夢  | ナノ


そういうのじゃなくて


 なんとなく、だけれど。私は他の女子よりも、一歩巻島君に近い位置にいると思う。
 それは巻島君の好きなグラビアの女の子みたいなかわいらしさを持っているからではなくて、その逆だ。つまりは私があんまり女っぽくなくて、適当なところがあって、真面目すぎも不真面目すぎもしないから、気楽なのだと思う。
 なにがきっかけだったかなんておぼえていない。いつの間にか交換していた携番は、これといった用事がなくても時折鳴る。メールはあまり得意ではないらしい巻島君は、正直喋るのだって得意ではなさそうだけれど、休日に気まぐれに鳴った携帯に私が暇だなぁとぼやけば、巻島君も暇なときならなんとなく一緒に時間をつぶしたり、買い物したり、オススメのグラビアアイドルを紹介されたりする。そんな仲だ。
 高一で同じクラスになって、今年も同じクラスになった巻島君は、ヒョロリと背が高くて、何色とも言いにくい変な色の頭で、さわやかには笑えなくて、そして天邪鬼な人だけれど、でも優しい。
 一部女子に目元と口元のほくろが色っぽいなんて言われている巻島君は、そんなことには全然気付いていなくて、隣のクラスの栗毛のあの子が巻島君いいねって言ってたよと教えてあげたって「オレはキモイからなぁ、話しかけてくる女子なんて久瀬くらいショ」とか苦笑する。その返答に納得いかない顔をしてしまう私の背を、巻島君はいつもあやすように柔らかく叩く。
 巻島君と一緒にいると、心地良すぎて困る。空気が吸いやすくて、あったかくて。
 巻島君は天邪鬼だけれど、なんだかんだと言うだけで、その心根は驚くほど他人を思いやっている。巻島君が私が気付かれないようにしてくれていた、あれやこれやに気付くたび、あったかいものが心のなかに積もっていったのだ。

 机の上にノートを広げて午後の小テストの勉強をする私の、視界を遮るように細くて、けど長い指が入り込んできた。その手の持ち主の顔を見るまでもなく、手を見るだけで分かってしまう自分は重症かもしれない。
 ノートから顔を上げて見上げると、巻島君が私の正面に立っていた。
「どうかしたの、なにその変な顔」
 巻島君は、照れとも不機嫌とも言えない珍妙な顔をしていた。ただでさえ下がっている眉毛が、私の言葉を受けてさらに下がる。
「変な顔で悪かったショ。…今日、バレンタインだなぁ」
「バレンタインだねぇ」
 駅に隣接しているデパートのお正月の特別ディスプレイが終わったと思ったら、このコーナーはすぐにピンクや赤のかわいらしいデザインに切り替わった。気が早いものだと思っていたけれど、月日が経つのは早いもので。
「だねぇって…」
 巻島君が、人さし指で自分の頬を気まずそうに掻いている。
 私から巻島君へのチョコレートはないのか、という確認なのだろう。去年はいかにも義理といった三百円の市販品を渡した。ちょっと驚いた顔をして、巻島君は丁度今のように自分の頬を掻きながら不器用に笑って受け取ってくれた。ホワイトデーには三倍返しどころじゃない有名洋菓子店のマカロンを渡されて、申し訳なさ過ぎてパステルカラーのマカロンたちを巻島君と半分こずつ食べたのも、そう遠い思い出ではない。去年ももらえた、今年も仲良くしている、当然もらえるものと思うのも仕方がないことなのか。男子にとってバレンタインにチョコをもらえるかもらえないかは結構大きな事件なのかもしれないけれど。
「午前中何回か呼び出されてたじゃない。靴箱にも入ってたって聞いたけど。巻島君チョコそんなに好きだったっけ?」
「チョコが好きとか、そういうんじゃ…久瀬、デリカシーの欠片もないショ…」
 はぁ、とため息をついて肩を落とす巻島君は「でも久瀬らしいッショ」と苦笑する。その苦笑が、どこか哀しげなものにも見えて、私が悪いことしてるみたいな気分になる。思わず、知っているんだよ、と口から出てしまいそうになる。

 二月に入ってすぐの放課後、教師からの呼び出しで帰宅が遅くなった。太陽が傾き始めた頃に昇降口をくぐり、校門へ向かって歩くその前方に巻島君たちがいた。巻島君といるのは、同じ自転車部の金城君と田所君だろう。トレーニングウェアを着た三人は、どうやら部室へ向かっているらしい。あいさつでもしようかと思って少し早足になった私に、バレンタイン、という単語が聞こえてきた。
「金城も巻島もモテっからなぁ。羨ましいぜ」
「田所っち去年チョコもらってたッショ。それに金城はともかくオレはモテてなんかないショ…」
 面倒見の良い田所君は、去年女子からチョコレートを貰っていた。ほぼ義理という雰囲気だったけれど、私は義理という体でしか渡せない本命の女子がいたことを知っている。
「なぁに言ってんだよ、巻島去年貰ってたじゃねぇか、なんだっけ、久瀬から。今年も貰えるんじゃねぇの」
 不意に自分の名前がでてきて驚く。
「あー、久瀬は、そういうんじゃないショ」
 さらりと言われた巻島君の言葉に、頭をガツンと殴られたような気がした。
 追いつこうと早歩きになっていた両足が、急に重くなって、その場に縫い付けられてしまう。三人はそのまま部室棟の方へと歩いていってしまった。
 そういうんじゃないって、どういうことなんだろう。
 …どういうこともなにもない、つまりは、バレンタインにチョコ貰っても、仕方ないって、そういうことなんだろう。
 じゃあ、去年のあれも、本当は迷惑だったのだろうか。巻島君が優しいからホワイトデーも付き合ってくれたんだろうか。
 恥ずかしい…!
 ちょっとでも喜んでくれたんじゃないかなんて思ってしまった自分が恥ずかしい。
 巻島君にとって、自分はほんの少しでも特別なんじゃないかと思っていた自分が滑稽で。

 今年は、去年とは違う気持ちを巻島君に抱いていたから。
 笑おうとすると変な顔になるくせに、私に苦笑するときの顔は酷く優しくて。優しくて。好きになってしまったじゃないか。
 渡そうと思ってた。去年みたいな、いかにもな義理チョコじゃないもの。
 一月に入ってすぐ、ホワイトデーで貰ったマカロンの洋菓子店に行って、バレンタインデー限定の商品を予約した。ショーウィンドーの向こう、一口サイズのブラウニーが四切れ入った赤い箱のサンプルは、とてもかわいくて。
 十三日受け取りのブラウニーの予約を取り消すことを忘れていたのを思い出したのは、二日前だった。自分で食べてもいいか、美味しそうだったし、ご褒美の自分チョコなるものもあるらしい。そう思いながらお財布を握って向かった、洋菓子店。
 真っ白なエプロンを着けた笑顔のお姉さんから、手渡されたワインレッドの紙袋。
 私に食べられるために、買ったんじゃないのにね、なんて思う。
 でも渡す勇気はガツンと食らったあの言葉で砕け散ってしまったよ。

「紙袋」
 巻島君が、机の横に引っ掛けてある両手に乗るくらいの大きさのワインレッドの紙袋を見つめながら尋ねてくる。
 昨日家に帰ったらすぐに食べてしまおうと思った。でも、紙袋から取り出した、真っ赤な箱と真っ赤なリボンは、やっぱりすごくかわいくて、私が食べてしまうのはカワイソウになってしまった。
 女の子は、チョコレートに恋を封じ込めて渡しているのだ。きっとそうだ。そうに違いない。この四枚ぽっちのブラウニーは、私の恋心だ。気持ちに応えてもらえなくても、せめて好きだという気持ちだけでも食べてもらいたかった。
 恋心ごと否定されてしまったら、もう渡したって意味がないじゃないか。でも、自分の恋を自分で食べちゃうなんて、そんなの切なくって、消化不良を起こしてしまうだろう。せめて、誰かに食べちゃって欲しかった。バクリと食べて、この感傷に浸っている自分を消化して欲しい。
「あー、チョコだけど」
「だ、れに!?」
 ギョっと驚いたように目を瞬かせながら、巻島君が机に両手を突いて私に詰め寄った。巻島君の髪がふわりと揺れて、シャンプーなんだか香水なんだかの良い匂いが控えめに届いた。誰にって言えるわけがない。
「誰にって、それこそデリカシーの欠片もないショ、でしょ」
 なんで本人に傷口抉られなくちゃいけないんだ。
「わざわざ行って買ってきたのか」
 紙袋に金字で印刷された店名に気付いたらしい。
「去年、マカロン美味しかったから」
「こんなことになるなら、酢昆布でも渡せばよかったショ」
 あーとかうーとか言いながら、巻島君は頭を抱えている。言っておくけど、去年貰ったのが酢昆布だったとしても、バレンタインに酢昆布渡すほど馬鹿じゃないわよ。
 それに、そんな反応されたら期待してしまうじゃないか。そういうのは、やめてほしい。
「結局渡せなかったんだ。こんな重いチョコで申し訳ないけど、田所君にでも食べてもらおうかと思って」
 きっと、四枚のブラウニーは、一分もかからないで田所君の胃袋の中に入ってしまうに違いない。
「チョ、なんで田所っちなんショ」
「田所君、美味しく食べてくれそうじゃない」
 どうせ行き先不定となってしまった恋心入りなのだけど、せめて美味しいと言ってもらいたいじゃないか。
「オレ、の方が美味しく食べる」
「は?」
「だから、田所っちよりもオレのほうが美味しく食べるから、オレに」
「あー、巻島君は、駄目かなぁ。後日別のチョコ渡すよ」
 丁度、鐘が鳴る。私の言葉に、また巻島君が傷ついたような顔をしたのが、不思議だった。
 バレンタインに小テストなんて、彼氏がいない先生の僻みだとか言ってる女子がいたけれど、教室の浮かれた空気が凍りつくくらい難しい問題がでちゃったらいいのにと思った。

 SHRが終わって帰り支度をしていると、ふわりと巻島君の匂いが届いた。カタンという音と共に私の隣の席の椅子に誰かが座る気配がした。
「田所っちに渡すくらいなら、その渡せなかった奴に渡すッショ」
 左隣を見ると、真剣な顔をした巻島君が私を見ていた。なんで、巻島君がそれを言うんだろう。友達の恋を応援するつもりなのかもしれない。
 何も言えずにいると、机の横にかけていた紙袋の持ち手を、人さし指と中指でヒョイと引っ掛けて巻島君が持ち去っていく。
「そうじゃないなら、オレが食べる。受け取ってもらえなかったとしても、オレが食べるショ」
 普段は淡白な巻島君の何かに、今日は引っかかってしまったらしい。引く気は全くなさそうだった。
「分かった、田所君には渡さない…自分で食べる」
「なんでそうなるッショ。好きだから用意したなら、渡してハッキリさせた方が良いショ」
「だって、…渡せないから」
 私の返答に、ため息をつきながらも巻島君は、どこかほっとした様子で、困ったような顔をして笑っていた。
「渡さないなら、報われない久瀬の気持ちごと、オレが食べてやるショ」
 そんなこと、そんな顔して言わないでほしい。
 友達でいてもらいたいくせに、自分以外への恋心なら応援しちゃうなんて、なんて非道な男なんだ。
「困らせてやる」
「は?」
 私の唐突な言葉に怪訝な顔をしている巻島君のことが、やっぱり私は好きなのだ。
「言ったら、巻島君が困るだろうから、言わないでいてあげたのに。私の気持ちも知らないで、勝手なことばっかり言って、優しくして!」
 泣いちゃいたい、でもどんなときでも一人じゃなきゃ涙なんて出てこない、そんな可愛げのない女なのだ。
「私はそういうんじゃないって、田所君に言ってたくせに」
「それ、いつのはな…」
「友達でいてあげようと思ったのに、チョコ要求するようなそぶりみせたり、誰に渡すんだとか、ちゃんと渡せとか、好きな気持ちごと、私のこと受け止めてやるみたいなこと言って!」
「ちょ、久瀬…」
「巻島君の鈍感野郎!」
 困ってしまえば良いんだ、巻島君なんて。優しい巻島君のことだから、さぞかし苦しむに違いない。
「でも、好きです」
 これを告白と言っていいのだろうか。私の知っている告白っていうのは、もっと神妙なもののはずなのに。
「あー、オレも好きッショ、久瀬のこと」
 巻島君が、かすかに顔を赤く染めながら、人さし指で頬を掻いて言った。
「遠慮なく、いただきます」
 人さし指と中指で吊られていた紙袋を、巻島君は自分の膝の上に降ろして、中の箱を取り出した。真っ赤な箱、真っ赤なリボン。流れるような品のある動きで細い指がリボンを解いて、箱を開けた。
 小さなブラウニーが、巻島君の口の中に入っていくのを私はポカンと口を開けて見ていた。
「やっぱ、旨いショこの店。…久瀬口開いてる」
「なに勝手に食べてんの」
「止めなかったショ」
「や、私聞いたんだからね、そういうんじゃないって」
 私と巻島君のふわふわした関係から、一歩踏み出すきっかけにしようと思って準備していた勇気を、木っ端微塵にしたあの言葉をなかったことにはさせない。
「クリスマスも正月も、オレは練習だったし久瀬はバイトだったし、今更なんでもない日に告白するとか、オレは無理ショ」
 それは、分かる。私もそうだったから、バレンタインを利用しようと思ったのだから。
「久瀬から今日貰えても貰えなくても、言おうと思ってた。今年のバレンタインは、久瀬からチョコもらうとかそういうんじゃなくて、あー、もう言わせんなっしょ」
 机に頬杖をつきながら、私から顔を逸らす巻島君の眉は、いつもより更に下がっていた。
「それって告白…」
「言わせんなって、そういうキャラじゃないショオレは」
 手のひらで口元を覆う巻島君の頬が赤い。私も、赤いのかもしれない。
 不快だったバレンタインの浮かれた雰囲気が、途端に心地よくなった。私って現金だ。
「今まで、バレンタインとかお菓子業界の策略にのって馬鹿みたいとか思ってたけど、考え改める」
「オレもッショ」
 私も巻島君も、イベントというきっかけがないと踏み出せない人間だったわけで。
「当事者になると、大変なもんだねぇ」
 私の恋心入りのブラウニーは、綺麗に巻島君の胃の中に納まった。

「田所っちに渡すとか言い始めたときには、マジで目の前真っ暗になったッショ」
 二年近い友人関係が告白しあうことで急に甘い雰囲気になるはずもなく。しかも私と巻島君だ
 それでも、廊下を並んで歩く二人の距離がぐっと近くなったのは気のせいじゃない。巻島君のコートの左腕と、私のコートの右腕が、時々掠める。三度目の接触で、巻島君の指先が私の手の甲に触れて、四度目の接触で、巻島君の左手は私の右手を握った。冷やりとつめたい巻島君の手が、私の手を確かめるように何度か握り直して、結局、親指ごと手を全部包まれた。
「さ、三月に、一緒にあの店、行くかぁ?」
「い、行きたい、ね」
 お互いまっすぐ前しか向けない。お互い棒読みなのも気のせいじゃないけれど、藪蛇だからやめておこう。
 パステルカラーのマカロンを、半分こして食べる想像をして笑っていたら、巻島君が私の好きな優しい顔で「なに笑ってるッショ」と笑った。








 巻ちゃんは、恋愛下手だといいなぁという願望。










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