Extra 2nd 小野田 本当は、「風邪」が「なにを(キー)」だったんです。ごめんなさいUPその2 一月二十四日 小野田・久瀬 黒板の右端に書かれた文字を見て口元を弛ませながらも、微かに感じた目眩に目を閉じる。 なんだか、調子が悪い。ような気がする。 でも、明日は土曜日で学校は休みだし、次の授業で終わりだし。家に帰れば、眠っていられる。それに今日は… 「あ、あの、久瀬さん」 黒板の板書を消している私は、恐る恐る、という感じで、声がかけられた。隣で私と同じように黒板消しを動かしている、小野田君だ。まんまる眼鏡に、大きな瞳、ああ、今日もかわいい。 「小野田君、なに?」 精一杯、かわいく笑ってみせる。小野田君は、どうやら女子と喋るのが苦手らしい。うかつなことを言うと、涙目でごめんなさいと走ってどこかへ行ってしまうくらい、女子の反応に対してネガティブだ。 今日は、男女の所属数差で少しずつずれた結果、やっと回ってきた小野田君との日直の日だった。男子と喋るのが苦手な私にとって、小野田君は癒しだ。特徴のない凡庸な顔で、喋りもうまくない私は、男子との会話が続かない。でも小野田君は唯一、そんな私と同じペースで喋ってくれる人だった。 たまたま四月に同じ掃除の班になって、二人して口下手で気が弱かったから、連日掃除を押し付けられていた。みんな帰っちゃったねと言いながらも、二人ぼっちで化学室の掃除をするのは小野田君となら楽しかった。ちょっと怯えられている気もしたけれど、小野田君は慣れてくれれば朗らかで、優しかった。 漫研を復活させようとしていた小野田君に、漫画とかアニメとかに全然詳しくない私が入ってもいいのだろうかと迷って声をかけられないでいるうちに、彼は自転車競技部に入部してしまった。なんで、自転車競技部なんだろうと思っていた私は、放課後自転車に乗る小野田君を見て、納得した。小野田君は、とても楽しそうだった。小野田君がIHメンバーに選ばれたということを本人から聞いたのは、夏休みに入る直前のことだった。 自転車競技部にはすごくかわいいマネージャーがいたから、応援に行くねと伝えることはできなかった。なんで、とかこなくていいよ、なんて言われたら立ち直れない。 小野田君をちょっとでも見られればと思ってその大会について調べたら、三日間も期間があって、しかも一日ですごい距離を走ると知って、一体どこで見ていたら良いのか分からなかったから、とりあえずゴールのあたりで待機した。毎日、ゴールする頃にはボロボロになっていた小野田君は、それでも部活の仲間と楽しそうに笑っていて、自転車に乗る小野田君は教室で会う小野田君とは違って見えて、カッコ良くて。 三日目に小野田君がゴールしたときは、思わず泣いてしまった。 でもまさか、あのゴールが小野田君の立場をあんなに変えてしまうなんて思わなかった。まず、女子の反応が違う。休み時間に着席していると女子が小野田君を囲んで質問攻め。そのせいか、小野田君は毎時間他の教室やトイレへ逃げるようになってしまった。その上、今までは憎めないけど便利な奴くらいの対応だった男子も、小野田君が掃除をしていれば、やっとくから部活行ってこいよ、と言うようになった。当然女子も。せっかくの、二人でのんびり話せる貴重な時間だったのに。 二学期に入ってからは、ほとんど小野田君と喋ることができなくなった。 つまり、多少の体調不良なんで横に置いておかないといけないくらい、今日の日直は貴重な小野田君と喋れるチャンスなのだ。 「えーと、気のせいだったら、ボク失礼なこと言うことになるのかもしれないんだけど、体調悪いんじゃないかって、思って」 私とほぼ同じ目線の小野田君は、時々視線を左右に揺らしながらも、私の目を見ながら言った。眼鏡の奥の瞳が心配だと言っている。 「ううん、大丈夫だよ。ありがとう」 その言葉だけで、明日だって頑張れるくらい元気になれそうだった。 黒板の掃除が終わったので、次の授業の資料を取りに行かなければならない。私が手を叩いて黒板消しを元に戻すと、小野田君も同じように黒板消しを戻した。 「職員室、行かなきゃね」 「うん、そうだね」 小野田君は、心配そうな瞳を私に向けたままで、頷いた。心配性なのかなぁ。 二人で、並んで廊下を歩く。途中自転車競技部の大きな三年の先輩と職員室の手前で会って、小野田君はどうやら冷やかされたらしく、真っ赤になりながら首を振っていた。赤くなる小野田君も、いい。 でも、あれ?…小野田君たちは目の前で喋ってるのに、あんまり内容が理解できない。 「久瀬さん、ごめんね。田所先輩っていって、尊敬してる先輩なんだけど、後輩の面倒見がすごく良い先輩だから、それで…」 「からかわれちゃったんだねぇ」 小野田君が私に言ったことも頭が回らなくてよく理解できなかったけど、きっとそうなんだろう。へらりと笑った私を見て、それまで顔を赤くして慌てていた小野田君の目が急に真剣になった。あれ、なにかやっちゃったのかな、私。 「久瀬さん、保健室行こう」 私の手を、小野田君がぎゅうっと握った。小野田君の手は、あったかいイメージだったのに、ひんやりしていた。 「小野田君の手って、冷たいんだねぇ」 「何言ってるの、久瀬さんの手が熱いんだよ!」 小野田君に引かれるままに、職員室を通り過ぎた先の保健室に到着する。 扉の向こうは、かすかに消毒の匂いがした。清潔な匂い。 「あら、どうしたの」 「彼女、熱があるみたいで」 あらあら、なんて言いながら、養護教諭の先生は私たちを奥へ促した。小野田君に椅子に座るよう促されて、腰をおろす。膝がカクンと折れた。あれ、おかしい。 「大丈夫じゃ、なかったのに。無理させてゴメン」 小野田君が、悲しそうな目をしていた。 「小野田君、ごめんね」 「なんで久瀬さんが謝るの」 今度は、ちょっと怒ったように、小野田君が言った。 ちょっとごめんね、という教諭の声と共に耳元でピピピと電子音が鳴る。みんなしてごめんと言い合っていてちょっと愉快な気持ちになる。ごめんって、便利な言葉だなぁとぼんやりとした頭で思う。 「あらぁ、あなた38.4℃もあるわよ。お家の方いるかしら?」 「母が、いると…」 はちど…どうりでぼんやりするはずだ。熱には強い方だけど、流石に38℃を超えてくるときつい。 「は、はちど!!」 小野田君の珍しく大きな声が響いた。驚きすぎじゃないかなぁ。 先生と小野田君に両脇を固められながら、白いシーツの上に寝かされる。つめたくてきもちいい。 「あなたたち、クラスは?」 「ボクら一年の…」 体温を自覚したからか、体が辛い。アイスとか、冷たいものが食べたい。 「じゃあ、私ご家族に連絡してくるから、その間付き添ってあげて」 「はい」 カーテンの向こうのやり取りのあと、小野田君がそっと私のベッドサイドに来てくれたのが分かった。横になったら急に瞼が重くなってきて、しかも私より窓側に立つ小野田君の顔が逆光で見づらい。目を細めて小野田君にピントを合わせようとしていると、丁度授業の開始を告げるチャイムが鳴った。 「小野田くん、大丈夫だから、教室」 「大丈夫じゃないよ。久瀬さん無茶しないで」 ぼやける視界に、屈んで私の顔をのぞき込む小野田君が映る。その瞳が心配そうで。小野田君は優しいから、きっと私のことも気にせずにはいられないのだろう。ああ、迷惑かけちゃった。 「日直の仕事、まだあるのに、ごめんね。きっと、みんな手伝ってくれると思うけど」 自転車部があるのに、私がこんな状態では放課後の仕事はすべて小野田君がやる羽目になってしまう。でも、仕事をする小野田君を見たら、みんな手伝ってくれるはずだ。 「ボクのこと気にしてる場合じゃないよ。もう」 やっぱり少し怒ったような小野田君が、私を見つめている。優しい。 小野田君の、特別になれたらいいのになぁ。二人で化学室の掃除をしていた頃から、私にとって小野田君は特別だったのにな。 自転車に乗っている小野田君は、生き生きしてて、カッコイイけど、でも自転車に乗っていない小野田君に、私は恋をしたのになぁ。 「え、あ、久瀬さん、それ、あわわわ」 小野田君が真っ赤だ。首から上が、トマトみたい。 「小野田君真っ赤だけど…」 赤くなる小野田君は、やっぱり癒しだ。自転車に乗ってる小野田君は、カッコイイけど私を置いて行ってしまう。 「だ、久瀬さ、恋って、え、ボク?」 「小野田君、置いてかないで」 小野田君の上着の端っこを、掴む。親指と人差し指で掴んだその裾分くらいしか、もう私と小野田君の接点なんてない気がする。 「あ、もちろんボクここにいるよ」 小野田君が顔を赤くしたまま、見当違いの返事をした。風邪をひいて、寂しいんじゃないんだよ。あの大きな大会で走る小野田君を見てから、私はずっと寂しいんだよ。 隣にいた小野田君が、走って遠くに行ってしまったみたいで、寂しいんだよ。 「あのね小野田君、私、らぶひめの歌、この前聴いたの。かわいい歌だねぇ」 「え! 久瀬さん聴いてくれたの? 言ってくれればボクCD持ってるから貸したのに。あ! もし良かったら、サントラもDVDも持ってるから貸すよ」 自転車に乗っているときとはまた違う、爛々とした瞳で小野田君が語りだした。小野田君の話はあちこち飛んで、要領が悪いけど、でも一生懸命で、聞いていて楽しい。言っていることの半分は知らない単語だったけど、小野田君の好きなものを私に教えてくれようとしているのが、分かるから、うれしくて。 「うん、今度、貸してもらえるとうれしいなぁ」 DVDを観て、小野田君が喋っていることが理解できたら、うれしいなぁ。私も、小野田君が好きなものの話をしてみたい。小野田君はきっと、よろこんでくれるはず。 「…だとボク思うんだけど。あれ、久瀬さん?」 小野田君の声が心地よくて、瞼が重くなってきて、開けていられない。指の力も入らなくて、つかんでいた裾が指からするりと抜けていった。正確には、私の指が重力に従ってベッドの端に落っこちた。 「またやっちゃった。…でも、さっきのって、ホントなのかな。ボ、ボクのこと…いやいや熱あるみたいだしボクなんか気にしてくれる女の子なんているわけないし」 小野田君が独り言を言っている。目を閉じた私を眠っていると勘違いしているみたいだけれど、私の聴覚はまだ起きている。小野田君のこと、いいなって思ってる子、いるよ。うちのクラスにも、他のクラスにもいるよ。あんなにあからさまなのに、なんで分からないんだろう。でも、分からないままでいて欲しい気もする。気づいてしまったら、きっと小野田君が私と喋ることなんてなくなってしまうから。 「ボク…久瀬…しか喋……て…気付…るの……な?」 どんどん、意識も薄れていく。眠りに落ちる寸前、ひんやりと冷えた手に、右手を握られた気がした。 エクストラの経緯にていては、詳しくはmemo2013/01/22やらかした!!の記事を参照してください。 風邪ひきヒロインと天然小野田君。 読み返して今泉との扱いの差に笑うしかない。 もちろん今泉も好きですけど、小野田君は愛でたい感じ。 IHのことは学校でも取り上げられるだろうし、きっとちやほやされるに違いない。 私にしては、しおらしいヒロインでした。 |