次の扉を開ける時、扉からものすごいムカつく臭いがした。嗅いだ事のある、とても嫌な臭いだ。扉に耳をつけてみれば、ブーブーと低く唸る声がする。やっぱり、予想通りだ。箒を持ってきておいてよかった。箒に跨り、扉を開けて、するりと中に入って扉を固く閉ざした瞬間に上空へ跳び上がった。 「うっわ……」 目下には、トロールがいた。前にやっつけた時よりもずっと大きくて醜いのが、部屋に座り込んで、暇そうに、キョロキョロしている。気付かれないように、ゆっくりと奴の上空を移動していく。トロールは嗅覚も視覚も聴覚もそんなに発達していないのか、全然気付かない。とろとろ飛行して、奴がよそ見している隙に、そろそろと扉を開けて次の部屋に入り、そっと扉を閉めた。 さて、次の試練はスネイプの論理パズルだったか。部屋は至ってシンプルだった。部屋の中央にテーブルがあり、七つの小瓶と巻紙がその上に置いてある。ゆっくり部屋の中央へ進むと、前方の扉が黒い炎で包まれ、後方の扉は紫色の炎に包まれた。 「さて、と……」 巻紙に書かれているのは論理パズル。七つの小瓶のうち、毒と帰るための薬と前進するための薬が並んでいると書かれたその問いに、私はほくそ笑む。実はこのパズル、原作の情報だけじゃ解けないんだよね。瓶の大きさとかの描写がないからだ。まあ、この辺は余裕綽々だ。私は巻紙を手に取る。うっかりミスれば私もお陀仏だが、十一歳に解けた論理パズルを解けないほど私も落ちぶれちゃいない……ッ!! 数分悩んで、私は一番小さな黒い瓶を手に取った。後退する薬を持っていこうかどうしようか迷ったが、そのままにして、黒瓶の薬を一気飲みした。体中に冷気が行き渡る感覚を感じ、私は瓶を投げ捨てて、黒い炎をくぐった。炎が私を包み込むが、熱さは感じない。眼前は炎しか見えなかったが、突き進んで行くと、やがて大きな扉が見えた。すぅ、と息をついて、右手に杖、左手に箒を持って、扉を開けた。そこには、私の予想通りの光景が広がっていた。 「──ま、そうなるわな」 階段下に、広々とした空間が広がっている。部屋の中央には、みぞの鏡がまるでふんぞり返っているように立っている。それ以外何もない。私と鏡以外、ここに何もなかったのだ。 「……」 違和感を感じたのは、フラッフィーを突破する時。フラッフィーを突破した形跡がなかったこと。次に、空飛ぶ鍵が、一度も人の手に触れられたことのないほど綺麗な羽根をしていたこと。最後に、部屋で呑気に歩き回る、元気そうなトロール──つまり、あの罠を突破してきたのは、私たちが最初ということになる。私たちはまんまと、クィレルが楽に罠を突破できるように道を作って来てしまった、というわけだ。 最近、全然原作通りじゃないな、と悪態をつきつつも、何となく安堵を感じないこともない。私はゆっくり階段を下りて鏡に近づいて行く。忌々しい鏡の前に立つ。相変わらず、見える光景は同じだ。何十人の東洋人が、一人の女を囲んで笑顔で微笑んでいる。女は、幸せそうに笑っている。その光景を見て、ズキリ、と胸が痛まない訳ではなかった。だけど、私は今、こんなところで感傷に浸っている場合ではない。私には、やらなければならないことがあるのだから。先に辿りついてしまったのはある意味幸運だ。何としてでも石を取りださなければ。いや、いっそ鏡を割ってみようか。それがいいんじゃないだろうか、鏡さえ割れば石は手に入らないんだし。箒を床に置いて、杖を抜く。 「エクスパルソ!」 杖を振り上げて、唱えてみる。バァン、と耳を劈くような凄まじい音を立てた。が、鏡には傷一つついていなかった。ダンブルドアの野郎、なにか防護呪文かけてやがるな。余計な事しやがって。杖を仕舞って、鏡を見上げる。うーん、じゃあ私が先に石を取り出してみようか。等と考えていると、背後から気配を感じた。しまったもう追いつかれたのかと振り返ったそこには──。 「ミス・ポッター……っ!?」 「ス──ネイプ……せんせ……!?」 目ん玉が飛び出るかと思った。背後の階段上にいたのは、クィレルではなくスネイプだった。ちょっと予想外の出来事すぎて頭が回らない。いやいやおかしいでしょ、なんでお前が此処に居るんだ。え、原作通りに事が運ばないからって真犯人まで違ってくるの?どういうことなの? スネイプもスネイプで大いに驚いているのか、目を見開いて私を見ている。それは私がここに居る事実に驚いているのか、私という存在に向き合っていることに驚いているのか。 「何をしている……ミス・ポッター」 「せ、んせ、こそ──」 階段を下りてくるスネイプ。こっちくんなだいぶ気まずいんだけど。えっこれ減点されるかな、されるな。スネイプは今までに見たこともない様な複雑な顔をしている。複雑と言ってもいつも通り顔が険しいのでそれ以上言い様は無いのだけれど。思わず杖を構えて後ずさってしまう。 「私は──私は、クィレルが、ヴォルデモートが、賢者の石を狙ってると分かって、でも、ダンブルドア先生が今日いなくて、だ、だから私が食い止めに、え、あ、で、でもなんで、先生が、こんなところに……」 思わず、しどろもどろになる。こんな早い段階でスネイプとサシで会うことになるとは思わなかった。いつもいつも目が合わないと憤慨している私だが、こうして二人っきりになられてもだいぶ困る訳だ。なぜなら私は──最近信用できるのかちょっと危ういものの──未来を知っており、それを隠匿する術を持たない。対してスネイプはヴォルデモートすら欺ける閉心術のエキスパート。 だいぶまずい展開だ。いくら味方だと知っていても、原作の展開がかなり違っている以上、安易にスネイプを信用できない。それに、誰か他の人間にこの秘密を知られる訳にはいかない。原作の知識も、私の生前のことも。まずいまずい、と滝のように汗をかく。どどどどうしよう隙をついてネビルみたいに吹っ飛ばした方がいいのだろうか。 「……それは、」 スネイプ、私をガン見だ。いやいつも必要以上に私を視界に入れないようにしてるじゃん。なんで今日に限ってめっちゃ見てくんの。開心術使ってんの?まじでやめて欲しい。どうしよう、忘却術の練習なんてしてねえぞ。ていうかさっきから目が合わないんだけどこいつどこを見て──。 「リリー、の──」 かすれた声で、スネイプは漏らした。ああ、ママのヘアピンをガン見している訳か。道理で目が合わない訳だ。ていうかここに来てまでママのこと考えてるのかこの男は。その執念はもう称賛に値するレベルだ。 「先生は、母をご存じ、で?」 聞かなくとも結構バッチリ知ってるけど、今の会話の流れは、問いたださないとおかしいだろう。私もいい大人だ。空気くらい読める。スネイプは、苦虫を噛み潰したような顔になる。相変わらず、私を前にしながら、目と目だけは合わせない。 「……学友だった。それだけ、だ」 嘘付け。全身が奴の言葉を弾劾した。なにがそれだけなもんか、ふざけやがって、クリスマスに未練がましく百合の花贈ってきたのはどこのどいつだ! 「そう、ですか……このヘアピンは、伯母からのクリスマスプレゼントで……ええと、」 めっちゃ気まずい。石のことなんか吹っ飛ぶ勢いで気まずい。ていうか他に何喋れと言うのか。相変わらずスネイプは何考えてるのか分からない顔でヘアピンを見つめているし。だが、この様子だと、開心術を使っている訳ではなさそうだ。そんな余裕が無いのだろうか。ママに瓜二つの私が、ママのヘアピンをつけている姿に──。 「そんなに、私は母に、似ていますか?」 「!」 スネイプが、びくりと肩を震わせた。表情が一転した。心からびっくりしたような、私の口からそんな言葉が出るとは思わなかった、という感じの顔だ。だがすぐにいつもの感情の読めない表情に戻って、言った。 「……似ては、いない」 やっぱ似て──あ、あれ? 結構キッパリあっさりスパッと言い切った。若干傷ついた。何気にママ似って言われるの、嬉しかったし。いや、まあ、ね、ほら。少なくとも髪は全然違うよね、うん。私の髪こんなだし。パパ譲りの癖っ毛だし。黒髪だし。でも顔とか目とかはママ似だって結構色んな人から言われてる筈だし第一お前だってそう思ってるから私と目を合わせないんじゃ──! 「貴様は、父親似だ。……性格がな」 ……どういう意味だ、それ。 それすごい傷ついたんだけど。え、私は傲慢王子そっくりだと? 成績を鼻にかけて、嫌なガキンチョだと? 顔じゃなくて性格のこと言われるのはちょっと、っていうかお前こそ人の性格ディスれる性格かって話だろうが! 「ちょっと先生、それはしんが──」 その瞬間、私の身体は正面から何かに激突されたような衝撃を受け、床に引っくり返った。え、なに、と思う隙もなく、私の身体はどこからともなく這い寄ってきたロープに締めあげられる。げっ、なんて思いつつも暴れもがくが、呆気なく私は芋虫のように床に転がったまま動けなくなった。スネイプの方を見てみると、彼も同じようにロープに縛られ、床に伏せっていた。しまった、こんなことをしている場合じゃなかったのに──!! 「ミス・ポッター、君はもっと賢い魔女だと思っていたよ」 階段上に居たのは、シニカルな笑みを浮かべた、どもりもしない、びくつきもしない、落ち着き払ったクィレル。初めて見る、本来の姿の彼が、そこに立っていた。 |