28.5

──って、わざわざ忠告してやったのによ!



「(あの馬鹿、今日に限って遅刻かよ……ッ!!)」



新学期三日目、闇の魔術に対する防衛術の授業を開始するチャイムがつい数分前に鳴り響いたばかり。教壇には薄ら寒い笑みを浮かべたマクシミリアン・オールダムが出席確認をしている。あんなおぞましい魔法使いが、教師然とした面を晒しているのは気に食わない。それもこれも、人の忠告を無視したあいつのせいだ。せっかく人が親切心で警告してやってってのによ!

イライラしたように足で机を揺らすと、「行儀が悪い」とリーマスに尻を抓られた。



「シリウス」

「……分かってる」



当然、リーマスだってあの野郎を好き好んでいる訳がない。ただ肌の色が違うだけで『差別』を当たり前のように良しとするような連中は、リーマスがこの世で一番嫌悪してる人種だ。しかし、だからといって授業態度を悪くするな、と言いたいらしい。全く、これだから優等生は。

なんて思いながら、マグルの『執事』みたいな格好をしたオールダムを睥睨していると、ドアの向こうから凄まじい足音が響いてきた。その足音に誰もがドアの方を向くのと、ドアが蹴破られんばかりの勢いで開いて、珍しく慌てた様子のアシュリー・グレンジャーが飛び込んできたのは同時だった。



「スミマセン! 教室、分カラズ、迷ッテシマイマシタ!」

「遅いですよ。スリザリン、三十点減点」



授業に遅刻──しかもたかだか数分──おまけに相手はホグワーツに来たばかりの編入生──で三十点も減点なんて聞いた事が無い。俺たちが六階の男子トイレを吹き飛ばした時だって二十点しか減点されなかったのに。まあ、あの時は一人二十点だったが。



「てんめ──どこが改心だッ!!」



何にしても、不当な減点であることに変わりはない。アシュリーの言い分が本当かどうかは定かじゃない。あいつは今までただの一度も授業に遅刻したことがないのだ。教室の場所を教えてくれる友人なんていやしないのに、である。だからこそ、そんな状況下の編入生に対する罰としちゃ、あまりにも重すぎる。

やはり何一つ変わってなんかいないクソヤロウに、俺は怒りのまま立ち上がる。あいつを庇うつもりはない。ただ、目の前の男が改心などしていない事実に腹が立っただけだ。だが、奴は顔色一つ変えずに穏やかに微笑むだけ。



「お座りなさい、ミスター・ブラック。どんな相手であれ、神聖なる授業に遅刻するなど教師として見過ごすことはできません」

「どんな相手であれ!? 彼女は編入生ですよ、まだ新学期始まったばかり、城で迷って当然じゃないですか!!」

「君まで何ですか、ミスター・ルーピン。道が分からなければ訊ねればよろしいでしょう。友人に聞くなり、ゴーストに聞くなり、彼女が我が国の言葉を介しているのなら、それはさほど難しいことではないはずですが?」



流石のリーマスもこれには声を荒げて苦言を呈す。だが、オールダムは全く意に介さず、いかにも正論らしい言葉を振りかざす。一見正論かもしれない。だが、遅刻したのが俺たちならそんなことをは絶対に言わない。こいつは──こういう奴なのだ。それが分かってるから、なおのこと腹が立つ。自分たちは生まれから優れているのだから、他人を虐げても許されると思っている連中なのだ。あの、おぞましい純血主義者と一緒だ。

だがオールダムは憤る俺たちを無視して、ドアの前で立ち尽くしているあいつを一瞥する。



「グレンジャー、お座りなさい。それとも、この程度の会話も儘なりませんか?」



物腰柔らかな言葉の中に、明確な悪意がこれでもかと混ぜ込まれている。どんなに鈍い奴でも、今の嫌味が理解できないはずもない。今や教室中の誰もがアシュリー・グレンジャーを見ている。親友と同じような眼鏡したその女は、少なくとも怒ってる様子はない。どちらかといえば、虚を突かれたようなそんな雰囲気だ。だが、アシュリーは怒るでもなく悲しむでもなく、さっと一礼するだけだった。



「問題、アリマセン。遅レテ、スミマセンデシタ」

「──結構」



オールダムの嫌味は不発に終わる。言葉を理解できないわけないのは、俺が一番よく知ってる。ただ、真っ向から喧嘩売られたら殴りかかるような血の気の多い女だと思っていたが、案外冷静な一面もあるらしい。

そんなあいつの横顔を見て、俺たちも毒気が抜かれたように腰を下ろした。顔色一つ変えずに席について教科書や羽根ペンを用意するアシュリーに鼻を鳴らし、オールダムは再び人の好さそうな笑顔を浮かべて自己紹介なんぞを始める。



「さて、生徒が揃ったところで久方ぶりの自己紹介でも。私の名前はマクシミリアン・オールダム。私が教師で君たちが生徒でなければ、気兼ねなく『マックス』と呼んでほしいところですが、それは一年後の楽しみにとっておきましょう」



茶目っ気たっぷりに語られる口上。反吐が出るのによくやるもんだと、逆に感心する。この学年は誰もがこいつの裏の顔を知っている──もし知らないような鈍感野郎でも、今のやり取りを見れば理解したはずだ──。柔和な仮面の下にとんでもなく醜い怪物を飼っているのだと知っていながら、親しげに名前を呼ぶなんて真似、スリザリン生でもしないだろう。



「さて、君たちは今、六年生でしたね。懐かしいものです、君たち相手に教鞭を取ってもう四年が経つとは。ええ、ええ。昨日のことのように覚えていますとも。君たちは特に優秀な学年だった。ジェームズ・ポッター、シリウス・ブラック、リーマス・ルーピン、リリー・エヴァンズ、アリス・グリーングラス、セブルス・スネイプ──」



名前を呼ばれても嬉しくもなんともない。こいつのお気に入りになるぐらいなら、俺たちはスラッギーじいさんと毎日ワルツ踊ってやる。顔を顰めたのは俺たちだけじゃない。いい子ちゃんのエヴァンズやグリーングラス、あのスニベルスでさえ顔を背けるのだから、こいつがどんだけ嫌われてるかが分かる。純血主義から見ても白人主義は分かり合えないらしい。



「ああ、君たちほどの才能を我が手で育めなかったことを悔いなかった日は一日もありませんよ。四年前、ちょっとした、ほんのちょっとしたトラブルがあったせいで私は──」

「よく言うぜ。《闇祓い》からもホグワーツからも追い出されたくせによ」

「友よ、情報は正確でなければ。正しくは僕らが追いだした──そうだろう?」



いい加減、その薄ら寒い口上は聞き飽きた。俺とジェームズでより正しい情報を思い出させてやる。

最初は誰もが信じなかった。あの品行方正で英国紳士を体現したようなマクシミリアン・オールダムが人種差別だなんて、と、マクゴナガル先生でさえ奴の正体を知った俺たちをまともに相手にしなかった。俺たちに有色人種差別がバレてからは露骨な直接指導を行わなくなったあいつの犯行現場を押さえるのは本当に大変だった。まあ、この事件をきっかけに『特定の人間が今どこに居るのか分かれば楽だ』という発想から、当初ホグワーツ中の抜け穴や隠し通路をかき込むだけだった忍びの地図に城内に居る生命体全ての位置情報を表示させる機能が追加することになったのだが。

何にしても、オールダムを始めとする連中の『差別意識』は使命感や義務感から生じるものじゃない。息をするように、それが当たり前と言わんばかりに、鬱陶しい羽虫をぱちんと潰すかのような感覚で行われる。我慢しようと思ってできるものじゃないと俺たちは読み、根気よく奴を見張った。そうしてようやく現場を押さえ、投影魔法やら拡声魔法やら駆使して奴が楽しそうにチャイニーズをいたぶってる様を、大広間で上映してやった。それから奴が荷物をまとめてホグワーツから叩き出されるまで、三日とかからなかった。ホグワーツの教師が、しかも元《闇祓い》による生徒虐待は当時大スキャンダルになって、日夜日刊予言者新聞を賑わせた。そこで俺たちは奴が《闇祓い》を辞職した理由も、部下への差別的態度が問題になり任務に支障が出たからだと知った。こんなこと、俺たちの世代は全員が知ってるような、常識だ。

だが、あくまでオールダムは教師面のまま後ろで腕を組む。



「その表現はあまり適切ではないですよ、悪戯っ子たち。私は自らの意志でダンブルドア先生に辞表を提出しました。《闇祓い》の職においてもまた同様。様々な噂が立ったのは認めましょう。しかし、そのどれもが正確ではありません。それは授業を受けた君たちが、何よりも証明してくださるはずだ」

「何言ってんだ! お前があの中国人に何をしたか──」



その先の言葉は、かき消されたように無くなった。喉から声が出ない。黙らせ呪文だ。しかも、呪文一つなく、だ。こいつの厄介なところは、この人種差別さえなければ本当に優秀な教師であるという点だ。『闇の魔術に対する防衛術の教職は呪われていて、一年に一度教師が変わる』という謎のジンクスがある。なので俺たちはこの六年間色んな教師を見てきた。ほとんどが現役か退役した《闇祓い》だったが、それほどのエリートでも人に教えるのが上手いかは全くの別問題だった。その点、オールダムは教えだけは上手かった。白人相手には間違いなく熱心かつ真剣に防衛術を教え込んでおり、授業だけで言えば、間違いなくこの五年で一番の教師だったといえる。

そうしてオールダムは何事もなかったかのように無言呪文の授業を始める。教科書を開くよう言い、生徒を指名し、無言呪文の何たるかを語らせる。まるで良い教師のように、だ。その光景が我慢ならず、俺は杖を抜いて反対呪文を唱えると再び立ち上がる。



「っ、待てよ!! どのツラ下げて授業してんだテメェ!! そもそも、お前は正規の教員じゃねえんだろ!! じゃなきゃ新学期でテメェの腐ったツラを拝んでたはずだ!! まさか、教職欲しさにそいつに何か──」

「彼女は、死にました」



俺の声を遮る、たった一つの静かな、それでいて怒りを込められた言葉に黙らせ呪文を食らったわけでもないのに俺は気圧されて黙った。奴は、まるでそれを酷く悔やんでいるかのように語り出す。

ほんの数日前まで、闇の魔術に対する防衛術の教師は若く優秀な女だったという。オールダムは教師でも何でもなかった。だが、その数日前に事は起こったのだと言う。それは、教師になる前に女が最後に就いた任務。魔法界に『純血こそが正義』という馬鹿げた理想を掲げるような連中と激しい攻防戦があった。

そしてその女教師になるはずだった《闇祓い》が、殉職[・・]したのだと。



「……君たちが私をどのように思おうが、構いません。ですが、君たちには身を護る術が必要なのです。ダンブルドア校長の庇護がなければ、外の世界は腕利きの《闇祓い》ですら命を落とします。おかげで、闇の魔術に対する防衛術の教師に相応しい魔法使いは、非常に少ない」

「……っ」

「多少のトラブルがあったことは認めましょう。ですが、それを承知でダンブルドア校長は私に希ったのです。『彼女の代わりに、今一度ホグワーツで教鞭を取ってくれないか』と」



そうだ──こいつの恐ろしいところは、本当に『人種差別』だけなのだ。ただ魔法族の血を引いていないから生きる価値は無いのだといたぶる連中に対して、心底怒りを抱き、憎んですらいる。自らの部下を殺され、奴は本気で怒っている。そして俺たちがそうならないよう、学んで欲しいと心から願っている。



「神に誓いますとも。私はただ、君たちを守りたいだけなのです。私の教えた防衛術や逆呪いは必ず君たちの役に立ちます。私が憎ければそれでもよろしい。ですが、先人たちが遺した『遺産』に罪はありません。一つでも多くの財産を、君たちが持ち帰れるよう祈っています」



嘘偽りない、教師の鑑のような言葉。だからこそ、俺たちはこいつだって恐ろしいのだ。俺たちにして見りゃ、純血主義も白人主義も何ら変わらない、理解不能なおぞましい理念だ。人を生まれだけで判別する、頭のおかしい人種。なのにこいつは自分の主義をまるで念頭に無いように、純血主義を悪だと思考するのだ。その考え方──とでもいうのか。交われるようで、決して交われない。同じ魔法使いの中に、とんでもない化け物が我が物顔で潜んでるような感覚。人狼やら吸血鬼なんかより、何ならそこらの純血主義者よりも歪んだ怪物だ。だから、まともな奴は誰もが本能でこいつを拒絶する。



「さあ、『顔のない顔に対面する』の二十一ページを御覧なさい。無言呪文について大変分かりやすくまとめてあります。十分でお読みなさい。その後、二人一組になって練習してみましょう。無言呪文は大変高度な魔法ではありますが、これが使えるかどうかで生存率は大きく変わりますからね」



だが、教育が必要だというこいつの言葉には一理ある。だから誰もが目の前の化け物の言うことを、仕方なく聞くのだ。学校から一歩出りゃ、我が物顔で人殺しを正当化するような連中が山ほどいるのだから。


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