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今日はたのしいクリスマス前日


「日本は仏教徒がほとんどなんでしょ」
 オレの前で、久瀬さんが普段はキラキラと輝く瞳をジトリと半目に曇らせながらそう言った。
 昼時だというのに、寮の食堂に人はまばらだ。
 二百席近くある座席の五分の一も埋まっていない。冬休みということもあるのだが、特待生がほとんどの寮生は年末年始やお盆などを除いてほとんどが帰省しない居残り組だ。今日の朝は八割ちかくが埋まっていた。
「まぁ、そうなのかな? お墓とかは大体お寺だし」
 向かい合わせに座る久瀬さんの機嫌はすこぶる悪いようだ。普段は私服か制服に着替えて来るのに、今日は中学の時のものらしいジャージ姿で食堂の椅子に座っている。まぁ、珍しい姿が見られてちょっと面白かったけど。
「じゃあキリストの誕生日祝ってないで潅仏会になにかしたら良いと思わない? そもそも今日はイブであってキリストの誕生日ですらないし」
 クリスマスイブのサービスメニューなのか、今日の昼食はエビグラタンに照り焼きのチキンにサラダにプリンという豪華さだ。普段の久瀬さんならよろこんで頬張っていただろうに。いや、頬張ってはいる。まるでハムスターのようにほっぺたを膨らませるようにして口に入れてはもぐもぐしている姿はかわいらしいが、あまり嬉しそうではない。
 今日は12月24日、日本でいう恋人たちの祭典の筆頭だ。去年同じクラスだった久瀬さんは、寮生の居残り組としては珍しく普通科の生徒だ。中学卒業と同時に両親が海外出張となったことから通年で開寮している箱学に入学した経緯もあって、冬休みに入った今も当然寮にいる。
「新開君も今日午後部活ないんでしょ?」
 普段はきれいにまとめておだんごにしている頭も、今日は下ろされている。オレを見てそう言った拍子に肩に留まっていた髪が背中に流れた。
「ん? なんで?」
 確かに、その通りだった。ただ、元々うちの部の練習はは自主性に任せる方針だったし、クリスマスとか年末とかのイベント日には「やりたい奴だけ自由にどうぞ」というスタンスになっている。
「東堂君が言ってた。午後から暇なら山神であるこのオレが遊んでやってもいいぞ、とかかわいい女の子たちはべらせながら言ってきたから前髪ちょんぎってやろうかと思った」
 ぎりぎりと歯を合わせてスプーンを右手で握り締める久瀬さんの目は完璧に据わっている。
「許してやってよ、尽八も悪気はないから」
「あったら髪の毛全部毟ってる」
 彼女の尽八への恨みは深いらしい。
「部活休みなら、新開君だって用事があるんでしょ? 食堂にいるのにめずらしく何も食べてないし。早く行ったら?」
 急に、そっけなく言った。オレをちらりとも見ないで。
 確かに、オレは私服で、上着も羽織っていて、そしてオレのテーブルの前には何も置かれていない。何故なら一人で食事をする彼女の前に、オレが後から来て座ったからだ。
「久瀬さんは、クリスマスイブは嫌いなの?」
「嫌いっていうか、なんか、一人じゃ楽しめないだろって雰囲気が嫌。誰かと居なきゃっていう風潮? こんなことなら冬休みお母さんのとこ行けば良かった」
 ちなみに父親の出張に着いていった久瀬さんのお母さんは、暇を持て余しているらしく、よくメールをしてくるらしい。出張は長期化しそうとのことで、こっちの大学に進学したらと誘惑してくると。ちなみに彼女の父親の出張先はカナダだ。
「オレは、今日クリスマスイブで良かったと思ってるけど」
「まぁ、予定がある人にとってはそうなんだろうけど?」
 暗に予定のない自分にとっては最低、と語る久瀬さんはプリンを手にとろうとする。そのプリンを彼女より先にトレーの上から取り去った。
「友達は彼氏優先で、でも当然それに何も言えないし、友達も申し訳ないって謝ってくるし、笑顔で行ってらっしゃいって言うしかないし?」
「プリン返してよ」
 久瀬さんは左手の手のひらをオレにズイと差し出しながら、やっと、オレを見た。少し怒っているのか、眉が寄っている。
「オレは、良かったけど。久瀬さんの友達に予定があって」
「なにそれ、私が孤独にしてるのがそんなに良かった、って、新開君に私なにかした?」
 さっきの怒りから一転して、差し出していた左手で前髪をいじりつつ悲しそうな顔をする。
「だってお陰で久瀬さんに予定がないからさ」
 ポケットから二枚、チケットを取り出して彼女の目の前に差し出す。チケットには、クリスマスによく見かける丸太を模したケーキの写真がプリントされている。
「…デザートビュッフェ?」
 少し寄り目になりながら、久瀬さんがそのチケットの文面を読み上げた。
「今度暇なときに付き合ってくれるって、言ってただろ?」
 今度、なんて口実に近いほど前の口約束だ。何故なら去年クラスメートだったころにたまたま交わした会話の中でのことに過ぎない。
「久瀬さんが、忙しいようなら、このプリン返すけど?」
 本当は、もっと早く接触できるはずだったんだ。ビュッフェには軽食もあるから、彼女が昼食をとる前に誘いたかった。今日は朝ロードに乗ったところで寿一に会い、付き合ってつい遠出して帰寮が遅くなった。もっと前から誘っておけば良かったのだと思うが、あまり押すと空かされそうで恐くてできなかった。
 朗らかな久瀬さんは、女友達が多く大抵の日は予定が埋まっている、というか一人で過ごすことが少ない。恋愛ごとに疎いのか、それとも興味がないのかは分からないが、一部女子にキャアキャアと騒がれるオレたちとも屈託なく接してくれるため話しやすい。ロードのことで悩んでいた時期も、何も訊かず、食堂で食べるオレを見て、新開君の胃袋にどこまで入るか見てみたい、と彼女は笑った。まあ久瀬さんの場合は、オレがロードで悩んでいたこと自体を知らなかったのだと思う。彼女にとってオレは、ただのクラスメートだった。ただ、自転車競技部の新開ではなく、ただの男子生徒の新開でいられる彼女の側はどこか心地よかった。
「ええと、それは、え、私? と、新開君で?」
「一緒に行って、どれだけ食べるか確認してよ」
 午前中回してて、お腹へってるんだと続けると、彼女はニコリと笑った。久瀬さんは、笑うと目がなくなる。
「そのプリンあげる!」
「じゃあ、夜食にしようかな。あと、オレはその格好も面白いと思うんだけど」
 ニコリ、と笑い返すと、久瀬さんは自分の格好を思い出したのかほっぺたを赤くした。オレは全く構わなかったが、ホテルのデザートビュッフェだったので門前払いされかねない。部の先輩の伝手でやっと手にしたチケットだった。本当はイブというイベントをきっかけに彼女を誘えればそれだけで良いかと思っていたのだが、靖友にどうせならしっかりセッティングしろよと言われ、いつの間にかこのチケットを探す流れになっていた。
「いつもは、ちゃんと着替えて食堂来てるんだよ! でもなんだかどうでも良くなっちゃって、だから、えーっと、着替えてくる!」
 久瀬さんはトレーを持って、勢い良く立ち上がった。慌てて食器をさげに行く彼女の髪が、サラサラと揺れている。
「久瀬さん」
 声をかければ、肩越しに久瀬さんは振り返った。
「髪…いや、なんでもない。急がなくていいよ」
 髪を下ろして来て欲しいような、けれど下ろしている彼女を知り合いに見られたくないような、複雑な気持ちになって、結局言うのをやめた。かわりに親指と人さし指で銃を作って、撃つ振りをする。
「え? …うっ! や、やられ…不意打ち、とは、卑怯なり…グフッ」
 久瀬さんはよろよろと近くの壁に寄りかかって動きを止めた。まるで大阪の人のようなリアクションだ。きっと、彼女はオレのこの行動の意味を知らないんだろう。
 数秒して、久瀬さんはオレを振り返ると、なんで今撃ったの? と笑った。
「んー、なんでだろうな?」
 オレが返すと、なにそれ、と久瀬さんはまた笑った。
 明日の予定も、久瀬さんは空いている。なぜ知っているかと言えば、彼女の友人たちがオレに教えてくれたからだ。いやむしろ、久瀬さんの予定は今日と明日、空けられた、に近い。
 さあ、今日と明日でどれだけ久瀬さんに意識してもらえるだろうか。
 クリスマスイブの街中は、混雑しているだろう。冬型の低気圧が近づく今日は雨こそ降っていないがとても寒い。久瀬さんは、手袋をしてくるだろうか。はぐれないように、と手を繋いでみようかなんて思う。オレよりも久瀬さんの手の方が暖かそうだ。きっと驚きながら彼女はどうしたのなんて言うんだろう。
彼女の反応に想像を巡らせながら、オレは右手のプリンを自室に置きに向かった。











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