そんな不毛なやり取りの渦中に巻き込まれていたからだ。


「身勝手よ、母さん」


引き戸が開き、暖簾のない入り口に佇むのは凪沙だった。神楽は先に家に帰したのだろう、その後ろにはいなかった。どうやら一番引き出したかった答えを、銀時は上手く引き出すことに成功したようだ。深草少将もなにも九十九日目で力尽きることもなかっただろうに、なんて思いながら百日目の奇跡を目の当たりにする。ぼんやりと一口に目を向けるお登勢は、そこに誰が立っているのかようやく理解したようだった。


「何よ、それ。何それ。幸せって、何。私、不幸なんかじゃない。父さんに剣術を教わったことも、母さんを守るよう言われたことも、その為に一杯頑張ったことも京に出て必死で悪い人たちをしょっぴいたことも全部全部全部、私の意志でやったことだし、私は何一つ不幸に感じたことはなかった! 私は幸せよ! 私はちゃんと、私の為に生きてる!!」

「あんたはそうかもしれないけどねェ、待ってるこっちは気が気じゃないんだよ! いいかい、愛娘が毎日毎日全身傷だらけで帰ってきて、それ見てこっちの寿命が何年縮まったことか! もしあんたの身にまで何かあったら―――もし、あの人のように戻ってこなくなったらと、考えるだけで―――あ、あたしは……」


酒が幸いしたか、勢いは戻ったものの今日のお登勢は少しだけ弱気だった。いつもは烈火の如くまくし立て、付け入る隙を与えないというのにだ。凪沙もそれを理解したのか、ぐっと何かを堪える様な表情で、一歩一歩と店の中へと入ってきた。銀時の横を通り、しゃらんと鳴るかんざしが眩しく見える。凪沙は机に突っ伏すお登勢の肩をそっと叩く。労わるようなその手付きは、あれほど苛烈な言い争いをしようとも、親子であると初めて認識できるほどの光景だった。


「母さん。心配させてるのは悪いと思ってる。だけど、その為に私はたくさん鍛えた。父さんと同じぐらい強くなって、誰も心配されないぐらい強くなろうって決めたの。だから―――ねえ、もう少し、私のこと信じてよ。私はもう、母さんの後ろで泣いてた子どもじゃないんだから」

「……凪沙」


私は幸せよ、念を押すようにそう言って、皴の寄った手を取る凪沙。身長もその手の大きさも、さほど変わりはしないはずなのに、今だけは子どもの背が大きく見えてしまう。親の気持ちなど分からないはずなのに、万事屋に入り浸るガキどもを見ても、同じことを思う日が来るのかもしれないなんて、やはりガラでもないことを考えてしまう。本当に、最近の自分はガラでもないことをあれこれ考えてしまう。それもこれも、彼女のせいに決まっている。

銀時の視線の中、ゆっくりと絡み合った親子の絆が解け、元に戻っていく。悪い気はしない。知り合いであれば尚更だ。いい酒も飲めたし、言うことなしだ。


「それにね、母さん。例え私が無茶しても、支えてくれる人がいるから大丈夫よ」


あ、その話するの、と銀時。こちらを見てニコリと微笑む凪沙に、まあ頃合いか、とむず痒い思いを感じながらお登勢の背を摩る凪沙の傍に立つ。嫌な酒に酔わされているお登勢は、少しぼんやりした目を凪沙と、そして隣に立つ銀時に向ける。少しだけ照れくさそうに笑う彼女は、自分の恋人であるという贔屓目を差し引いても女性として魅力溢れている。

無論、最初はこんなつもりではなかった。ババアだ妖怪だと言いながらも命の恩人の娘、いくら美人だからって流石に手を出すのは憚られた。しかし、毎日毎日飽きもせず己を貫こうと奮闘する彼女から目を離せなくなるのに、百夜とかからなかった。それは向こうも、同じだったらしい。安い小町だと自分が笑えば、百夜待てないほど少将が素敵だったのよ、と彼女は言った。なんて女だ。本当にあの鬼ババアの娘なのかと戦いたほどだ。とはいえ、彼女の当面の問題はそのババアとの和解。自分はただ、事態の収束まで見守っているつもりだった。とはいえこの意地っ張りども、放っておいたら百夜どころか千夜だって言い争いそうだと重い腰を上げることにしたのだった。まあ、そのおかげで全てが丸く収まりそうだ。たまには、お節介も悪くないかも、しれない。


「母さんを守ってくださっていた方だもの。私だって大丈夫よ。母さん、安心して。これからは私と銀時さんが、母さんのこと、ずっと守っていくから」

「つーわけなんだわ。娘共々世話してやっから心配すんな、お義母さん」


十年と百夜確執を抱えていたままの親子がようやく歩み寄った。そして、父の分まで母を守ると誓いを立てた娘と、旦那の代わりにあんたを守ると誓った男が惹かれ合った。そんな二人を見つめる、二人にとっての“母”の瞳はどこまでも穏やかで。ネオン煌く歌舞伎町の場末のスナックの一角とは思えないほど、和やかな雰囲気がそこに流れていく。



「この―――親不孝モンがァアアアアアッ!!」



そして記憶があるのは、そこまでだった。

顎を一閃する強烈な一撃は、銀時の目の前に流星群を散らしてくれただけでなく、全身を店から吹き飛ばしてくれた。撃鉄の落ちた弾丸のようにシャッターの降りた向かいの店に吹き飛ばされ、ドゴオッと全身を強打して一瞬息が止まった。脳幹揺らめき、モヤのかかるかぶりを振って前を向いてみれば、強烈な右ストレートを腹に決められ、自分へ向かって一直線にぶっ飛ばされたところだった。凪沙の身体を受け止め、もう一度息が詰まる。四肢をぐったりとさせた凪沙は、銀時と同じようにぽかんとして殴りかかった張本人を見る。殺気立った目をぎらつかせ、袖をまくって大股で店から出てくるその姿は、さながらホラー映画に登場するような、ホッケーマスクをかぶった殺人鬼のようだった。


「よりにもよってこんなプー太郎を選ぶとはね。ったく、どこまでいっても親不孝者だよ、あんたは! いいかい! 二度とウチの敷居を跨ぐんじゃないよ、この大馬鹿どもが!」


ペッと地面に唾を吐きかけ、壊れんばかりの勢いで戸を閉めるお登勢。バァンッ、と跳ねながら閉まる扉を呆然と眺め、そのまま銀時は凪沙の顔を見た。ぱちくりと瞬いた瞳が、同じように自分を見つめていた。


「お前さあ」

「はい」

「もうちょっと段階踏むべきだったんじゃね」

「……ノってきた銀時さんの言い方が悪かったんですよ」

「あっテメッ、擦り付けんな!」





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銀魂実写化おめでとうきびうんこ記念

2017/07/10


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