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ピクシー小妖精の事件以来、ロックハートの授業は自分の著書を拾い読みしてはその劇的な場面を演じるだけのハイパークソつまんない物になった。ロックハートの稀有なファンや、彼の武勇を信じて疑わない一部の生徒はロックハートが目の前で動いて喋るだけでも素晴らしい授業だと思っているらしく楽しそうだが、まあ、大半の生徒は死ぬほどつまらなそうにしている。寝ている者、別の授業のレポートをしている者、ロックハートの著書を如何に面白く落書きするか競う者たち、様々だ。

だが、毎回授業では必ず一人―――決まって男子が、ロックハートにやられる相手役を務めさせられたので、授業最初の五分間だけは、みんな自分に当たりませんようにと祈っているようだった。尚、原作ではハリーが毎回相手させられていたが、私は逃れられた。よかったほんと。女の子でよかったほんと。まあ、奴からチラチラ見られたり、ウインクされたりはするけれども。因みに本日の生贄はロン・ウィーズリーだ。狼男役を振り当てられ、恨めしげ私を見つめるロンを教卓へ見送り、私は変身術の教科書を読み漁っていた。



「(うん、『上級変身術』も大方理解できた)」



独学なりに、変身術の知識はかなり得た。物が別の個体に変化する仕組み、その論理、逆に元に戻す時の負荷―――なんとなくだが、頭では理解できるようになった。だが、実践方法がまだ空を掴むばかり。そろそろ、本格的に動物もどきの本を得る必要がある。勿論そんな本は禁書の棚にしかないだろう。寧ろあるかも分からないし、半分は独学で辿りつかなければならないと思っている。来年まで待ってシリウスに聞けばいいかとも思ったが、教えてくれる保証はない。そんな不確かな物の為に、一年勉強を怠っているなんてナンセンスだ。

なんて、考えている間に、終業のベルが鳴った。教卓の前で、恥ずかしさやら情けなさやらでへたり込んでいるロンと、清々しげな顔のロックハートが見える。よくやった、とロンに目配せし、私と隣でロックハートだけをガン見していたハーマイオニーは立ち上がる。大半の生徒はこれ以上やってられるかとばかりに足早で教室を立ち去るが、私たちはまだ奴に用事が残っているので、みんなとは逆にロックハートの元へ行った。



「お疲れ、ロン」

「全く、これがなけりゃ二度とごめんだぜ」



疲労の色が強いロンの肩を叩き、立ち上がらせる。みんなが教室から出て行ったことを確認してから、緊張した面持ちのハーマイオニーが一歩、ロックハートに近付く。いやまあ絶対成功するでしょ、あいつあほだし。



「あの―――ロックハート先生。私、あの、図書館からこの本を借りたいんです、参考に読みたくて。問題は、これが禁書の棚にあって、それで、どなたか先生にサインを頂かないといけないんです―――先生の『グールお化けとのクールな散策』に出てくる、ゆっくり効く毒薬を理解するのに、きっと役に立つと思います」



ハーマイオニーは声を震わせながらそう言い、震える手に紙を握り、差し出した。その緊張は何から来るものなのか、私は敢えて考えないことにするよ、ハーマイオニー。ロックハートは、まあ案の定、ニッコリと笑ってから紙を受け取った。



「ああ、『グールお化けとのクールな散策』ね! 私の一番のお気に入りの本と言えるかもしれない。おもしろかった?」

「はい、先生!」



熱の籠ったハーマイオニーの返答。そんな声、今まで聞いた事無かったよ、ハーマイオニー……。



「本当に素晴らしいです! 先生が最後のグールを、茶漉しで引っ掛けるやり方なんて!」

「そうね、学年の最優秀生をちょっと応援してあげても、誰も文句は言わないでしょう」



ロックハートはにこやかにそう言うと、机からとてつもなく大きなクジャクの羽根ペンを取りだした。あまりの趣味の悪さに、思わずロンと顔を見合わせてしまった。ロックハートは女子かと突っ込みたくなるような丸文字でハーマイオニーの持つ紙にサインをした。ハーマイオニーはもたもたしながらそれを丸め、カバンに入れている間、私を見て、ニカッと白い歯を見せて笑った。折りてぇ。



「やあ、アシュリー! 明日はシーズン最初のクィディッチの試合だね? グリフィンドール対スリザリン、そうでしょう? 君は素晴らしい選手だって聞いている。私も応援に行きますからね、ええ行きますとも! 寮監でない教師が個人的に応援するのは本来許されませんが、君と私の仲だ。ダンブルドア先生も理解して下さる筈だ。それはそうと、私も学生時代はシーカーでね、ナショナル・チームに入らないかと誘いを受けたものですよ。軽い個人訓練を必要とすることがあったら、ご遠慮なく、ね?」



正直半分も聞いてなかった。曖昧になんか適当にあしらってから、呆けているハーマイオニーを引っ張ってロンと一緒に足早に教室を飛び出した。廊下を歩きながら、ロンと信じられない、とばかりに笑った。



「信じられるか? 僕たちが何の本を借りるのか見もしなかった!」

「能無しだと思ってたけど、まさかここまでとはね」

「能無しなんかじゃないわ!」

「まあでも、ありがたいことこの上ないわね。あいつがここに赴任している間は、禁書の本が読み放題よ。最も、いちいちあいつのとこにサイン貰いにいかなきゃってのは癪に障るけどね……」

「じゃあ、魔法でサインを複製しちゃえば?」

「マダム・ピンスがそれを見抜けない無能だとは、思えないわ」

「それもそっか。でも、一体何を借りるつもりなんだ?」

「あら、ハーマイオニーじゃないけど、普段絶対読めないような本が読めるなんてわくわくしてこない?」

「うーん、君たちはほんとに読書が好きだなあ……」



呆れたようなロンの言葉に、合間に微笑んでおく。勿論、目的は動物もどき、ついでに閉心術の本探しだ。あーでもその為にも、一回透明マント着て禁書に忍び込んで、中にどんな本があるのか確認しないとなあ……。


なんて話ながら図書室へ向かう。司書のマダム・ピンスにサインを渡すと、疑わしげにサインをもう一度確認していた。けれど、仮にもダンブルドアに雇われ、ホグワーツ魔法魔術学校の教師として認められた男のサインだ、いくら私たちがまだ二年生で、明らかに危険そうな本を借りようとしていても、マダム・ピンスにそれを撥ね退ける権利は無い。

渋々許可証を受け取り、数分待たされた後、私たちは大きくカビ臭い本を手に入れた。『最も強力な魔法薬』と記された本をかばんに仕舞い込み、私たちは三階の嘆きのマートルのトイレまで早足で向かった。故障中、と書かれたトイレに、ずんずん入っていくハーマイオニーを見て、ロンは急に立ち止まった。



「正気かよ!」

「誰も来ないわよ。それとも、他にそんな都合のいい部屋知ってる?」



ロンは一瞬考え込み、すぐにこそこそと女子トイレの中に滑り込んだ。まあぶっちゃけ必要の部屋行けばいんだろうけどさ、やっぱ秘密の部屋といったらここでしょ、ここ。それに必要の部屋って若干チート臭いしね、という悔しさが理由に私も必要の部屋へはまだ入ったことが無い。多分、動物もどきを学ぶのにあそこほど相応しい場所は無いと思うけど、でもなんかほら、自力でやれるとこまではやってみたいっていうか……。

そんなことを思いながら、トイレに入る。中には、ロンとハーマイオニー、そして初めて見るゴースト。ずんぐりとした体形に、陰気臭い顔。猫っ毛がだらーっと垂れており、乳白色の分厚いメガネをかけている、女子生徒の姿をしたゴーストだ。



「初めましてね、マートル?」

「……アシュリー・ポッターね。私、あんたのこと、知ってるわ」

「ほんと? 嬉しいわ」

「嘘吐き。そんなこと、思っても無いくせに」

「さあ、好きに捉えてくれていいわ。あなたの思考は、あなたの物だもの。でも、この場所はあなただけの物じゃない。お邪魔するわよ、マートル」

「……好きにすれば」



おや、何かと難癖付けて癇癪起こすかと思いきや、マートルはふよふよと浮いていき、トイレの高い窓の枠に腰かけ、自分の顔のにきびを潰し始めた。まあ、静かにしててくれるなら、それに越したことは無い。三人で身を隠すようにトイレの個室に入り、鍵をかけ、大きな本に覆いかぶさるようにして目を通した。本は薬を考案した奴は何考えてんだって叫びたくなるぐらい頭おかしい薬の作り方と挿絵で埋まってる。なんだって外側と内側がひっくり返す薬なんか作るんだろう。解体新書でも読んでろよ、気持ち悪いな。

ぺらぺらとページを飛ばしていき、そしてようやく見つけた。『ポリジュース薬』と書かれているページだ。そのページには薬の材料、作り方、他人に変身していく途中の挿絵が載っていた。もがき苦しみながら他人に変身している挿絵を見ると、もし薬の調合に失敗したらという身の毛のよだつ様な想像をしてしまう。うう、やめよやめよ。大丈夫大丈夫、ハーマイオニーを信じよう。私だって魔法薬は苦手じゃないし……大丈夫大丈夫大丈夫だって。



「こんな複雑な魔法薬は初めてお目にかかるわ」

「その割に、楽しそうな顔してるわね?」

「当たり前でしょう! こんな経験、滅多に出来ることじゃないわ」



ハーマイオニーはどこまでも強かだった。目を輝かせながら薬の作り方を見つめる彼女はほんと逞しいというか、頼りになるというか。だが、材料の欄に目を通すと、ハーマイオニーは顔をしかめた。



「クサカゲロウ、ヒル、満月草、ニワヤナギ―――ウン、この辺は生徒用の材料棚にあるから、自分で勝手に取れるけど……ウーッ、見てこれ、二角獣の角の粉末、毒ツルヘビの皮の千切り―――どこで手に入れたら良いのかしら……あとはそうね、当然だけど、変身したい相手の一部」

「マジかよ……」

「きっと酷い味がするんでしょうね。うーん、じゃあその辺は、スネイプの個人用の保管倉庫に盗みに入りましょう。透明マントはあるし、証拠が無ければ、スネイプだって私たちを罰することは出来ないわ」



ぺらぺらとページをめくりながら、そんな相談をする。



「完成は一カ月後、ってとこかしら」

「そうね。明日のクィディッチの試合が終わり次第、行動しましょう」

「まあ、明日君がマルフォイを箒から叩き落としてくれれば、ずっと手間が省けるんだけどな」

「……そう、ね」



明日のクィディッチか……うーん、やなことを思い出してしまった。文字通り骨抜きにされないよう、事を終わらせたいものだ。

さて作戦会議が終わったので、本を片付け、ハーマイオニーが誰もいないか辺りを確認し、ロンと共に出ていった。私も後に続こうとすると、右肩が、まるで冷水をかけられたかのようにひやりとした。思わず焦りながらバッと振り返った先には、私の肩に手を伸ばす、険しい顔をしたマートルがいた。



「あんた、あいつに似てるわ」

「?」

「……私、あいつ嫌いだったのよね」



それだけ言って、マートルは勢いよく洋式トイレに突っ込んで行き、高々と水飛沫を上げていなくなった。誰の事を言ってるのかは、分からなかった。けれど、何故だかいい気はしなかった。

そして翌日。天気は曇りのち雨ってとこだろうか、空はまだ明るいが、黒々とした雲が遠くに見える。五時の段階でこの天気なら、きっと試合中は土砂降りになるだろう。はあ、と思わずため息がこぼれる。クィディッチは好きだけど、今日は気が重かった。勿論ドラコたち(の箒)が手強いということもあるのだけれど、恐らく私を狙ってくるであろうブラッジャー、そしてその後骨抜きにされてしまう可能性を考えると、やはり手放しで試合を楽しめそうには無かった。まあ、今日のスリザリンは間違いなく強敵だし、私が如何に早くスニッチを掴むかで勝敗が決まるのだから、後々の問題事は私自身が我慢すればいいし、とにかく今は目の前の勝負に集中しようと思った。

ランニングと筋トレを終え、シャワーを浴びてからロンとハーマイオニーと朝食へ向かう。チームメイトたちも朝食を取っていたが、みな緊張した面持ちで、口数も少なかった。それが伝染してるのかしてないのか、グリフィンドールのテーブルはどこかお通夜モードだった。天気も相まって、もう空気がじめじめしていることこの上ない。暗いなー、なんて呟きながら、チームメイトの近くに座る。その呟きが聞こえたのか、横に座っていたウィーズリーの双子のうちのどっちかが話しかけてきた。



「アシュリーは緊張してないのか?」

「そう見える? 今日は結構、緊張してる方なんだけど……」



パンにマーマレードを塗りながら、話しかけてきたフレッドだかジョージだかにそう答えると、双子は顔を合わせて、くつくつと笑いだした。



「なに?」

「いや、ほんと君って大物だなぁってさ」

「それとも、こういう状況に慣れてるのかな」

「私、勝つことしか考えてないもの」



その言葉に、双子はきょとんとした顔になった。



「相手が“普段と違って”強敵だと思うからいけないのよ。私はいつだって相対する敵は強大なものだと思ってるし、相対するからには自分にもそれだけの力があると確信しているわ。それだけの自信を、私たちは練習によって身につけてきたでしょう?」



気付けば双子だけでなく、チームメイトやグリフィンドール生も、私をじっと見ていた。みんな食事をする手を止め、穴を開けるのではと思うぐらい強い眼差しを、私に向けている。その光景がおかしくて、くすりと笑みを浮かべてしまう。



「私たちが勝つ。今考えるのは、その為にどうするかだけでいいわ」



そう言って、にっと笑うと、チームメイトもニヤリと笑って、立ち上がった。私もトーストを口の中に押し込んで、立ち上がり、双子を見上げる。



「ほら、景気付けに花火でも打ち上げてよ。こういう時こそ、あなたたちの悪戯が光り輝くんじゃない」

「「!」」



にやり、と笑みを浮かべると、双子も顔を見合わせてから、もう一度私を見てにやりと笑みを浮かべた。彼らはローブからドクター・フィリバスターの長々花火を何束も取り出して、杖で突っついた。その瞬間、赤、青、オレンジなど色とりどりの星が煌き、グリフィンドールのテーブルからテーブルへぽんぽんと飛びまわっていき、最後には曇り空広がる大広間の空に向かって打ち上がっていった。

静かだったグリフィンドールのテーブルは途端に大騒ぎになった。みな自分の朝食を護ろうと皿を持って立ち上がったり、花火を追い払おうと杖を振りすぎて爆音を鳴らしたり。ほらこんなにも簡単に、いつもの騒がしいグリフィンドールのテーブルへ早変わりだ。



「ふふ、悪戯もいいものね」

「ほどほどならね!」



勢いよく自分のかぼちゃスープに飛び込んできた花火の存在に悲しげな顔をしたロンの横で、ハーマイオニーがつんとした顔でそう言った。私も、無残な姿になったかぼちゃスープを見つめて、苦々しげに微笑んだ。

さあ、試合まであと数時間。


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