店仕舞いの時間になり、顔を上げて辺りを見回した。

田舎町の狭い路地裏を一歩出るだけで途端にきつい直射日光が肌を灼き焦がしにかかる。私は慌てて日陰に戻った。熱風とも汗ともつかない不快な湿り気が肌着を通して全身に貼り付いて、何をするにも体が重い。
お日様は降りながらも燦々と地面を灼く。日射を避けて避難しに来た猫がそのまま舗装の上で寝転んで、死んだようにぐったりと伸びてしまった。

荷馬車の上に布を掛け、そこに売れ残ったトマトやらオレンジやらを崩れないように積んでいく。慎重に恭しく、その大切な宝石達が山越えの最中に潰れたり傷んだりしないように。
至極日常的な作業中の私の頭上から、声が降ってきたのは不意打ちに近い出来事だった。

「サリュ、マドモアゼル。ちょっといいかな、頼みがあるんだが」

見上げると、びっくりするほど綺麗な銀髪が視界に飛び込んだ。
その髪の色にしては存外若い男の人。建物の三階の窓枠に手を掛けたその青年は、その窓からちょうど真下にいる私を覗き込む格好で顔をこちらに向けていた。

「……何かしら」
「荷馬車のそれ、売れ残り?」
「ええ、そうだけど」
「そうか、良かった……不躾な頼みで申し訳無いんだが、それ、僕に譲ってくれないか」

そう言って申し訳無さそうに微笑む青年は、都会育ちの娘なら言わずもがなだろう、田舎育ちの私でさえも思わず見入ってしまうほどの美貌の持ち主だった。

人形のように白い肌、長い睫毛に斜陽を乗せてきらきらと輝くオッドアイ。
真夏の照りつけるお日様とは対照的に、喩えるならば冬という季節を具象化したような人だと、色合いから自ずと浮かんだ連想はそれだった。

凪の時間は終わった。汗の湿り気が冷たい潮風に移ろい、気怠さは少しずつ解消されていく。もっと日が傾き切れば、町は黄昏の色に染まるだろう。





*   *






私の仕事は運び屋と云う。境界の山より北側に位置するこちらの国、この町では専ら「野菜売りの娘」と呼ばれている。

毎日正午に山を越え、無愛想な役人にチップを渡して関所をくぐり、品物を積んだ荷馬車を引いて町までやって来る。

三階建ての古い宿屋の裏の路地。荷馬車を停めれば、そこが商売場所だった。

お決まりの顔ぶれの人達が集まって、運んで来た南の作物を買い求めて行く。
オレンジ、レモン、月桂樹やハーブ、椰子に西瓜に、それからトマト。穫れたての果実は北の町の人達に大人気だ。みずみずしい滴が汗の粒のようにその表面を伝うのを見れば、誰だって自然と口元が綻んでしまうもの。私はそんな、この町の人達の分かりやすい笑顔を見るのが好きだった。

だから、この町が寂れてしまうのはとても悲しい。重税も役人も、町の人達から搾取する為だけにある物すべてを私は憎んだし、都会へ出て行く人達を見送ることしか出来ない自分にも腹立たしさが募るばかりだ。
私だって生活に困る。あの人達だって、外へ出ていったところで豊かに暮らしてゆける望みはほんの僅かなものだというのに、それでも食い繋いでゆく為には仕方の無い事だからと、故郷を捨てて。

いっそ関所を襲撃してやろうかと本気で考え始めた頃、彼は目の前に現れたのだ。



「昨日は本当に助かったよ。ありがとう、マドモアゼル」
「どういたしまして。自慢の商品の味はお気に召したかしら?」
「あぁ、絶品だね。新鮮なトマトなんて一体何ヶ月振りだったか」

三階までの高さを隔てて彼との会話が習慣になったのは、その翌日から夏の終わりまでずっとだった。

あいにく色白の優男は私の趣味じゃない。けれど彼という余所者に私は少し興味を持った。こんなに品の良い人は田舎じゃなかなかお目にかかれないし、単に余所者が珍しかった。恵んであげたトマトの味を最高に誉めてくれたのも、彼に対して好意的になれる理由の一つだった。

北の都会から来たのかと問えば、微妙に焦点をずらした返事が返ってきた。自分は仕事旅の途中で、この町にはつい最近入ったばかりだということ。一人ではなく連れ合いと二人だということ。あら、それじゃあ夫婦者なのかしらと聞けば、ああ、まぁそんな所かな、と曖昧に微笑んだ。

「君は? まさか毎日、山の向こうから野菜を売りに来てるのか」
「そうよ。南でしか採れない物を北へ運び、北でしか手に入らない物を南へ運ぶの。自分がどちらの出身かという自覚は無いわね。境界の真上が私の故郷だから」
「山の上からか。若い娘がご苦労様だな」
「そうなのよ。最近は関税の取り立てが厳しくて嫌になっちゃう。このご時世にお役人が威張れる町なんて、本当にろくなことが無いんだから」

お客さんの来ない間を縫って、二人きりになった時にだけ会話を繋ぐ。私がお客さんの応対をしている間、彼は首を引っ込めていて、その時に何をしているのかこちらからは全く謎だった。

片手にペンを握っていたような気がしたから、宿にいながら出来る仕事をしていたのかもしれない。彼の連れ合いという人は昼間は働きに出ているのだそうで、その人とは最後まで対面できないままだった。それが少し残念だった。

好きな人と一緒に旅をして、色んな町に泊まったり、時には文無しになってしまったり、仕事をして助け合ったり。そんな生活がどんなものなのか想像が付かないだけに、彼の素性や此処に至った旅の話をもっと聞いていたかった。
けれども彼はとても謎めいていて、話をはぐらかすのが途轍もなく上手なのだった。

「役人の家って、山の麓のあの大きな屋敷の事か」
「えぇ、まぁ……関所も兼ねてる場所だから、税金をたんまり貯め込んでるのよ」
「なるほど。道理で獲物の臭いがすると思った」
「どういう事?」

窓枠で頬杖を突いて私を見下ろす彼の白い指が、ぴんと立ってその唇に当てられた。

「此処だけの話。僕の本職は盗賊なんだよ」

あながち冗談では無いかもしれないと思った。
初対面で食糧を要求して来る程度には訳有りの旅人に、「盗賊」、その肩書きの胡散臭さは寧ろ自然ですらある。

根拠の無い確信ではあったけれど。

「そう。素敵ね、もしも本物なら」

この気怠げな町に吹く風のように現れた貴方が、私のささやかな野望を代行してくれたなら。それはそれで随分楽しい物語でしょうねと、そう言おうとした所でお客さんがやって来て、会話はふつりと打ち切られた。





*   *






山麓の屋敷から金剛石が盗まれたのは、町全体が秋の空気を帯び出す頃だった。

蓄財で潤った役人の巣窟に、侵入者は甚大な損害を及ぼした。出入国者を管理する壁が滅茶苦茶に破壊され、負傷者も大勢出たそうで、暫くは関所として機能する事も不可能らしい、というのがその日もまた山越えをした私の所見。

一夏の話相手になってくれた旅人は、やはりいなくなっていた。

いつもの路地に荷馬車を引いてやって来ると、ちょうど宿の石壁の裏口が開いた。
出て来たのは大きなワインケースを抱えた宿屋の主人で、おう、と大袈裟な目配せをして私を見留めた。

「うちの三階に泊まっていたお客なら、ちょうど今朝方出て行ったよ。真っ白な髪の兄ちゃんに、これ、あんたに渡してほしいって頼まれてな」

覗き込むと、ケースの中には上物のロレーヌ・ワインがぎっしりと。
この町の近辺ではとても手に入りそうもないような、高価で珍しい代物だった。

「一体どうして……」
「さあてね。こんな物を買えるほど余裕があるならうちみたいな安宿には泊まらんだろうし、大方、税金屋敷のもんだと俺は見たね」

それじゃあ盗賊だと言っていたのは本当だったのかと呟くと、主人は路地裏に響く大きな声を出して笑った。
そりゃあいい、神様みたいな盗賊様だ。お陰で役人共は暫く何もできんだろう。はっは、本当に有り難いこったな、お嬢ちゃん!

荷馬車に積まれた高級なワインケースはごとりと濃密な音を立て、古びた木製の空間にきちんと収められた。



関税の心配が無い山越えを思うと心が軽い。品物はいつもよりずっと安い値段で売れるから、南側の人達も喜んで買ってくれるだろう。

誰よりも明るい笑顔でこのワインを求めてくれる人の存在が浮かぶ。誰よりも愛しい、優しい褐色の肌に映える笑顔。
私の好みは北の都会の影を纏った人よりも、お日様と土の香りのする南欧系の明るい人なのだ。

一先ずは町の人々と、それから名も知らぬ盗賊達に主の祝福があらん事を。

これから向かうあちら側ではおそらくトマトの収穫も今日で最後だということを思い出し、すっかり気怠さを失った空気を切って私は荷馬車を引いてゆく。





















地平線以上の何かを飛び越えるお中元シリーズ(俺得)。別サイドの南風とリンクしてたり。



back

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -