27.5

新学期が始まって二日。少なくとも、俺の周りは平和だ。新入生たちに我らが悪名を轟かせるために早速夜更かしをしたところで、日常生活に支障はない。ただ一つ懸念点があるとしたら、俺の親友は珍しくエヴァンズ以外の女に首ったけで、中々計画が進行しないということだ。



「おっかしいな、朝食時ぐらい居ると思ったんだけど……」



そう言いながら大広間でキョロキョロと見回すジェームズ。お目当ての女は最初の挨拶と授業中以外ろくな目撃情報が上がらないからだ。悔しそうな顔でソーセージを齧る親友に、俺は溜息交じりで助言を告げる。



「親友、いいことを教えてやろう」

「なんだい。エヴァンズからの伝言なら喜んで」

「──お探しの女は、肉眼じゃ見つからねぇ」



そう言いながら俺はベーコンに噛み付く。久々のホグワーツの朝食だが、やはり味気がないというか、なんというか。そんな奇妙なモヤモヤを抱えながら腹を満たしていくと、ジェームズが訝しげな目をこちらに向けてくる。



「なんでそんなことが分かるんだい? 君たち、やっぱり知り合いだったのかい?」

「……んなわけねーだろ。あいつ、気配殺しのルーンを使ってんだよ」

「「「気配殺しのルーン?」」」



ジェームズだけでなく、横で寝惚けた顔したリーマスとかぼちゃジュースを飲んでいたピーターまでもが振り返った。全員がなんだそれ、って顔をしている。



「要は人避けの呪文みたいなモンだよ。あいつは自分の身体にルーンを刻んでる。だから、人目についても『気付かない』」

「オーケーオーケー。かのチャイニーズが才女っていうのは、どうやら嘘じゃないらしい」

「待ってくれ、シリウス。どうして君はそんなこと知ってるの?」

「昨日の呪文学の授業で手首に羽根ペン突き立ててりゃ、誰だって目につくだろ」



ホグワーツの地理が分からない──という体で振る舞っているだけだろうが──あいつは誰よりも遅く、それこそチャイムが鳴るギリギリの時間帯に教室に滑り込んできていた。だからあいつに近付きたがるジェームズやエヴァンズがあいつの近くに座れずに悔しそうに顔を歪めていた。どんな形でもお近づきになりたいらしい。

そんな気配を悟ったのか、あいつは授業終わりに左手の手首に見覚えのある文字をいくつか刻んでいたのだ。そうしてチャイムが鳴ったの同時に教室から飛び出していく『人影』を見たのだ。あのルーンを刻むと、人を人と視認できなくなる。未来の婆さんにどんだけ叩き込まれたかは知らないが、確かにオツムだけではないようだ。

そんな俺の解説に、ジェームズはしたり顔で頷いた。



「なーるほど、これは早々に『地図』の出番かもしれないね」

「お前なあ、エヴァンズだけじゃなく、あの編入生までストーカーする気かよ」

「失礼な! 異国でスリザリンなんかに組み分けされた、哀れで不安なミス・グレンジャーを助けたいだけさ!」

「助けを求めてる奴は気配殺しのルーンなんか使わねえだろ」

「けど、教室が分からなくて困ったりするんじゃない?」

「そうだよ。僕らだって一年生の頃は遅刻ばっかりだったじゃないか!」

「どうせスリザリンに組み分けられるような奴だぜ。手を貸す価値ねえだろ」



どうにも、ジェームズだけじゃなくリーマスやピーターまでも編入生にお熱らしい。リーマスは分かる。どうせ教師陣から監督生として世話を任されてるんだろう。スリザリンの監督生がマグル生まれを公言したアイツの面倒を見るはずないからな。ピーターお前はなんなんだよ。ただの興味本位か?

だが、ジェームズは分かってないなとばかりに首を振る。



「そうかい? エリックや君の従姉妹みたいに、話の通じるまともな魔女かもしれないじゃないか。異端児はどこにだって生まれるものだよ、君みたいね」

「アンドロメダはともかく、エリックがまともとは言えねえだろ」

「まあ、女の子を見る目には難があるかもしれないが、人には欠点の一つや二つはあるものだろう? 君みたいにね」

「シリウスの場合、一つや二つじゃ足りないだろうけど」

「どうした、ムーニー。今日は随分寝起きがいいな」

「ミス・グレンジャーに興味があるのは、ジェームズだけじゃないってことさ」

「どいつもこいつも、悪趣味な奴らだな……」



とはいえ、あいつにとってはあまり喜ばしい出来事ではないだろう。人目につかないように気配殺しのルーンを駆使して城中駆けずり回ってるのが、かえって仇になったらしい。ただ、この調子でこいつらがアシュリーに付きまとうと、こいつらの身──もしくは記憶の安全が保障できない。あいつには逃げるよう伝えておこう。あいつのためじゃない、こいつらを守るためだ。全く、どいつもこいつも手がかかって仕方がない。

そんなことを言いながら飯を平らげ、立ち上がる。そして何気なく教師陣の席を見上げて──久々に息が止まった。



「──嘘だろ、おい」

「なんだい、『例のあの人』でも見たような顔して」

「その方がまだマシだ。見ろ!」



もう一度座り込んでこいつらと額を突き合わせる。いつもの教員席の景色が広がってると思ったんだ。広がってるはずだったんだ。俺たちの様子に気付いた生徒たちが次々に教員席を見上げて息を呑んだ。ああ、全く。本当に運が悪い。まあでも、あいつが此処に居たって状況は分かるはずもない、か。ったく、どいつもこいつもよお!!

教員席にいたのは、一昨日の時点では見かけなかった男の姿。背の低い、長い茶髪を一つにまとめた白人の中年男。趣味の悪い燕尾服なんぞを着て、いかにも物腰柔らかな紳士です、とばかりの優男を俺たちは──少なくとも五年生以上の生徒は嫌というほど知っている。その紳士然とした仮面の下に、どんなおぞましいものを隠しているか。純血主義者どもとどっちがマシかと言われればイーブン、と百人が百人答えるレベル。

──あれは、マクシミリアン・オールダムだ。



「あのクソ野郎、なんでホグワーツに戻って来てんだ!?」

「聞くまでもないだろう。闇の魔術に対する防衛術の教師が見つからなかったんだ」

「まさかダンブルドア、あいつが改心したとでも思ってんのか?」

「ありえないよ。だったら純血主義者がこんなにものさばるもんか」



信じられない景色だ。なんで今年に限ってこんなに色々起こるんだよ。だが、どう目を凝らしても、視線の先に居るのはクソ野郎の澄ました顔。教師陣も困惑しているのか、誰も話しかけていないところからも、奴の本性が伺える。



「あ、あの、リーマス。あの人、どうしたんですか……?」



そんな上級生たちのざわめきを受け、ちっせえ下級生の一人が不安げにリーマスに話しかけてきた。リーマスはちょっと困ったように微笑んでから、事のあらましを説明する。



「ああ、あの人はマクシミリアン・オールダム。恐らく、闇の魔術に対する防衛術の教師だ」

「そ、それは知っています。あの、僕ら昨日あの人の授業があったんです」

「なるほど。それで?」

「それでって──普通に、優しい人でしたよ。去年の人よりも分かりやすかったし、分からないところは何でも教えてくれましたよ?」

「ああ、そういうことか。じゃあ、君たちの学年は白人[・・]しかいないんだね」

「え、そうですけど──ま、まさか」



下級生がぞっとしたような顔で息を呑む。リーマスはゆっくりと頷いて、おぞましいものを見るような目つきでオールダムを見上げる。



「ああ。マクシミリアン・オールダム──あいつは四年前にホグワーツでDAの教鞭を取っていた、白人至上主義者さ」



──四年前。俺たちはまだ青き二年生だった。闇の魔術に対する防衛術の教師の教師は何らかの『呪い』がかかっているらしく、教師が一年以上続いた試しがないとは聞いていた。そんな中でやってきたのは、元腕利きの《闇祓い》というあのマクシミリアン・オールダム。確かに評判通りではあった。教え方はこの五年間を振り返ってみても一番だったのは間違いない。いつも穏やかで、純血主義者でもない。教師陣の中でも比較的若く、気さくで話しかけやすい男だったのだ──少なくとも、あいつの本性を拝むまでは。

その本性が露わになるまで、さほど時間はかからなかった。上の学年に居たアジア人が、授業のデモンストレーションとしていつもあいつに杖を向けられている──授業の問いに答えられなければ手酷く減点される──レポートの点数を公正につけてもらえない──その手口が露骨じゃなかったこと、主立って行われなかったこと、そしてそのアジア人が知識欲だけでお高く留まってるレイブンクロー生だったことが、あいつの犯行を加速させた。自分の知識不足を悔やんだそいつは誰にも相談せずにひたすら勉強に打ち込んだ。差別されているなんて、思わなかったからだ。ホグワーツには、所謂『有色人種』は少ない。純血主義者があんだけ大手を振っていることが余計に、差別だと気付せなかったんだろう、とジェームズは語っていた。



「(今思い出しても、胸糞悪い!)」



何にしてもそんな卑怯者の犯行が白日の下に晒されたのは、本当に偶然だったのだ。あいつとそのレイブンクロー生が居残り授業と称して体罰にも似た『補習授業』を行っていた空き教室に、たまたま俺たちがフィルチから逃げるために鍵のかかった扉を突破してしまったからだった。いくら補習でも何度も何度も失神呪文をその身に受けたというレイブンクロー生。奴は『授業の補習だ』と言い逃れたが、俺たちの目は誤魔化せない。

そんなわけで親切心から俺たちはあの手この手であいつの本性を全生徒の前でつまびらかにして、学期末になる前にあいつはホグワーツから叩き出された。そんな奴が何故、我が物顔でホグワーツに戻って来てんだ!?



「……まあ、多分ほとんどの生徒はそれに気付かないだろうね。あいつの本性は他の先生方も知っていると思うし、そこまで問題になることはないんじゃないかな。こんなご時世だし、学べることは学んでいいと思うよ」

「わ、分かりました。ありがとう、リーマス!」



そう言って、下級生は慌ただしく足早に立ち去っていく。だが、当然リーマスだってそれがチビを安心させるための方便だと理解している。確かに白人にとっては理想の教師かもしれない。だが、それ以外の連中への態度がたかだか四年で改善するとは思わない。リーマスの言う通り、その程度で改心するようなら純血主義者なんかとっくの昔に撲滅してる。

ジェームズは奴をちらりと見上げながら、ニタリと悪い顔で笑んだ。親の顔よりも見たその表情に、自然と頬が緩む。



「これはまた、正義の鉄槌が必要だな、友よ」

「だね。彼が改心したかは、ミス・グレンジャーが図らずとも証明してくれるだろう」



ニヤリと笑みを浮かべるジェームズ。するとリーマスはあっと息を呑んだ。



「そうだよ、シリウス。今日はルーン語の授業があるんだろう? いくらその何とかってルーンを使っていても、彼女、授業には出てくるはずだよね」

「だったら?」

「ミス・グレンジャーに忠告すべきだ! 奴には気をつけろ、って!」

「で、でも、下手に警戒されたらオールダムが改心したか分からないんじゃないかな……」

「だからって彼女を犠牲にはできない、そうだろう?」

「それは、そうだけど……」



ピーターは叱られた子どものように項垂れる。これに関してはピーターの言う通りだ。あいつはただの魔女じゃない。下手な情報を与えて警戒させ過ぎたら、オールダムが改心したかどうか判断つかなくなる。そりゃ、改心するとは思っちゃいないが、万が一ってこともある。俺たちだって教師相手にあれこれ因縁つけるのは得策とはいえない。相手は罰則や減点の権限があるのだから。腕があるのは確かだし、平和に事が進めばそれに越したことはないのだから。

しばらく考え込んで、俺は頷いた。



「まあ、遅刻すんな、ぐらいは忠告してやるさ」

「シリウス!」

「聞けよ、ムーニー。喋ったこともない相手に『教師に気を付けろ』なんて忠告されて、信じられるか? 俺だったら何か企んでるんじゃねえか、って疑うね」

「それは……まあ、そうかもしれないけど……」



ムーニーは苦い顔で、まだ何か言いたげだ。だが、予鈴が鳴って俺たちは弾けるように立ち上がった。火曜の一限は薬草学だ、遅刻しちまう。この件は終わりだと俺たちは荷物をまとめて立ち上がる。人に忠告する前に遅刻してちゃ世話ないからな。





***





で、薬草学が終わって選択授業。泥まみれの身体を『ごしごし呪文』で何とかしながら俺は占い学を取ったジェームズたちと別れ、一人でルーン語の教室に向かう。教室に入ると既にアシュリーがバブリングの婆さんに絡まれていた。



「お主、どこで我がルーン魔術を得た」

「ワ、ワタシ……本、読ミマシ、タ」

「本ンンン? まさかたったそれだけで得たというのか、我が叡智、半世紀に渡るルーン魔術を、病苦に苛まれたその身一つで、か?」

「ウ、ウ……英語、難シイ、デス……」



そんな下手くそな英語を取り繕いながら、その女は珍しく狼狽えていた。胡散臭い眼鏡の奥の瞳は、これ以上に無いほど困り果てていた。どの口が『英語難しい』だよ、と思いながら教室に入る俺に婆さんはようやくアシュリーを解放した。



「まあ良い。どのような出自であろうと、『候補者』が増えるに越したことはない」

「おいおい婆さん、浮気か?」

「ハッ、貴様が素直にワシの後釜になれば、気を移ろわせることもないのじゃがなあ」

「わりーね婆さん、英語難しいわ」

「減らず口め」



婆さんに睨まれながら、席に着くとちょうどチャイムが鳴った。だが、席に座るのは俺とこいつの二人だけ。

……ありえねえ。去年は十人はいたってのに。何食わぬ顔で出席を取ろうとする婆さんを睨んで立ち上がる。



「おいおい、ルーン語までこいつとマンツーマンかよ!?」

「生憎、OWLでOを取った生徒が他におらぬでな」

「後継者探ししてるくせになんで授業継続のハードル上げてんだよ! せめて合格ラインをEにすりゃもっと──」

「あー聞こえぬ聞こえぬ! あの程度の問題でOも取れぬような若造に、我が叡智を継げるはずもなかろう!」



選べる立場でもねえってのに何を偉そうに。呆れて物も言えない。そうやって贅沢言い続けてるからこうなるんだ。熱心にルーン語を取り続けた生徒たちの中には、俺よりよっぽど『後継者』に相応しいってのによ。まあ、婆さんが後継者を見つけられずに一人寂しく死んだところで、俺には関係のない話だ。せいぜい、盗めるもんだけ盗んでいくさ。

そうして去年と同じようにルーン語の授業がスタートする。婆さんに目を付けられるだけあって、アシュリー・グレンジャーのルーン語学力は相当なものだった。難なく『エギルのサガ』を訳していく涼しげな横顔を見て、悔しいが素直に感心した。こんな小難しい言語を、よくぞまあ英語のように読み上げるもんだ。案外真面目な奴なのかもしれない。



「──ふむ、語学力も悪くない。独学も、強ち間違いではないようじゃ」



婆さんはいい掘り出し物だ、とばかりに目を輝かせている。おーおー、せいぜい可愛がられてくれ。そしたら俺へのウザ絡みも減るかもしれない。チャイムの終わりと共に鼻息荒く教材を片付けて研究室に戻った婆さん。相変わらず身体ガタガタなのに慌ただしい婆さんだ。どこが不治の病にかかってんだよ。

さて、俺は俺の役目を全うするか。正直、こいつに忠告を投げつけたところで聞く耳持つかどうか分かんねえし、そもそもオールダムが本当に差別主義者のまま戻ってきたかも定かではない。ダンブルドアだって、あいつの本性を知らずに呼び戻したとは考えにくい。

だが、あんなおぞましい光景を見るのは二度とごめんだ。



「明日、防衛術の授業、取ってんだろ」



独り言のように投げかけた言葉を、女は怪訝そうな顔で拾い上げる。「だから?」と不機嫌丸出しで返してくるその態度に腹が立つ。ったく、誰のための忠告だってんだ!



「一限目、絶対遅れんな」

「は? なんで」

「いいから」

「いやだから」

「──いいから!!」



そう言って、俺はさっさと教室を出る。あいつには、あれぐらいの忠告で十分だろう。あいつは決して馬鹿じゃない。俺のことは少なくとも『味方』だとは思っているだろうし、何かしらの警戒心は抱くだろう。あとはオールダムの出方次第。四年前と何一つ変わらないクソ野郎のままだったら、俺たちの悪戯の標的が一つ増えるだけ。そんだけだ。

さて次の授業は──空きか。俺はリーマスから返された両面鏡を取り出してジェームズを呼び出す。呪文学までに、新入生たちの記憶にしっかりと俺たちの名前が刻まれるようなド派手なショーをお披露目する必要があったからだ。


*PREV | TOP | NEXT#

- ナノ -