夢  | ナノ


1位 東堂 真夜中に京都で罵倒(制服)


 箱学も、通常の高校と同じく修学旅行というものがある。私立なのでその規模は大きく、行き先も選択式だ。北海道、沖縄、京都の三ヶ所。私は迷わず京都を選択した。高二の二月に四泊五日で行われる修学旅行は、ある程度自由な雰囲気だ。もちろん、同行している教師たちは少しピリピリとしていたけれど。
 選択式でも、総生徒数の多い箱学の修学旅行は、前後に分かれて1週間交替で行われる。私たちは後半組だ。前半の旅行中後半組に授業はなく、ひたすら課題をこなす。後半組は前半組に課題を提供するかわりに、教師の見回りやらホテルの抜け道やら良かったポイントなどの旅行先の情報を前半組から受け取ることができる。つまりは、夜遊びや恋人との密会などがしやすい。まあ、私には関係ない。斑メンバーのスケジュールの関係で、私は後半組になっただけである。
 箱学に通う生徒のほとんどは関東出身者だ。中学の修学旅行で京都へ行っているため、京都の希望者は他の二箇所に比べ少ない。仲の良い友人と気兼ねなく楽しむ京都散策、を楽しみにしていたのに。
「久瀬さん、外になにか面白いものがあるのか」
 京都へ向かう新幹線の車中、現実逃避に窓際の席から外の景色を眺めていた私に声がかかる。そっけなく話を切り上げても、静かなのは長くてせいぜい三十秒。ちらりと視線を声のした方へ向ければ、うれしそうな笑顔が視界の端に入る。なぜ私の隣に東堂君。東堂君の隣には眠る福富君、向かいに座る友人たちは新開君に餌付けされている。誰だ修学旅行の斑を男女混合の六人にすると決めた奴。
 そもそもの始まりは、京都選択組の第一回集会時だった。視聴覚室に収まる二クラス程度の人数しかいない京都組に、自転車競技部の人気どころ三人がいると発覚したのはその時で、女子が喜びに浮ついていた。噂では、この三人のお守り役(兼突っ込み役)の荒北君は、修学旅行でまで三人に付き合っていられないと北海道を選択したらしい。放棄したい気持ちはよく分かるが、なぜ放棄した荒北君。
 その集会で、友人と最前列三人がけの机に座っていた私の通路を挟んで隣に座ってきたのがたまたま東堂君で、その東堂君とは去年同じクラスで、班分けが男女混合の六人で、私たちも東堂君たちも三人だった。私としては、もっと神社仏閣をゆったりと楽しめそうな男子諸君と組む予定だった。
 そもそも修学旅行先に京都を選ぶ決め手は、飛行機が嫌いなタイプか、京都でまったり探索したいタイプか、はしゃいだ空気の北海道・沖縄組について行けないタイプかにおおよそ分けられている。私はその全てに当てはまっていたわけだけれど。私は同じクラスの遠山君(眼鏡黒髪のおっとり文系男子)が京都選択であることを知っていたし、彼も友人と三人で座ってほんわか笑っているのを確認していたので、班分けが男女混合の六人だと発表された時から密かに狙っていたのだ。
 まずは班を作れ、という教師からの号令と同時に私は立ち上がって遠山君に声をかけようと思っていた。いや、かけようとしていた、かける途中までいっていた。
「とお…」
「わかった! 久瀬さんのこの山神と組みたいという意気込み伝わったぞ! 一緒に京都を楽しもうではないか!!」
 私は、東堂君の二列後ろに座っていた遠山君に声をかけるつもりだったのだ。視線だって完璧遠山君に向いていた。なのになんでか隣の東堂君にがっしりと両手を掴まれていた。東堂君たちと組みたい女子は山ほど(京都選択者の人数は少ないので少し誇張は入るけれども)いたし、私は東堂君とは組みたくない。正直、東堂君が静かに京都を楽しむことが出来る人とは思えない。
「私東堂君と組みたいわけじゃな」
「よし、ではオレが班長として先生に報告してこよう」
 わははと笑いながら、東堂君はさっさと教師に班員の報告に行ってしまったのだった。
 その時の、空気。想像できるだろうか。女子からの殺気とがっかりが入り混じった視線が私に突き刺さっていた。なにあの女、という無言のプレッシャーが私にのしかかる。とりあえず、怖くて振り向けないので、無言で席に着いた。
「みちる、東堂君と組むことにしたの」
 私の隣に座っている友人、佑ちゃんが私に問う。
「東堂君は去年同じクラスだっただけのただの知人です」
「そんなの知ってるわよ、私たちも同じクラスだったんだから」
 佑ちゃんの更に奥の詩織が呆れたように笑う。私たち三人は去年東堂君と同じクラスだった。でも、それだけだ。朝や放課後に会えばあいさつくらいはしたけれど、大して喋った記憶はない。類は友を呼ぶではないが、佑ちゃんも詩織も私と同様に自転車競技部には興味がなかった。どちらかと言えば、手の届く同じクラスの優しい男子とかの話題でキャアキャア言っていたくらいで、それぞれ自分の部活やバイトに忙しかった。東堂君はサービス精神の強いアイドルといった感じ…遠くで見てる分には良い、というやつだ。
「詩織、佑ちゃん、どうしよう」
「どうしよって、私は誰かとは組まなきゃいけないんだから誰とでも良いけど」
「私も」
 二人は私ほど困惑していないらしい。
 結局、班長東堂君は教師に無事報告を終えてしまい、東堂班という班名の記載された班別スケジュール報告書−行き帰りの新幹線とホテル以外はほぼ自由行動の京都組のスケジュールを教師が把握するために提出しなければならない−を持ってもとの座席に戻ってきた。
「では話し合おうではないか。ここは話しにくいし、教室も使ってよいそうだから移動しよう」
 東堂君は新開君と福富君に声をかけてさっさと視聴覚室を後にした。それをきっかけに、東堂君たちと組もうとしていたらしい女子が他の男子へ視線を向け、班を作るために動き出した。あぁ、遠山君の苗字が近山君だったら…
 京都での自由行動中のスケジュール決定でも紆余曲折あったし、自転車競技部の試合の関係で後半でしか行けないということが判明したときに、ここぞとばかりに「じゃあ別の班の女子とメンバー交換しよう」と提案したりもしたけれど、なんだかんだで新開君にうまく丸め込まれてしまった。私たち三人に前半でなければいけないスケジュールが存在しなかったことをなぜか東堂君や新開君が知っていたからだ。くそ…
 東堂君たち三人が良い奴なのは、顔を合わせる内に嫌でも伝わってきたけれど、なにぶん東堂君がうるさい。女子の視線も痛い。そして、佑ちゃんと詩織の二人が予想以上に新開君に懐いてしまった。会うたびに渡される飴やチョコで、日々餌付けされていくのが分かった。正直寂しい。
「組むのは誰でも良かったんだけど、でも新開君て意外と良い人だよ」
「うん、うん。良い青年だよ」
 とある日のお昼休みに二人が私に言った。私はあんたらの膨らんだ制服のポケットに新開君からもらった賄賂という名のお菓子が山ほど詰まっていることを知っている。私のポケットにも入っているからだけれど。でも、それでいいのか、二人とも。佑ちゃんと詩織の二人が新開君に懐き、福富君は自転車以外のところでは天然男子であったことから、自然東堂君の相手をするのは私になる。いつの間にか私は副班長にされていた。
 もう、班分けを変更するのは無理だとようやく気付いた七日前、私は東堂君たちの相手をするのをやめようと思った。きっと、いちいち突っ込んでいるから疲れるのだ。だから、流せばいいんだ、流せば…流せ…なが…
「ながせるかー!!」
 あやうく突っ込むところだった。ちょっとトイレ、と席を立って女子トイレで叫ぶ。
 なんなんだ、あの自由人三人。そして新開君に取り込まれた詩織も佑ちゃんも当てにならない。
 仲の良い友人と気兼ねなく楽しむ京都散策、を楽しみにしていたのに。
 深くため息をつきながら、再度、しみじみと思ったのだった。

「綺麗に晴れたなと思って」
 新幹線の外には水色の空と山が広がっており、自然が美しい。私の心とは裏腹に、と口に出すほど子どもではない。
「そうだな、京都も天気が良いようだしな!」
 東堂君は声が大きい。もうすこし声を落とせないものか。箱学の生徒だけでは新幹線の一両の半分程度しか埋まらなかったため、残りは一般の人たちで埋まっている。その人たちにとって迷惑になるし、何より私が疲れた。
「東堂君、飴あげる」
 東堂君は素直に私に礼を言って、私が手渡した飴を舐め始めた。直径二cmはある飴玉を口にした東堂君は、ようやく静かになった。

 京都駅到着後バスでホテルへ移動し、荷物を置いて教師からのお決まりのお説教を聞いて解散してからは、在室確認時間までフリーだ。今日は遠出はせずに、徒歩で近場を回ることになっていた。
 あちこちに気をとられて寄り道の多い班長、気になるものがあると立ち止まって動かない福富君、食べ物があるとフラフラ行ってしまう新開君に、それに付き合う詩織と佑ちゃん。
 お前ら小学生か。
 意地でも突っ込まない、と思っているのに、心の中では言わずにいられない。まだ、ホテルを出て三分だ。なのになんなんだこの無秩序っぷりは。新京極通をぶらついて、ホテルに戻って少しのんびりした後、また夕食を摂りに外へ出るというスケジュールだけれども、みんな自由にぶらつきすぎだろう。絶対そのうち迷子がでる。
「班長、ちょっと」
「ん? なんだ久瀬さん。ほら、これなんかかわいいな」
 笑いながら、東堂君は和紙を加工した髪飾りを私の髪に添える。いや、添えられたら見えないから。
「このままじゃ、ばらばらになって迷子になると思うんだけど」
「ああ、そうだな。流石は副班長…いや、もう手遅れのようだぞ」
「え?」
 振り返れば、斜め前の店先で猫の置物と見詰め合っていた福富君も、すぐ隣のお店で綺麗な和菓子を見ていた新開君たち三人も姿を消していた。京都にシーズンオフはないのだろうか、観光客が多く探しても無駄足になりそうである。
「…詩織たち三人は一緒にいるだろうけど、福富君が心配だわ」
「富は大丈夫だろう、ジャングルの奥地でも生きていけそうではないか」
 ワハハと笑いながら髪留めを元に戻す東堂君に、私は素直に頷けない。私の中で、福富君はしっかりしているようで自転車以外のことは抜けてる人と認定されている。今日の夜福富君が大阪にいたとしても私は納得するだろう。彼なら、ありえなくもない…と。
「とにかく、東堂君は福富君と新開君に連絡して。私は佑ちゃんたちに連絡してみるから」
 まずは電話。でも、出ない。聞こえるのはコール音と、留守番電話サービスに接続します、というお姉さんの声ばかり。東堂君も同じだったようだ。
「こっちも駄目だな。連絡が来るまでは二人で回ろう」
 連絡がつかない以上、そうするしかないとは思った。はぐれた四人だって小学生みたいではあっても、小学生ではないのだから、その内連絡してくるだろう。
「そうするしかないか」
「もっと喜んでも良いのだぞ、この東堂がエスコートするのだからな!」
 どこから湧き出るんだその自信は。
「さあ、久瀬さんはどこに行きたかったのだ」
 ぐい、と右手を引かれた。東堂君の左手が、私の手を握っている。京都の冬は、寒い。そんな中なのに、東堂君の手は私の手よりも暖かかった。ぬくい、と思いながらも流されている場合じゃないと我にかえる。
「東堂君、手を繋ぐ必要はないでしょ」
「む? オレたちまではぐれたら大変だろう」
 確かにその通りだけれども、手を繋ぐ必要がどこに。
「時間が惜しい、どこに行く」
 東堂君にとって手を繋ぐことは然程特別なことではないのか、それとも私の話に耳を貸すつもりがないのか、右手を離すことなく再度私に尋ねた。なんだろうか、この徒労感。
「小さなとこで良いから、神社に行きたい」
「よし、まかせろ」
 自信満々という風に、東堂君は言って私の手を引いて歩き出した。思ったよりも、東堂君の手は大きくて、そして硬い指をしていた。いつも余裕って顔をして大口叩いているイメージだったのに、努力をしている人間の指だった。胸のどこか一部がゆるりと溶けた気がした。

 今まで一対一で東堂君と話をしたことがなかったので気付かなかったのかもしれないが、案外彼は場を読むタイプの人間だったらしい。二人でいる分には、案外静かな目をする人間なのだと思った。通りから少し外れた場所にある小さな神社を参拝し、ぼんやりと社を見ている私の横で、東堂君も静かに佇んでいてくれた。寒い、けれどその締まった空気が私には心地よい。
「久瀬さんは、普段は胡乱な目をしているが、集中しているときは澄んだ瞳になるな」
 社から視線を外し、付き合ってくれた礼を東堂君に言おうかと思った時、東堂君が口を開いた。胡乱ってなんだ、失礼な。
「それは、貶してるんですか」
「もちろん褒めている」
 だったら前半の胡乱の下りはいらないだろう、と言おうと思ったが、思いのほか優しい目で東堂君が私を見ていたので、何も言えなくなった。
「東堂君は、どこに行きたいんですか」
「オレは、久瀬さんと一緒ならどこでもいいぞ」
 戸惑いなく、東堂君は言った。その言葉になにか含むものがあるのか、ないのか。まあ、ないのだろう。
 はぐれた四人からの連絡は、まだない。
「じゃあ、冷えたからあったかいお茶でも飲もうか」

 結局、はぐれた面子から携帯に連絡が入ったのはホテルへ戻る予定時刻の十分前だった。四人は一緒に行動していたらしい。
「え、もうホテルにいるの? てかなんで連絡くれなかったのよ。え、忘れてた?」
 酷い。あんまりだ。いくら新開君との時間を楽しんでいたとしても、友人一人を二時間も忘れるってどういうことだ。私の怒りが伝わったのか、詩織が慌てて事の流れを説明してきた。福富君が通りから外れてふらりと歩いて行ってしまったのを新開君たち三人で追いかけているうちに知らない場所に出てしまったらしい。元の通りに戻ろうと彷徨っているうちに、はぐれたことよりも知らない街を散策する事に興味がシフトしていたとのことで、新京極に戻ってようやく私の存在を思い出したのだと。新幹線でマナーモードに設定したまま四人とも解除していなかったらしく、私の連絡にも気付かなかったという言い分だ。
「まあ、無事だったのなら良いではないか」
 隣で、鷹揚に東堂君が言う。とにかく、私たちもホテルへ向かうと告げて電話を切った。
「東堂君さ、福富君と新開君に放置されたわけでしょ、なのに腹立たないの」
「久瀬さんと回って楽しかったからな」
 せっかくの修学旅行なのだから怒っていては損だぞ、と東堂君は私の手を引いて歩き出した。いつの間にか、東堂君に手を引かれることにも慣れてしまっていた。
 友人二人の平謝りに迎えられて、ホテルに入る。ホテルが見えてそっと離された硬い手が、東堂君はやはり気遣いの出来る人なのかもしれないと私に思わせた。

 予定通り、少しの休息の後六人で夕食へ出て京都の味覚を堪能し、再度ホテルへ戻る。
 教師による在室確認時間は午後九時だ。それ以降はホテルからの外出は禁止となる。ちなみに、男女間の部屋の行き来も九時以降は禁止。
「まあ、守るとは思ってなかったけどさ」
 友人二人は、夜中も零時を過ぎた頃、どうしてもラーメンが食べたい、と脱走した。
 前半の京都組からの情報によると、在室確認後の見回りは三時間毎で、しかも室内までは見回らないらしい。どちらかと言うと、室内の見回りがないのに誰がどうやって三時間ごとの見回りであることを調べたのかということの方が私は気になるが、まあ暇な人間というのはどんなところにだっているものだ。
 三時までには戻る、と私服姿の友人二人を見送ってから十分はたっただろうか。なんで二人とも私服持ってきてるんだ。言ってくれれば、私だって持ってきたのに。なんだか最近二人の様子がおかしい気がする。
 ラーメン、という単語は一種の魔力を秘めている。聞いたとたん、食べたくなった。でも、制服姿で零時過ぎに外をフラフラしていたら、たとえ箱学の教師に見つからなくても警察のお世話になること請け合いである。なんとか、高校生に見えない制服の着崩しはできないものかとコートからスカートが見えないように折ったりと試行錯誤していると、部屋がノックされた。見つかりそうになって帰ってきたのかと思いながら、急いでドアを開ける。途端、入ってきたのは詩織でも佑ちゃんでもなく。
「東堂君?」
「相手を確かめもしないでドアを開けるのはどうかと思うぞ」
 予想外の相手の入室に驚いている私を、東堂君は呆れたように見下ろした。日中も着ていたコートにデニム姿の東堂君は、トレードマークのカチューシャを外している。サラサラと前髪が流れる様子は、新鮮だ。
「新開に付いていったのだが、久瀬さんは来ていないというのでな」
 戻ってきた、と東堂君は言った。

 部屋の奥のテーブルに案内すると、東堂君はコートを脱いで椅子に腰掛けた。私服姿の東堂君は、モテるだけのことはあって、流石に格好いい。東堂君の話によると、詩織たちに新開君が誘われてラーメンを食べるというので、東堂君も一度外に出たのだそうだ。私だけ行けないのではカワイソウだと東堂君が戻ってきてくれたのだという。福富君はもう眠ってしまったらしい。
 お茶を出すと、東堂君はぼんやりとした様子で受け取った。
「そのお茶、熱いからね」
 一声かけたけれど、東堂君は聞いていないように見える。案の定、大して冷ましもせずに飲んで、驚いていた。
「な、なんで久瀬さんは制服姿なんだ」
 ちらちらと東堂君は私を見ながら私に問う。
「私服もって来てないし、浴衣姿で外なんて出られないし、なんとか制服姿に見えないようにして私もラーメン食べに行こうかと思ったんだけど。やっぱり無理そう」
 スカートが見えなくなったとしても、いかにも制服の上に着るダッフルに、革靴姿では、私は高校生だと言っているようなものだ。
「す、スカートが、短すぎるのではないか」
 今度は分かりやすく視線をそらして、東堂君が言った。確かに、今私の制服のスカートは短い。でも、それは普段は膝丈の私のスカートに比べて短いだけで、一般的な女子高生は大抵これくらいの長さだと思う。
「短すぎるって程でもないと思うけど」
「いや、短い! 元の丈にしろ、いや、してくれ」
 私の父親か。と思ったが、突っ込まない、突っ込まない。大人しくスカートの丈を戻す。
 普段どおりの膝丈になったところで、東堂君は満足げに大きく一つ頷いた。
「久瀬さんは無防備なのだから、あんまり脚をみせたりしてはならんぞ」
「無防備って、そんなの東堂君が」
「知っているのだ、知っているから言っている」
 真剣な顔で、私に言った。なにを知っているというんだろう。今回の修学旅行以前に、絡んだことなんてなかったのに。
「久瀬さんは、知らんのだろうが、自転車競技部の部室からは、久瀬さんの部活中の姿がよく見えるのだ。だから、普段は胡乱な久瀬さんの瞳が、構えた途端、冬の夜空のように冴え冴えと澄むことも知っている」
 驚いた。東堂君が、私の部活中の姿を知っているとは思わなかった。自分で自分の姿を見ることはできないから、瞳の違いについてはなんとも言いがたいけれど、入り込む瞬間に周りの音がなくなるように静かになるのは、いつものことだ。真剣な東堂君につられるように、私も真面目に椅子に腰掛ける。
「久瀬さんは、今回オレたちと同じ班になったのは偶然だと思っているのだろうが、そうではないのだ。あの一回目の集会で隣に座ったのはわざとだし、遠山に声をかけようとしたところを遮って勘違いのフリをしたのもわざとだ。班分けが男女混合だろうことは予想がついていたし、奇数を作れということはないだろうから、四人か六人、八人の班は京都組の人数的にない。四人なら、久瀬さんたちに俺だけ混ざればいい。六人なら言わずもがなだ」
 なんなんだろうか、東堂君のこの独白は。これでは、まるで。いやいや。…いやいやいや、ありえないだろう。
「久瀬さんは部活に夢中で、オレの試合なんて観にこないだろう。どうしたものかと思っていた。だから、富と新開に協力してもらったのだ。ちなみに荒北は面倒くせぇと薄情にも逃げた」
 荒北君の立場だったなら、私だって逃げる。
「新開が詩織さんたちに話を通しておいてくれたのだ、集会で一番前に座ってくれたのも、新幹線の席の配置も、今日の新京極での迷子、真夜中のラーメン」
 一つ一つ指を折りながら、東堂君は語る。その様子は、やっぱり案外静かで。その指が硬くて、触れる瞬間はそっと優しいことを私は知ってしまっている。
 東堂君だから、優しいのだと思っていた。東堂君が、女子に優しいことは知っていた。しつこく話しかけてくるのも、他の男子より一歩私に近いのも、目が優しいのも、全部東堂君だからだということにしていたのに。
「あーちょっと待った! 待って! とりあえず待って」
 両手を挙げて、東堂君を静止する。この流れは良くない、と私の脳が警報を鳴らしている。
「待たない。待ったら久瀬さんはなかったことにするだろう」
 急に、空気が変わった。この人は、誰だ。
 ゆっくりと立ち上がって私に一歩ずつ近寄る東堂君には、茶化す隙は一切なくて、それが私には恐ろしい。逃げたいけれど、立ち上がった途端、きっとつかまると思った。でも、このままでも結局はつかまる。袋小路、という言葉がぽっかり脳裏に浮かぶ。彼へのおびえとも、現状への悲しみともつかない気持ちで、呆然と近づく東堂君を見つめるしかない。
「やっと、オレをみたな」
 東堂君の硬い手が、私に向かって伸ばされる。思わず仰け反る私よりも先に、東堂君が私に近づいた。私の頬に触れた指先は、予想通り硬くて、暖かい。
「恋愛ごとが苦手なのも、目立つ男が苦手なのも、オレが苦手なのも、知っている。けど、久瀬さんに合わせて手加減していたら、逃げられて終わりそうだと一日一緒にいて分かったからな」
 東堂君が、私を見て苦笑した。いくら恋愛ごとが苦手な私でも、この空気が冗談でないことくらいは分かる。東堂君が、真剣だということも。
「さあ、何から聞きたい。久瀬さんが気になるようになったきっかけか、それとも、いつから気になっていたか、からにするか? それとも、まずは告白からか」
 私の頬に手を当てたまま、東堂君は優雅に跪いた。言葉も行動も紳士的なのに、なぜだろうか、視線を逸らしたら恐ろしいことが起こるような気がするのは。普段はカチューシャで上げられている前髪が、東堂君の額の上でさらりと揺れている。その前髪の隙間から私を見る目は、さっきまでは優しかったのに、鋭いと言ってもよい強さに変わっている。
 今更になって、私は思春期の男子と二人きりなのだ、と実感した。
 あれ、え、私、いろいろとまずいんじゃないか。
「だから、無防備だと言った」
 ほんの微かな私の挙動の変化にも、東堂君は気付いたらしい。呆れたような口調に反して、やはり目だけは煌いたままだ。逸らしては、いけない。けれど。でも。
「こ、わい」
 ぽつりと口からこぼれ出てしまった本音を、自分で認識したら、もう止まらなかった。
 東堂君が、怖い。いつも煩くて、自信満々で、うざったいのに優しくて、流しても貶してもわははと笑うのが、東堂君じゃないのか。じゃあこの人は誰なんだ。
「怖い! 馬鹿か! 恋愛ごと苦手だって知ってんなら手加減しろ! いつもみたいにカチューシャして、馬鹿みたいに自信満々に笑ってよ。そんな目で…私のこと、見ないでよ」
 視界がゆらゆらとゆれて、東堂君もゆらゆらゆれて。頬に触れる手を弾けば、思いのほかあっさりと東堂君の手は遠ざかった。そのまま、両手で顔を覆ってギュッと目を閉じた。この出来事は、私の容量を超えている。処理しきれない。
「まったく、久瀬さんはわがままだな」
 一つため息をついたあと、東堂君は呟いた。
「無関心よりは、嫌いの方がまだましだ」
 感情がオレに向いているだけ、と語る東堂君はどんな顔をしていたのか。私には分からない。布の擦れる音と、椅子を引く音がして、東堂君の気配が遠ざかった。
「あんまりにもオレに興味がないから、少しいじめたくなっただけだ。久瀬さん、この山神が悪かった! 許してくれ」
 テーブルを挟んで向こうから聞こえる東堂君の声は、いつも通りだった。そろそろと顔を覆っていた手を外して、目を開けると、いつも通りの東堂君が座っていた。ホッとしながらも、警戒を解くことはもうできなかった。今度こそ、手加減なんてしてくれないだろうと思った。
 小学生みたいな人だと思っていたのに、子どもだったのは私だったのか。私に合わせて東堂君は子どものフリをしてくれていたのだろうか。再び穏やかな光で私を見る東堂君の瞳に、先ほどの強さを窺わせる色はない。
「許してくれるか」
「…こっちこそ、ごめんなさい」
 結局、私に合わせて冗談だったことにしてくれたのだ。じゃあこれで仲直りだな、と笑う東堂君に胸が騒ぐのはどうしてだろう。
「では仲直りのしるしに、スカートを先ほどの丈に直してくれ。さっきは格好つけてしまったが、久瀬さんの制服から覗く太ももなどめったに見られるものではないからな。この機会に目に焼き付けておくことにしよう」
 さあ!と携帯を構えて東堂君が私を促す。いや、さあ!ってそんな爽やかに言われたところで言ってることとやってることが食い違ってるし、内容が最低なんですけど。
「さあ!じゃないですよ変態」
 東堂君が構える携帯を奪って、ゴミ箱に投げ捨てた。ナイスイン。
「酷いぞ久瀬さん! でももう少し罵って欲しい気もするぞ!」
 わははと笑う東堂君が、私のためにこの空気を作ってくれてたことくらい、私にだって分かる。
「こっち見るな!」
「もっとだ!」
「気持ちわるい!!」
「む、それはちょっと傷ついた。慰めてくれないと泣くぞ」
 東堂君のスイッチがいまいち分からない。分からないけれど、東堂君が優しいことだけはよく分かる。東堂君は、優しくて格好良い高校男児だ。
「東堂君すてきー」
「心を込めろ!」
「やさしい!」
「もう一声!」
「箱学男子の中で一番格好良い」
 素直に告げたら、東堂君の頬が赤く染まった。口元を手で覆って私から顔をそらす様子に、胸がざわめくのはきっと気のせいじゃないのだろう。
 追いつくまで、東堂君は待っていてくれるだろうか。
 メールの着信音が鳴った。もうすぐ帰るという本文の後、ラーメンの写真が添付されていた。







 みんな大好き山神さまをお届けいたしました。
 一位なのに、罵倒される山神さま。
 こんな話でごめんなさい。でも、こういうお題なんだもの。
 実はお子様なヒロインと実は大人な山神さま。
 …と、いうことにしておいてください。
 すみません。









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