夢  | ナノ


未来から来たの


「小野田君、私ねぇ、四ヶ月未来から来たんだぁ」
 偶然を装って、部活帰りの小野田君を捕まえた。桜は半分以上散って、柔らかそうな若葉が茂り始めていた。冬よりは長くなった日も、十七時を過ぎれば夕日に染まる。一緒に帰らない?と誘うと、小野田君はちょっと驚いた顔をして頷いた。
 唐突な私の発言に、小野田君は円らな瞳をほんの少し見張って、そして笑った。
「四ヶ月先って、えーと、八月?」
「うん、そう。夏休み。今年もすごい暑いよ」
 へぇ、と感心したように相槌を打つ小野田君が、私の発言をどう捉えているのかは私には分からなかった。ただ、純粋に信じているのかもしれないし、スムーズに嘘をつく私に感心しているようにも思えた。
 カラ、カラ、と小野田君が押すママチャリの車輪が回る音がする。一緒に帰ろうと誘えば、小野田君は自転車を押して一緒に歩いて帰ってくれる人だった。
「小野田君、今年も自転車部で活躍してたよ」
「わー、プレッシャーだなぁ」
 困ったようにキョドキョドと視線を彷徨わせる仕草は、去年から変わらない。少し涼しい風が吹いて、小野田君の髪がふわりと靡いた。柔らかい髪は乱れたままで、つい手を伸ばしてしまいそうになって、なんとかその欲求を抑える。
「インハイはねぇ…結果は、言っちゃ駄目だと思うから言わないでおく」
 それがいいかもね、とまた小野田君は真面目な顔をして頷いた。
 一軒先にある交差点の歩行者信号が、チカチカ点滅する。あ、と小野田君は小さく声を漏らして、けど急ぐ気配のない私をちらりと横目で確認して、何も言わなかった。二人で、横断歩道の手前で立ち止まる。
「夏休みの課題、計画的にやっとけばよかったーって、言ってた」
「えぇ!?あー、でも、去年もそうだったもんね。気をつけるよ」
 去年、始業式後に自転車競技部の面々が集まって提出ギリギリまで宿題を写し合っていた光景が脳裏に蘇る。字が汚くて読めない、と今泉君が鳴子君に言って、それに反発した鳴子君が今泉君に噛み付き、小野田君が慌てて宥めて、杉元君はマイペースに宿題をちゃっかり終わらせてたりして。
「夏、楽しみだね」
 我ながら、なんて心のこもっていない声だろうか、と思った。いらないことは言うもんじゃない。
「…そうだね」
 声の調子に気付いたのか、小野田君は顔を曇らせて心配そうに私を見つめた。
 ずっと、ずっと、楽しみだったのに。小野田君が、自転車に乗るところ。見たかった。夏が早く来ればいいのにって思っていた私は、今は少しでも暖かい空気が遠ざかれば良いと思っている。
 何か言いたげに、小野田君の唇が小さく開いたタイミングで、目の前の信号が青になった。私が一歩踏み出したので、小野田君は言葉を発する機会を失ったらしく、数瞬遅れて私の隣に並んだ。
 カラリ、カラ、カラ、と車輪が回る。
 あと、ちょっとでバイバイと分かれるT字路だ。小野田君は左へ、私は右へ。学校からここまでは、こんなに短かったかなと、不思議に思う。急いだ訳でもないのに。ゆったりと、なんでもない話をしただけなのに。時間は過ぎていく。
「じゃあね、バイバイ」
 T字路に到着して、私が右手を振ると、小野田君は戸惑いながら、左手を振ってくれた。なんとなく、無言で見詰め合ってしまう。今日は、小野田君の背中を見送りたい気分なのだ。いつも通りバイバイと笑って、自転車に乗って、左に向かって走っていく背中を、見送りたい。
 小野田君の目は綺麗だなぁ、と思った。キラキラとして、透き通って。
 これ以上見つめ合ったら、いらないことまで言ってしまいそうだったから、私はもう一度バイバイと手を振って、思い切り笑って、小野田君に背を向けた。
 残念。野望、敗れたり。
 背中から照らす夕日で、真っ黒な私が長く伸びる。
 やっぱり、髪の毛風でぴょこりと跳ねちゃったところ、直しちゃえばよかった。驚かれたかもしれないけど。それくらい、いいじゃない?
「な、夏休み!」
 背後から、小野田君にしては珍しく大きな声が響いた。
「ボクらの話ばっかだったけど、じゃあ、久瀬さんは?」
 普段は、鈍いのになぁ。こういうとこには、気付いちゃうんだなぁ。
「久瀬さんは、どうしてるの?」
 カラ、カラ、と車輪の音。小野田君が数歩近づいた音。
 私?私は、ねぇ。
「私は、あー暑い、暑いって、毎日アイスばっか食べて。夏太りに困ってるよ」
 やりたいことのない夏休みは、とても長いから。
 夏の暑さに日々嘆いて、癒えない渇きを喉を通る冷菓で冷まして、どうにかごまかしているだろう。





どことなくぼんやりした話を書きたくなりまして。
最初拍手お礼文だったんですけど、どうしても苗字を呼んでもらわないと流れがおかしくなったので、こちらに。
急に出向になった私の気持ちを表現してみました。
さみしーよー、誰かが行かなくちゃいけないの、分かってますけどぉ。
経験年数と条件的に私なのも分かりますけどぉ。
小野田君に癒して欲しいです。










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