33.5

ジェームズのストーカー行為が本格的に手に負えなくなってきたのと同時に、時間旅行の実験もスタートした。ただ、実験は俺が思っているよりシンプルだった。ないはずの未来からやってきたアシュリー・グレンジャーのおかげで、不確かだが未来が存在することが判明した──フラメル曰く、『霊魂』でしかないアシュリーのせいで、時間旅行の座標になるかどうかも危うい未来でしかないらしい──。

時間旅行の仕組みは《逆転時計》を応用するという。時計には時の流れを逆巻く『シビュレの砂』が入っており、この砂を回転などさせて振動させることで、『マイナスの超光速』が発生する。当然、それだけでは速度に対して肉体にかかる不可に耐えられない。それを守るのが《逆転時計》の鎖──『ノルンの鎖』だ。鎖で囲まれている空間はその負荷を軽減される。だが、この鎖はせいぜい五分程度しか持たない。俺たちはその鎖を強化し、何年もの時間旅行に耐えられるようにする──これが目下の目標だ。勿論、未来旅行の理論式を組むのも忘れずに、だ。可を最良にすること、不可を可にすること、そのどちらも求められるのだから、やり甲斐は十分だ。歴史に名を残すってのも、悪くねえ。



「ドラゴンの鱗でコーティングするとか」

「摩擦熱には強いだろうな、試すか」

「鋼すら切り裂く物質だろ。ここで加工できんのか?」

「俺のケンのルーンに溶かせない物質はねえよ」



そうして実験は手あたり次第、金属を強化できそうな魔法物質を『ノルンの鎖』に組み込むところからスタートした。そして林檎の周りに加工した『ノルンの鎖』と、一時間分の『シビュレの砂』が入ったチャームをつけて振る。上手くいけば林檎は一時間前のこの教室に出現する──という、比較的シンプルな実験だ。ま、そう簡単には事は進まない。今日は《小鬼》製の貴重な金属である『ノルンの鎖』が二本、音を立てて弾けて飛んで終わったのだった。



「そう上手くはいかねえな……」

「ま、資金なら腐るほどあるからな。存分に使ってけ」



実験は何かと金がかかる。とはいえ、世界有数の富豪であるダンブルドアとフラメルの後ろ盾があれば、『ノルンの鎖』の強化はそう時間かからずに達成できそうだ。根気よく続けていくしかない。

実験のスタートと共に、俺とアシュリーは空き時間のほとんどを錬金術の教室で過ごすようになった。何故かというと、暇な時間に俺たちがスニベルスで遊んでると、決まってこの女がちょっかい出してくるのだ。先日も奴に呪いをかけていると、どこからともなく魔法が飛んできたかと思うと、俺たちは宙づりにされたり、ダンスさせられたり、大イカのいる湖に放り込まれたり、とにかく散々な目に遭わされた。それを咎めれば、絶対零度の視線が飛んでくるのだ。



「馬鹿馬鹿しい。下らないことに時間費やす暇あるなら、こっち手伝えって言わなきゃ伝わんないの?」



なんだこの女と一瞬カッとなったが、必死に果てのない実験に齧りつく女の横顔を見て、冷静になってしまった。こんな時、夏休みに過ごした数か月を思い出すから、こいつと口論するのは嫌なんだ。

ただ、帰りたいのだ、こいつは。夏の間ずっと、その声なき声を聞いてきた。こいつはただ、家に帰って、友達や家族に会いたいだけ。俺がジェームズたちと馬鹿笑いしてるのと同じように、こいつにもきっとそういう奴がいて、でもこの時代にはいない。だから帰りたくて、そのための労力は惜しまないだけ。俺もその労力の一つだから、こうして暇を持て余す俺の邪魔をしてくるだけなのだ。だから仕方なく、可能な限り錬金術の教室に顔を出してる。あいつが帰りたいと思う気持ちはきっと、グリモールド・プレイスから逃げ出したいと願っていた頃の俺と、同じだから。

とはいえ、それでスニベルスを庇われるのは癪だ。



「……それでも連中は、生まれで人を差別する。最低な奴らだ」

「まあ、そういう人もいるだろうね」

「人を傷つけることを楽しんでる、嫌な奴らだ」

「君たちも人のこと言えないでしょ」

「そうして簡単に、人を殺しちまう。本当に、最低な奴らだ」

「──そう、だろうね」



正しいことを言ってるはずなのに、あいつはぞっとするぐらい静かにそう返した。ちらりと横顔を盗み見るも、あいつはフラメルの机から勝手に拝借したドラゴンの鱗を鍋に放って、ケンのルーンで溶かしているところだった。ごうごうと燃え上がる炎を静かに見つめる眼差しは、遠いあの頃に大げんかの末に泣き喚く弟の姿とダブって見えた。

この実験が実を結んだら、あいつが泣いていた本当の理由を問いただすこともできるのだろうか──なんて、下らないことを考えた。





***





「アシュリーとは、順調かね?」

「いやあ、はは……」



そして所変わって校長室。リーマスたちと地下の厨房に忍び込んで一足早い夕食にありついていた時のことだった。味気ないと感じてしまうサンドイッチに齧りついている時、どこからともなくダンブルドアがやってきて、俺は校長室に呼び出された。今度は何がバレたんだ、とばかりにリーマスは無慈悲に俺を送り出したところを見るに、恐らく不自然な呼び出しではなかったのだと思う。日頃の行いサマサマだ。

とはいえ、呼び出しの理由がこれでは気も滅入るというものだ。ダンブルドアは、夏休み中に俺にある宿題を出した。当然、俺だって忘れてない──あのアシュリー・グレンジャーと仲良くやれ、だなんて無理難題吹っ掛けられたのだから。正直、あいつを未来に帰すよりよっぽど難しいと思う。だって、あいつは。



「……無理だろ。あいつは、俺を労力としてしか見てない」



そうだ、アシュリー・グレンジャーにとってシリウス・ブラックは都合のいい道具、マンパワーでしかない。あっちが仲良くする気がないのに、どうやって肩組んで笑い合えというのか。この二か月、一緒に暮らしてきたけど、あいつとの壁が薄くなったとも思えねえ。そりゃ、朝から晩まで一緒なのだから、色んな面は見たと思う。必死に机に齧りつく表情も、料理中は憑き物の落ちたような顔をしてるところも、この時代が息苦しいと吐露したところも──自分を信じろと言った、あの夜の言葉も、きっとあいつの本心だ。アシュリー・グレンジャーを形作る何かだ。

けれどそれに触れたところで、あいつが俺に心を開いたわけもなく。俺が何をしても、あいつは興味を抱かない。スニベルスのことで口出してきたのは、それが自分にとって不利益に働くからだ。決して、俺自身の行動を咎めたわけじゃない。



「……?」



……なんだ、それ馬鹿馬鹿しい。あいつに叱られたい、なんて願望でもあるのか。マゾヒストじゃあるまいし。何でこんなことを考えたのか自分でも分からず、さっと目を逸らす。だが、それがかえって仇になったらしい。ダンブルドアの眼鏡が、きらりと何かを反射した。



「──ではシリウス。君はどうかね?」

「……どう、て。何が」

「君にとってアシュリー・グレンジャーとは、どのような存在かね?」



今まさに目を背けた問題だっただけに、心臓が嫌な音を立てたのが分かる。俺に、俺にとっての、アシュリー・グレンジャー。突然やってきた、何かと鼻につく嫌な奴。可愛げない奴。料理が上手い奴。ジェームズより手強い奴。オールダムやスリザリン生の嫌味も、聞こえてませんとばかりに澄まし顔でやり過ごす大人な奴。

──その癖、いつも寂しそうな奴。



「どうやら、君にとってアシュリーは友人といっても過言ではないらしい」

「ど、どこがっ!!」



ダンブルドアが寝惚けたことを言い出すので、俺は大声で否定する。友人、友人だと? あんな、いかにもスリザリン然としたいけ好かない女が!? そりゃ、純血主義じゃないようだし、ダンブルドアの味方だし、未来では俺らとは懇意だったみたいだが──だからって、友達って奴じゃないだろ、あいつは。



『──賢い子。あなたはもう分かってるはずよ、認めたくないだけ』



ふと、ジェームズのおばさんの声がリフレインする。おばさんはあいつは俺に対して愛情があるのだと語った。言われた直後は混乱したけど、冷静に考えておかしくねえか。あれを『愛』と呼ぶのなら、エヴァンズのジェームズへの態度だって愛情表現だろ。そりゃ、俺にとってあいつがそうであるように、あいつにとって俺は決して敵じゃない。『信頼』──アシュリー相手に使うのは薄ら寒いかもしんねえけど、あいつにあるのは『敵じゃない』っつう信頼であって、『友情』じゃない。

──ただ一つ、思うところがあるとしたら、それは。



「……あいつの作る飯は、美味い。そんだけだ」



そうだ、流石の俺でも気付かないフリはできなかった。舌は正直だ。確かに俺は、ホグワーツに帰って来てから食事に物足りなさを感じていた。毎日毎日、何が出てくるんだろうと言うワクワク感や、口にするまで分からない料理の味が楽しみだった。それが無くなったことに対する落胆ばかりは、取り繕うことはできない。なんなら、あいつの顔見るたびに腹が減ってイライラするほどだ。口にするほどガキじゃねえけど。

ただこの感情を『友情』なんて表現してたまるか、という話。



「俺もあいつも、友情ごっこするほど暇じゃない!」



ダンブルドアがどんな顔をしているか、何を言いたいのか、俺は見て見ぬふりして、校長室を飛び出した。背を向けて急ぎ校長室から出ていく俺を、ダンブルドアは引き留めなかった。そうだ、俺の考えは正しいはずだ。だって他ならぬ、アシュリーがそういうスタンスなんだ。未来旅行のための情報は、俺とフラメルがあいつに張り付いてりゃいつか引き出せるはず。だから、無理にあいつと仲良しこよし、なんて必要ない。俺にとっても、あいつにとっても、その方がいいはずなんだ──きっと。

ガーゴイルが隠している校長室の入口から這い出て、高い天井を見上げる。消灯まではまだ時間がある。寮に戻るか、それとも──なんてぼんやりしながら歩いているうちに、足は気付けば七階に向かって進んでいた。あいつの熱意にでも充てられたか、はたまたダンブルドアの尋問のせいか。まあいい、少し顔出していくか。そう思って階段を上っている時、見たくないツラが二つ並んでいるのが見えて顔を顰めた。



「さあ、もう逃がさないよ、ミス・グレンジャー!!」

「……」



狭い階段で通せんぼしている親友と、それをゴキブリゴソゴソ豆板を見るような目で睨むアシュリー・グレンジャーのセットである。平時なら回れ右して帰りたいところであるが、生憎寮に戻るにも錬金術の教室に向かうにもこのルートを通らねばならない。ジェームズのストーカー技術の向上にはこちらも舌を巻く。いや、決して褒められたことではないが。



「ミス・グレンジャー、僕はただ君とリベンジマッチをしたいだけなんだ! ホグワーツ主席候補としては負けっぱなしは性に合わないのさ!」

「……シツコイ」



苦々しげにそう吐き捨てるアシュリー、全く同情する。だが、ジェームズはそんな言葉のナイフは通じない。エヴァンズに何年も執着する男のしつこさは、その程度じゃ静まらない。さあ、どう出る。階段は狭い、気配殺しのルーンはその存在までは消してくれない。ジェームズを突破するには、今来た道を戻るか、実力で突破する他ない。後者は、ジェームズにしてみれば願ったり叶ったりだろう。

──だが、アシュリー・グレンジャーもただでは転ばない。俺もジェームズも止める間もなく、その女は階段が動いたタイミングで手すりに手をかけ、ちらりとジェームズを見る。そして。



「ワタシ、弱イ人、戦ワナイ」



その一言を最後に、アシュリーは躊躇いなく七階の吹き抜け階段から迷いなく飛び降りた。突然のことに、俺もジェームズも身を乗り出してあの黒髪がどんどん小さく見えなくなっていくのを見守るしかなかった。

アシュリーは玄関ホールまでヒューッと一直線に落下していく。だが、地面に激突前にクッション魔法でも使ったのだろうか、落下寸前でぴたりと止まり、床に降り立つと、何でもない顔ですたすた地下牢の方へと歩いて行った。



「……信じらんねえ、ここ七階だぞ!?」

「流石僕が見込んだだけある。死ぬのが怖くないのかい、彼女は!」



興奮気味にそう叫び、ジェームズまで手すりに手をかける。待て待て待て、俺は慌てて引き留める。



「馬鹿野郎!! 何してんだ!!」

「放せよ馬鹿犬!! ここで根性を見せなきゃ、一生彼女に相手してもらえないだろう!!」

「男気見せる相手はあいつじゃねえだろ!?」

「──ああ、俺もそう思うよ、シリウス」



その瞬間、柔らかな声が聞こえたと思ったらジェームズの動きが不自然にぴたりと止まる。全身金縛り呪文だ。動けぬジェームズに反対呪文を掛けながら振り返ると、スリザリンのネクタイが見えて一瞬身構えるも、そのツラを見て杖を下ろす。眩い金の髪は、いつ見てもそのネクタイと柔和な顔とミスマッチだと思う。

──エリック[・・・・]・オショーネシーはいつものように、後ろで手を組んで俺たちの元へとやってくる。



「おいおい、君までなんだい、エリック!」

「こちらのセリフだよ、ジェームズ。七階から飛び降りるだなんて危険な事、他寮生とはいえ監督生である俺が見逃せるはずないだろう?」



そう告げる男は、まさに監督生の鑑なのだろう。だが、エリック・オショーネシーがそんな生易しい男じゃないのは、少なくとも俺たちは知っている。何が目的だ、とジェームズと二人で相手の出方を疑う。

──エリック・オショーネシー。スリザリン唯一の良心、なんて言われる人格者。七年生にして主席に選ばれた監督生は生徒からも教師からも信頼が厚い。純血主義のさばるスリザリンで唯一差別をしない、とまで言われる男で、穏健派。スラッギーじいさんのお気に入りになる程度には優秀と聞いている。確かにこいつは、あの連中に比べるまでもないほどまともな男だ。とはいえ、真っ当にいい奴かと聞かれると、素直に頷きがたい腹の底の見えなさがある訳で。



「じゃあミス・グレンジャーのことも止めてくれよ!!」

「ミス・グレンジャー?」



そう言って首を傾げるエリックのふてぶてしい顔を見て、奇妙な不信感が募る。たまたま、さっきのやりとりが見えてなかったのか。それにしては出てくるタイミングがあまりに良すぎる。飛び降りようとするジェームズに、理由も聞かずに全身金縛り呪文をかける何て、普通するか?

まるで──まるで、そう。



「まるでミス・グレンジャーを助けたみたいだね、スリザリンの貴公子殿」

「彼女の興味があるのは君だけじゃないんだよ、ジェームズ」



にっこりと柔和な笑みを浮かべて、そんなことをのたまうエリック。意外だ、こいつには目に入れても痛くないと豪語する──悪趣味極まりない──恋人がいたはずだが、ついに別れたのか。



「やだな、シリウス。俺がルタニを手放すわけないだろう」

「……そりゃ、残念なことだ」



エリックは何故スリザリンに組み分けされたのか分からないほど、まともな奴だった。この、女の趣味さえなければ、だ。

ルタニ・レストレンジ──名を思い出すだけで吐き気が込み上げる。あの家にどっぷり染まった、元婚約者様の澄まし顔を可愛い天使だ愛してると、所構わず愛でるエリックは『やっぱスリザリンに行くだけはある』、と俺たちを納得させたほどだった。ただ、そんな奴がアシュリーに何の用なのか。訝しむ俺とジェームズに、エリックはただ張り付けたような笑みをキープするだけだった。



「ミス・グレンジャーは──そうだな、うん、ちょっと頼みたいことがあってね。これは彼女を守るためでもあり、俺のためでもあるんだ」

「「……?」」



まるで意図が読めない。ジェームズを手玉に取るような女に、エリックの守りが必要とは思えない。だが、手の内を俺たちに明かすつもりはないらしく、踵を返す。



「君たちには関係ないんだ。ただ、あまり危ないことするようでは、俺も黙ってはおけないからね。ほどほどにするように」



そう言って、減点するでも罰則を与えるでもなく、エリックは静かに去っていく。相変わらず、何考えてんのか分からない奴だ。そんな背中を見ながら、ジェームズは頭の後ろで手を組む。



「妙な連中にモテるねえ、彼女は」



全くだ。あと、自覚があったとは驚きだ、友よ。


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