31

気付いたら、見知ったのベッドの上だった。んん? なんだかとってもデジャヴだなって。



「目が覚めたかね、アシュリー」



目をパチリと開ければ、眩い光が差し込んでくる。ごしごしと目をこすりながら状況を整理しようと頭を回転させていると、横からダンブルドアの声がした。ぼんやりとする頭を必死に総動員させて、状況を整理する。ええと、ダンブルドアがいるってことは……。



「先生、助けに来てくれたんですね」

「君のふくろうとは、すれ違いになってしまったがのう」



間に合わなかったのか。ヴァイスには申し訳ないことをしたなあ。

ゆっくりと体を起こしながら、やけに賑やかなベッドサイドに目をやった。ホグワーツ特急にいたお菓子屋さんがまるごとそこにあるかと思ってしまうぐらい、そこはお菓子やら食べ物やら小包で溢れかえっている。いや、溢れているどころか、床に零れ落ちるぐらい大量にそこにあって。



「君の友人や崇拝者からの贈り物じゃよ。地下で君とクィレル先生との間に起きたことは、『秘密』でな。秘密ということは、つまり学校中が知っていると言う訳じゃ」

「先生、秘密って言葉の使い方、間違えてらっしゃいますよ」

「秘密じゃよ。少なくとも、わしらはそうしておった」



ダンブルドアも苦労しているようだ。思わず失笑してしまう。



「私は、どれくらいここに?」

「三日間じゃよ。ミスター・ウィーズリーと、ミス・グレンジャーは君が気付いたと知ったら、ほっとするじゃろう。二人とも、それはそれは心配しておった」

「二人とも、無事だったんですね」

「そうとも。二人とも、透明マントを着ていたので、わしも気付かなかったほどじゃよ。君の指示が、二人の命を救ったようじゃ」

「よかった……」



考えないようにしていたが、不安だったのだ。透明マントは人の気配までは殺すことはできない。もし万が一、私を後から追ってくるクィレルに見つかっていたら、と。色々急いでいたので、半ば賭けに出てしまったが、結果的にはいい方向へ転んだようだ。クィレル自身、目的の物を前にして感情が高ぶっていたしね。



「君は本当によくやってくれた、アシュリー。君のおかげで、石は盗まれずに済んだ。じゃが、石は無事でも、君が無事ではないかもしれないと、わしも肝を冷やしたよ」



……それは、本心なのだろうか、と邪推してしまうのは、私が彼の仄暗い部分を知っているから、だろうか。薄いブルーの瞳は、確かに私を案じてはいるが──いや、今は、そんなことを考えるのは止めよう。せっかく事件はひとまず終わったのだ。その安寧に、身を委ねよう。



「石を得て、ヴォルデモートが復活するのではないかと思うと、居ても立っても居られませんでした。でも、クィレルは私がいなければ石を得られませんでしたし、私は、無駄な事をしてしまったでしょうか……?」

「いいや、ヴォルデモートはきっと、鏡の使い方を見抜いておった。君があそこで動かなければ、クィレルに鏡の使い方を教え、石を取り出していたじゃろう」

「そ、っか……」



ばふっ、とふかふかのベッドに倒れ込む。よかった、私の戦いは無駄じゃなかったんだ。ロンとハーマイオニーの奮闘は、無為ではなかった。そりゃあ、もっと早くダンブルドアなりマグコナガル先生なりに報告しておけば、こんな身体を張る必要なんかなかった。命なんか、賭ける必要はなかった。

それでも戦場に赴いたのは、“この経験”を得ること自体が目的だったからだ。私だけじゃない、ロンが、ハーマイオニーが、この先戦い抜くための経験を積むために、私は小さな英雄三人を賢者の石へ誘導した。この経験が募り募った先に、私の求めるべき安寧がある。そこで初めて私は、失った思い出に嘆くための時間を、得られるのだから。

そういえば、と私はローブの右ポケットを弄る。あれ、何も入ってない。それを見かねたダンブルドアが静かに告げる。



「石は壊してしまったよ」

「……フラメル夫妻は、どうされるんですか」

「おお、もうニコラスを知っておるのか。ニコラスも、大層喜ぶ事じゃろうて」

「……?」



なんでフラメルが喜ぶんだ、と、私が首を傾げると、ダンブルドアは話しが逸れたの、と笑いながら話を続けた。



「君達は随分きちんと調べて、石に取り掛かっていたね。わしとニコラスはお喋りをしてな、こうするのが一番いいと言うことになったんじゃ」

「でも、そうしたら夫妻は……いずれ、死んでしまうのではないですか?」

「そうとも。じゃが、あの二人は、身辺をきちんと整理するのに十分な命の水を蓄えておる。それからそうじゃ、二人は死ぬじゃろう。ニコラスとペレネレにとっては、死とは一日の終わりに眠りにつくようなものなのじゃ。結局、きちんと整理された心を持つ者にとっては、死は次の大いなる冒険に過ぎないのじゃよ」



流石に長生きしてるだけあって、いや、長生きしているからこそか。私は二人の考えは理解できない。そこまで長生きしたいかと聞かれればそうではないけれども。“死”に対して、夫妻と私の考え方には大きな隔たりがある。



「死が次の大いなる冒険──ですか」

「君のような若い者には、分からんじゃろう」



あなたたちみたいに死んだことのない人にこそ、分からないだろう。それは生きている者の妄想でしかない。私は知っている。死ぬことを。死んでしまう恐怖を。私は、この身に、この記憶に、死の恐怖を刻んでいる。まあでも、どう言った訳か、私は本当に死んで、今、大いなる冒険に身を投じている訳だから、その高尚な教えの全ては否定出来ないが。



「君は、ヴォルデモートは死んだと思うかね?」

「──いいえ。奴は生きています。きっと、どこかで、まだ息をしている。奴は、クィレルという宿主を失っただけに、過ぎないでしょう」

「そうじゃな。君がしたことは、奴の復活を遅らせただけじゃ。奴は本当に生きている訳ではないから、殺すことも出来んのじゃ……」

「ご安心を、先生」



私は覚えている。この手で、クィレルを殺した感覚を。指が奴の皮膚を焼きつくし、爪が奴の肉を抉った感覚を。断末魔の悲鳴を上げ、真っ赤であったかい血を撒き散らしながら、絶命した命を、この手に覚えている。

だから──私は、にっこり笑った。



「ヴォルデモートは、私が必ず殺します」



これは、決意。そして誓いだ。

人の死を踏みにじり、私が生き残る為の、私の決意。この先、私は多くの敵と対面する。そして私は、情け容赦なくその敵を散らすだろう。いや、散らさなければならない。敵が私の命を狙うなら、私はそれより先にその命を奪い続ける。これが、アシュリー・ポッターの戦いだ。ようやく実感した。ようやく理解した。私の戦いを、私の運命を。恐怖に負けない。死に負けない。私は私の生命活動を邪魔するものを──この手で、殺す。



「必ず、必ず私が殺します。奴が挑み続ける限り、私は何度だって立ちはだかりますよ。そうして奴を殺し続けた先にある安寧を得て初めて、“アシュリー”として生まれてきた意味を見出だせると、信じてるんです」



もう一度生まれてきた意味に理由を与えるならば、“私”の答えは明白なものだった。“私”をこれ以上失いたくない。ただそれだけだ。その為にこの身体が払う犠牲の大きさに目を背けていると知っていて尚、私は己が生きる意味を曲げたくはなかった。

何も言わないダンブルドアに、私は心穏やかに笑った。



「……なーんて、ホントは分かってるんです。私は自分と正義を免罪符として掲げた、人殺しだってことは」



そう。本当は分かっている。結局どんな理由があっても、今の私は人殺し以外の何でもない。目を背けても、逃げ出しても、その業からは逃れられないのだと、私は知っている。だが、その罪悪感に押しつぶされるほど、私は優しく出来ていない。そうとも、私はただ、生き残りたいだけ。もう、死にたくないだけ。消えゆく思い出と共に、生きていたいだけ。私は──覚悟した。人を殺す覚悟を。人殺しと罵られる覚悟を。業を背負う覚悟を。だって、ねえ、それでも私は、もう、死にたくないんだ。

ダンブルドアは、とても悲しそうな瞳をしていた。ああ、余人には、そんなに哀れに見えるのだろうか。家族を失った幼い少女が、強大な敵に立ち向かっていく姿が。蓋を開ければ悪鬼が一人、己が命の為に降りかかる火の粉を払い、果てはあらゆる火の元を打ち消さんとする姿が──全く、そんな私を利用しようとしているのは、他ならぬあなただというのに。馬鹿馬鹿しい話だ。



「誰も君を責めたりはせんよ、アシュリー。だからこそ、忘れるでないぞ。君は決して、一人ではないことを。でなければ、君はヴォルデモートと同じ道を辿ることになってしまう──それは、分かっているね?」

「──勿論、ですよ。先生」



分かっているとも。だって私は、そこまで強くない。何度生まれ変われようと、一人ぼっちで生きていけるほど、私は人として完成されていない。だって私は、愛を知っている。これが、奴と私の違い。普通の人の二倍、家族がいて、友達がいる私と奴が、同じはず、ないのだから。

だから、身勝手にも信じているのだ。こんな人殺しを、許してくれる人がいるということを。人殺しなぞ、どう足掻いても人殺しに変わりないというのに。だけど、私は友人を、家族を、恋人を、そのぬくもりを知っている。そのぬくもりを失って、涙に暮れた日々があったことを覚えている。そう、私は一人では生きていけない。けれど、私はどうあっても死にたくない──だから私は、身勝手にもその理解者が現れるのを信じて、今はこうやって都合の良い妄想で現実に蓋をして、業を背負う身体を守るのだ。

いつの日か来る、断罪の末路に打ちひしがれないように。



「それを聞いて、安心したよ」



それが本心なのかどうか──開心術を身に着けていない私には、計り知れない。けれど、どっちだって良かった。私は私の力で生き残る、ダンブルドアが私のことをどう思っていようとも、知ったことではない。

沈黙が嫌に耳に障るので、私は話題を変えることにした。



「ところで、先生」

「なにかの?」

「あの、石を手に入れる時、私、鏡の中に変なものを見たんです。変なものっていうか、なんていうか、その」



話題を変えるため、鏡がおかしくなったことを伝えた。が、ありのままを話すことはできなかった。私自身、信じられないし……。

それを受けたダンブルドアが、ああ、と思い出したように唸った。



「鏡はのぅ、なんらかの強い衝撃を受けて、壊れてしまったんじゃよ。生来の使い方は出来ないこともないんじゃが、何かと支障を来すようでな。捨ててしまったよ」



どう考えても私が壊しましたね、ありがとうございます。しかしよかった、賢者の石でサッカーするあの人たちが私の望みだなんて言われた日には、しばらく立ち直れなかっただろう。全く、魔法器具って無駄に繊細だよね……。


*PREV | TOP | NEXT#

- ナノ -