抱き締めてていい?ってかそうさせて この話の続きです。 真波係の汚名を着て、どれだけの月日が経っただろうか…長かった… 授業中、休み時間、放課後、果ては長期休暇まで、真波係の名の下に酷使された日々。 新学期、少し冷えた廊下に学生たちの一喜一憂する声があちこちで聞こえる。二年になって、クラス替えが張り出されているからだ。 「真波…、真波…、ま、ま、ま…」 廊下に張り出された自分の所属クラスの名簿を、辿る。…ない。 「な、い…!」 念のためにと別のクラスの名簿を確認していく。 「あ、あった!」 しかも、委員長と真波は同じクラス!! これでもう、私が真波に振り回されることはなくなるはず。 「この日を待ってたー!」 ひゃっほう、とこの口で実際に言う日がくるとは思わなかった。でも、言わずにはいられなかった。 「久瀬さん、そんなに嬉しいの?」 背後から聞こえた、馴染みたくもないのに馴染んでしまった声。振り返らずとも分かる声の主を見ることなく、私は大きく頷いた。 「嬉しいに決まってんでしょ!」 だって、やっとだ。やっと平穏な日々が帰ってくるんだもの。休み時間には自由に休み、昼休みは昼寝して、放課後はドラマの再放送を観る。ささやかだけど、幸せな日々。 「ふうん」 珍しく、本当に珍しく、真波の声に棘があった。どんなにこきおろしても、怒っても、のらりくらりと笑っていることがほとんどだった真波なのに。まあ確かに真波の課題の尻拭いをしていた私がいなくなったら、放課後の部活参加率は低下してしまうだろうけれど。振り返ると、廊下の壁に寄りかかって腕を組んでいる真波が立っていた。普段のヘラヘラとした表情なく立っていると、私が思うより真波がモテる理由が分かる気がした。 「あんまり、委員長に迷惑かけないようにね!」 真波係をやって分かる、委員長の偉大さ。そして苦労。並大抵ではない。委員長としての責任の範疇を大幅に超えている。あれは、厚意だ。委員長の、厚意で、好意である。だからして、真波は感謝すべきなのだ。 じゃあね、と真波の肩を叩いて、新しい教室へと向かった。背中に突き刺さる視線を感じないでもなかったけれど、私はそれを綺麗に無視した。委員長への恩はあっても、真波への恩はないのだ。 新しいクラスは、快適だった。仲の良い友人も同じクラスだったし、担任の教員も口うるさいけれど生徒思いだ。それなりに前に立って仕切るタイプの人間も存在し、順調にクラス委員が決定したところで、ハッとした。この後のお決まりのパターンとしては、委員会の選抜である。去年図書委員になって、同じ委員だった真波と絡むきっかけを作ってしまった苦い経験を思い出す。去年図書委員になったのだから、図書委員の面倒さは真波も重々承知しているはずだろう。今年は、選ばない、はずだ。いや、でも分からない。サボってしまえばいい、それだけのこととも言える。去年真波に委員会の参加を促した先輩はもう卒業していない。真波にとって煩い上級生もいないわけだ。 私は案外図書委員の仕事自体は嫌いじゃなかった。真波がくるかもという理由で別の委員会に入り、面倒な思いをしたり、挙句別の委員会でうっかり真波と同じになった日には目も当てられない。 今は違うクラスなのだから、同じ委員になったところで大して問題はないだろう。 そうだ、そもそもなんで真波のために希望する委員会を変えなくちゃいけないんだ。 「あ、私図書委員やります」 今年もあっさり、図書委員になれた。 結果だけ言うならば、真波は図書委員にはならなかった。真波と同じクラスになった友人から聞いた話によると、去年のIHで活躍した真波に委員会を押し付けるのはまずいだろうという流れになり、当の本人はぐうすか眠っていたにも関わらず、押し付けられることはなかったらしい。うらやましい限りである。 「なのになんでこうなる」 「え、なにか言った?」 言った。言ったよ。言いましたよ。なにニコニコしてんの、てかなんでうちの教室にあんたがいんの。 昼食後に窓から入る日差しと春風が気持ちよくてついつい昼寝してしまっただけなのに。なのに、目覚めたら隣に課題をやってる真波がいたのだ。 「なんでそこで課題やってるの」 「委員長に課題やってから部活っていわれてさ。久瀬さんに教えてもらおうと思って」 だからなんでそこで私のところに来るんだって言ってんのよ。 黒板上の時計は四時過ぎを示している。なんで誰も起こしてくれなかったんだろう。え、私友達いない人?え、え? 私の隣の席に座る真波の机上、課題と思しきプリントはほぼ真っ白に近い。 「それ、ほとんど埋まってないけど。今までなにやってたの」 「久瀬さんの眠りを見守ってた。眠ってると、いつもと違っててかわいいね」 なに言ってんのコイツ。そして気のせいじゃなければケンカ売ってるよね。いつもはかわいくないって言ってるよね。 まあ、いい。去年、相手をした私が悪かったのだとあれほど後悔したじゃないか。 さあ帰ろうと机に突っ伏していた身体を起こして、そこで初めて私の肩に制服の上着がかけられていることに気付いた。隣の真波を見やれば、彼はジャケットを着ていなかった。日中は暖かかったけれど、今は肌寒いくらいに気温は下がってきている。 「これ、真波のジャケット?」 「え?あ、久瀬さんくしゃみしてたし、触ったら顔も手も冷たかったから」 前半はまあいいとして、後半はなんだそれ。お礼を言わなければという気持ちが途端に引っ込む。かけられていたジャケットを真波に差し出すと、何故か差し出した手のひらを両手で掴まれた。 「暖まったみたいだね、よかった」 にこりと無邪気に笑って、真波は私の手を放しジャケットを羽織った。 あー、嫌だ。心底迷惑な奴なのに、ちょっといい奴だから嫌だ。思い切り嫌な奴だったら良かったのにと思ってしまうじゃないか。去年から、そうだった。絶対に今度こそ、きっぱり断ってやる、もう相手にしないって心に決めたときに限って、チラリチラリとこいつは良いところを見せてくる。まるで、関係を断ち切ろうとしている自分が悪いんじゃないかと私に思わせるべく、良心を引っ掻くように。 小さく、ため息をつく。諦めるために。 いい加減認めよう。きっと私は、真波という人間が今はそんなに嫌いじゃないのだ。心底めんどくさいけど、真波という人間は嫌いじゃない。嘘も建前もなんにもない開けっぴろげなところや、自分では気付きもしなかった角度からの感想や、明るいばかりの笑顔が、どちらかと言うと好きなのだ。 「その問題で詰まってるのは、最初のとっかかりから間違ってるから。よく問題読んで。引っ掛けだから。この前教えた公式使えば解ける」 真波の小学生のような文字で書かれた数式をざっと読んでから、解きかけの数式の二列目を人さし指で示して説明してやる。 「久瀬さんて、案外お人よしだよね」 だから一言余計なのよ、案外ってなんだ。 「お人よしって思うなら、そのお人よしに頼らないでよね」 目が据わるのが分かる。人間として好きでも、側で関わりたいかと聞かれるとやっぱり微妙だ。真波は、何故私の機嫌が悪くなったのか分からないらしく、きょとんとした顔をして私を見つめてきた。この目が、苦手だ。小さな子どもみたいな、ビー玉みたいなキラキラした目。自分を見透かされているようで、居心地が悪い。 「久瀬さんに教えてもらうの、好きなんだ」 言いながら、私が指摘した問題を解いた。やればできるところが、またむかつく。 「あ、違うか。久瀬さんが好きだから、君に教えてもらいたいんだ」 まただ。これだ、私が一番真波を避けたい理由。気まぐれなタイミングで放たれる好きという言葉。真波の口からこぼれる二文字に動揺する自分がいるから、だから側にいたくないし関わりたくない。すっと、体が冷えた気がした。 「帰る」 立ち上がって、机の横にかけてあったカバンを手にとる。 「あれ、もう帰っちゃうの?」 真波は、首をかしげている。私と真波は、やっぱり相性が悪いのだろう。お互い嫌いあっているわけではないのに、こんなにもうまくいかない。 「冗談でも、好きとか、言わない方がいいよ」 なにか悪いことした?と顔に書いてある真波に、私は苦笑しながら言った。自分の発言の影響力を、真波は知らない。彼の頭の中には、自転車と山のことしかないから。 「冗談じゃないよ?だって、好きだから」 確かに、そうなのだろう。私は真波からの好意を感じている。けれどそれが親愛なのか、恋なのかが私には分からないし、それを確認したいとは思わない。 何故私はここまで頑なに真波を遠ざけようとするのだろうと、疑問に思ったことがある。嫌だなと思う人間なんて、今までにもたくさんいた。そんな人に対してだって、私はそれなりに妥協して、クラスメートとして付き合ってきたのに。 今分かった。真波を避けようとしたのは、苦手だし面倒なのに、関わるうちに好きになってしまいそうな自分がいたからだ。好きになったところで、報われないだろうし、報われたところで苦労するのは目に見えている。どう進んだところで私にとっては茨の道だ。だったら、好きになる前に関わるのをやめてしまおうと、無意識に私は真波を遠ざけたのだろう。失敗したけど。 「私は、真波が好きじゃない。放っておいて欲しい」 思うままに、言った。なのに、胸が苦しいのは何故だろうか。 脚を踏み出して、この場から離れてしまいたい。なのに、私の脚は全く動き出そうとしてくれなかった。 好きじゃない、でも、嫌いじゃない。ここに居たくない、でも、立ち去りたくない。 裏腹だ。自分に矛盾が多すぎて、混乱する。私はこんな人間じゃなかったはず。もっと冷静で、面倒ごとからは一歩離れて傍観してて、変に目立つことはしなくって。 「オレがその分好きだから、大丈夫だよ」 真波が静かに立って、私を覗き込んできた。なんだその理屈。なにが大丈夫なんだ。突っ込むのも億劫だったので真波から無言で顔を逸らすと、真波は噴き出して笑った。 「久瀬さん、素直じゃなくてかわいいね」 女子よりかわいい真波には言われたくない。それに、素直じゃないとこのどこがかわいいんだ。 「だからそういうのやめて」 より一層真波から顔を逸らす。顔をみられたくない。紅潮してしまっていたら、恥ずかしくてたまらない。 「抱きしめていい?」 唐突だった。真波から告げられた言葉の意味を理解してそれに答える前に、私は真波に抱き寄せられていた。 「ってかそうさせて」 背中に回された思ったよりもしっかりとした腕が、逃げようと身体をよじる私を閉じ込めている。 抱きしめられてまず最初に、誰もいなくてよかった、と思った。次に、あーどうしようかな、だ。この後どうしたらいいんだろう。 「オレのこと、好きじゃないって言ったけど、じゃあ、嫌い?」 ふざけた声で聞いてきたならごまかせたのに、普段になく真面目な声で言うのだからずるい。質問の仕方も内容もずるい。 「その聞き方は、卑怯だよ」 最期の足掻きに私が言葉で抵抗しても、真波は揺らがなかった。真波の腕が私を解放する気配はなく、私の返答を待っているのだと分かる。 ジャケットを羽織っただけの真波に抱き寄せられたからか、顔がシャツ越しに触れて、伝わる体温から彼の身体が少し冷えているのを理解してしまった。頼んでもいないのに私にジャケットとか貸すからだ。だから、真波の自業自得のはずなのに、なんで私が申し訳なさとほのかな嬉しさを感じなくてはならないんだろう。 「嫌い、じゃあ、ない」 嘘をついてしまえばいいのに、私の口はこんなときには上手に回らない。 真波が静かに笑ったのが身体越しに伝わってきた振動で分かる。私の葛藤やら意地を丸ごと見透かされた気がして、急に恥ずかしくなった。今度こそ真波の腕から逃れようと両腕で力一杯真波の胸を押すと、あっさりと私の腕の長さ分の距離ができた。。 恐る恐る真波を見上げると、彼は口元を微笑ませて私を見ていた。真波から伝わる気配が恥ずかしくて、ついまた視線を逸らしてしまう。 「あんまりかわいい反応されると、久瀬さんのこと全部オレのものにしたくなっちゃうよ?」 告げられた内容や、いつもと違う声の調子に、混乱する。真波は自転車と山のことばかりの人間じゃなかったの。欲なんて無縁ですって顔して笑ってる奴だと思ってたのに、今真波から私にぶつかってくるものは、欲まみれだ。 真波に両手をとられたのが分かる。混乱が治まらず、されるがままにしておいたら、人差し指の背を柔らかいものに吸われた。見上げたら、とんでもないものを見てしまうと確信したので、真波から手を奪い返して、後ろ手を組む。 「な、なに勝手に!馬鹿じゃないの!」 馬鹿だ、なにしてくれる。こういうのは恋人同士がやることだ。間違っても私と真波の間で行われていいやりとりじゃない。 「オレ最初は久瀬さんて割と言いたいこと言ってる人だと思ってたんだけど、実はそうでもないよね」 「真波は言いたいことだけ言ってるよね」 間違いない。 「オレ我が儘だから。でも、久瀬さんのことは慎重に行けって先輩から言われてたから、結構我慢してたんだよ?」 その先輩とやらが誰か知らないが、ストッパーをかけてくれてありがとう。今日外れてしまったようだけど。 「でも、今日はちょっと限界かも。この場で久瀬さんがオレに好きっていうのと、強引にオレが思うまま久瀬さんを好きにするのと、どっちがいい?」 さっきから、狡い質問ばかりだ。選択肢を私に与えているようで、結局選べるのは一つだけ。後半の選択肢を選んだらどうなるのかなんて、恐ろしすぎて考えたくない。 「あー、本っ当にちょっとだけなら、す、き?かも?」 今日気付いたことは、私は案外押しに弱いし流されやすいということ。 「…好きって言われたら、余計久瀬さんのこと好きにしたくなっちゃったんだけど。どうしよ?」 「知るか!我慢しなさいよ。ってか、ちょっとだけだし、かもだからね、かも!」 なんだか嫌な予感がして真波から距離をとろうとしたけれど、間に合わなかった。 「我慢は無理。オレ我が儘だもん」 真波の両腕に再度捕われながら、さっきよりも着実に減っている抱擁への抵抗感を自覚して、眩暈を起こしそうになる。 あー、やっぱり。最初から逃げ出してしまえばよかった。そもそも昼寝しなきゃよかった。授業は真面目に聴くべきだ。 大きな溜息をこぼした私の気持ちを知っているのか、いないのか。 「オレ久瀬さん大好きだし、久瀬さんもオレのこと好きなら、大丈夫だよ」 なにが大丈夫なんだ。主語を入れてくださいお願いします。 「だからこれからよろしくね、彼女サン」 「断る!無理!」 「えー」 「えーじゃない!あ、ちょっと!顔近づけないで」 「付き合ってくれないなら、オレの好きにしよっかと思って」 「それ脅迫だし。や、やめ、分かったから!試しに付き合ってみよ!で無理なら別…」 「本当?じゃあ彼女となら、遠慮いらないよね」 勢いのわりに、丁寧に重ねられた真波の唇はさらりと乾いていた。私のことを確認するように何度も触れてくる唇が心地好くなってきたとか、そんなのは気のせいに違いない。 真波は案外、したたかだ。 やはり長くなった… ツンデレヒロインを書きたかったのですが。 |