25.5

「おいでなさい、ミス・グレンジャー」



そうして、そいつは俺たちの前に姿を現した。どこか見覚えのある、丸眼鏡をかけて。

数か月ぶりのホグワーツを懐かしむ間もなく組み分けが始まり、がちがちに緊張した一年生が次々にやってきた。俺たちもあんな感じだったのかねえ、なんて囁き合いながら腹の虫を抑える。正直、組み分けとかどうでもいいから、さっさと飯にならないかと、空っぽの金の皿を睨む羽目になった。そうして組み分けが終わり、ダンブルドアからの有難いお小言を貰って、さあいよいよ、というところでのご登場だった。どの寮もざわつきながら、職員席の方を見上げている。



「君たちに新しい学友を紹介しようかの。遠く極東の国より、ホグワーツへ来たアシュリー・グレンジャー嬢じゃ。今年、六年生に編入する」



ダンブルドアの紹介に、益々ざわめきは大きく広がっていく。編入生という異例の無い事態──おまけに六年生という中途半端な時期の編入──見るからに西洋人とはかけ離れた外見──そしてどこかの誰かさんのような丸眼鏡に、危うく吹き出すところだった。



「へえ、あれがバブリング女史のお気に入りかい?」

「……そうなんじゃねえの」

「ふうん。あの眼鏡、中々いいセンスしてるじゃないか、なあ?」

「ああ、全く。お前そっくりだ」



ウザがらみしてくるジェームズをいなしながら、頬杖をついてそいつ──アシュリーを見上げる。見慣れてるのに見慣れない眼鏡は、陰気な顔したあいつにそれはもうよく似合っている。急に洒落っ気に目覚めた理由は定かではないが、隠し事に関しては数え切れないほどある女だ。あれも、顔を隠すための一種の変装なのかもしれない。



「彼女は生まれつき身体が弱く、ホグワーツへの入学条件を満たしておったが、闘病生活により学校に通えなんだ。この度、ようやく体調が回復した故、編入と相成った」



ダンブルドアの説明に、思わず鼻で笑うところだった。長年闘病生活してるような女は、朝五時からトレーニングしたりしないし、ごろつきを背後から蹴り飛ばすようなことはしない。そんな淑やかさが、あの女ににあるもんか。

けれど俺の悪態など知りもせず、ダンブルドアに促されるまま、そいつはぺこりとお辞儀をしてみせた。



「アシュリー・グレンジャー、デス。ヨロシクオネガイシマス」



──今度こそ、鼻で笑ってしまった。

だが、俺だけじゃない。耳を疑うようなひっでえ発音に、誰もがクスクスと笑っている。ジェームズもだ。なるほど、そういう[・・・・]作戦か。幸か不幸か、名前はともかくあいつの見た目はどう見ても東洋人。言語の壁があると思われても、何ら不思議じゃない。



「……よろしい。組み分け帽子を、アシュリー」



手短な挨拶の後、あいつは組み分けの為にスツールに腰を下ろす。生徒たちは、未だにクスクスとバカにした笑いが止まらず、周囲の友人たちとヒソヒソと好き勝手に囁き合っている。



『今の、聞いた?』

『よくあれでホグワーツ通おうってなったわねえ』

『英語って分かっただけでも奇跡だわ!』

『やめなさいよ。頑張って喋っているのに』

『そうだぜ。アジア人なんだ、大目に見てやらないと』



──その光景に、なんとなく、胃のあたりがざわりとした。

スリザリンもグリフィンドールも関係なく、あいつを小ばかにする声ばかりが大広間に満たされていく。いや、なんであれがワザとだって分かんねえんだよ。普段あんなに流暢に英語喋ってんだぞ、あいつ。馬鹿馬鹿しい芝居のせいか。それともそんな芝居にあっさり騙される連中のせいか、俺の胃はますますムカついてくる。目に見えた道化ほど、見るに堪えないものはないからな。

それに何より、腹が減っているせいだ。そのせいで下らないことにさえ苛立ちを覚えてしまうんだ。そうに違いない。いつまでも空のままの金色の皿をちらりと見てから、背中を丸めて笑いを堪えるジェームズを一発殴る。



「ったく、いつまで笑ってんだよ」

「いやいや、あれで笑うなという方が無理だろう。本当にNEWTレベルの試験を突破してきた才女なのかい?」

「知らねえよ。そんなに知りたきゃ、直接聞いてこい」

「なるほど、一理ある」

『──スリザリン!!』



俺たちの会話を遮るように、帽子が吠えた。早い組み分けだ、一分とと座ってなかっただろう。表情一つ変えないままあいつは椅子から降りて、まばらな拍手に迎えられながらスリザリンのテーブルの方に歩いて行った。

そんな光景も見るに堪えず、ニヤつくジェームズと共に姿勢を正す。組み分けの終わりは、飯の時間を意味するからだ。



「残念ながら、友よ。その機会も失ってしまったらしい」

「そりゃ不幸なことだな」

「スリザリンねえ、そういうタイプには見えなかったけど──まあ、光物が黄金とは限らない、か」

「だから言ったろ。婆さんの手合いなんだ、ロクな奴じゃねえって」



それより飯だ。俺は目の前の金の皿が食べ物で埋まっていくのを眺めながら、舌なめずりをする。宣言通り、あいつはスリザリンに行った。あいつ絶対スリザリンじゃやってけねえの、目に見えてんのに。未来がどうか分からねえけど、この時代のスリザリンがどんなにひでえ臭いを漂わせる連中か知らないから、あんなことが言えるんだ。あいつらは揃いも揃ってクズだ。臓物から腐りきってる。そんなことすら知らずによくも──ああ、クソ、気分悪ぃ。

俺は目の前の金の皿からチキンを取って口に運ぶ。厚みのあるチキンにかぶり付けば、空腹が両手を上げて喜んでいるのが分かる。いつもの、ホグワーツのチキンの味だ。俺の好きな食い物。グリモールド・プレイスじゃ食えなかった、物。

──なのにどうしてか、あの満足感がない。



「……なんか、不味くなったか?」

「おいおい。ついに舌まで馬鹿になったのかい?」

「引っこ抜いてやろうか、余計なことしか言わねえその舌」

「入学式早々やめなよ、新入生が怖がってる」



リーマスが俺たちを諫める。近くに座った砂利のような一年は、俺がチキンを取ろうと手を伸ばすたびに肩を飛び上がらせている。リーマスだってこんなだった筈なのに、随分逞しくなっちまって、まあ。

どこか物足りなさを覚えつつも、チキンに罪はない。その違和感を探るべく黙々と食い続けていると、ピーターが眉をひそめたままこちらを見てきた。



「そういえばさ。アレ、気付いた?」

「あ? 何が」

「教員席、見てよ」



ピーターにそう言われて、俺は顔を上げる。いつも通り、ダンブルドアを中心に何人もの教師が座っている。バブリングの婆さんやフラメルはあまり顔を見せることはないが、ほとんどの教師が座って飯食ってる。マクゴナガル、スラッギーじいさん、フリットウィック、スプラウト、いかれぽんちのケトルバーン、天文学のシニストラ、それから名前もおぼろげなマグル学と数占い学の教師──ああ、そういうことか。ごくんとかぼちゃジュースを煽りながら、俺はほくそ笑む。



「なるほど、闇の魔術に対する防衛術の教師がいねえ」

「つまり友よ、此処から察するに?」

「ダンブルドアは新しい教師を見繕ってこれなかった、だ」

「つまり、今年こそダンブルドアが教鞭を取る姿が見れるかもしれない」

「そりゃいい。俺たちはもう何年も前からそう言ってた」



『呪い』だか何だか知らないが、闇の魔術に対する防衛術の教師は一年以上継続したことがない。病気、怪我、家庭の事情、教師本人の問題、『呪い』のせい──理由は様々だが、とにかく教師がころころと変わる教科でお馴染みだ。しかも、教師の質も一定ではない。誰もがこの教職をやりたがらないせいだ。だから俺たちは再三言ってきたのだ。ダンブルドアが教えればいい、と。世界最高峰の魔法使いに教えを乞えるまたとないチャンスだと思ってたが、ついにその願いが届いたのかもしれない。

そうやって、俺たちは下らねえ話に花咲かせながら腹を満たしていると──。



「──父ト母、魔法使イデハ、ナイ、デス」



どうしてか、さほど大声でもないのに、その声を拾ってしまったのは。きっとその、耳障りな発音のせいだ。だから目立つ。だから俺だけじゃなくてジェームズも、リーマスも、ピーターすらあいつの方を見たのだ。



「ワタシ、“まぐる”デス」



その場所でその発言がどれだけ危険か、分かっていないのはあいつだけだったのだろう。どよめき、ざわめき、ありとあらゆる悪意の目があいつを射貫く。けれどあいつは澄ました顔で、かぼちゃジュースをぐびぐびと飲んでいて。



「……なるほど。才女かどうかはさておき、『イカれてる』のは間違いないらしい」



そんなイカれ女の背を見ながら、ジェームズが意味深に呟いた。

なあ、アシュリー。確かにその作戦なら、スリザリンでだって一人孤立するだろう。それがきっと、お前の望みだってのも分かる。ただまあ、どの世界にも物好きってのはいるってことを、お前はもっと計算に入れておくべきだったな。

なにせ俺の親友の目は、これ以上ないぐらい爛々と輝いていたのだから。





***





『例の編入生、マグル生まれだってな』

『スリザリンに組み分けされたのに、なんで馬鹿正直に言っちまうかねえ』

『彼女、スリザリンが何なのか分かってないんじゃないか?』

『可哀想に。きっと、虐められてしまうわ』

『じゃあお前が助ければいいだろ』

『だって──そんな、言葉が通じるかも分からないのに』



翌日、早速アシュリー・グレンジャーの噂は格好の的になっていた。どいつもこいつも、あいつをちらりと目にしては好き勝手物を言う。同情、同情、同情。右も左も分からない愚かな東洋人は純血主義者の虐めのマトだと、誰もが憐れむ。だが、誰一人助けない。手を差し伸べない。遠巻きにして、あれこれと尤もらしいことを言うだけの、連中。

俺がグリフィンドールの組み分けされたあの日と、何ら変わらない。



「だというのに、彼女は澄ました顔で朝食を済ませると足早に退散、と。いやあ、逞しい限りだねえ」



ジェームズは何故か嬉しそうに声を弾ませていた。

このバカは早速やらかした東洋人のイカれ女に声を掛けようとスリザリンのテーブルへ向かったのだが、アシュリーは紅茶を一気飲みして大広間を後にするところだった。同情・侮蔑・畏怖もなんのそのとばかりの横顔は、人避けの呪文でもかかっているかのように他人を寄せ付けなかった。ジェームズはやむを得ないとばかりに、グリフィンドールのテーブルへ向かう。



「誰彼構わず噛みつきまくっていたブラック家のお坊ちゃんと違って、ミス・編入生は随分と理性的らしいね」

「ジェームズ、朝からお前と取っ組み合いする気はねえぞ」

「そりゃ有難い。僕も初日早々、マクゴナガル女史の授業に遅刻したくはないね」



月曜一発目から変身術とはついてない、とマクゴナガルから時間割を受け取りながら思う。OWLは全てO・優を取った俺たちに死角なし。何一つ落とすことなく六年に進級できたわけだが、他の生徒はそうじゃないらしい。優等生のリーマスですら魔法薬を落とし、ピーターに至っては何が合格したのやら、というレベルの悲惨さだ。ピーターは授業の継続希望申請書を手に、マクゴナガルにあれこれ指示されて項垂れていた。



「ジェームズも全部継続か、案外勉強熱心なんだな」

「智は力なり、さ。せっかくのホグワーツだぜ、吸収できるものは全て持っていくつもりさ」

「同感だ、友よ」



俺自身、試験勉強や宿題はめんどくせえとは思うが、学習自体は嫌いじゃない。何より、同じものを学んで、それを悪戯──もとい、世のため人の為に活かさんとする親友がいる。それだけで、めんどくせえ何もかもを肯定できてしまう。



「──ねえっ、彼女、ミス・グレンジャーは!?」



そんな中で、聞き捨てならない声が聞き捨てならない名前を呼んで、俺もジェームズも声の主を振り返る。我らがクィーン様のお出ましである。俺の親友を骨抜きにしたその女は時間割を握り締めながら、友人と思しき女生徒に訊ねている。



「残念、もうとっくに出てったわよ」

「迂闊だったわ……時間割貰うのにこんなに時間がかかるなんて!」

「まあまあ、ミス・編入生は逃げたりしないわよ、リリー」

「……そうね。チャンスはいくらでもあるわ」



実に前向きなコメントだ。アシュリーが聞いたらどんな顔をするか、見物だ。

そう、物好きは何も、我が親友だけじゃない。そういうところは似た者同士のなんとやら、口煩いお節介な監督生であるリリー・エヴァンズもまた、アシュリー・グレンジャーをつけ狙う生徒のうちの一人だった。ただでさえお節介で有名なこの女は、監督生という責任感も相俟って、あの可哀想なホムンクルスの世話をせねばと意気込んでいるらしい。あいつが知ったら『余計なお世話だ』と顔を顰めて突っぱねる姿が容易に想像できる。



「リリーまで彼女に夢中とはね、妬けるなあ」

「そういうお前も、『編入生をとっ捕まえたい』って顔に書いてあんぞ」

「人聞きの悪い言い分はやめたまえ、馬鹿犬。分からないのか、彼女はレディだ!」

「んなの見りゃ分かる」

「今までリリー一筋だった僕が、ある日突如ミス・編入生の尻を追いかけ出したら、リリーはどう思う?」

「清々するだろうな」

「──そう、心変わりを疑われてしまう。確かに僕は彼女に大いに興味がある、大いにね。だが、我が愛に少しばかりの陰りが生まれるのは、よくない。非常によくないのだよ」

「そろそろお前は友情の陰りも気にした方がいいぞ」



だが、この件に関してジェームズは大イカ以下の知能になっちまう。どこか物足りない朝食を紅茶で流し込み、俺は立ち上がってピーターのところへ向かう。ピーターはがっくりと項垂れながら、時間割を穴が開くほど見つめていた。



「見てるだけじゃOWLの点数は変わらねえぞ、ワームテール」

「どうしよう……変身術取れないと、就職の幅が狭まるよ……」

「なんだお前、将来はお役所仕事ってガラかよ」

「一番堅実な道じゃないか! なのに魔法省のインターンには変身術が必須なんだ!」

「ふーん、インターンねえ……」



将来のことなんか、まともに考えるガラじゃないだろ、俺ら。けど、ピーターも、傍にいたリーマスも半笑いを浮かべるだけだ。



「ずっと遊んではいられないよ。そうだろう?」

「僕らももう、成人するんだから」



当たり前のことを、当たり前のように告げる。なのに、どうしてかぎくりと肩が震えた。理由は分からない。誰も、気付かない。二人とも自分の時間割を見比べながら羽根ペンを手に頭を抱えていた。



「はあああ……リーマスどうしよう、僕、魔法薬も落としちゃった……」

「でも呪文学はパスしたんだろう? グリンゴッツは無理でも、DAと薬草学があるなら、入省の希望は潰えていないさ」

「そうかなあ……やっぱ薬草学も継続希望にしようかな……」

「普通の生徒なら、三OWLあればダイアゴン横丁じゃ引く手数多さ。心配ないよ、ピーター」

「うーん……うん、分かった。僕、やっぱ薬草学受ける!」



そう言いながら、マクゴナガルの元へ向かうピーターの小さな背中を見る。ピーターの頭のできは、俺たち程ではない。けど、あいつはあいつなりに、将来ってものを考えてるんだな。

じゃあ、俺は。将来、何になる? 何を成す? そんなプランが、俺の中にあるのだろうか。そりゃ、成そうと思えばなんだって、だ。だが、俺が本当にしたいことってなんだ。少なくとも、ルーン魔術を受け継いだり、捨てた家を継ぐ、なんてことはないはずだ。



「(──いや、俺には『研究』がある)」



あいつは来年、あの家に帰る気はないと言った。リンデン・ガーデンズには戻らないと、あいつは一度も使わなかった灰皿を捨てた。だが、そう簡単にはいかない。未来への時間旅行──アルバス・ダンブルドアやニコラス・フラメルを以てしても前人未到の偉業、不可能とすらされた、時間を捻じ曲げる為の魔法。それを成すのは一年後か、はたまた十年後かは分からない。賃金が発生するような仕事ではないだろうが、フラメルの元にいれば食うには困らない。時間なんか、文字通りいくらあっても足りない。

いいさ。前人未到の偉業が、俺の『将来の夢』ってことにしてやるか。


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