22


目を覚ますと、そこは見知らぬベッドの上だった。



「気がつきましたか、ミス・ポッター」



ベッドサイドから厳格な声がする。驚くほどいつも通りのままの身体をゆっくりと起こすと、横には怒っているような、悲しんでいるような、複雑な顔をしたマクゴナガル先生がいた。周りには清潔なシーツに包まれたベッドがいくつも並んでおり、リノリウムの床が眩しい。初めて足を運んだが、どうやら医務室のようだ。



「先生……どうして……──私……何が……?」

「それは、私たちが一番知りたいことなのですよ、ミス・ポッター。あなたは昨夜、天文台の塔の上で呪いを受け、倒れていたのですよ」

「の、呪い……!?」

「えぇ。しかも、ただの失神呪文などではありません。恐ろしく強力な、闇の呪いでした。私とスネイプ先生とマダム・ポンフリーの三人がかりで治療したのです」



呪いをかけられたなんて……。しかも、闇の呪い? 額が痛んだことも考えて、呪いをかけたのはクィレルなんだろう、多分。でも……それにしても変だ。だって、この身体、なんともないぞ……? もしかして物取り? え、杖はあるし……あ、あれ?



「(──透明マントが、ない)」



えーと、よく分からないけど、クィレルは透明マントを盗む為に私に呪いをかけたってこと……? なんで、何のために……?



「ミス・ポッター。一体何があったのですか?」

「──いえ、何もありませんでした」



私は、キッパリとそう言った。

だって、何があったのか聞かれてしまえば、私が深夜徘徊している理由まで聞かれてしまう。ハグリッドがドラゴンを飼育しているのが知られたら、ハグリッドはアズカバン送りになる。それだけは、だめだ。それだけは、避けねばならない。だから、どんなことがあっても、私には“何もなかった”のだ。



「何も無かったと、あなたはそう言うのですね?」

「はい」

「何も無かったのに、ベッドを抜け出し夜の校舎を徘徊していたと」

「はい」

「何も無かったというのに、あれほどの呪いを受けたと」

「……はい」



梃子でも動かない、という私の思いがこの短い問答で伝わったのか、マクゴナガル先生は重い重いため息をついた。



「ミス・ポッター。あなたにはがっかりしました。あなたはもう少し、賢い子だと思っていました。どんな理由であれ、夜に学校を歩き回る権利はありません。これを聞いて尚、あなたは『何も無かった』と言うのですね?」

「はい。──でも先生、一つ訂正させてもらいたいです。私は一番賢い選択をしたつもりです。例え、先生には愚行に見えても」

「結構」



マクゴナガル先生は、とても悲しそうに言った。だけど、これは本当だ。ハグリッドがアズカバン行きになることを考えたら、軽いものだ。私は、今出来るだけの選択をしたつもりだ。クィレルが何故透明マントを盗んだのか、盗む為に何故敢えて自分の存在がバレるような危険な呪いを私にかけたのかは分からないけれど。でも、これが、最善だったのだ。



「グリフィンドール百点減点です。更に、処罰を受けてもらいます。処罰の内容は、また後ほど連絡します。さあ、寮にお戻りなさい」



ひゃ、百点とは……また……。

世の中本当に、上手くいかないように上手く出来ているらしい。例え未来を知ってても、思いの通りにはいかないし、その未来も過信しすぎるのもよくないということを思い知った。嗚呼本当に、昨晩の浅はかな考えの自分をぶっ飛ばしてやりたい。

──まあ、その後なんて語るまでもないことだ。グリフィンドールは一夜にして百点も減点され、最下位に落ちた。クィディッチでリードした分も、全部水の泡となった。たった一人、愚かな小娘の行動によって。その結果に、グリフィンドールだけでなく、レイブンクローやハッフルパフまで私を敵視した。スリザリンから寮杯を奪うチャンスを、私がパァにしたからだ。誰も彼もが、私を指差し、大声で悪口を言った。あるいは、存在ごと無視しようとした。

ロンとハーマイオニーは、事の顛末を知ると、泣きそうな顔で慰めてくれた。



「君の選択は間違ってなかったよ、アシュリー」

「アシュリー、ごめんなさい……──私たち、同じ問題を抱えていたのに、あなた一人に、全てを押しつけてしまったわ……本当に、ごめんなさい」

「いいの。あなたたちが、真実を知っててくれるのであれば」



普通の子どもなら気の滅入る話だろうが、そこはアラサー、余裕とまではいかないが持ち堪える。それに、数こそ少ないが味方もいるし、まだ救われている方だ。何より、自分が正しいと思ったことを貫いた結果なのだ、私は自分自身に胸を張っていられるのも、救いの一つだった。



「それにしても、呪いをかけられたってのは、ちょっと引っかかるな。ほんとに気絶させて、マントを盗みたかっただけなのかなあ」

「でも、リスクを犯してでも、手に入れるだけの価値があるものだと思うわ。透明マントって、本当にすっごくレアで便利なものなんですもの。スネイプが欲しがるのも無理無いわ」

「引っかかるのは、生徒は絶対に使えない闇の魔法で気絶させられたってところなのよね。こんな、誰がやったかなんて自ずと絞られることを、どうして実行しようとしたのかしら……」



呪いのことも、彼らにちゃんと伝えた。が、やはり彼らも透明マントを盗む為の行為だったのだろう、と結論を下した。呪い自体も、後遺症は無いのだし深く考えることもない、とした。正直、盗人がクィレルなら質にでも出されない限り取り返せるだろうと踏んでるので、盗まれたことにはあまりショックを感じなかった。クィレル、学期末には死ぬし。

が、それよりも大変だったのは、ハグリッドだ。



「すまねえ……俺が、俺が馬鹿なことを頼んだばっかりにっ!! ううっ、お前さんはあんなにも好かれちょったというのに、俺が、俺なんかのために、すまねえ、すまねえ、アシュリー……っ!!」



事の顛末を知ったハグリッドは大粒の涙を流しワンワン泣きながら、マクゴナガル先生に直談判しに行くと言って聞かなかった。そんなことをされては何の為に百点も減点されたのか分からなくなる、どうか落ち付いて欲しいと三人で二時間にも渡る説得の後、ようやくハグリッドを宥めることに成功した。



「とにかく、責めはしないから、どうか自分からバラしに行くことだけはしないでちょうだい。ハグリッドがホグワーツからいなくなるなんて、私、考えたくないわ」

「すまねえ、アシュリー、すまねえ……!」



大丈夫かなあとは思いつつ、ハグリッドらしい反応で思わず笑ってしまった。

しかしまあ、こんなにたくさんの人間に敵視されたのはアシュリーとして生きて来て初めてだった。生まれつき顔がよかったし、処世術も身に着けていたのだから、当然と言えば当然だ。いやほんと、生前だって、こんな大勢の人間から敵視されたことなんてないんじゃないだろうか。だからこそ、ロンにもハーマイオニーにもこの重荷を背負わせたくはない。いいんだ、これも経験だ。これから、もっと色んな人に敵視される人生になるのだから。それでもまあ、しんどいことには違いないけれども。



「アシュリー、君は一体何をしたんだ?」



一夜にして羨望の的だったアシュリー・ポッターが学校一の嫌われ者になったと知って、彼、セドリックは真っ先に私を尋ねてきた。正確には、廊下で歩いてる私を呼びとめて、だが。しかし、ハッフルパフ戦後は、ロンとハーマイオニーたちと夜遅くまで試験勉強をしていた為、セドリックと話したのは随分久しぶりな気がした。



「あなたの聞いての通りよ、セドリック。『あのアシュリー・ポッターが、深夜校内を徘徊していた為に百点減点された』。それだけよ」

「嘘だ。君ほど聡明な人が、理由も無く夜の学校を歩き回る筈が無い」

「あら、買い被りすぎじゃない? 事実、私はこうして愚かな行為によって、グリフィンドールを最下位に陥れた、馬鹿な女なのよ?」

「君は──」



セドリックが何か言いかけたが、ふるふると頭を振ってその言葉を飲み込んだ。私を中傷しているのはグリフィンドールだけでなく、レイブンクローもハッフルパフもなのだ。彼自身、意味の無い責任を感じているのだろう、悲しげな顔をしている。



「ねえセドリック。別にあなたが責任を感じることはないじゃない?」

「感じるさ、そりゃあ。君は素晴らしい人だ。僕は、君がどんなに賢く、優しい人か知っている。だからこそ、悲しいんだ。君を悪く言ってる連中は、綺麗だとか、有名だとかの、上辺だけの君しか知らない。そんな連中が、僕の友人を悪く言うのが──僕に何もできないのが、とても辛いんだ」

「真面目な人ねえ」



優しい子だ。だからこそ、そんな顔をさせたくない。自分だけが傷つくなら我慢できるけど、他人まで傷つけてしまうのはよくないよなあ。自己犠牲をするつもりはサラサラないが、もっと自分を大事にしようと思った。



「セドリック。あなたがもし私を信じているのなら、これからも信じていて欲しい。信じ続けて欲しい。いつかあなたに、本当のことを話すと、約束するから」

「……本当は今聞きたいけれど、君がそう言うってことは、話す気はサラサラ無いってことだろう? 分かった、君を信じて、待つよ」

「ありがとう。素敵な友人を持って、私は幸せよ」



今の状況はつらいけれど、私を庇ってくれる人が、私を慰んでくれる人がいることが、私にとっては何よりもの救いだった。それはロンであり、ハーマイオニーであり、セドリックであり、



「だからスリザリンに来るべきだったんだ、君は」

「全くだわ」



ドラコ・マルフォイであり、パンジー・パーキンソンであった。この展開には私も驚いた。朝食時、誰もが私に後ろ指を指す中、彼らはなんの意に介さず、私に話しかけてきたのだった。



「言っておくが、君のおかげでスリザリンが勝てるから喜ばしいなんて、そんな低俗な事は考えてないからな、アシュリー」

「そうよ、あんたが何かしなくたって、スリザリンが寮杯を取ることに、なんら変わりはないんだから。全く、余計な事しないでちょうだいよ!」

「別にそういうつもりは、ないんだけどね……」



これが俗に言うツンデレというやつなのだろうか。ドラコはともかく、パンジーはつんけんとしながらも、その目の奥にはいつもとは異なる同情心が見え隠れしていた。



「でも、これで分かっただろう? グリフィンドールの連中も、君を散々担ぎあげておいて、自分たちの足手まといだと分かった瞬間これだ。僕らスリザリンでは考えられない状況だよ」

「まあ、あんたはだいぶ馬鹿だと思うけど。第一、一体何やらかしたら一度に百点も減点されるわけ? これってホグワーツの歴史に載るレベルよ!」

「色々あるのよ、色々……」



二人は何だかんだ言いながら、私を庇ってくれていた。それが分かったのか、ロンとハーマイオニーはドラコたちがグリフィンドールの席に近づいても、何も言わなかった。パンジーは、クリスマスの一件以来、ある程度私に対しての態度は軟化した。そんなにドラコとダンスパーティに行けて嬉しかったのだろうか。仲良くしてくれるならそれに越したことはないので、ちょっと嬉しかった。

勿論二人とも、態度が軟化しているのは私に対してだけなので、他の人には色々突っかかったりしてるみたいだけど。



「アシュリー、やはり君はこんな低俗な連中とつるむべきじゃない。高貴な者は、高貴な者と一緒にいなければ、君までだめになってしまう」

「ありがとう、ドラコ、パンジー。でもいいの。どんな理由でも、私が原因であることに違いは無いんだから」



ポケットからチェーンのついた懐中時計を出す。暖かなメロディーと共に示される時間に、私は二人に挨拶をして、ロンとハーマイオニーと共に席を立ち、陰険な雰囲気に包まれる大広間を後にする。

どこへ行っても後ろ指を指され、クィディッチの練習では、誰もが私を無視した。あんな雰囲気の中での練習なんて、ただきついだけで楽しさの欠片も無かった。だが、この練習が無いと、私は夢に魘されることになる。病魔の様に、私を蝕む、夢を──結果、私は日々の勉強とクィディッチで疲弊しきってから淡々と一日を終えるルーチンワークに徹しているだけとなった。



「ねぇ、アシュリー」

「どうしたの、ハーマイオニー」



多方面から視線が突き刺さる図書室での勉強中、ハーマイオニーはポツリと私を呼んだ。彼女が勉強中に気を散らす様な真似をするとは、珍しいこともあるもんだ。



「あなた……最近、大丈夫?」

「うーん。特に何も無いわ。非難中傷は中々収まらないけれど、あなたたちが、ドラコやパンジー、セドリック、ハグリッドが居てくれるから、問題ないわ」

「そうじゃないの。そうじゃなくて……」



ロンは、ゴブリンの反乱史の年号を暗記をすることに専念していて、こちらの会話に混ざっては来なかった。ハーマイオニーは、心配そうに眉をひそめて、悲しげに顔を伏せながら言う。



「最近あなた……その──魘されている、から」

「……それは、」

「私たちの知らない所で、知らないことで、何かされてるんじゃないかって……あなた、ただでさえ今とても大変なことになってるのに……っ」

「ハーマイオニー、私は別に、」

「なんでもいいの。なんでもいいから、話して頂戴。私たちに隠し事はしないでほしいの。あなた、なんでも一人で抱え込んじゃう気がして……それで、一人でどこかに行っちゃいそうな気がして……それで──それで私……私たち、“ともだち”なのに、何もできないのが……悲しいわ……」



隠し事をしないで──か。

それは、出来ない相談だ。出来る筈が無い。一体どうして、『私には前世の記憶が合って、この世界の未来を知っている』だなんて戯言を、信じてもらえるだろう。ましてや、前世に未練があるなんて。前世の家族に、友人に、恋人に思いを馳せてるなんて、『アシュリーの友人』だと思っているハーマイオニーに、言える筈が、ない、だろう。



「ハーマイオニー。それは杞憂よ。私、隠し事なんてしてないわ」



ああそれは、どっちの『私』の言葉だっただろうか。


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