30 ※グロ注意


とりあえず、もっと隙を作る為に──いや、奴と対談する為に、私はクィレルの言うとおりにした。というか、今の私が鏡を見て石が見えるのかどうかは疑問だった。いやまあ、確かに賢者の石を欲しいとは思わないけど……なんて考えながら鏡の前に立った。

フッと、クィレルが私の背後に立つ。相変わらずすごい臭いのターバンだ。吸血鬼じゃなくても逃げ出しそうな臭いである。鼻で息をしないよう気を付けながら、ゆっくりと鏡を見た。



「──は」



思わず、そんな声が漏れた。鏡にはいつもの通り、東洋人たちが映っている。そして、こんな私にも見えた。見えてしまったのだ。賢者の石と思われる、血のように赤い宝石が。いやそれはいい。目の前の衝撃に比べたら、賢者の石程度なんてことはない。

なんで──なんで、コレ。



「(なんで賢者の石でサッカーしてんの!?)」



鏡の中の東洋人たちは、賢者の石を蹴飛ばして転がして遊んでいた。割と楽しそうに。いやおかしいでしょ。賢者の石が映ってることもおかしいし、サッカーしてることもおかしい。っていうかこれが私の望みなの? 鏡、大丈夫? 寧ろ私が大丈夫? ひょっとして、さっき私が呪文かけたから鏡おかしくなっちゃった?

物語もクライマックス、シリアスシーン真っ只中でこんな光景を見せられて、どういう反応をしていいのか分からず、しばらく鏡を呆然と眺める。幸か不幸か、クィレルは何も言わず、じっと私の後頭部を凝視しているようだった。え、待って。嘘、この空気どうしよう、なんて思っていると、東洋人の女──“私”だった女が、賢者の石を手で掴んで、こちらを、私を見た。バチッと目が合う。そして、ニコッと笑った。いや笑ってんじゃないよ。呑気にサッカーしてんじゃないよ。その石よこせよ。



『仕方ないなァ』



声が──え、声が、え、今。

女は日本語でそう言うと、自分の右ポケットに石を仕舞った。その瞬間、ローブの右ポケットに何か重い物がとすんと落ちるのを感じた。鏡の向こうの私は、私にウインクを投げかけると、そのまま東洋人たちを連れて鏡からフレームアウトしていなくなった。え、ちょ、そんなのって。



「どうした、何が見える!?」



全く以て意味の分からない光景を前に私がだんまりを決め込んでいたので、クィレルが痺れを切らしたように叫んだ。えーと、何が見えるって……。



「し、知り合いが、サッカーしてる」

「嘘をつくな! 本当のことを言え、何が見えたんだ!」



確かに全部ホントのことは言ってないけど、嘘も言ってない。だが、まあそうなる気持ちも分かる。私だって目の前で起こった現実を信じたくない。信じたくないけれど、何故か私は石を手に入れてしまった。こんなことある?

しかしそれはそれで困る。私の手に入るよりも、鏡の中に封印されていた方がよっぽど安全だからだ。しまった、みぞの鏡相手に妙な祈りをするものではなかった。どうしよう、これ、どうしよう。誰にも気付かれぬよう、掌の汗を拭うふりをしてローブの右ポケット付近に触れ──うわ、何かある。絶対賢者の石だ。ポケットから出したわけではないけれど、私は確信していた。

どうしよう──再度そう迷ったその時。ぞくりと背筋が震えた。



『わしが直に話す……』

「ご主人様、あなた様はまだ十分に力が付いていません!」

『このくらいの力ならある……』



血も凍るような声が、ゼイゼイと息苦しそうに言葉を紡ぐ。クィレルは、渋々とそのターバンをほどきはじめた。するするとターバンが落ちていき、額の傷が一層痛くなる。だが、目を逸らさなかった。恐怖心に負けなかった。キッとクィレルを睨み続けた。ターバンが床に落ちて、クィレルが私に背を向けた。思わず、後ずさった。

──知識としては知っていた筈なのに、直に見るとこれほどまでに悍ましいものか。思わず悲鳴を上げそうになったのを、寸でのところで飲み込んだ。クィレルの後頭部には、顔が合った。蝋のように白い顔、ギラギラと血走った赤い瞳、鼻孔はヘビのような裂け目になっている。なんて、なんて恐ろしい顔だ。その顔を見ているだけで、身の毛がよだった。ユニコーンの死骸を見た時、死んで尚なんて美しい生き物だろうと思ったが、この男は真逆だ。その存在自体が、恐ろしい。そこにあるだけで、人に恐怖を植え続けているようで。



『アシュリー・ポッター……』



しゃがれた声が、喋り出す。恐ろしい、醜い生物だ。そんな姿になってまで、そんな存在になってまで、奴はまだ、生きているのだから──生きて、いられるのだから。



『このありさまを見ろ……ただの影と……霞みに、過ぎない……誰かの身体を借りて、初めて……形になることが出来る……』



ゆっくりと、後頭部が動く。本当に、影と霞みだ。その状態で生きていることが驚かされる。生きている。いや、死んでいない、といった方がしっくりくる。ユニコーンの呪われた血をもってして、他人の身体を乗っ取って──それでも尚、このザマなのか。

身震いする私を前に、赤い目がきゅっと細まった。



『さて……ローブにある石を頂こうか』

「……っ、誰が、お前なんかに」



全てはお見通しらしい。石の在り処を確かめるよう睨めつけるその赤い眼光から逃れるように、私は右のポケットを強く握りしめた。奴はそれを見て、せせら笑う。



『馬鹿な真似はよせ……命を粗末にするな……わし側につけ……さもないと、両親と同じ目に合うぞ……』

「寝返るつもりはない。ましてや、私の両親を殺したお前なんかに、誰が!」

『ハハッ……胸を打たれるねえ……』



私は、クィレルと距離を測る。流石に、素手で挑んでくることはないだろう。その危険はその身を以て知っている筈だ。ならば奴の行動は? 思考するまでもない。適度な距離を保ちつつ、呪文で殺すつもりなのだろう。この身はクィレルを打ち滅ぼすことができるのだ。迂闊に距離を縮めて“もしも”が発生してしまったら、奴の身体は灰と化してしまうからだ。

だが、奴らは決定的な過ちを犯している。私をただの十一歳の少女と見縊っているのだから。現に、私なんかいつでも殺せる力がありながら、奴らは悦に入ったような演説を続けている。それは即ち、自らの優位性を疑っていないという証拠だろう。しかし、私はアシュリー・ポッター。こんな日の為に、私は十年の歳月を戦いの為に備えてきたのだ。そりゃあ確かに、魔法ではまだ適うまい。いくら自主勉強を続けたところで私はまだ一年しか魔法に触れていない。対する相手は何十年も魔法界で生きてきた魔法使いに、世間を恐怖させた闇の魔法使い。魔法で戦って勝てる相手とは、ハナから思っていない。

だが、フィジカルならどうか?

クィレルは背は高いが、だぼついたローブを身に付けており、どう見ても俊敏に動けるような格好ではない。更にはご主人様の顔を私に向けているクィレルは、つまるところ私に背を向けている状態だ。極めつけには勝利を確信して隙だらけの状態ときた。大の大人とはいえ、ここから攻撃を受ける方が難しい。呪文は光線なのだから、射線に入らなければ避けることも容易だ。そもそも、普段から魔法やら箒やらで筋力をほとんど使わないような魔法使いの瞬発力に負けるようなトレーニングは積んでいない。であれば、戦略は至ってシンプル。彼我の距離は数メートル。初手で飛んでくるであろう死の呪いを走りながら避け、奴らの間合いに踏み込む。そこから一発でも拳を入れられたら私の勝ち。そうしてマウント取って、この手で奴に直接触れてやろう。そうすれば奴らの肉体は消えてなくなる。奴の右腕のように。そうだ、そうやって殺そう。

殺して、やる。



『わしはいつも勇気をたたえる……お前の両親も勇敢だった……わしはまず、父親を殺した……勇敢に戦ったがな……だがお前の母親は、死ぬ必要はなかった……母親は、お前を護ろうとした……──母親の死を無駄にしたくなかったら、石を寄こせ!』



ヴォルデモートが叫ぶ。私は、スッと息を吐き、奴を見据える。そう、ママは死ぬことはなかった。ママは死ぬ必要などなかった。だけど、死んだ。ママは、私を護って死んだ。死んで尚、私を護ってくれてる。これからも戦い続ける為に。これからも生き残る為に。

生き残って──目的を、果たす為に!



「お前にだけは、渡さないッ!!」

『殺せ!!』



私がクィレルに駆け出すのと、ヴォルデモートが叫ぶのは同時だった。たんっ、たんっ、たんっ、と地面を蹴ってクィレルに突っ込んで行く。クィレルは杖を抜いて、振り上げる。私は拳を握りしめる──緑色の光が、杖から溢れ始めるが、私が奴の間合いに踏み込む方が、断然早い!



「ぐあぁァアアアアアアア゛ア゛ア゛ァ゛ア゛──ッ!!」

「ぐ、うぅッ──!」



私は両手をクィレルの首にかけ、そのままの勢いで床に押し倒した。だぁん、とクィレルの身体が地面に跳ね、私もその勢いのままクィレルの倒れ込む。クィレルの肌に触れた瞬間、刃物で傷跡を刺されているかのような激しい痛みを伴った。熱い、あつい、涙が滲むほどの激痛が脳内に劈く。が、意地で、意地で、ひたすら意地で堪え続けた。私の皮膚に触れ、クィレルの首がみるみるうちに真っ赤に焼け爛れ、皮がべろべろに剥けていく。恐怖と痛みで引き攣ったクィレルの顔がある。構いやしない。ぐっと力を籠めれば、断末魔の叫びが、クィレルの喉から放たれた

その声に、音に、傷の痛みに、私は意識がくらみそうになる。だが、ここで手を緩めてはいけない。殺さなければ、殺さなければ、この男は、私を殺そうとした、敵なのだから。敵は殺さなければ。殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!!



「死、ねッ、よ──!」



ぐぐぐ、と両手に在らん限りの力を籠める。気管を締め付け、両手が皮膚に食い込むように。声も出させないように。両手の爪が、焼け爛れた皮膚を溶かし尽くし、クィレルの肉にずぶり、ずぶりと沈んで行く。ついには私の細い指が喉を喰い破り、生温かい赤い血飛沫が顔にかかる。びちゃりと視界さえ赤く染まる飛沫を浴びながら、もっともっと。もっと殺せと指先に命じる。額の傷がますます痛くなる。気を失わないように、唇を噛み締めると、また口の中に血の味が溢れた。

がんがんと頭が痛む。額は燃えるような激痛が駆け回る。あまりの痛みに、じわりと赤の視界が滲む。そのまま、視界がゆっくりと暗転していく。だめだ、まだ気を失ってはいけない。まだなんだ、まだだ。まだ死んでいない。声が聞こえる。奴の声が。私を殺せと叫ぶ声が聞こえる。嫌だ、死にたくない。私は死にたくない。私はここで死ぬべきじゃない。ここで死ぬのは、お前だ。死ね。死ね。死ね。はやく、はやく、はやく。しんで。しんでしんでしんで──。





「アシュリー」





もう一つ、別の声が聞こえた。もう、目の前は何も見えない。全身の感覚が無い。額の傷も両手の感覚も何も感じない。両手に感じる、奴の首が、肉が、血が、分からなくなっていく。ああでも、その声はとても安心できるものだ。きっと、間に合ったのだ。私は勝ったのだ。

そこで思考は完全に停止し、私の意識は闇へ落ちて行った。

深く。深く。


深くへ。


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