31.5

そして一時間半もする頃には、この教室に居る奴の鍋からはありとあらゆる魔法薬が煎じられていた。色とりどりの湯気が立っており、フィリバスターの花火を一セット爆発させた跡地によく似ていた。けれど、それぞれの鍋からは薬品が煮え立つ音と、時折隙間風が吹き込むだけで、張り詰めた空気が広がっているような気がした。こんなに静かな魔法薬の授業は初めてだ。いつもは誰かが必ず魔法薬を爆発させる、そうでなければ鍋を真鍮の塊にしては、異臭イ異音の大騒ぎになるからだ。リーマスもピーターも特別成績が悪いわけではなかったが、魔法薬はあまり得意じゃなかったし。

何にしても、フェリックス・フェリシスを手に入れる為だ。俺もできる限りの知識を総動員した。お題はじいさんを『あっと驚かせる』魔法薬だ。何分ライバルは多い、奇を衒い過ぎても個性に埋もれると判断した俺は、静かに薬を煎じ続けた。そうしてOWLよりも集中して鍋をかけ混ぜた結果、目の前の鍋には透明な液体がふつふつと沸騰していた。成功だ。間違いなく、俺の目論見通りの『魔法薬』ができた。ちらりと横目で見たジェームズの鍋はいやに色の濃いライラック色の水薬だった。どう見ても『生ける屍の水薬』にしか見えない。OWLでも散々こいつの調合方法を記述させられたほどだ、すぐに分かった。だが、教科書に載ってるようなものを、そのままこいつが調合したとは思い難い。現に、正しく調合したこの水薬は薄いライラック色になるはずだ、こんな色濃くはならない。



『何のつもりだ? まさか、勝負捨てたんじゃないだろうな』

『まさか、発表会のお楽しみさ。君こそ随分静かな作業だったみたいだけど、何煎じてるんだい?』

『少なくとも、じいさんを驚かせるには十分なブツにはなったぜ』

『ふうん。悪いけど、景品を山分けする気はないよ』

『奇遇だな、俺もだ』



そう言って互いにニヤリと笑う。何か仕掛けがあるようだが、今のところは分からない。じいさんの評価待ちか。ポッター家は歴史に名を遺すほどの魔法薬を発明してきた、当然ジェームズだってその血を色濃く受け継いでる。だが俺だって事魔法物質においてはジェームズにだって負けてねえ。錬金術──昨年のホムンクルス創りのため、俺はありとあらゆる物質を頭に叩き込まされた。地獄のような暗記テストには俺でさえ吐き気を催したが、決して無駄じゃなかった。こうして知識として活かせるようになった。その点だけでもフラメルには感謝だ。

そうしてじいさんは一人一人の鍋を回って名も無き魔法薬たちの評価を下し始めた。創造性のない奴は教科書通りの魔法薬をなんとかアレンジしようとして、ものの見事に失敗していた。ただ、そんな創造性が備わっている者は、その限りではない。



『ほっほう! セブルス、これは《真実薬》ではないかね?』



無色無臭の水薬を掬い上げながら、スラッギーじいさんはフェリックス・フェリシスの獲得候補者を褒め称えた。いつも本に額の油がべたつくほど読み込んでるだけあって、あいつの──スネイプの魔法薬への陶酔ぶりは異常だ。だがじいさんが目をかけるだけはある、スニベルスは腹立たしいほど活き活きとした口ぶりで語る。



『はい。《真実薬》とほぼ同等の効果を発揮します』

『だが《真実薬》の調合には一か月要するはずだ。なるほど……このとろみ……蝙蝠の脾臓に月長石の粉を加えたね? 更に……おお、ジョバーノールの羽根をイラクサ酒に漬けたか!』

『このひと手間により、二週間分の熟成時間を短縮させます。真実を詳らかにするためにはゴブレット一杯分飲み干す必要がありますが、《真実薬》と違いわずか一時間で煎じられる』

『あくまで疑似的な《真実薬》というわけだな、素晴らしい!』



じいさんはウキウキした顔でスニベルスを高く評価する。ふーん、一時間で疑似《真実薬》か、まあまあ凝ったことしてんじゃねえか、泣きみそのくせに。よっぽどフェリックス・フェリシスが欲しいんだろうか。だが、その程度じゃ俺たちには敵わない。ほくそ笑みながら、じいさんがエヴァンズの鍋を覗き込むのをちらりと見やる。



『ほう、ほう、ほう……これはまた何とも素晴らしい! 陶酔薬か、しかしこの香りは──ほう、ハッカの葉を入れたのかね?』

『はい。ハッカは陶酔薬の副作用を相殺する効果が見込めると思いました』

『何たる閃きだろう、リリー! 一体どこからそんなことを思いつくのやら……君は天才だ! 才能に生まれなどない、君はそれを体現しているに違いない!』



絶賛するじいさんの言葉を聞きながら、うんうんとしたり顔で頷くジェームズ。お前は何目線なんだ。呆れて閉口していると、スラッギーじいさんはジェームズのところへとやってくる。期待に胸膨らませたような顔をしている。



『さて、さて。フェリックス・フェリシスを前に、君たち程の才能がどれほど発揮されたか、拝見しよう──んん、これは……』



じいさんは重たげな腰をかがめて水薬の匂いを手で煽る。ただの『生ける屍の水薬』と分かって、がっかりした様子だ。だが、その顔を見るや否や、ジェームズは後ろから何か取り出した。銀製の匙だ。匙には何か色々こんもりと盛られている。



『そう、僕の作品は『生ける屍の水薬』です。だけど、これが完成じゃない』



そう言いながら、匙に乗せられた何かをさらさらと鍋に注ぐ。それを俺たちもじいさんも不思議な気分で見つめる。

効果はすぐに現れた。ジェームズの前にある鍋はまるで業火にでもかけられているかのように、ぼこぼこと泡を吹きあげながら沸騰し始めた。鍋から零れそうなほど沸騰したかと思うと、すぐに泡がシュウシュウと音を立てて消えていく。そうしてジェームズは鍋に手を突っ込んで、中から明るいライラック色した何かを引っ張り出す。小指ぐらいのサイズの塊だ。



『本で読みました。マグルの薬は粉や錠剤が一般的だと。確かに魔法薬の効果は高い。けれど、『長期保存』と『持ち運び』という観点において、マグルの技術には一歩及びません』

『なんと、なんと……! 信じられん、君は『生ける屍の水薬』を錠剤にしてしまったのかね?』

『はい、今入れたのはブボチューバーの膿を干ばつ呪文で乾燥させたものです。催眠豆の汁を通常より七適多く入れ、ひたすら反時計回りで撹拌させることで、より凝縮しやすくなるんです』



じいさんは信じられないとばかりにジェームズの手にある錠剤を見つめている。『長期保存』と『持ち運び』──か。魔法のないマグルで生活したからこそ、マグルの科学が手軽さに発展した理由が分かる。何故なら魔法使いにそんなものは必要ない。魔法薬は瓶で保存して、空間拡大魔法でもかけた鞄に押し込んでおけばいいからだ。なるほど、純粋な魔法使いにはできない発想だ。

じいさんも、これには目を輝かせながら興奮している。



『なんと恐ろしき才能よ……天才・フリーモント・ポッターの血は間違いなく君の中に生きている! いやはや……これが十六歳の学生だと言うのだから末恐ろしい……!』



ジェームズは得意げに髪をくしゃくしゃにしてみせた。そうすることで、キャアと女生徒が陶酔薬でも飲んだかのような声を上げるからだ。残念ながら、エヴァンズには通じないらしく、親の仇のような顔でジェームズを睨んでいるが。



『いやはや、この中から勝者から選ばなければならないのかと思うと、眩暈がするというものだ。さあさあ、ブラック家の革命児は何を見せてくれるのかね?』



にこにこと人の好さそうな笑みを浮かべてじいさんがやってくる。俺の鍋の水薬を掬って、それから不思議そうに首を傾げた。種明かしは、口で言わなきゃ伝わらないだろう。



『俺はこの鍋にここにある素材を全部ぶちこんだ』

『──全部、とな』



そう言って、じいさんは目を丸くして俺の散らかったテーブルに目を落とす。ニガヨモギ、トリカブト、クサカゲロウ、角ヒキガエルのはらわた、満月草の根、ホルマリン漬けにされた蛙の脳みそ、ケルピーのたてがみ、ワラジムシの目、レモンの皮、それから、劇物でお馴染みのストリーラーの粘液。除草剤に打ってつけで、一晩で庭を覆いつくすほど繁殖力のあるホークランプですら完全に殺し尽す猛毒だ。で、これを入れて何を作ったかといえば──。



『水。正確には、塩と水か』

『なんと──まさか、たったこれだけで、ストリーラーの粘液の毒性を中和[・・]したのかね?』



そういうこと。じいさんの問いに頷くと、スラッギーじいさんはしてやられた、とばかりにそのでっぷりとした手を大きく叩いてみせた。



『なるほど、確かにお題は『あっと驚く魔法薬』──そうとも、結果としてただの水と塩であっても、これが魔法薬でなくてなんという! 流石、数十年ぶりの錬金術受講者だ! かのニコラス・フラメル氏の愛弟子の発想には脱帽せざるを得ない!』



じいさんは決して『結果』だけにはこだわらない。だが、魅せ方は『過程』にだって十分にある。正直なところ、発想力において俺はジェームズには敵わないと知ってる。同じ舞台でやり合っても勝てないなら、アプローチを変えるだけだ。隣のジェームズは『やるなあ』と感心したように呟いて、途端にいい気分になってぐるりと教室を見やる。女子は俺と目が合うと目を逸らしたり、手を振ったり、意味ありげな目配せをしてくる。その中で、やはりアシュリー・グレンジャーはこちらに一瞥もくれず、頬杖をついてまま鍋を突いて遊んでるように見える。まるであいつの周りだけ空間が切り取られたかのように静かだ。

そんな俺の視線に気付いたのか、機嫌良さそうなスラッギーじいさんはアシュリーの方へと向かっていく。



『さーて、さて……最後に異例の編入生のお手並みを拝見しよう』



そうしてじいさんは教室の後ろのドアに近い席に座しているアシュリーの鍋を覗き込む。その様子に誰もが振り返る。ジェームズ・ポッターを圧倒した魔女が煎じた『あっと驚く魔法薬』はどんなものなのか、と。



『……』



誰もが注目する中でアシュリーはゆっくりと立ち上がると、水薬を大きめの瓶に移し替え始めた。水薬は無色透明で、一見ただの水だった。けど、水薬には奇妙な光沢があり、きらきら光って見える。匂いはしない。遠目だと、何の魔法薬か見当もつかない。何が起こるのかと、全員が水薬がたっぷりと注がれた瓶を見つめる。そんな中で、アシュリーはおもむろに自分の髪の毛を一本引き抜くと、水薬の中にすっと落とした。

変化は、唐突だった。髪の毛はしゅわしゅわと泡を立てながら溶けていったかと思うと、ポンッ、と軽い音を立てて様々な『映像』を見せ始めた。時には満開のピンク色の花、青空に溶けて消えそうな儚い花吹雪。時には花火、夜空に浮かんでは消える夜の大輪。時には紅葉、赤や黄色などの鮮やかな落ち葉が続く美しい路。時には雪、触れれば消えそうな柔らかな雪がしんしんと積もる静かな景色。そんな綺麗で、美しくて、儚く消えていきそうな景色が、瓶の中で代わる代わる見せていく──。



『これは、一体……?』

『……人ノ記憶ヲ読ミ、『美シイ物』ヲ見セル水薬、デス』



確かに──神秘的な光景だった。とはいえ、別段それは驚くようなものでもない。記憶を再現させる魔法機具はいくらでもあるし、わざわざ魔法薬を煎じるまでもない。スラッギーじいさんも同じ考えだったのか、やや物足りなさそうな顔だった。



『それだけ、かね?』

『──ハイ。タダ、美シイ、ダケ』



けれどアシュリーは、それだけで十分とばかりに緩やかに微笑んだ。じっと瓶の中を見つめるその眼差しは、この一か月半見た事が無いほど穏やかだった。美しいものを見る時、こいつでもこんな顔をするのだと、驚いたのは確かだ。けれど、それまで。アシュリー・グレンジャーは少なくとも魔法薬については『天才』には及ばないのだと、誰もが判断したのだろう。

結局じいさんは散々悩んだ挙句、フェリックス・フェリシスは俺の手に渡した。唯一『結果』ではなく『過程』に力を入れた俺が一歩リードした、ということらしい。こいつは僥倖だった。精々大事に扱うとしよう。周りからの嫉妬や嫌味も、全く気にならなかった。ジェームズを出し抜いて手に入れた景品を手に、俺は密かにガッツポーズをしたのだった。

──で?



「……話が長いよ。結局何が言いたいんだい?」



痺れを切らしたように、リーマスが辛辣に語る。長々語る回想がようやく終わったかと、俺は肩を落とす。ジェームズはそれを受けて驚いたようにオーバーに目を丸くしてみせるもんだから、こっちの苛立ちは更に高まっていく。



「何がって、もう答えは出ているじゃないか」

「答えって何が? 話している最中に忘れちゃったのかい。僕らは、君がミス・グレンジャーが、その、純血主義者みたいな魔女じゃないかって──」

「だから、それはありえない[・・・・・]んだ」



ジェームズは驚くぐらい冷静にぴしゃりと言ってみせた。あまりに強い語勢に、リーマスも俺も目を瞠ったし、ピーターに至ってはトースト齧ったまま飛び上がったほどだ。そんな俺たちを前に、ジェームズはへらりと笑う。



「ただ美しいだけの──言ってしまえば『無駄なもの』を、彼女は煎じたんだよ」

「だからそれの何が──」

「無駄を愛するのはマグルの性[・・・・・]だ。彼女は絶対に、純血主義者なんかじゃない」



それは、信じられないほど馬鹿馬鹿しくて、けれどこれ以上ないほど的を射た発言だった。マグルの娯楽文化は魔法界のそれを圧倒する。ファッションも、音楽も、食事も、芸術も、遊びに至るまで魔法界に流行遅れで流れ込んでくる。その数の多さからか、それとも非魔法族故に発想力に優れているのか、マグルは生きる上で無駄なことを好む傾向がある。だが、魔法族はそうじゃない。あんな風に文明を消費しない。寧ろ新しいものを忌み嫌い、普遍的で古臭いものを語り継いでいく。だから。



「エリックと同じだ、彼女は他のスリザリンの連中とは違う。だから分かるのさ。僕を圧倒する彼女の力は、この闇の時代を打破するために必要なんだって!」



そう言って、ジェームズは忍びの地図を引っ張り出して、「変身術の教室!」と叫ぶや否やソーセージを頬張ったまま大広間を飛び出していった。恐らくあいつのところへ張り込みに行ったんだろう、ご苦労なことだ。

しかしまあ、あいつの正体を知ってる俺はともかく、そんな形で味方認定するジェームズの観察眼には驚かされる。つくづく厄介な奴に目を付けられたと思わざるを得ない。ただ、楽観視はできない。あいつを突いたら、下手したら錬金術のことまでバレかねない。そうなればフラメルにジェームズの記憶を吹っ飛ばされてしまう。そうならないように、俺からもフォロー入れてやらねえと。



「ったく、面倒なことになりやがった」



俺の呟きに、全くだとばかりにリーマスもピーターも頷いた。そういう意味じゃないんだが、それを正直に言えないのも辛いところだ。それもこれもあいつ──アシュリー・グレンジャーの所為だ。ったく、どこに居ても何をしててもいけ好かない女だ。

──けど、あの美しいものを見る目だけは、妙に記憶に残ったのも確かだった。


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