18

そうして生徒たちは一人また一人と休暇のため、ホグワーツ城から去っていった。今や生徒は数えるほどしか残っていないのに、柊やヤドリギを編み込んだ、赤と緑と白の太いリボンが城中を駆け巡り、廊下に設置されている重々しい鎧には神秘的な明かりが灯され、大広間は何時ものように見上げるほど巨大なクリスマス・ツリーが立ち並んだ。

そうこうしているうちにクリスマス直前になってしまったので、私は慌ててプレゼントの発送を試みた。いつものように、みんなには和菓子をふくろう通信で買って、大急ぎで仕上げたクリスマス・カードを添えて、ヴァイスに頼んでそれぞれに直送した。因みに中身はみたらし団子である。

そしてそのまま、バックビークの弁護に関しては何の収穫も得られないまま、クリスマスの朝を迎えた。



「アシュリー、メリー・クリスマス!」



朝、いつものようにジョギングから帰ると、ハーマイオニーが笑顔で出迎えてくれた。私もメリー・クリスマスと返してシャワールームへ引っ込み、着替えてからシュバルツを抱き上げようとベッドに屈みこんだが、シュバルツはまだ丸くなって寝息を立てていた。起こすのも可哀想だと思い、今日くらいは、と私はシュバルツを部屋に置いて、ベッドに積まれたプレゼントを持って―――流石に持ち切れないほど積まれていたので、魔法を使って―――二人で談話室へ降りた。ロンは一足早く降りてきていたらしく、自分のプレゼントを開封していた。



「おはよ、ロン。メリー・クリスマス」

「メリー・クリスマス、二人とも。……ウワ、すげえ量だな、それ」



ぷかぷか浮いているプレゼントの小山に、ロンは目を皿のようにして見ていた。しかし半分以上知らない人からの物だったので、手放しには喜べない。素直に知っている人のものから先に開封していこうと、三人で暖炉の前を占領し、ふかふかのソファに身を沈めながら宛名を確認し、開封作業に入る。



「またママからのセーターだ……また栗色だ、君らにも来てるかな」



ロンの言う通り、私たちにもウィーズリー家特製のセーターが贈られていた。胸の所にグリフィンドールのライオンを編み込んだ真紅のセーターで、ハーマイオニーのは鮮やかなブルーのセーターだった。そして他にもお手製のミンスパイが一ダース、小さなクリスマスケーキ、ナッツ入りの砂糖菓子、と大盤振る舞いだった。



「こんなにたくさん。いいのかしら」

「君の事が可愛くてしょうがないんだよ。特に今年は、ホラ、アー、色々あっただろ? ママもクリスマスくらいは楽しんで欲しいって思ったんじゃないかな」

「あなたのママ、ほんとに素敵な人ね」

「ホント、心からそう思う」



ハーマイオニーの言葉に頷くと、ロンは自分の事のようにポッと耳を赤らめた。ほんと、素敵なママだなあ、と貰った真紅のセーターを抱きしめた。やっぱり温かく、優しい匂いがした。

次に手に取ったプレゼントは、ハグリッドからのものだった。バタービール一ダースと、こちらもたいへん嬉しいものだった。恐らく私がホグズミードに行けないことを知ってのことだろう。自分も大変だってのに、ハグリッドに気遣いに心が温かくなった。その次に開けたプレゼントはダーズリー一家からのもので、紙袋にボールペンが入っているだけの物だった。お粗末なプレゼントに私もハーマイオニーも失笑するしかなかったが、ロンは大はしゃぎだった。



「ウワア、なにこれ!? これで字がかけるの!?」



たかだかワンコインで買えるノック式のボールペンに、ロンは大興奮していた。あの親にしてこの子ありか、と私はそんなに嬉しがるのなら、とロンにそのボールペンをあげた。どの道、ボールペンじゃ羊皮紙に字は書けそうにないしね……。

次に手に取ったプレゼントには、セドリックからのクリスマス・カードがついたものだった。手のひらに収まるサイズの箱に、高価なものじゃないだろうな、と危惧しながらプレゼントを開封する。すると―――。



「……ウッソ」



いつの日か、セドリックに預けた金の字でニンバス2000と銘打たれた破片。それがなんと、透き通るようなオリーブ色の石に包まれているのである。箱に入っていたのは、緑がかった宝石のような石に閉じ込められたニンバス2000の破片。親指ぐらいの大きさで、とても軽い。手に取ってみると、光加減でイエローにも見える色合いで、仄かに温かい。石の先はストラップの紐がついており、鞄や何かにつけて使えそうだと思った。

まさかこんな形で返ってくるなんて夢にも思ってなかった。驚きと戸惑いで震える手でセドリックからのクリスマス・カードを拾い上げて目を通す。



『 メリー・クリスマス、アシュリー

 先に謝っておく
 ニンバスの欠片、勝手にこんなことしてすまない
 けれど、どんな形でも良い、
 君の相棒を残しておきたいと思ったんだ
 新しい箒を手に入れても、ニンバスを忘れないように
 二年間、君と飛んだニンバスに敬意を表する為にもね

 休暇中はアンバーロードを辿る旅行に向かったんだ
 ニンバスに使ったのはグリーンアンバーといってね、
 あまり聞き慣れないかもしれないけど、アンバーの一種らしい
 一目見て、君のニンバスを残すのに相応しい色だと思ったんだ
 気に入ってくれると、嬉しい

 怪我の多い君が、少しでも幸せな日々を過ごせるよう贈る
 もう君の怪我した姿を見るのは、懲り懲りだからね

 それでは、よいクリスマスを


 セドリック・ディゴリー 友情を込めて 』



いやもう、ね。なんて良い人なんだろうって何回言ったか分からないけど何度でも言うよ。セドリック、君はなんて良い人なんだ……ッ!!捨てるに捨てられないニンバスの破片が、こんな素敵なストラップになるなんて思ってもみなかった。相棒、綺麗にしてもらえて本当に良かったなあ……!

にしても、グリーンアンバーか。初めて聞いたけど、カードを見る限り琥珀の一種って事でいいのだろうか。琥珀、琥珀かあ……鉱物ではないものの、これ中々お高いんじゃないの。気持ちは嬉しいけどこんな高価なもの貰っていいのだろうか……いやでもニンバスの欠片が入っている以上、セドリックに返すわけにもいかないし……いやでも今年の私からのプレゼント、みたらし団子だぞ。まずいでしょ、これ……。

頭を悩ませていると、何事かとロンとハーマイオニー私の手元を覗き込んできた。そして手紙とニンバスのストラップを見て、ニヤニヤと意地の悪い顔を浮かべた。



「すっげえ、ディゴリーの奴やるなあ」

「もう、その顔やめてって。……ああでも、ほんと、嬉しいなあ。ニンバスがこんな綺麗に―――セドリック、ありがとう」



ぎゅっとグリーンアンバーのストラップを握り締める。鉱物ではなく、熱を伝えにくい琥珀はぬくもりを保ち続けると聞く。すぐに、仄かな温かさを宿すニンバスのストラップに、私は頬が緩むのを感じたのだった。

しかしプレゼントの山はまだまだ底を尽きない。ロンからは赤とオレンジ―――キャノンズカラーの小銭入れを貰った。魔法界の貨幣は全て硬貨なので普通の財布じゃ役に立たないと思っていたところだ、ありがたく使わせてもらおう。ハーマイオニーからは『失われた文字をうつし世へ』という古代ルーン文字の教書だった、頭が痛くなるがこちらもありがたいことこの上なしだった。私の古代ルーン文字学の成績は天文学並、とは言わないが芳しくは無く、毎週行われる小テストは赤点ギリギリで通過している始末である。ハーマイオニーの輝かしいテストの点数が目に染みる。



「(やっぱ日本人は言語を学ぶのに向いてない種族なんだ)」



そう、自らの出生に責任を放棄し、私は考えることを止めたのだった。

さて、プレゼントの山はまだまだ底を見せない。ラベンダーやパーバティからはハニーデュークスで買ったと思われるキャンディーやチョコレートが詰まった大きな箱を貰ったし、ドビーからは靴下のお礼の手紙とミトンのような手袋を貰い、ネビルからは『百味ビーンズ-海外出張版-』という一風変わった百味ビーンズを貰った。シェーマスやディーンからは色取り取りのトッフィーを、クィディッチのチームメイトからもクリスマスカードや蛙チョコレートの詰め合わせが贈られ、ウッドからはカードの他に分厚い箒のカタログが五冊も頂いた。こんなには要らないなあ、と思いながら次の箱に手を伸ばすと、そこに綴られていたのは悪戯双子の名前。私はそっと、その箱を見なかったことにして次の開封作業に移る。

次に手に取ったのはクリスマスカード。気取った細い字に見覚えがあったからだ。何故か差出人の名前は無く、『すまない』と一言だけ綴られている。



「(……ルシウス・マルフォイのせいか)」



野郎、と思いながら私はカードを大事にローブに仕舞う。つーかドラコの事すっかり忘れてた、普通にプレゼント贈っちゃったのに。捨てられてそうだなあ、ドラコ、ショック受けてないと良いけど……。

再び知り合いからのプレゼントを掘り起こす作業を続けた。しばらく作業を続け、恐らく“例のもの”が入っているだろうやたら大きな包みを除いて、大方知り合いからのプレゼントは開封できただろうかと思った所で、私はまだまだ底の見えないプレゼントの箱の山に呪い探知の呪文を放った。いつものなら何の反応もないその呪文は、まるで警報のような大きなブザー音が鳴り響かせた。

あまりの音量に、ロンもハーマイオニーもプレゼントの開封作業を止めて、両手で耳を塞ぎながら私に駈け寄ってきた。



「な、なんだ!?」

「アシュリー、大丈夫!?」

「平気、探知に反応しただけ」

「呪い探知に反応!? どうしてそんな……」

「そろそろ英雄の看板も、効果が薄れつつあるみたいね」



闇の帝王を打ち破ったアシュリー・ポッター。百年ぶりに一年生からクィディッチ代表選手に、花型のシーカーに選ばれたアシュリー・ポッター。二年続けてホグワーツの危機を救ったアシュリー・ポッター。ママに良く似た整った顔をしたアシュリー・ポッター。勉強が出来るアシュリー・ポッター。

付加価値という様々な武装を身につけていた私は、常に注目の的であった。廊下を歩けば誰かに呼び止められたり、そうでなくても立ち止まって振りかえられたり、囁き声で噂をされたりした。今までは、その色のほとんどが、『羨望』だった。すごい、かっこいい、流石―――多くの人が思い描くヒーローのように、私は他人から羨望の眼差しを向けられていた。けれど、過ぎたる憧憬と嫉妬は紙一重。付加価値が多くなればなるほど、憧れと共に向けられる感情の色に『妬み』が付与されていくことを私は知っている。



「まあ、これも有名税って奴よね」



何も言えなくなってしまったロンとハーマイオニーに笑みを浮かべ、私はそのプレゼントの山に杖を奮う。大小様々な箱やクリスマス・カードががたがと音を立てて浮き上がり、私の杖の動きに合わせて移動する。そしてえいと暖炉に向かって杖を振るうと、その山が全て暖炉に向かって直進した。中身の分からぬプレゼントの山が、パキパキぱちぱちと火花を咲かせてオレンジの炎に包まれ同化していく様を、私は横目で見てから、茫然とした二人に向き合う。



「これでいいのよ」



中には呪いのかかっていない、純粋に私を想ったプレゼントがあったかもしれない。けれど、そんなの私の知ったことじゃないし、一々呪い探知をかけるほど私も暇じゃない。多少勿体ない気もするけれど、身の安全が第一だし、それに私はもう抱えきれないほどのプレゼントを友人たちから贈られている。顔も知らない連中からの贈り物なんて必要ないし、向こうだって私がプレゼントをどのように処理したかなんて知る術を持たないのだ。知らぬが仏という奴である。



「君ってなんていうか……ほんと、そういうとこあるよなあ」

「いけない?」

「いや、君の判断は正しいと思うよ。去年も言ったけど、見返りを求めてくる連中がいないとも限らないからね」

「ああ、それもそうね。特に今年は告白され出したし……『プレゼントを上げたんだからデートぐらいしてよ!』とか―――ウーッ、ありえそう。ホント勘弁して欲しいわ」

「来年からは、『プレゼントお断り』って看板掲げて歩かないといけないわね」

「効果があるんなら実行したいぐらいよ……」



そんな、馬鹿みたいな話をしながら、三人で溜息をついたのだった。

さて、気を取り直して開封作業に―――といっても、残るはこの、私の身長くらいある大きさのプレゼントだけ。おまけに、私の記憶とと原作の展開が正しければ、私はこの中身を知っている。そして、今後の展開も。なので、これ二人の前で開けたくないなあと思ってしまう。けれど、こんな大きなプレゼント、無視できる筈もなく。ロンもハーマイオニーもなんだそれはと言った顔で、こちらと、この大きなプレゼントを交互に見つめている。仕方ない、ままよ、と腹を決めて包みを開く。膝の上にコロリと出てきたそれ。『炎の雷』と銘打たれた最新の高級箒、ファイアボルトそのものだった。



「マジかよ」

「嘘でしょう、アシュリー」



ロンとハーマイオニーの唖然とした声が鼓膜を震わす。

―――しかし、すごいな。知っていたとはいえ、改めてこうして見ると、なんて素晴らしい箒だろうと思った。マホガニーの箒の柄が燦然と輝いており、柄の先から束ねられた樺の木の枝に至るまですらりとした流線型が眩しい。柄の端には金の文字で『ファイアボルト』と銘打たれ、その下に小さく登録番号が綴られている。何より、信じられないほど軽い。箒にさほど詳しいわけではないけれど、そこらの箒とは段違いの代物だということは素人目にも分かるぐらい、すごい箒だった。

私も一度、ダイアゴン横丁にある『高級クィディッチ用具店』でファイアボルトを見かけた。良い箒だと思ったが、進んでニンバス2000を手放すつもりもなかったし、プロ御用達だけあってそれ相応のお値段はしたよなあ、とぼんやりする記憶を引っ張りだす。確か、値段は五百ガリオンほど……日本円で四十五万くらいか。今年、ウィーズリー家が宝くじでグランプリを当てた賞金額が七百ガリオンと考えると、どれほど高価なものかが伝わるだろう。



「誰が送ってきたのかしら」

「カードが入ってるかどうか確認してみたら?」



ロンとハーマイオニーに急かされ、包み紙をひっくり返してそれらしきものを探す。まあ見つかりっこないんですけどね、とこの先を知る私は苦笑をしながら包み紙を拾い上げると、小さなカードがひらりと床に落ちた。あれ?

記憶にある展開と違うぞ、とカードを拾い上げる。いつか見た、どこか気取った筆圧の濃い字で、



『 メリー・クリスマス

 ニコラス・フラメルより 』



とだけ綴られていた。

ニコラス・フラメル―――その名は嫌というほど知っている。一昨年はこの名前を探して図書館の本を調べ倒し、去年は実際に会って、理由は分からないが自身の研究のため借りパクしたという『アゾット剣』を私に託してきた男の名だ。筋骨隆々のガテン系の文字が相応しい、魔法使いというよりは大工のオッサン、と言った方がまだ信じられるナリをしていたのをよく覚えている。

どういうワケか私をよく知っているような口ぶりだったが、私の記憶にはなく。そもそも原作では名前しか登場していないようなキャラなので、その人となりや背景は全く見えないのが少し怖い。ダンブルドアと親しげだったことから、悪い人ではなさそうだけど……少なくとも私に何百ガリオンを積んでまで箒をプレゼントを贈るほど良い人でもなさそうだし、そもそもそこまで親しいつもりもない。

けれど驚くポイントはそこじゃない。



「(何故シリウスが―――この名を)」



私は知っている。この箒の贈り主がシリウス・ブラックであることを。クルックシャンクスに頼んでまで、彼がハリーを想ってプレゼントしてくれることを、私は知っている。何より見覚えのあるこの筆跡が―――いつかパパたちが記した《動物もどき》に関する羊皮紙の中に紛れていた一枚のメモに、シリウスの字があったのだ―――シリウスからの贈り物だと裏付けている。それはいい、それはいいのだ。

問題は何故、シリウスがわざわざニコラス・フラメルの名前を騙ったのかだった。



「(何故、どうして知ってるんだ)」



適当な名前ではなく、何故、ニコラス・フラメルという限定的な名前を持ちだしたのか。第一、名前を騙るならダンブルドアとでも綴っておけばよかっただろうに、何故、ニコラス・フラメルなんだ。私とニコラス・フラメルの繋がりがあったことをシリウスが知っていたと仮定しても、何故、どうやって知りえたのか。

そもそも私とニコラス・フラメルが出会ったのは去年だ、しかも二回しか顔を合わせていない。一度は人気のない廊下で、二度目は校長室で。そんな閉鎖的な空間で、ものの数分言葉を交わしただけに過ぎない彼を繋がりがある、と言っていいのかはこの際置いておくことにして。そんな私とニコラス・フラメルの関係を知っているのはハーマイオニーとダンブルドアだけの筈だ。何故だ、どうして知っている。シリウスは今、ダンブルドアと連絡を取り合っているのか?



「ニコラス・フラメル? どういうこと?」



茫然とファイアボルトとニコラス・フラメルの名前が綴られたカードを交互に見やりながら、ロン呟く。そうだ、ロンでさえ、ニコラスと私の繋がりを知らないのだ。そういえば話していなかったな、と私とハーマイオニーで、去年の事を掻い摘んでロンに説明した。私を知っている口振りだったこと、私に剣を託したことなどを話すと、ロンは嬉しそうに顔を綻ばせた。



「よかったじゃあないか! ニコラス・フラメルにうんとお礼を言わなきゃ! ファイアボルトだぜ、国際試合級の箒なんだぜ!!」



あくまでニコラス・フラメルからの贈り物だと信じて疑わないロンは、目の前にあのファイアボルトがあるというだけで大はしゃぎだった。

けれどそれはロンがニコラス・フラメルに直接会っていないからで、あの人を食ったようなオッサンが私個人に何百ガリオンも積むとは到底思えない―――というのがハーマイオニーの考えなのだろう。何も言わず、じいっと箒を見つめる彼女の表情を見るに、その思案が窺える。



「信じられないわ。あのニコラス・フラメルが、あなたに?」

「おいおい、何が不満なんだよハーマイオニー。ファイアボルトだぜ?」

「……この箒は相当いいものなんでしょう?」

「現存する箒の中で、最高峰って言われるぐらいの箒だな。そうだな、おまけにスリザリンの箒を全部束にしても敵わないぐらい、高い」



まるで自分のもののようにテンション高くして語るロンに、やはりハーマイオニーは浮かない顔のまま、私の手の中のファイアボルトを見つめている。



「……変よ」

「何がさ!」

「私たち、去年ニコラス・フラメルに会ったわ。……確かに、悪い人じゃない。それは間違いないわ、ダンブルドアが信頼を置く人だもの。けどね、あの人がアシュリーの為に、そんな大金を払うとはとても思えないのよ」

「何が言いたいんだ、ハーマイオニー」

「つまりね、ロン。この箒はニコラス・フラメルからの贈り物を装った、シリウス・ブラックの罠なんじゃないかと思ってるのよ」



確信がある、というわけではなさそうだ。けれど可能性としては十分にあり得る、とハーマイオニーは言い切った。ロンはショックを受けた様にぽかんと口を開けた。



「ブラックが? 冗談止せよ、ハーマイオニー。国際手配されてる様な奴が、ノコノコ高級クィディッチ用具店に箒を買いに行けると思ってるのか?」

「それは分かってる! でも、ニコラス・フラメルはアシュリーに何百ガリオンもする箒をプレゼントするほど、気前の良い人には見えなかったの。そりゃあ、ルーピン先生みたいに気の良さそうな人だったら分かるんだけど……」

「気前の良い? ハーマイオニー、君は一昨年何を調べてたんだ? あの、ニコラス・フラメルだぜ? 賢者の石を作った張本人! 死なないようにする石、お金を作りだす石! 何百ガリオンなんて、フラメルにしてみりゃ、はした金に過ぎないさ!」



両者、譲らない。けれど、どっちの言い分も通るものだった。ニコラス・フラメルが私に対してそこまで心を砕いてるとは思えないし、そんな性格ではないとは私も思ってる。けれどニコラス・フラメルにとっちゃ何百ガリオンなんて雀の涙にも満たないはした金であることも否めない。

しかし、私が頭を悩ませている部分はそこではない。どうしてシリウスが私とニコラス・フラメルの関係を知っているのか、と頭を悩ます私の前で、二人の口論はヒートアップしていく。



「それは―――そう、かもしれないわ。けど!」

「大体、フラメルはアシュリーに、その、ナントカ剣ってのをタダでくれるような気前のいい人なんだろう?」

「アゾット剣よ。でも、気前が良いっていう風には見えなかったわ。確か、そう……『約束だから』と言っていたわ。優しさじゃなくて、義務感から来るものだったわ」

「くれたって事実には変わりないだろ? それに、アシュリーとニコラス・フラメルが知り合いだったなんて、僕でさえ知らなかったんだぜ? それを、どうしてシリウス・ブラックが知ってるんだ? 奴がアズカバンを脱獄したのは今年に入ってからだぜ、ハーマイオニー」



意味は違えど、私が疑問に思っていることをロンが挙げたのが決め手だった。それに関しては流石のハーマイオニーも否定する材料が挙げられないようで、しばし沈黙をする。そして、ゆっくりと、縋るように私の方に視線を向けた。

私もしばし考えたが、この展開と筆跡からファイアボルトがシリウスからの贈り物であることは間違いないと踏んだ。問題は何故、彼がニコラス・フラメルの名を騙ったのか、どうして私とニコラス・フラメルの繋がりを知っていたかだが―――考えても明白な答えは見つからない。だが少なくとも、この筆跡がシリウスのものであることは私がよく知っている。で、あるならば、少なくとも、この箒は箒として扱うのに全く問題が無いと言うことだ。

私はそう結論付けて、心配そうに眉をきゅっと顰めるハーマイオニーと、どこか不安そうにファイアボルトと私を交互に見つめるロンに向かって微笑んだ。



「確かに、ニコラス・フラメルが私に対してここまでしてくれる人だとは思わない」

「でしょう!? だったら―――」

「でも、ロンの言う通り、シリウス・ブラックがわざわざ高級クィディッチ用具店に箒を買いに行くとは思えない。それにやっぱり、シリウス・ブラックが私とニコラス・フラメルの繋がりを知っている筈が無いわ。だからこれは、本当にニコラス・フラメルが贈ってきたもの―――もしくは、ニコラス・フラメルの名を借りてダンブルドアが贈ってきたと見ていいと思うの」



借りものだったとはいえ、ダンブルドアは一度、私に対してクリスマスプレゼントを贈っているし、一生徒を贔屓していることを隠す為にニコラス・フラメルに頼んだと考えればいくらか筋が通る。

ダンブルドアの名前を出すと、流石のハーマイオニーも納得したように頷いた。そしてもう一度ファイアボルトに目を落としてから、ようやくハーマイオニーは笑顔を浮かべたのだった。ロンもほっとしたように安堵の息を漏らした。



「なあ、アシュリー! 僕、試しに乗ってみても良い?」

「勿論よ! ご飯食べたら、すぐ競技場へ行きましょ! ハーマイオニーもどう?」

「私は見るだけでいいわ。箒は苦手」

「苦手? ハーマイオニー、ファイアボルト乗れることがどんなにすごいことか、君は分かってないんだ!」

「そうよ! 一度ぐらい乗ってみるべきよ! なんなら一緒に乗りましょうよ、ハーマイオニー!」

「そりゃいいや! アシュリーが一緒なら落ちる危険もないだろ?」



疑問は残るが、ファイアボルトに危険が無いことだけは確かなのだ。ロンのテンションに当てられ、私も早くこの素晴らしい箒に跨りたいという思いでいっぱいになった。ハーマイオニーはそんな私たちを見て、くすりと笑みを零したのだ。

とりあえず一旦昼食に向かうので、箒を置いてこようと一人でファイアボルトを担いで女子寮へ上がる。扉をガチャリと開けると、足元にするりと何かがすり抜ける感触。あっ、と慌てて箒を持っていない方の手で、シュバルツを抱き上げた。



「うなあー!」

「だーめ、下にはロンがいるんだから。大人しくしてー」



暴れるシュバルツをフードに押し込んで、ベッドサイドにファイアボルトを立て掛ける。……ふふ、ファイアボルト。ベッドサイドに立て掛けただけなのに、心なしか部屋全体が輝きを放っているように見える。モゴモゴ動くフードをとんとんと軽く叩いて落ちつけて、私はもう一度シュバルツと共に談話室へ降りた。相変わらずソファでプレゼントを開封して楽しんでいた―――のだが。

ロンとハーマイオニーが互いの顔を見合せながら紙袋を―――今やもう見慣れた紙袋、『マダム・ブランドナーの毛糸屋さん』というロゴの入った紙袋を持ちあげているのが見えて、私はカッと顔に熱が集まるのを感じた。



「カードがついていないわ」

「誰からだろう?」



二人は首を傾げながら紙袋に手を突っ込んで、中の物を取り出す。それは、フリンジ付きの毛糸のマフラーだった。スラブヤーンで編まれたそれは全体的にぽこぽこしており、未熟な腕でもそれなりの物に仕上がって見える。ロンのは鮮やかなワインレッド、ハーマイオニーのは滑らかなクリーム色。両方とも、ワンポイントとしてZの鏡文字のような柄が白い毛糸で編み込まれている。ウィーズリーおばさんのセーターに比べると、ところどころ編み目の数が違ったり、きつく編み過ぎて左右の長さが均等にならなかったりしていて、少々―――いや、結構不格好だ。遠目に見てもそれが分かるのだ、もっと丁寧にするべきだったと悔いても、もう遅いことで。

ロンもハーマイオニーも目を丸くしてマフラーを広げている。差出人のないプレゼント。けれど、二人が二人とも同じ紙袋に入ったプレゼントだったこと、何より鏡を見るまでもなく真っ赤に染まっているであろう私の顔が全てを物語ってっていることだろう。二人の眼は、やがてゆっくりと私へと注がれていき、私は堪え切れずに俯いた。シミ一つない豪奢な絨毯を見つめながら、なんと切り出そうか言葉を探す。けれど見つからないまま、沈黙だけが流れて行く。



「……アシュリー、だろ?」



やがて私を見つめながら、確認を取るように言葉を切り出したのはロンだった。私は、あ、え、と言葉を詰まらせた。言うべき言葉は全部喉に引っかかってしまい、取れなくて。ハーマイオニーも目をまあるくさせて、私をじっと見つめている。



「や、あの、あのね」

「ああ」

「うん」

「その―――ね、わたし、私、編み物は初めてで」

「ああ」

「うん」

「時間も無くって、その、朝、ジョギングしながら編んでて。あの、えっと、そう違うものを―――去年と違って、二人には、違うものを上げたくって、私」



去年、みんなに同じプレゼントを上げていた私に言ったハーマイオニーの言葉がずっと刺さっていた。だからこそなのか、ほんの少しでも秘密を打ち明けられたことが嬉しかったのか分からない。けれど夏のあの日、マダム・ブランドナーの毛糸屋さんで『初めての手編みマフラーキット』を見つけた瞬間、これだと二人が頭を過ったのだ。衝動のままに買ってしまったはいいが、編み物なんてやったことなかったし、そもそも悠長に編んでる暇など私には無くって。なので早朝、誰も起きていないような時間に早起きしてジョギングする際、ひたすら走りながらマフラーを編み続けていたのだった。しかしいざ編み上げてプレゼントしてみると、あちこち歪でカッコ悪いなあとか魔法が主流なこの世界で今更手編みって間抜けにも程があるのではとかそもそも手編みって重たくないかなあとか色々考えているうちに恥ずかしくなってしまい、カードを添えることが出来なかったのだ。

俯く私に、二人の表情は見えない。何も言わない二人に再び顔に熱が集まるのを感じながら、何とか会話を続けようと口だけを動かした。



「あの、あのね、その文字は古代ルーン語のユルっていってね! ゲルマン読みだとエイワズって言うんだって! その、守護のルーンと言われてて、普段は石に刻んだりするらしいんだけど、マフラーとかでも効果あるのかなーとか思って、その、二人のことを守ってくれたら良いなとか思って! あー、いや、ホラ、最近物騒だし! 私の周りは特に! だからホラ、その、えーと……」



途中から何を言いたいのか分かんなくなってしまい口籠ってしまう。喋れば喋るほどあれこれ色々考えてしまい、パニックになる。なんかもうぐだぐだのグチャグチャでもう何が何だか。震える膝の上で拳を握り締め、頼むから何か言ってくれと切に願っていると、急に茶色い何かが突進してきて、私はそのままその場でドスンと尻もちをついて、フードの中のシュバルツがにゃあ!と一声上げた。二、三度瞬きすると、それが私の首に抱きついてきたハーマイオニーだと分かった。

温かい腕に抱かれながら、視界がふわふわの茶色の髪の毛いっぱいになり、ソファから身を乗り出してこちらを見ているロンがどんな表情なのか、抱きついてるハーマイオニーがどんな表情なのか、分からない。

分からないのに、嬉しさが込み上げてきて。



「嬉しい―――嬉しいわ、アシュリー」

「ハー、マイオニー、?」

「大事に、絶対、大事にする」

「……うん」



ぱっと離れたハーマイオニーの顔を見上げる。溢れんばかりの笑顔だ。ふと、ソファから身を乗り出してるロンとばちりと目が合う。薄いブルーの瞳が、緩やかに細められていく。



「ああ、絶対だ」

「……うん」

「ありがとな、アシュリー」

「ありがとね、アシュリー」

「―――うん」



さっそくと言わんばかりに二人の首に抱き付いたマフラーはやっぱりどこか歪な物で。もう少し修行しようと、私は二人の穏やかな笑みに誓ったのだった。

昼食の時間まで三人でのんびり談話室で過ごした。チェスをしたり、魔法の練習をしたり、プレゼントについてあれこれ吟味したりした。しかし、クルックシャンクスがオレンジの眼を光らせてロンをじっと見ていたので、ロンが少しだけ機嫌を損ねてしまった。仕方ないと、少し早いが談話室を出ることにした。ハーマイオニーは頬を膨らませていたが、ロンがポケットから取り出したスキャバーズを見て、私も、ハーマイオニーも何も言えなくなってしまった。



「あ……あんまり、元気そうじゃないのね」

「ストレスだよ!」



ロンは憤慨してた。数カ月ぶりにスキャバーズを見たが、見るも無残なぐらい痩せ細っていた。かつてはあんなにまるまると肥えていたのに、ロンの手の中で震えて縮こまっているスキャバーズは二回りくらい小さくなっていて、あちこち毛が抜け落ちていた。中身を知ってるだけ、別段哀れとも思わないが、愛着の湧いたペットが衰弱している様に心を痛めるロンを見るのは少し心に堪えた。

シュバルツがフードの中でジタバタ動いたのが分かったので、片手でフードの口を絞ってシュバルツが出られないようにして、なるべくロンを刺激しないようにする。



「あの猫どもがこいつをほっといてくれたら、すぐに良くなるんだ!」



ロンは、私というかハーマイオニーに向かってそう吐き捨てた。私は己が目的の為、シュバルツに余計なことをさせない為にシュバルツを見張っているが、ハーマイオニーはクルックシャンクスを見張ろうとも、閉じ込めようともしない。あの賢いクルックシャンクスが、スキャバーズを襲うなんてありえない、と信じて疑わないようだ。ペットのことになると人は馬鹿になるっていうしなあ、と思いつつ、憤慨するロンと、気まずそうに、けれど少し怒りを露わにするハーマイオニーの間に入って、ひたすら空気を取り持った。今日はクリスマスなんだから、楽しまないと……!

大広間につくと、いつもは四つある長テーブルが片付けられており、広間の中央にテーブルが一つ、食器が十三人分用意されていた、不吉だ。ダンブルドア、マクゴナガル先生、スネイプ、フリットウィック先生、フィルチが並んでいる。生徒は他に三人しかいない。ガチガチに緊張した一年生が二人、不貞腐れた顔のスリザリン生が一人だけだ。他は全員帰省したのかと驚いたが、まあシリウスの脱獄、更にはホグワーツへの侵入の所為で生徒たちが不安がってるのだろう。



「メリー・クリスマス!」



私たち三人がテーブルにつくと、ダンブルドアが嬉しそうに挨拶をした。



「これしかいないのだから、寮のテーブルを使うのは如何にも愚かに見えたでのう。さあ、お座り! お座り! 皆でクラッカーを持つのじゃ!」



ダンブルドアが大はしゃぎで大きな銀色のクラッカーをみんなに配った。みんなで―――スゲエ嫌そうなスネイプも含めて――クラッカーの紐の端を引っ張ると、バアンンッ、と大砲のような音が鳴ってクラッカーが弾け、色取り取りの帽子がテーブルに降り注いだ。スネイプのクラッカーからはハゲタカの剥製をてっぺんに乗せた大きな魔女用の三角帽子が現れたので、両サイドに座ったロンとハーマイオニーが瞬時に顔を背けた。スネイプは唇をきゅっと結んで黙ってダンブルドアに帽子を押し遣った。ダンブルドアは嬉しそうにそのハゲタカの剥製の乗った帽子を被った。

そうしてダンブルドアが杖を奮うと、目の前のテーブルに御馳走が並んだ。ロースト・ビーフに始まり七面鳥、マッシュポテト、臓物のスープ、チポラータ・ソーセージ、チキンティッカマサラ、ベイクドビーンズ……九割肉料理なのはもうこの際目を瞑る。この人数じゃシュバルツにこっそり料理を与えるのは無理そうだったので、後で厨房に直接忍び込むことにする。私がロンと一緒にロースト・ポテトを取り分けていると、大広間の扉がまた開いた。ひょろりと痩せた女性だ。大きな眼鏡をかけていて、トンボみたいに見える。スパンコールで飾ったショールをまとい、折れそうな手首には腕輪や腕輪がギッシリ詰められて地肌が見えないほど。

間近で見るのは初めてだ、トレローニー先生だろう。



「シビル、これはお珍しい!」

「校長先生、あたくし水晶玉を見ておりまして。あたくしも驚きましたわ、一人で昼食を摂ると言ういつものあたくしを棄て、皆さまとご一緒にする姿が見えましたの。運命があたくしを促しているのを拒むことが出来まして? あたくし、取り急ぎ塔を離れたのでございます……」



そう言って、しずしずと空いた席に着いた。ハーマイオニーが露骨に嫌そうな顔をしたので、私は吹き出しそうになった。トレローニー先生はそれに気付かずにいたが、テーブルにいる人々にその大きな顔を向けた瞬間、弾けるように席を立ち上がった。



「校長先生! あたくし、とても座れませんわ! あたくしがテーブルに着けば、十三人になってしまいます! こんな不吉な数はありませんわ! お忘れになってはいけません、十三人が食事を共にする時、最初に席を立つ者が最初に死ぬのですわ!」

「シビル、その危険を冒しましょう」



マクゴナガル先生も露骨にイラついた声を出したので、また笑いそうになってしまった。トレローニー先生は散々迷った挙句、立った席にまたゆっくり腰を下ろした。トレローニー先生は料理に手もつけず、テーブルをぐるりと見回している。



「あら、ルーピン先生はどうなさいましたの?」

「お気の毒に、先生はまたご病気でのう」

「それに、バブリング先生もお見えになっていませんのね」

「バスシバは研究室に籠りっきりです。何でもスウェーデンから取り寄せた北欧ルーン文字の石板の解読を推し進めたいようで。ですがシビル、あなたはとうにそれをご存じだった筈ね?」



おおー、マクゴナガル先生が切りかかっていくゥーッ!

しかしトレローニー先生はボロ一つ出さずにしずしずと言葉を返していき、マクゴナガル先生の苛立ちを助長させている。それがもうおかしくて私もハーマイオニーも顔を見合わせて笑ってしまった。ロンだけはトレローニー先生に『内なる眼』が備わっていない可能性も捨てきれないと、少しだけ不安な顔を浮かべたが。

それからは何事もなく、クリスマス・ランチが進んだ。料理が消えてクリスマス・ケーキが出現した時はもう腹がはち切れそうだったが、その美味しそうなクリームに誘われ、みんなケーキに手を伸ばした。やがてケーキの山も底を尽きた時、私たちはもう息も絶え絶えなぐらいお腹がいっぱいだった。これは運動しないといけないな、と二人を促して私は立ち上がった。するとその瞬間、トレローニー先生が大きな悲鳴を上げて、ガチガチに緊張した一年生がフォークを床に落としてしまった。



「あなた! 今、席をお立ちになったわね!?」



トレローニー先生の飛び出しそうな眼球がぐるりとこちらを向いた。ああ、そういやさっき死ぬとか何とか言ってたっけか。私はどうやっていなしてやろうかと思考を巡らせていると、マクゴナガル先生が静かに咳払いをした。



「食事も終わったのなら立ち上がりもするでしょう、シビル。扉の外に斧を持った極悪人が待ち構えていて、ミス・ポッターに斬りかかってくるというのなら話は別ですが」



マクゴナガル先生の冷たい言葉に、私やロン、ハーマイオニーだけでなく、フリットウィック先生も笑った。トレローニー先生はいたく侮辱された、といった顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。

それから私たちはファイアボルトの性能を試すべく、一度寮に戻って着替えて箒を取ってから、外に飛び出した。勿論、斧を持った極悪人はいなかったとだけは記しておく。白銀に染まるホグワーツ城を道なりに歩いていき、クィディッチ競技場を目指す。ロンは大興奮で、ファイアボルトを自分が運ぶと言って聞かないので、ロンにファイアボルトを預けた。ロンはまるでガラス細工のようにファイアボルトを捧げ持った。



「ファイアボルトだあ……すげえ……僕、ファイアボルトを持ってるんだ……」



うわ言を言い出すロンに、私より喜んでるんじゃないかって気がしてきた。ハーマイオニーもそんなロンに呆れたように溜息を吐いたが、機嫌の良いロンに水を差すつもりはないらしく、何も言わない。やがて銀世界に染まった競技場に辿りついた。ロンはさあ、と私にファイアボルトを差し出した。



「行けよ、アシュリー!」

「ええ!」



ロンからファイアボルトを受け取り、跨る。ドクドクと心臓が高鳴るのを感じながら、私は勢いよく地面を蹴り上げた。

―――別世界、その一言に尽きる。軽く触れただけでファイアボルトは私の思うように向きを変えた。もはや操作をしているというよりは、私の思いに直接反応しているようだった。少し屈めば、ファイアボルトは信じられないスピードで競技場を突っ切った。その速さといったら、景色の全てが霞んで見えた。しかしスピードが出るからといってコントロールが利かないなんてわけもなく。ちょっと向きを変えようと思ったら、私の思いに応えるようにギュッと華麗なターンを決めてみせた。あまりの速度に、ターンを決めるたびに雪に隠れた芝生がバッサァアアッ!!と音を立てて吹き飛ぶほどだ。

ロンもハーマイオニーも呆然としながら私を見上げていた。散々ファイアボルトの性能を肌で感じ取ってから、私は降下して二人の元へ降りる。ロンは興奮で耳まで真っ赤だ。



「最高! 負ける気がしないわ!」

「これで優勝杯は頂きだな、アシュリー!」

「当然!」



パチン、とハイタッチを交わしてから、私はロンにファイアボルトを差し出した。ロンは、信じられないとばかりにポカンと口を開いた。



「ほ、ホント? ホントにいいの?」

「勿論! 今更なに尻込んでんのよ、ロン!」

「アシュリー、君ってホント、最高だよ!」



ロンは震える手でファイアボルトを受け取り、跨った。そして歓喜の表情のまま、ロンは地面を蹴った。その瞬間、ロケットのような速さでロンは目の前から消えた。爆風が押し寄せて伸びた髪がばさりと靡いた。一秒とかからず数十メートル上昇したロンは、ゴールポスト付近でワイワイと一人で騒いでいる。それを、私とハーマイオニーが見上げている。

それからしばらくファイアボルトの性能を堪能したロンは、夢見心地のまま地上に戻ってきた。まだ地に足が付いていない顔をしたまま、ボンヤリとファイアボルトを私に差し出した。私はファイアボルトを受け取って、それからハーマイオニーの手を取った。



「アシュリー、私は―――!」

「一緒に乗るから大丈夫よ。ホラ、後ろに乗って。しっかり捕まっててよ?」



ハーマイオニーは一瞬困った顔をしたが、やがておずおずとファイアボルトに跨る。私の腰に手を回すように言って、しっかり捕まったことを確認してから、もう一度地面を蹴り上げた。びゅんと風を切って、空へ空へとファイアボルト舞い上がっていく。ハーマイオニーはぎゅうっと腰に回した手に力を入れた。

少し高度を上げてから、そのまま停止してみせる。ちかり、と西の空が煌いた。そちらに目をやると、鮮やかなオレンジ色の夕日が、静かに地平線の向こうへ傾いていく様が障害物もなく見えた。



「見て、ハーマイオニー! きれい……」

「ホント―――……」



宵闇色が天高くを染めていき、地平線上の太陽の周りだけが鮮やかな橙色を放っている。薄らと星の煌きが目視できるようになり、まんまるとしたお月さまがゆっくりと顔を出している。それを見上げたハーマイオニーが、またぎゅうっと腰に回した手に力を込めた。



「ん、なあに? 怖い?」

「……ううん。何でもない、何でもないわ」



彼女の声は、少しだけ震えていたような気がしたが、そう言ってかぶりを振ったのだった。……ああ全く、彼女の勘の良さには舌を巻くよ。


*PREV | TOP | NEXT#

- ナノ -