16.5

どこからともなく現れた、三人の男たち。年頃は俺と同じぐらいか、どいつもこいつもヒョロっとしており、屈強さは感じられない。下卑た笑みを浮かべたまま、俺を品定めするような目つきで見下ろしてくる。しかし、こいつらは俺が見たこともないような珍妙な格好をしていた。破れたジーンズやシャツ、おまけに肩にかかった革のジャケットは触れたら刺さりそうな棘が無数に打ち付けられている。どういうセンスしてんだよ、マグルじゃこういうのが流行なのか?

じろじろと不躾な視線に顔を顰めながら、俺は黙りこくる。少なくとも、この三人に街を案内してやろうか、といったフレンドリーさは皆無だったからだ。全く、完全に予期せぬアクシデントだ。こうならないための人避けのルーンをかけていたというのに、今日に限ってその服を着ていない。勢いのまま飛び出してきたのが仇になったか。せめて着替え全部には人避け、もしくは気配殺しのルーンをかけておくべきだった。



「おい、何とか言ったらどうだ」



物言わぬ俺に対し、一番背の低い、一番年下と思われる奴が凄んでくる。此処がホグワーツであれば杖を一振りして終いだが、今日はそうはいかない。こんなところで、こんな下らねえ理由で、俺は杖を折られるつもりはなかった。黙ってりゃ意思疎通不可と思われねえかな、なんて淡い期待を胸に、俺は可能な限り険しい表情を浮かべながら口を閉ざす。



「オイ、こいつ英語通じねえのか?」

「マーケットで買い物してたぜ、それは通用しねえなあ」



どうやら、俺の細やかな抵抗は無駄だったようだ。チッ、ラテン語なりギリシャ語なりで切り抜けようとしていた算段がパァだ。そもそも、俺が金を持っていることを知って近付いてきたのだ、この作戦じゃどっちにしろ惚けるのは無理か。



「……んだよ。金なんてロクに持ってねえぞ」



流石の俺でも、自分の状況が『不味い』以外の何物でもないことは理解できた。だから大人しく降参の意を示す。クソッ、たった数か月の壁がもどかしい。あと数か月だぞ、そうしたらこんな奴ら相手にした手に出ることねえのに。今の俺には、奴らを刺激しないよう立ち振る舞うことしかできない。

実際、俺の言葉に嘘はなかった。財布にはガリオン金貨が数枚と、マグルの紙幣やコインが少しずつ。マグルの法がどういうもんかは知らねえが、この国は見ず知らずの人間から金を巻き上げることを良しとするような前時代的ではないはずだ。つまり、俺一人を強請ることに対し、こいつらの行為はあまりにリスクが高すぎる。俺の財布を取り上げたところで、一か月分の生活費にだってなりやしないのに。

訝しむ俺に、身長と態度が一番でかい奴がフンと鼻を鳴らす。



「いいんだよ。テメェみたいなモンは知らねえかもしれねえがな」



そう言いながら、そいつは俺の胸倉をぐっと掴み上げた。



ガリオン金貨[・・・・・・]数枚だって、こっちじゃ良い値がつくんだぜ」

「!?」



な──何? こいつ、今、何て言った?

思わず目を見張る。どの角度から見たって魔法使いの『M』の字もないような、ガラの悪い連中。そんな連中から『ガリオン金貨』なんてワードが飛び出してくるなんて。なに、なんだよ。こいつら、まさか魔法使いか?



「金貨ってからにゃ、『金』でできてるわけだろ。何も知らねえ連中からしたら、ガワがどんなんだろうが『金』には違いねえ」

「溶かしちまえばだーれにもバレやしねえ。なあ、たかだかコイン数枚で俺たちは数か月食うに困らねえ生活ができるんだぜ? 募金すると思って、なあ?」



ニヤニヤと、意地汚い笑みが俺を見下ろす。

な、何言ってんだ、こいつら。ガリオン金貨を誰が鋳造してると思ってんだ、《小鬼》だぞ。マグルの技術で溶かす? できるわけねえだろ、魔法使いだってできやしないのに。

否、違う。実際に溶かせるかどうかは問題じゃねえんだ。『金』であることを謳って売っちまえば、後は買い取った方の仕事だ。それが溶かせるはずのない魔法のかかった金貨だと、買い手に悟られなきゃいいんだ。なんて奴らだ。完全に、ガリオン金貨が何たるかを理解してるんだ。じゃあ、じゃあこいつらは──。



「テメェら、マグルじゃねえのか……?」



律儀に会話する気なんかサラサラなかった。だというのに、俺の口からは浮かんだ疑問がそのまま飛び出した。少なくとも、俺が払い間違えそうになった金貨が何たるかを知っている。つまりそれは、こちら側の世界の住人に他ならない。

だが男たちはそれに答えなかった。だが、俺の胸倉を掴む指に、ぐっと力が入った。男の顔は、まるで皮がたるんだ醜い豚のように歪んでいる。そして一言一言、怒りに滲ませながら男は言った。



「あるだけ──金貨を──置いて──行け──見逃して、やる」



その激情に、本能的な危機を悟った。

俺は胸倉を掴まれたまま、全体重をベンチの方へかける。すると二人揃ってバランスを崩してベンチの方へと倒れ込み、チャンスとばかりに俺はベンチを足漕ぎで浮かび上がらせる。ふわりと嫌な浮遊感が全身を襲い、俺も男も一瞬顔が引きつった。そしてそのまま背もたれに二人分の体重を乗っければ、古びたベンチはあっさりと引っくり返り、俺もこいつもベンチの後方へと投げ出される。



「うおっ!?」

「ぐっ!」



俺はベンチごと引っくり返った反動で空中で一回転し、そのまま着地。胸倉を掴んできた男は、そのまま後方へと投げ出された。予測できていた分、俺の方がリカバリーが早い。俺はそのままダッシュで公園から飛び出す。



「クソッ!! 逃がすな、追え!!」



背後からそんな怒鳴り声が聞こえてくるがお構いなしだ。俺はわき目も降らずに駆け出す。ボサッとしていたせいで日は傾きかけている。道沿いに灯るランプのおかげで視界は良好だが、昼間と異なる景色を前に自分の家に帰ろうにも、現在地さえ場所があやふやだ。マーケットを抜けてしまえば、たちまち道が分からなくなる。

そうこうしているうちに、連中が追いついてくるのが分かる。クソ、大通りじゃ目立ちすぎる。せめて路地裏に逃げ込み、姿をくらます他ない。そう判断した俺はすぐさま暗い路地裏へと飛び込んだのだった





***





どれぐらい、そうやって追いかけられていただろう。

人をかき分け、狭い路地裏に身体を捻じ込んで、走って、走って、走り続けて尚、連中は追跡をやめなかった。連中の方が土地勘があるので、狭い路地裏を逃げようとするとすぐさま回り込まれてしまう。おまけに路地は家と家の間は人一人通るのがやっとというレベルで、狭い上にランプの光はここまで届かず、見通しも最悪だ。おまけにどこに道が繋がっているのかも分からない。安易に入り組んだ道に入り込んだのは失敗だったか。ここはホグワーツじゃない。土地勘もなければ隠し扉も騙し階段もないんだ。

俺の発想がいかに安直だったのか思い知る羽目になったのは、徐々に薄暗くなっていき、目の前に道が無くなり、背後を振り向けば先ほどのガラの悪い男が三人、立ちふさがっていた時だった。



「──俺たちは、魔法使いが嫌いだ」



手詰まりだ、逃げ場所がない。そう察したのは俺だけじゃない。追い詰めてきた三人もまた、そう判断したらしい。ニタニタと、黄色い不揃いな歯をむき出しに笑いながら、聞いてもない身の上話を始めやがる。



「選ばれた人間、才能ある人間、神に愛された人間、そんなツラして我が物で歩く魔法使いが嫌いだ。マグル──ただの善良な人間を間抜け呼ばわりしてくるテメェらの面の皮の厚さが嫌いだ。魔法が使える方が偉いと、俺たち出来損ない三人には目もくれずに姉貴にばかり世話を焼く両親が嫌いだ。神の愛を無碍にしたと両親を咎める祖父母はもっと嫌いだ」



つらつらと連ねられる、俺への──魔法使いたちへの恨み。その言葉から、こいつらは同胞ではなかったことが分かる。こいつらには《騎士バス》も見ることはできないし、指示通りに煎じても魔法薬を精製することはできず、箒に跨っても空は飛べない。その事実に、酷く安堵した。だが、ああよかったと胸を撫で下ろせる場面でない。

だがな、と男──恐らく長男だろう──がニィ、と笑みを深める。



「俺ァ半人前の魔法使いは好きだ。おお、我が愛する弟たちよ。それが何故だか分かるか?」



男は大袈裟に両腕を広げながら、そんなことを宣う。まるで三流の芝居の方が、まだ見てられるレベルの滑稽さだ。威嚇するようにゴミ箱を蹴り飛ばして、大きな音を立てている弟たち──そう呼ばれた長男に比べれば些か背の低い男二人──は、勿論とばかりに頷いた。



「当然だ、兄貴。俺たちがどれだけ半人前に助けられてきたか!」

「何故なら半人前は、街中じゃ魔法が使えない!」



囃し立てるように弟たちが笑う。なるほど、身内に魔法使いがいるのだ、その辺分かった上で狙ってきているのだ。俺みたいな、未成年の魔法使いを。クソみてえな連中だ。一応ポケットに杖は入れてある。

いざとなれば脅すのもアリか──そう考えて尻ポケットへ伸ばした手を、スッと引っ込める。いや、無理だな。こいつらは俺を未成年だと見抜いてる。そもそも、成人済みだったらこんなところに追い詰められる前に忘却術なり人避けの呪いだので切り抜けてる。つまり、走って逃げた時点で俺は自分が魔法を使えないことを、こいつらにペラペラお喋りしたのと同義だ。何という失態だ。ジェームズが聞いたら呆れて物も言えなくなるに違いない。



「(──どうする)」



この局面を、どう切り抜ける。三人が三人とも、下卑た笑みの合間から、刺すような敵意が垣間見える。こんな人通りもない、暗い、狭い場所に追い詰められて、もはや財布一つで何とかなるような状況ではない。俺にできる選択は少ない、

一つ、杖を抜く。一つ、財布でも何でも差し出して平謝りする。一つ、魔法無しで全力で抵抗する。魔法で抵抗する。三つの選択肢の中じゃ最悪の部類だ。ついこの間魔法省の連中と揉めたのだ。相手がどれほどクソ野郎だろうと、魔法界が俺に味方するとは思えない。芋づる式にフラメルや、あいつのことまで知られてしまうのは俺としても避けたい。じゃあ金でも何でも差し出して、床に這いつくばるか。考えるまでもない、ナシだ。そんなんやるぐらいなら、今此処で舌を噛み切った方が百倍マシだ。となれば、やることは一つ。徹底して抵抗。魔法抜きで、だ。

マグルみたいに野蛮な喧嘩をする羽目になるとは思わなかったが、仕方ない。俺はグッと歯を食いしばり、拳を作って構える。途端、三兄弟が色めき立つ。



「兄貴見たかよ、こいつ俺ら相手にやる気だぜ!」

「スッゲエ、半人前にしちゃ度胸あるじゃねえか!」



まるでお気に入りのおもちゃを与えられた犬のように興奮し、傍のゴミ箱を蹴り飛ばす弟二人。確かに、人数では圧倒的に不利。おまけに相手はどう見たって初犯じゃない。この口ぶり、こうして金を脅し取ろうとしたのは俺だけじゃないはずだ。戦力差は見るまでもない。

それでも、惨めったらしく地面に這いつくばることを思えば、百発殴られようが何てことはない。



「……満足かよ、こんなことでウザ晴らしてよ」



どうせならなるようになれだ。挑発のつもりで、俺は吐き捨てる。

聞けば聞くほどくだらねえ試みだ。普段から自分たちを疎んじる魔法使いを、こんな形で復讐してよ。それでこいつらの何が変化するのやら、だ。マグルはどうあってもマグルだろ。そりゃ、可哀想なんだろうよ。祖父母や親にさえ疎まれ、こんな形でしか気を紛らわすことができないなんてよ。ジェームズやピーター、お優しいリーマスあたりが聞いたら同情の一つでもくれてやるかもしれない、そんな身の上話だったかもしれねえ。

だがよ、両親に、一族に、兄弟に、愛されなかったのが、お前らだけだと思うかよ!



「下らねえ! 愛されなかった理由を、マグルのせいにしてんじゃねえよ!」



マグルはマグルだ。突然魔法の力を開花することはない。こいつらは《騎士バス》から見える光景も、大鍋の中に煮詰められた神秘も、箒に乗って風を切るその心地よさも、何一つ知ることはない。だけど、それだけが不幸なのかよ。それだけで世界で一番不幸かよ。下らねえ、下らねえ、下らねえ。恨むだけなら簡単だ、ガキにだってできる。その世界が自分にとって苦しいだけなら、どうして逃げ出さない。どうして俺みたいに戦わない。自分は被害者ですとばかりの顔で、悪事を正当化しようとするその魂胆が、俺には何より惨めに見えてならねえ。

だが、俺の挑発は三兄弟の思いがけない怒りを買ったらしい。長男はホグワーツ特急みたいに顔を真っ赤にしながら、ポケットから何かを引っ張り出した。パチンという音と共に、暗がりでも銀色の煌く光を見た。ナイフだ。



「俺たちを──間抜け[マグル]と──呼ぶなああああ!!」



怒り、憎しみに煮えたぎった六つの目が俺を向く。思わず怯みそうになるところを、ぐっと右足で踏ん張る。逃げられるか。こんな臆病者たち相手に。そうだ、俺はグリフィンドール生らしく、勇猛果敢に戦ってやる。こんな奴ら、杖なんか無くったってどうってことねえ。かかってこい!!

だが、その瞬間ナイフを手にした長男が俺の目の前から消え、上から見覚えのある女が降ってきた。それがアシュリー・グレンジャーだと気付くのに、俺は三度の瞬きをしたほどだ。見間違えようがない。アシュリーだ。こいつ、なんでこんなところに。というか、何故こいつはナイフを手にした男の後頭部目掛けて落下してきたのか。

ぱっと、女の顔が持ち上がる。燃えるような黒い瞳が、暗がりにぽっと浮かび上がる。



「行くよ!」

「逃がすか、このアマ──うおっ!?」



目を瞬く俺を他所に、いち早く冷静さを取り戻した次男三男が両サイドから拳を振り上げてきた。だがアシュリーにはそれが予測できていたかのように、長男を下敷きにしたままその背に手をついて体を浮かせ、素早く二人に向かって足払いを仕掛けた。二人ともものの見事にすっころび、一人はガシャーンッとゴミ箱に突っ込んでいった。

なにこいつ、なんだこいつ。俺の目の前で今、何が起こってる?



「走って!」



アシュリーは俺の腕を掴み、引きずるように走り出した。こ、こいつ、なんてパワーだ。腕を握る力は勿論、引っ張る力の凄まじいことと言ったら。馬車にでも引きずられているかのようだった。フラメルといいこいつといい、ホムンクルスになったら筋肉増強されんのかよ。

考える暇も驚く暇もないままに俺は引きずられて路地裏を後にする。兄弟たちの追いかけろ、ぶっ殺せ、などという声には目もくれず、女はまるで箒にでも跨っているかのように地面を駆け抜けていく。




「先生!」



そうして路地から飛び出すと、女は白い何かに抱き着いた。それが何だったか視認するより先に、再び視界がぐるんぐるんと反転した。男たちの怒号も、どこか遠くの出来事のように薄れて消えていき──そして気付いた時には、見慣れたリビングが目の間に広がっていた。



「シリウス、怪我はないかね?」



どうやら、女が飛びついた白い何かはダンブルドアだったようだ。昼間の派手なスーツが嘘のように、いつもの眩いばかりの白いローブを着て、長いひげを蓄えている。何故か安心する、いつものダンブルドアだった。ダンブルドアは心配そうに、俺を覗き込んでいる。



「あ、ああ……」



俺はダンブルドアの手を借りて立ち上がって初めて、リビングの床にへたり込んでいたのに気付いた。女はとっくに俺から手を離し、ため息交じりで伸びをしている。何の気なしに女に掴まれた腕を見て、ドン引きした。腕、真っ赤なんですけど。こいつ、この見た目でフラメルばりの筋肉の持ち主なのかよ。どーりで毎朝うるせえぐらいトレーニングしてるわけだ。ダンブルドアへの報告書に書いた方がいいかコレ、なんてどうでもいいことを考える程度の落ち着きは取り戻したらしい。



「なんで、あんたら──」

「君の居場所を探るのに、少しばかし手間取ってしまってのう」



すまなかったね、と謝るダンブルドア。謝るのはこっちだ。俺がもっとしっかりしていれば、こんなトラブル未然に防げたものを。自覚が足りなかった。俺は今、世紀の秘密を握る人間の一人であるという自覚が。俺は今、気兼ねなく魔法を使えない立場であることが。

黙りこくる俺に、ダンブルドアはようやく安堵したように微笑んだ。



「君たち無事で、何よりじゃよ」



その一言に、危険だったのは俺だけじゃなかったと悟る。まあ、こいつの場合どこにいても何してても危険なことには変わりねえけど。やれやれ、とんだ気晴らしもあったもんだと、俺はソファに腰を下ろす。

結局、女の買い物は無事に済んだらしい。ダンブルドアは檻である俺の無事を確認し、女を残して姿をくらませていった。残った俺たちの間に会話はない。だが、どちらもひどく疲れきっていて、一刻も早くベッドに潜り込みたいという気持ちだけは察知できた。飯も食わないまま、俺たちは早々に部屋の明かりを落としてベッドに身を預けるのだった。


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