夢  | ナノ


クリスマスに逃げて捕まる


 どうしてこんなことになったのかを話そうとすると、とても時間がかかる。師走に入って少し経ったある日のこと、いつも通り学校を出たところで、昇降口のすぐ横に、赤毛の例の彼が立っていたからであった。
 大体予想がつくかとは思うが、彼はいつも通り面倒なことを持ち込んできた。いつもと違ったのは、彼のすぐ隣に瞳の大きな真面目そうな男子が立っていたことで。
 新開君は隣に立つその彼のことを、泉田と紹介した。
 その真面目そうな泉田君は、とても申し訳なさそうな顔をして私に頭を下げた。私は彼と顔見知りではなかったし(一方的に知ってはいたが)謝られるようなことが何もなかったから、少々驚いた。
 曰く、私にクリスマスパーティーのイベントに参加して欲しいのだと言う。どうしてそんなことになったのか、と一瞬思ったが、泉田くんの隣に立つ彼の顔を見て、すぐにピンときた。
「どうしたんだいそんな顔をして」
 彼はニヤリと嫌な顔をして笑った。
 とにかく、彼がいると話が進まないと思ったので、私は泉田くんと二人ラウンジで話をすることにした。
 同じラウンジで、新開君と向かい合って話したのはそう前のことでは無い。同じ構図で、彼の後輩とこうして向き合っていることに因縁めいたものを感じて彼を見つめていたら、泉田君は頬を赤らめてうつむいてしまった。紅顔の美少年といった風情である。
 そんな彼の初々しさに微笑みを隠せないでいる私に対し、泉田君は困ったように眉を下げて、ゆっくりとだが分かりやすく説明してくれた。
 自転車競技部では例年クリスマスの練習の後、部員全員でその年の打ち上げのようなパーティーを行っているのだと言う。大抵、そのパーティーには引退した三年生も参加することになっているのだが、今年はその趣が異なってきているらしい。
 泉田くんの前の部長、つまり、福富くんが参加しないかもしれないということで、困っているのだと彼は切実な瞳で私に訴えた。
「困って新開さんに相談したら、あなたのことを紹介してくださったんです」
 そのパーティーは引退する先輩へ感謝の気持ちを伝える場でもあるため、先輩たちにはとてもお世話になったと言う泉田くんは、彼らには是非出席して欲しいのだと。
「でも、そんなこと私に言われても困るんだけど」
 そうなのだ。私にそんなこと言われたって、どうにもならない。私が何か言ったら、福富君は参加すると言うのだろうか?
 そんなはずは無い。彼は頑固とゆうか、芯が強いとゆうか、そんなところがあったので、きっと私が言ったところで気持ちを変えるとは思えなかった。
 そういったことを私が正直に伝えると、泉田くんはさらに困ったように眉毛を下げた。
「新開さんに、言われたんです。あなたのことをパーティーに誘えば、福富主将は、絶対にくる、って」
 なんてこと言ってくれるんだ、あの赤毛野郎。
 こんな純真そうな子に対してなんてことを。何度だって言ってやる、あんな適当野郎のことをこんなに、こんなに慕っていると言うのに。なんて適当なことを。
 私は、あの赤毛野郎はあなたの信頼を得るような人間では無いということを伝えたくなったけれども、泉田君がそんなことを求めてはいないということはわかっていたので、それはしなかった。
「そのイベント、部の行事なんでしょう?私部外者なんだけど」
 泉田くんは、引退した三年の先輩は、彼女を連れてきても良いということになっているので、といった。なんて嫌な行事なんだろう。それは彼女のいない引退した三年生に対する宣戦布告のようなものなんじゃないだろうか。私だったら参加したくない。絶対参加したくない。
 泉田くんは、受験前ですしそういう先輩もいるんですけど、主将は参加するのが暗黙の了解で、と俯いた。
 自転車競技部は強豪だから、 一・二年の頃は彼女を作る余裕なんてない。彼女を作るのは、引退した三年秋からという部員が多いらしい。
 嫌がらせのようなイベントも、 三年になって良い成績を残せば彼女ができる(かもね)というリア充を間近で見(せつけられ)ることが、現役部員からすればカンフル剤的な意味合いを持っているらしい。カッコ内は私の主観的意見であるが間違っていない自信がある。
 毎年そうなんだろうきっと。なんてくだらない。高校男児って単純だ。
 適当赤毛の策略は以下の通り。
 新開君と荒北君に一人寂しいクリスマスなら来たらと言われたから自転車競技部のクリスマスパーティーに行くんだと家族や友人に触れ回った私が、いざ参加しようとしたら部員の同伴じゃないと参加出来ないと現部長泉田君に言われ、赤毛と細目に伝えたら、もう一緒に参加する相手は決まっているから無理と言われた。今更一人のクリスマスは勘弁して欲しいから、福富君一緒に行ってくれないかな?
 ちょっと待って。いくらなんでも私の設定がアホすぎないか。当たり前のようにクリスマスは一人だと決めつけてないかな。全体的に虚仮にされてる気がするのは気のせいかな。
「その事をこれから福富先輩に直訴しに行くわけね、私と先輩の尻拭いのために動く現主将で」
 そうなんです、と泉田君はとても良い笑顔を見せてくれた。
「久瀬先輩はどんな予定があっても(なくても)福富先輩のためなら肌を脱いでくれる情に厚い方だと言われたんです。声をかけなかったらむしろ、福富先輩を参加させないなんてなんで私に声をかけなかったのと怒られるだろうって」
 適当赤毛なにうまいこと言ってんの、言ってくれちゃってんの!!泉田君みたいな裏のない人間にキラキラした目で疑いなくそんなこと言われたら、断れるはずがないじゃないか。


「おなか減ったなら帰ったら?」
 そんな訳で、現在福富君待ちな訳である。
 すぐ隣りに佇む彼から腹の虫が鳴く盛大な音が聞こえた。それはそうだろう、彼は部活動後なはずで、本来なら今頃寮であったかい夕食を食べている身の筈なのだから。
 こんな茶番に付き合う必要はない。そう思って私が告げても、羨ましいほどパッチリとした瞳の泉田君は、困ったように眉を下げ、人の良さそうな顔を微笑ませるだけだった。
 主将の座を継いだ彼は、どうやら先代とは随分タイプの違う選手らしい。
 手のひらに息を吐いてこすり合わせていると、隣の彼が気が利かなくてすみません、と謝りながらウィンドブレーカーを私の肩に掛けてくれた。そう言う彼は、ウィンドブレーカーを私に貸したせいで見た感じ薄手のトレーニングウェア姿である。
「君に風邪ひかせてまで暖かくなりたくないから」
 掛けられた軽い布地を差し出すと、彼は紳士然とした笑顔でそれを押しとどめた。
「ボクが嫌なので」
 寒さでブルブルしてたけど、笑顔は完璧だったあたりに彼が意地でも受け取るつもりがないらしいのを感じる。まったく、頑固者ばっかりか、自転車競技部。
「ごめんね、泉田君」
「謝らないで下さい。お願いしたのはボクたちの方ですから」
 嘘のない、穏やかな微笑みで泉田君は言った…ブルブルしてたけど。鍛えているとは言え、真冬に薄着で立ちっぱなしは正気の沙汰ではない。筋肉も動かさなければ身体は冷える。皮下脂肪なさそうだし。とりあえず中で待とうか、と私が口を開こうとした時、車輪の回る音が耳に届いた。
 福富君だった。
「福富主将!」
 泉田君が、表情を明るくして彼に駆け寄って行った。私の前では猫を被っていたのか、先ほどまでの紳士然とした大人っぽい雰囲気は消えて、そこには先輩を慕う年相応な二年生の姿があった。
 福富君慕われてるなぁ、そして泉田君かわいいなあ。後輩にあんなキラキラした尊敬の目を向けられたら、可愛がらずにはいられないに違いない。
「泉田、オレはもう主将ではない。主将はお前だ」
 競技用の自転車からおりた福富君が泉田君を見る目は、心なしか柔らかい。
「つい、癖で。主将としての自覚が足りませんね。精進します」
 寒さでだろう、頬を赤らめて真摯に言葉を紡ぐ泉田君が薄着であることに気づいたのか、福富君は眉間を寄せた。そうしてから、少し離れた場所にいる私に気付いたようだった。
「久瀬」
「あー、福富君、久しぶり。泉田君優しいから私に自分の上着貸してくれたんだ。ごめんね」
 私のせいで、福富君の大事な将来有望な後輩に風邪をひかせてしまうかもしれない。そう思うと謝らずにはいられなかった。
 福富君は、私の肩に掛かった泉田君の上着に視線を向けると、眉間のシワを増やした。ですよね。制服着てる人間がなんで後輩薄着にしてんだって思いますよね!
 慌てて泉田君に上着を差し出すけれど、彼は頑として受け取らない。どうしたものかと悩んでいた私の肩に、フワリと温かいものが掛けられた。
 肩に掛けられたものの正体は、福富君のウィンドブレーカーだった。福富君も長袖のトレーニングウェアという薄着で、やはり制服を着た私に上着を貸すというのはどうだろう。
「今トレーニングが終わったところで身体は温まっている。気にする必要はない」
 先手を打つように福富君に言われてしまい、肩の温もりを返しそびれてしまった。
 泉田君は福富君を見て少し驚いたような顔をして、その後小さく笑いながら私の手から自分のウィンドブレーカーを受け取った。ぽわり、と小さな花が咲くような、朗らかな笑みだったから、私もつられて笑ってしまった。ああ、こんな後輩なら私も欲しかった。
「久瀬、何かあったのか?」
 斜め前から届いた声によばれて見上げると、どことなく堅い表情の福富君がいた。そうた、癒されている場合じゃなかった。
「福富君、クリスマス忙しいの、かな?」
 私が問うと、福富君は瞠目した。
「クリスマスに何かあるのか?」
「私、今年何も予定がなくて、新開君が自転車競技部の集まりに誘ってくれたんだけど、誰か部の付き添いの人がいないとダメみたいで」
「新開と行けばいいだろう」
「新開さんは一緒に行く人は決まっていたみたいなんです」
 泉田君がすかさずフォローを入れてくれた。それにしてもこの設定新開君ひどい奴だな。
「周囲にも参加するって言っちゃったから、できれば行きたいなーって思って」
 本当は行きたいなーって思っていませんが、福富君が参加しないのはまずいだろうなーって思ってるよ。
 正直、福富君が参加する、と言ってくれればそれだけで良いのだ。私は行かなくったって問題ない。行くと言ってくれれば約束を違えるような人ではないし、会場に着いてしまえば彼のことは誰かが引き止めてくれるだろう。
 割とアットホームなパーティーで、部室棟のミーティングルームを借りて食堂のおばちゃんの料理やらお菓子やテイクアウトのオードブルなんかが並ぶのだそうだ。部活に明け暮れた三年間を懐かしむような、そんなパーティーなのだろう。私が参加するような場所ではないと思う。
「オレが行ったところで、空気を悪くするように思うが」
 福富君が部の集まりを避けた理由は、案外深刻なものではなかったらしい。そんな理由だったのかとほっとする。
「そんなことありません!ボクは、福富先輩と話したい事が沢山あるんです」
 福富君は泉田君の言葉で少し考えるように視線を地面に落とした。彼にしては長い時間結論を出せずにいる様子だった。
「福富君、無理かな」
 こんなに、いろんな人に望まれているのに。狡いなあ、と思った。
 私は思うばっかりなのに、福富君は思われてばっかりで、狡いなぁ。
 私と泉田君の二人に詰め寄られて、福富君は珍しく視線を泳がせた。そんな福富君の身体から、白い湯気がのぼっていた。そういえば、ここは外だった。
「とりあえず、中入ろうか」
 私の提案に答えずに、福富君は私を見つめた。冬の夜空みたいな、他の色の混じらない黒の瞳に見据えられる。
「久瀬はクリスマスにオレと一緒で良いのか」
 それを言うなら福富君は私で良いの、が正しい形だろう。
 けど。私はどう思ってるんだろう。私は、福富君と過ごしたいのだろうか。そりゃあ、一緒にいられたらうれしい。けど、もう傷つくのは嫌だった。今回新開君に流されるままこうして福富君の前まで来たのは、断られたとしても、新開君に言われて来たからだと言い訳して身を守ることができるからだ。それに、福富君が来ると言ってくれれば、私が行く必要はないのは前述の通りである。
「もちろん。福富君が一緒に行ってくれないと、私ひとりぼっちなんだよね、友達みんな実家帰るか彼氏と過ごすかで空いてなくて」
 私は、笑った。意志のない自分がみっともなくて、恥ずかしくって。
「…わかった、行こう」
「良かった。じゃあ、当日会場で!これありがとう」
 肩に掛けられた上着を福富君に押しつけて、泉田君に手を振って、逃げるように私は寮に戻った。
 部屋に戻って、マフラーをはずす。指に触れた耳朶が熱い。対比のように思い出すのは、上着を押しつけた時に掠めた福富君の冷えた指先。
 ごめんね、と声にならない謝罪を福富君に捧げる。
 迷惑ばっかりだね、ごめんね。

 志望大合格ラインぎりぎりの私は、実家へ帰省せずに寮に残っていた。冬休みの受験対策補講へ参加するためだった。私と同じような三年生以外にも、部活動の締め日が年末だから残っているという一、二年生もいた。長期休暇中も閉寮しないため、夏休みのような長い休みではない冬期や春期の休暇には帰省しない学生も多い。
 年末には帰ってくるんでしょう、という母からのメールに帰るよ、とだけ返信した後、あらかじめ用意しておいた文面を送信して携帯を閉じる。
 新開君から伝えられたクリスマス兼先輩追い出し会の時間まであと少し。二人で過ごしたい恋人たちに配慮した十一時から十三時までという親切な時間設定だ。三年生は招待される側、とのことで行くだけで良いらしい。
 先生に頼んで開けてもらった教室の空調の音を聞きながら、椅子にもたれて背伸びする。友達はみんな、今日くらいは息抜きすると外へ出かけてしまった。福富君に言ったクリスマスは一人という言葉は嘘偽りなく本当なのが悲しい。
 机の上にある携帯が、ふるえた。少しして、もう一回。重なるようにもう一回。多分、新開君からだろう。さっき送ったメールには、用事が入ったため欠席させてもらうと書いた。
 メールの内容は大体想像がついたので開かずにそっとしておいたら、今度は通話着信。しかも切れない。あきらめない。延々続く振動が私を責めているかのよう。
 仕方ないので誰からの着信かだけ確認すると、案の定新開君だった。新開君、と表示された液晶を数秒見つめ、それでも切れない着信音に負ける。
「はい」
「でてくれて良かった。なんで来ないの?」
「用事ができたから」
「寿一がさ、久瀬が来ないなら帰るって」
「は!?そんなの部員全員で引き留めたらいいじゃない」
「いやー、それがもう帰っちゃったんだよな」
「なにやってんの、私の苦労水の泡なんだけど」
「ははは、それより寿一がすごい顔して戻ってったから、久瀬ちゃんに教えておかないとな、って」
 はははじゃないでしょうが。苦情を申し立てようとした私より先に、新開君が軽い調子で先制パンチ。
「久瀬ちゃんがこないから、寿一はひとりでリスマスかな〜」
 新開君は、優しいようで、時々とても意地悪だ。私が何を言われたら動くかを良く知っている。
「集まり終わったら彼女がいる奴らは解散だし、それ以外の三年は後輩引き連れてカラオケ行く予定らしいし、寿一は何するんだろうな」
「新開君て変なところひん曲がってる」
「メリークリスマス、久瀬ちゃん」
 新開君は愉快そうに笑いながら通話を切った。私の用事が作りものだなんてお見通しなのだろう。
 けどそんなことを言われても、今更どうすればいいのだ。のこのことやっぱり用事がなくなったからと福富君に伝えて新開君たちに合流すれば良いのだろうか。
 チカチカと光る携帯に促されて、メールを開く。

 『来ないのか』

 『久瀬ちゃん電話して大丈夫かな』

 『会って話したいことがある』

 福富君と新開君からのメールだった。
 福富君は、今どこにいるんだろう。寮の部屋にいるんだろうか、それともトレーニングをしているとか。違う、誰かと会おうとしている福富君はきっと、その人がいるだろう場所を探すに違いない。

 『どこに行けばいいかな』

 メールを福富君に送ると、間もなく返事が届いた。

 『用事があるんだろう、オレが向かう』

 そうだった、そういうことにしていたんだった。どうしたものだと悩んで、結局まだ学内にいるから昇降口前でと答えた。
 携帯とお財布と鍵だけ持って、教室から廊下へでると、しんとした空気が私を包んだ。
 今まで波風なんてほとんどなく生きてきた私だったのに、色々あったなぁと思う。部屋まで背負われたり、チョコレートを渡したり、お返しをもらったり、片思いの相手と同じクラスになりたくて勉強したり、失恋したり。
 歩く度に上靴が廊下と触れ合って鳴る。その音が響くのを聞きながら、昇降口へ向かう足が逃げ出したがっている。結局、私は変われなかったんだ。福富君の強さに憧れて、怯えて、変わろうと思ったけど、臆病者のまま隙間から外を窺ってはわぁわぁ騒いでいるだけ。
 だからせめて、今日逃げるのだけはやめよう。
 自分の足音を聞きながら、ポケットの中で教室の鍵と自分の部屋の鍵を弄ぶ。昇降口に着いて外を見ると、そこには既に福富君が立っていた。
 モッズコートにストレートのデニムパンツ、スニーカーというなんでもない服装でも長身のスポーツ選手だからかいやに様になっている。
「久瀬悪かったな」
 外に出た私を認めて、福富君はゆっくりと歩み寄ってきた。天気は良いのに、風が強い。福富君のコートの裾が、風に吹かれて靡いた。
「違うの、こっちこそごめんなさい。本当は用事なんてなくって、ただ私が自転車競技部のクリスマスに参加するなんてやっぱりおかしいかなって思っただけで。ごめんなさい」
 私のすぐ側まで福富君は歩み寄ってくると、何も言わずに私を見つめた。私は福富君を見上げながら、やっぱり彼の瞳は夜の空のようだと思う。福富君を見ているのに、瞳があんまり静かで、凪いでいく。最初は目を見つめることだって緊張してた。自転車に乗っていないときの福富君は、ほとんどの場面で静かだ。
「福富君のこと、部の人たちみんな待ってると思う」
 福富君は、二度、瞬いてから、私に向かって紙袋を差し出した。
「トレーニングで部室のマシンを借りているから部員には毎日会っているし、久瀬が来ないと分かったら部員に笑顔で追い出された。頑張ってくださいだそうだ」
 …その応援は、福富君に向けてなのか私になのか。なんにしろ恥ずかしいし腹立たしい。それでも、新開君がどこから算段していたのかを考えるよりも、私の背を押すために骨を折ってくれていたのだろうと今は考えるべきなのだろう。ここまでお膳立てするほど、彼は私になにを期待しているんだろう。部の人たちには、一緒に来るのが彼女だって思われてたのかもしれない。違うけど。
「メールで言ってた話って何かな?」
「これを今日渡したかった」
 紙袋を更に持ち上げて、福富君が言った。顔の目の前で揺れる紙袋は、茶色い手のひら大の大きさ。箱根文具と印字されている。両手をゆっくりと持ち上げてそれを受け取ると、福富君は紙袋から手を離した。
「荒北や新開から、久瀬は受験勉強に必死になって取り組んでいると聞いた。手助けしたいが、オレには気の利いたことは出来ない。邪魔になるだけだろう。せめてと思って考えたつもりだが、それも東堂には女子にこんなものを送るなんて女心が分かっていないと説教された」
 紙袋の中は、多分文房具なのだろう。それを肯定するように、筆記用具が入っていると福富君が言った。藤堂君には悪いが彼らしいなと思うし、とてもうれしい。私のことを考えて買ってくれたというそれだけで、十分だ。
「ありがとう。私何も用意してなくて、誰かからもらえると思わなかったから。本当にありがとう」
 紙袋をつぶさないように両腕でそっと抱えると、福富君は小さく笑った。
「クリスマスも、正月も、受験も、久瀬にとって良いものになるよう祈っている」
 なんなんだ、この人は。なんでこんなことを言うんだろう。言われた方の気持ちなんてきっと、考えたことないんだろう。優しくされたら、どうしても欲がでてしまうじゃないか。
 顔が歪むのが分かった。泣くのを我慢したから。そんな私を見て、福富君は眉間を寄せる。
「邪魔したくなくて、がんばってるのに。優しくされると、側にいたいって思って辛いから」
 やっぱり好きなんだって思い知らされて辛いから。
 今だって、福富君の感情が大きくぶれることはない。いつも一人相撲だ。私ばかりが騒いで福富君を邪魔してばかり。
「だったら、側にいればいい」
 なんでもないことを告げるように、福富君が言った。明日の天気を話すように。
 そうじゃない、と叫びたかった。私が言いたいのは、そういうことじゃないって。でも、この温度差こそが私と福富君の気持ちの差なのだと思えて、喉が閉じてしまう。
 苦しい。なんで、この優しくて強くて不器用な人は私を好きになってくれないんだろう。違う、好きになってもらえなくてもいい、せめて、私の恋心くらい届いていて欲しかった。私なら自分のことを好きだと言った人間に、側にいたらなんて言えない。一番側にいて欲しい人が他にいるのにそんな残酷なことは言えない。
「私は、まだ福富君が好きなの」
 喉の奥から絞り出すように、吐き出して、俯いた。揺らがない瞳を見続けることが辛かった。
 乾いた紙の匂いがする。雪だるまとサンタクロースとトナカイが笑うファンシーな包装紙に包まれた箱が見える。その横に所在なさげに小さな紙袋が横たわっていた。
「久瀬泣くな」
「泣いてない」
 私は泣いていない。我慢していた。もう福富君を煩わせはしない。
「久瀬」
「泣いてない!」
 優しくされるほど泣きたくなるから、そっとしておいて欲しい。それにどさくさまぎれにまた告白してしまった。何してるの私。
「顔を上げてくれないか」
「無理です」
 泣きそうなのがばれるのも嫌だし、うっかり告白してしまって顔を合わせられそうもない。
「…触れても平気か」
 触れてもって、何にだろう。確認のために口を開く前に、視界の端に福富君の着ていたコートが入り込んだかと思うと、肩を引き寄せられた。
「好きだ」
 嫌なら言ってくれ、と言って、背中に回されたのが福富君の腕なのだと理解する方が、彼の言葉を理解するより先だったように思う。その後に何を言われたか理解して、言葉を失う。
「久瀬が好きだ。傍にいたいと言われて泣きそうな顔をされたら、触れずにいられなかった。すまない」
 告げる福富君の声は、いつもと変わらず凪いでいる。でも、すまないといいつつも、彼の両腕が緩むことはなかった。
「冷静だね、福富君」
 あんなに混乱して告白してしまった自分とは大違いだ。
「鉄仮面だとよく言われる。自転車以外の場所で感情をだすのが下手なだけで、今はすごく緊張している」
 その声だっていつもと変わらない。福富君は嘘のつけない人だということは良く知っている。でもすぐには信じられなかった。
「私の好きは友情じゃないよ」
「友情なら、新開と喋る久瀬を見て、もどかしく思ったりはしないだろう」
 じわり、とさっきの好きが染み込む。
 好きだって、言ってくれた。
 私とおんなじ好きを、返してくれたんだって。
「夢でもこんなこと起こらなかった」
 ずっと遠くで自転車に乗っているか、隣に誰かがいる夢ばかり。福富君との距離に諦めを感じるばかりの夢だったのに。
 紙袋を抱えていた右手を、福富君の背中にまわしてコートを握りしめる。コートの布地の感触が、消えることはなかった。夢じゃない。
「福富君だ」
 私が呟くと、福富君はなんだ、と返事をした。
「ありがとう」
 なんでない私を、見てくれてありがとう。

 プレゼントの箱に並んだ紙袋には、去年もらったものに似た、薄桃色のレースのシュシュが入っていた。















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