辻褄スクランブル(尾形)

※相変わらず倫理観はミキサー車行き

※何でも許せる方向け



















 令和の世から突如明治時代に逆行してしばらく。人間の適応力とはかくも恐ろしいもので、何だかんだこの生活に慣れきっていた私である。例え何発銃で撃たれようとも立ち上がってくる男がいても、前頭葉が吹き飛んだヤベー男がいても、クマを一本背負いする男がいても、『まあ百年先の未来からやってきた私よりマシだな』と思ってしまうのであった。

 閑話休題。とても一言では表せない色々なことがあって、私は件の金塊争奪戦に巻き込まれ、気付けばロシアくんだりまでやってきていた。どうしてこうなったと思うところだが、職業柄──私は児童相談所の職員だった──アシリパちゃんのような子どもを戦いに巻き込むのを黙って容認することはできなかった。時代が違うと人は言う。でも、だったら長いものに巻かれていては、こんな仕事やってられない。彼女には一宿一飯以上の恩があり、帰れる手立てもない私は彼女の話し相手兼保護者的な立場で彼女の周りをウロチョロしている、のだが。

「毎晩ご苦労なこった」

 生粋のシティガールも、一年経てば野営もお手の物である。眠る時だけはたおやかな少女らしく、すぴすぴ眠るアシリパちゃんを守るようにその横に寝転がろうとしたその時、嫌味な声が私を揺さぶる。尾形さんだ。

 この旅はとにかく敵が多い。国すら買えると言われる金塊を巡る戦いなのだから当然と言えば当然。んで、この尾形さんが味方かどうかは、正直判断しあぐねていた。横にいるオナラといびきで喧しい白石さんとはわけが違う。職業柄、それなりに問題を抱えた人間の『目』を見てきたが、尾形さんは本当に底が知れない。だから危険だと憚るアシリパちゃんの反対を押し切って、こうしてロシアまでついてきたわけだ。子どもを守るのは、私の職務だ。そりゃあ、人に話せるほど誇り高き仕事とは呼べなかった。守れないものばかりで、無力な自分と法治国家を呪ったこともあった。だからせめて彼女くらいは守らないで、何が児童相談所職員か、と。

「……子どもを戦いに巻き込むような大人を、どうして信用できましょう」

 その点、杉元さんはまだ話が通じた。彼女を一人の人間として尊重してはいるものの、ちゃんと守るべき子どもだと思っている。だが、周りは違う。彼女を此処へ導いたキロランケさんも、尾形さんも、彼女の父親でさえこの無垢な少女を『子ども』と扱わない。そういう腐った大人を、文字通り腐敗するほど見てきたのだ。金塊争奪云々の話じゃない。この人たちは間違いなく、児童相談所に預けられた彼らを蹂躙していた連中だ。私の、敵だ。

 ただ、シンプルに敵だと判断するには、この人は些か事情が複雑らしく。

「……眠らないんですか」

 いつまでも身体を起こしたまま、洞のような目をこちらに向ける尾形さんに訊ねる。分かっているくせに、とばかりに鼻で笑う彼は人を嘲笑うためだけの才能があると思う。

「あんたの仕事の話が聞きたい」

「……子守歌には少々物々しいかと」

「どうせ子どもじゃない」

 この場にいる全員は私の素性を知っている。未来から来たことも、子どもを守る仕事をしていたことも、ざっくりと。そんな中で、尾形さんは私の仕事にいたく興味を抱いたらしく、こうしてたびたび話を振ってくることがあった。百年前にプライバシー保護法はないと開き直り、千夜一夜物語の如く命を永らえらせるために切り出した話は、いつの間にか彼の暇つぶしと化していた。

 彼を素直に『敵』だと思えないのは、実はこういうところにある。

「……では、私が初めて担当した子の話でも」

「へえ、親に背中を焼かれて薬漬けにされたガキか? それとも、親族一同に犯されてお前の職場に捨てられたガキか?」

「……家族を、殺してしまった子です」

 今でも思い出す、あの少年の薄ら寒い瞳。相談所に、包丁を片手にふらりとやってきた男の子。『かぞくを、ころしました』。警察でも病院でもなく、何故ここに来たかついぞ分からなかった。けれど、あの子は確かに私たちに助けを求めに来たのだ。全てが、終わってしまったその後で。

 ベタと言えば、まあ、ベタな話だったのだろう。父親は浮気を理由に離婚。けれど母親は離婚届に判を押してなお、夫の帰りを待ち続けた。自分たちを捨てた父親は他所で幸福な家庭を築いていて、腹違いの弟さえいたという。母親は子どもに見向きもせず、離婚届を書いたことすら忘れて夫を待った。気が触れている、子どもが可哀想。そんな通報はあったけれど、虐待されていたわけでもないその子を救う手立ては、私たちにはなかった。家庭への介入は警察であっても困難だ。衣食住は最低限与えられたその子は『家族に愛されない』だけなのだと。ただ運が悪かった、上司はもっと救うべき子に目を向けろと私を叱責した。

 けれどその結果、少年は母親を殺し父親を殺し、腹違いの弟すら切り刻んだ。

「──」

 尾形さんは、何を好き好んでか私の仕事の話を聞きたがった。最初は他人の不幸が美味しいタイプなのか、悪趣味だな、と思っていたのだが、話すうちに気が付いたのだ。同情、なんて生易しい感情ではないけれど。確かに、そう確かに、彼は私の見てきた子どもたちに、どこか肩入れする口ぶりなのだ。だからきっと、彼もそういう子だったのだろう、と私は勝手に思っている。どんな過去があるのか知らないが、生まれた時代が違えば、彼もまた私の職場に来ていたのかもしれないと思うと、どうにも『敵視』することができなくて。

 ただ、今日の反応はいつもと違う。まるで獲物を狙う猫のように、その不気味な目を見開いている。私を見てはいるものの、私とは視線が合わないというか。まるで私を通して『何か』を見ているような、そんな心ここにあらずの表情だ。

「尾形さん?」

「──いや、続けろ。そのガキはどうなった?」

 彼は決まって、そんな──この表現はあまり好きではないのだが──可哀想な子どもたちの行く末を訊ねる。言いたくないが、家庭環境に問題のある子はやはりどうしても非行に走りがちだ。勿論、真っ当に生きて、独り立ちしている子も大勢いる。だが、児相案件になるような子は──やはり、どうしても。

 その中でも、やはり親兄弟を殺した彼の罪は一際重かった。少年法に適応する年齢であったため、彼は真っ直ぐ少年院送りになった。

「けれど、彼に一体何の罪があったのでしょう」

 確かに殺人の罪は重い。この明治の世であっても変わらない。けれど、誰が彼を殺人に駆り立てたのか。父親が妻を見捨てなければ、母親が夫を見限っていたら、こんなことはならなかったはずなのに。その子に限った話じゃない。子どもを歪める要因なんて腐るほどあるけど、割合として高いのはやはり『大人』で、その中でも圧倒的に『親』が多い。彼らが真っ当に子どもに向き合っていれば──愛していれば──そもそも、愛せないなら子どもなど成さなければ──そんなどうしようもないイフを考えてしまうほどには、彼らの姿は痛ましかった。だから。

「どうか健やかに、幸せであって欲しい──そう、願うばかりです」

「そのガキが真っ当に幸せになれると、本気で考えてるのか?」

「彼がそんな人生を、望むのであれば」

 例え殺された側の自業自得であったとしても、殺人の罪は決して消えない。きっと彼の人生は何度もその事実に直面する。こんなことをしなければ、と悔いる日もあるかもしれない。それでも。

「幸せになりたいと思うなら、そうなる権利は誰にだってあるはずです」

「真っ当にそうなるはずだったガキの弟を殺しておいて、か?」

 珍しく、尾形さんの意見はまともだった。確かに、あの子の両親はいざしらず、腹違いの弟にはなんの罪はなかった。殺されていい道理なんか一つもなかった。そんなことは百も承知だ。だけど。

「でもね尾形さん。殺した事実も、死んだ事実も変わらないなら、生き残った方が都合がいいように考えた方が、建設的だと思いませんか?」

「ほう、お前の言う建設的な考えとやら、ぜひご高説願いたいね」

 何故か楽しそうな尾形さん。令和の倫理観では許されなかったこの考えは、明治でなら憚ることなく語れるという一点において、確かに私はこの生活をそれなりに受け入れているのかもしれない。私は少しだけ背筋を伸ばして、彼の挑発に屈しないよう努めて冷静に続ける。

「原罪、という言葉の意味をご存知ですか?」

「知らんな」

「最初に罪を犯した愚人の咎を、子孫代々負わされるというクソみたいな考えです」

 とても信心深いとは思えない尾形さんにも伝わるように、ざっくりかみ砕いて説明する。流石にこれだけ言えばご高説の意味も飲み込めたのか、尾形さんはあの人を小ばかにするような笑みを浮かべる。

「だからガキの弟にも罪があったと言いてえのか。ろくでもない女だな、あんた」

「理由はどうあれ死人より生者。あの世で顔向けが、なんて言葉は生者の都合のいい妄想でしかないでしょう。だったら、罪なき少年にもまた、咎があったのだと思って前に進む方が、よっぽど建設的です」

 当然、殺される全ての人が原罪を背負っている、なんて馬鹿げたことは考えていない。所詮こんなの屁理屈だ。救われて欲しいと、それだけの理由があったのだと私は思ったから、私は尾形さんに伝えたようにあの少年に同じことを告げたのだ。

 そういえば、あの子にも言われたな、やはりろくでもない女だ、と。じゃなきゃこんな仕事できるかってんだと、私は開き直って笑った。そんな一言であの子が救われたとは思っちゃいない。だけど、少年はどこか満足げな表情で少年院へと向かって──。

「──そうだ。この時代に来る前、あの子に会ったんですよ」

 ふと、そんなことを思い出した。この時代に来た前後の記憶は曖昧だ。この時代に来る直前、何をしていたのか全く覚えていなかったけど、あの子──もう子どもとは呼べないほど大きくなっていたけれど──は確かに、私の職場に来た。ろくでもない女の顔を見に来たのだと、そう告げて。それで、それで……。

 それで?

「あれ、どうしたんだっけ」

「なんだ、また思い出せねえのか」

「はい。ええと、久しぶりって言って、今何してるのって聞いて、それから……」

 そう、そんな下らない話をしたことだけは覚えている。それに彼は何と答えていたのだったか。その後私は、どうしたんだったか。モヤがかかったように思い出せない。が、すぐに、まあいいか、と私は独り言つ。こうして記憶が曖昧になるのは今に始まったことじゃない。どうせ話はもう終わったようなもの、特に気にせず言葉を切る。けれど、今日の尾形さんは、やはりいつもと違った。

「──当ててやろうか」

 普段はそうかの一言で終わるのに、今日の尾形さんは茶化すようにそんなことを言う。指先をピストルのようにして、おもむろに私の胸元辺りに向ける。

「そのガキは、確かめたかったはずだ」

「確かめたかった?」

「誰もが等しく罪を背負っているのなら、それを告げた女もまた罪人だ。なのに女にそれらしい咎はない。だからガキはこう考えたはずだ。『ならば人類は等しく、背負うに足る罪を犯すべきだ』と」

「……え?」

 チカ、チカ、と脳内で何かが点滅する。私がいる。彼がいる。赤い包丁。胸に刺さる。ぬらりとした液体。いたい。だめだ。ころされる。声がする。力が抜けていく。最後の力を。彼もまた地に崩れ落ちる。どちらが先か。地面は沼のようにどす黒い。ばしゃりと水しぶき。からんと包丁が滑り落ちる。私の。彼の。私。アノコ。ワタシ。


「『罪を犯して、その咎を証明してみせろ』」


 声が重なる。聞いたはずの声と、目の前の悪魔の囁き。無意識に、痛むはずのない下腹部を押さえながら立ち上がった。当然、何も起こらない。何も見えない。暗い闇の中に、ぼんやりと尾形さんの姿が浮かび上がるだけ。

「なんてな」

「……なんですか、いきなり」

「いや、なに。ご高説の礼に、一つ忠告してやろうかと思ってな」

「忠告?」

 親切という言葉からそれなりにほど遠くに存在する男からのその言葉は薄気味悪く、先ほど見えたよく分からない光景が一瞬ちらりと点滅した。けど、尾形さんはまるで子どものように、私の胸元に向かってばーんと指ピストルを鳴らしたふりをする。

「あんたはいつか、救うべき相手を間違えてとんでもない目に遭うぜ」

「……」

「ああ、もう遭ってるのか。ははぁっ、これ以上のことは起こらんな」

 冗談なのか皮肉なのか、或いは本心からの忠告なのか──にやりと笑みを浮かべる男に、私は判断できずにいた。景色が、意識が、記憶が揺れる。それを眠気のせいにして、私は尾形さんに背を向けて横になった。幸せそうにぴすぴすと鼻息を立てるアシリパちゃんの顔を見ていたら、先ほどのぐちゃぐちゃの光景が徐々に溶けていくようだった。目を閉じて、先ほどの嫌な光景や尾形さんの言葉を追い出す。そんな非科学的なこと起こるわけないと。今の自分を棚に上げながら、それだけを必死に念じる。だって、そうじゃなきゃ、なんで、違う、あの子はそんな子じゃない。ああ、けれど。

 私、どうして、あの子の顔すら思い出せないの。


*BACK | TOP | END#


- ナノ -