23


減点騒ぎですっかり忘れていたのだが、私は原作通り、禁じられた森に行くという罰則を言い渡されていた。そんなわけで、今晩十一時に玄関ホールに来いとのお達しが来たため、不安そうなロンとハーマイオニーに見送られ、単身でフィルチが待つ玄関ホールへ向かった。



「ついてこい」



ジロリ、と睨まれたが、フィルチはそれ以上何も言わなかった。意外だな、こいつすんげえ嫌味だし、もっとしつこい絡まれるかと思ったんだけど。フィルチのランプだけが唯一の明かりとなった真っ暗な校庭を、二人で突っ切った。やがてハグリッドの小屋に辿りついた。



「来たか、アシュリー。……すまねえな、本当に」

「もう、ハグリッドったら、それは言わない約束でしょ!」

「そ、そうだった……。おう、フィルチ。お前の出番は終わりだ。とっとと城へ帰れ」



フィルチは、ハグリッドにも絡まずにさっさか城へ戻っていった。その後ろ姿はまるで何かから逃げているようで。フィルチってあんな奴だっけ。フィルチってもっとこう……いや、うーん、まあいいや。今はフィルチのことを考えている暇なんて無い。



「これから禁じられた森へ行く。最近、森のユニコーンが殺されてる。俺たちは、他に怪我をしたユニコーンが居ないか探しに行く。危ねえ仕事だが、アシュリーなら平気だろう」



ハグリッドは前向きな言葉で私を励ます。しかし、ユニコーンを殺す理由なんて限られているだろうに、よくこんな罰則を生徒に与えるもんだ、ダンブルドアの神経を疑う。ユニコーンはただ普通に殺すことなんて出来ないのに。まあ、うん、これも、自分の為だ。そうだ、今日この場所で、私は初めて最大の敵と相対する。正確に言えば二度目の、命のやり取りをすることとなる。私が、ヘマを犯せば、今後どうなるか分からない。慎重に、かつ確実に、生き残らなければならない。

ハグリッドとファングと共に、暗く木の生い茂った森へ足を踏み入れる。もはや道と呼べる道はそこになく、ただただ獣道が眼前に広がるだけだ。枝葉をかき分け、デコボコした足元に気をつけながら、ずんずん進んで行った。やがて、分かれ道に差しかかった。ハグリッドは右の道を、私とファングは左の道を進んだ。



「──ルーモス」



杖を出して明かりをつける。あまり明るくしても、敵に位置を気取られるだけだけど、如何せんこの獣道、明かりなしで進むほど、私も蛮勇極めてはいない。

一歩一歩、歩みを進めていくごとに、額の傷が疼き出した。いるんだ、近くに。ユニコーンを殺し、その血を啜ってまで生にしがみつく、愚者が。杖とファングのリードをしっかり握りしめ、歩きだす。ズキズキズキズキ。大丈夫、まだあの時ほどじゃない。ズキズキ。痛い、でも、私は、前に進まなきゃ。そして──開けた平地に辿りついた。そこに、暗闇の中でも白く輝くものがあった。



「あれは──……」



近付いてみるまでもない。ユニコーンだ。長くしなやかな脚はバラバラに引きちぎられ、地面に投げ捨てられている。立派な角はへし折られ、純白のたてがみは、自身の銀色の血と砂まみれになって、くすんでいる。目はくぼみ、淀んだ色で虚空を見つめている。嗚呼こんなにも、こんなにもおぞましく、悲しい──しかし、死して尚、美しい物を見たことが無かった。これが、これが、聖なる物を殺すと言うこと。命を、穢すと言うこと。

何より──これが、助けられなかった命だ。その命を目の前にして、初めて痛感した。ユニコーンが殺されると知っていながら、私は何もしなかった。自分の知っている“人”が死ななければいいやなんて思っていたけど、そんなの浅はかであった。なんの罪もない、なんの落ち度もないユニコーンを、私は“見殺し”にした。ハグリッドやダンブルドアに前もって言っておけば、救えたかもしれない命だったのに。ただ“人”でないだけで、私は──私は。



「──!」



ずるずると、地を這う音がして、私は慌ててファングと茂みに身を潜めた。茂みの間からユニコーンの死骸を見る。暗がりの中から、フードをすっぽりとかぶった、影のような物が這い出てきた。獲物を漁るような手つきでユニコーンに近づいて行き、その四肢を抱き上げる。そしてそのまま、傷口に唇を宛がい、その血を飲み始めた。

この男は──どこまで、命を腐せば気が済むのか。



「ステューピファイ!!」



頭痛も何もお構いなしに、茂みから転がるように平地に飛び出して呪文を唱えていた。許される所業ではない。こんなことが、許される訳がない。影は、ふらりと失神呪文を避ける。私は二、三、同じ呪文を唱えながら前に進み出た。ユニコーンを背中に庇うようにして、影と相対する。



「ぐ──ぅ、ぐっ!!」



額を矢が貫いたような、そんな痛みが走る。ゴウゴウと燃え盛る炎のように額が熱くなった。目眩がする。あまりの激痛に、片膝をついた。それでも、杖先は真っ直ぐ影を向いていた。遠くから蹄の音がする。影は、私の姿を捉えると、するすると近付いてきた。その動きは、まるで実体のないゴーストそのものだった。



「スピューディファイ! 来るな……プロテゴ!! インペディメンタ!!」



そう叫ぶも、傷の痛みで意識が朦朧としており、杖からまともな閃光が出ない。影が、そんな私をせせら笑っているような気がした。ヌッ、と両腕を差しだしながら、私に迫ってくる。くそ、どうして動かないんだ、私の脳みそは──何のために、この十年間頑張って来たんだ──それを、今まさにここで発揮すべきなのに、どうしてこの身体は動かない──伸ばされたどす黒いその手に、十年前に目にした光景が脳裏をよぎる。緑色の閃光、ママの悲鳴と、絶命するその表情が、今の光景と重なる。

その時初めて、私は“影”に恐怖した。



「いや……来るな……い、いや──いや、やだ、来ないで、や、ぁ、ゃ、いやぁぁぁあああああああああああああっ!!」



その瞬間、私の頭上を、何か大きな物が飛び越えて行った。それは影に突進して、影を森の奥へと追いやっていく。額の痛みが、嘘のようにスーッと消えていく。奥から、それが戻ってきた。上半身は人間、下半身は馬。明るい金髪に胴はプラチナブロンド、淡い金茶色のパロミノの──ケンタウルス、か?



「怪我はないかい?」

「え、えぇ……」

「ポッター家の子だね。早くハグリッドの所に戻った方がいい。今、森は安全じゃない。特に君はね。私に乗れるかな? その方が早いだろう」

「え、ま、待って! えーと……」



ケンタウルスは、私の傷をじっと見ている。サファイアのような、淡い瞳だった。



「私の名は、フィレンツェだ」

「よ、よろしく、フィレンツェ。私はアシュリー・ポッターよ。ええと、私を背に乗せるのは、よくないわ。あなた、他のケンタウルスに見られたら、なんて言われるか」

「構わない。君の安全が、第一優先だ」

「じゃ、じゃあせめて、ええと、担ぐとか、小脇に抱えるとか……」

「……君がそう望むのであれば。失礼する」



フィレンツェは、そう言って私を横抱きにした。わー、お姫様だっこだー。なんて言ってる場合じゃないことは分かっているけれど、この歳になってこんなことされるとは思わなかった……。まあでも、背中に乗るよりは……マシでしょう、彼にとって……。

フィレンツェに抱えられ、森の中を猛スピードで突っ切っていく。しばらく、無言で走っていた。未だに、先ほどのことが信じられなかった。何が信じられないって、私自身の無力さだった。ユニコーンを見殺しにしてしまったことも、杖を手にして、戦える知識を持ちながら、何もできなかったことも。とても悔しかった。戦えるつもりだった。一矢報いるつもりで飛び出した。それがどうだ、傷の痛みで満足に動けず、恐怖に悲鳴を上げるなんて。これが、この愚行が、私が十年かけて手にした戦う術だというのか。なんて馬鹿らしい。なんて愚かしい。



「……ごめんね」



返ることなどない謝罪を置いて、私達は森の中を駆け抜けていった。フィレンツェがどんな顔をしているのかは、見上げた月光が眩しくて、よく分からなかった。


*PREV | TOP | NEXT#

- ナノ -