夢  | ナノ


君の言葉でこころ震える


 今日も課題を終えて、志望大の過去問を解いていたら最終下校時刻になっていた。
 昨日の教訓からジャケットを着てきて良かったと思いながら、夜空を見上げて歩く。きっと、あっという間に冬になるのだろう。
 あったかい何かだといいな、と寮の夕食に期待を寄せながら寮に入った私は、腕を組んで壁に寄りかかる新開君を見つけてしまい、若干テンションが下がった。私と目が合った新開君は、ニコリと笑って私に手を挙げる。
「随分遅いんだな」
「最近待ち伏せが流行ってるんですか」
 あてつけるように大きくため息をついて私が言うと、彼は苦笑した。薄着だった福富君とは違い、部で使っていたのであろうウィンドブレーカーやパーカーを着込んで壁に寄りかかっていた彼は、めずらしく真面目な顔をした。
「もう口出ししないって思ってたけど、最後に一つだけ余計なお節介していいかな」
 新開君は、断ったところで引くつもりはないというような顔をしていた。

 とりあえず暖かい所へ移動しようということになって、共同ラウンジで話すことになった。夕食時だからか、寮生の姿はまばらだ。恐らく極めてプライベートな話になるだろうと思ったので、ラウンジの一番端のテーブルに向かい合って座る。
「とりあえず、最後まで聞いて欲しいんだけど、いいかな」
「…なるべく簡潔に話してもらえるとありがたいですけど」
 努力するよと言いながら、付き合わせるお詫びにあげる、と新開君はポケットからココアの缶を2本取り出して、その内の1本を私の目の前に置いた。お腹がすいていたので、ありがたく開けて口をつけたら、人肌の温度だったので残念な気分になる。お詫びとか言ってたけど、ポケットに入れて暖をとるほうが本来の目的だったに違いない。
「オレは久瀬ちゃんは結構ちゃっかりしてるし案外ずぼらで適当に手を抜いてる子だと思ってるんだけど」
「さっそく口挟んで悪いんだけど喧嘩ふっかけてんですか」
 最後まで聞けって言っておきながら、頭っからの先制パンチ。なんなのこの人何考えてんの?
「ふっかけてないよ。言葉が悪かったのかな、んー、しっかりしてる?っていうの?」
 私に疑問系で言われても困る。黙っていると、新開君もココア缶を開けて口をつけた。うわぬるいな、と顔を顰めてから、彼は続けた。
「でも寿一は違うんだってさ。久瀬ちゃんが無理してないか心配で仕方ないみたいでさ。自分にしてあげられることはやってあげたいんだって。過保護だなって言ってやったらさ、不思議そうな顔してたよ。自覚ないんだな、あいつ。オレたちにはこれくらい当たり前にこなせるだろってすごいオーダー出してたくせにさ」
 新開君はカラカラと笑って、頬杖をついてラウンジの窓の外を見た。最終下校時刻をすぎた今、ぽつぽつと外灯があるだけで外は暗く、明るいラウンジから外の様子はほとんど窺えないというのに。つられて私も外に視線を向けたけれど、窓に反射した自分と目が合っただけだった。
「久瀬ちゃんは子どもじゃないんだぜって言ったら、そんなの見れば分かる、って。ちょっといじめてやりたくなって、隣のクラスの寿一がわざわざ気にしなくても、オレも靖友も久瀬ちゃんのことは気にかけてるよって言ったときの寿一の顔、久瀬ちゃんに見せてやりたかったよ。渋ーい顔して考え込んだまま自分の部屋戻ってった」
 新開君がまたカラカラと笑ったので窓から視線を外して彼に向けると、新開君も私を見ていた。
 私は新開君という人を表面上でしか知らない。どこか飄々とした彼は、踏み込むのを善しとしないように思えたし、踏み込んで関わりたいという気力も私にはなかった。
「新開君て、なに考えてるか分からないし、余計なことして掻き回すし、チャラいし、つかみどころがないし、面倒な人だと思ってたんだけど」
「オレが考えてることって、結構単純なんだけどな」
「…更に良く分かんなくなった」
 新開君はキョトンとした後に破顔したかと思うと、前触れなくおもむろに、右手を私に向かって伸ばした。新開君の手の平が、私の左頬に添えられる。左頬に当てられた手の平は、少し硬くかさついていた。
「何か付いてますか」
 消しゴムのカスとか?
「んー、どうくるかなと思って」
 頬の表面に添うように、頬を撫でられる。遠くから見ると、誤解されそうな図だろう。でも、彼の表情を間近で見ている私は、そんな空気じゃないことを知っている。女子に触れる遠慮こそあるけれど、そっと右手を動かす彼の空気は愛玩動物に対するそれだ。
「新開君のペットになった気分です」
「久瀬ちゃんほんとブレないね、寿一にくびったけ」
「私だって、好意を持って触れられたら、動揺するしドキドキしますよ。福富君じゃなくたって」
 言外に、そうじゃないでしょう、と伝えると、彼は意味ありげに笑った。その表情に疑問を持って口を開こうとした私は、自分の背後から伸びた手と声に、体を震わせることになった。背後なら伸びた骨ばった手は、新開君の手首を握り締めた。
「寿一どうした?」
「お前こそ何してる」
 どうやら、福富君は私の斜め後ろに立っているらしい。そちらを向くことができなくて、窓を見やると、そこには福富君の姿が映っていた。新開君が最後にっていうから油断した。やっぱり私と話すことではなくて、こっちの『余計なお世話』が目的だったのか。
「久瀬ちゃんとの交流を深めてるんだけど」
「…触る必要はないだろう」
「必要あるかどうかは、寿一には関係ないんじゃないか?」
 私の頬からかさついた手のひらが離れると、福富君の手は新開君の手首を解放した。
「一般論だ」
「小学生だってもっと色気のあることしてるさ」
 しばし、無言の時が流れる。どうしても、福富君の方をむくことができないまま窓に映る福富君を見ていたけれど、ふと彼が窓に映る私を見たので、ガラス越しに目が合ってしまった。慌てて目の前のココアの缶に視線を移す。
「口説いてるとこだったのに邪魔するなよな」
 相変わらず何を考えているのか分からない調子で新開君は言った。嘘だ。絶対嘘。
「久瀬」
 初めて自分の名を呼ばれたような、そんな気持ちになった。福富君が私を呼ぶ温度が、少し違ったような気がしたから。
「昨日オレにできることはないと言われて考えたのたが、やはりオレは久瀬が無理していないか気になるし、助けたいと思うことは変えられないようだ」
「寿一にしては色々考えたな」
「…新開」
「はいはい黙ってるよ」
 新開君が、降参のポーズで椅子に寄りかかった。
 さっき福富君が言ったことがいまいち理解できない。理解できないというか、信じられないというか。
「久瀬からしたら今更なにを言うんだと思うだろうが、オレは、久瀬の傍で久瀬を心配するのはオレでありたいと思っているらしい」
 駄目だろうか、と福富君は言った。恐る恐る福富君を見上げると、思いのほか穏やかな表情の彼が私を見下ろしていた。目が合うと、彼はゆるりと笑った気がした。
「私、要領悪い方じゃないし」
「そうか」
「助けてもらうことなんて、ホントないし」
「…そうか」
「そもそも私の隣に男子がいることもないし」
「オレは?」
「愉快犯」
 ついさっき黙ってると言ったその口で軽口を言った新開君は、酷いなぁ、と言いながらもそこはかとなく嬉しそうだ。
「IH観るまで福富君があんな凄い人だなんて知らなくて、自転車のことも全然知らないで、無責任に応援するだけで」
「来てくれていたと聞いた。ありがとう」
「福富君の姿を観て、私って一生懸命に何かやったことなかったんだって」
 告白した自分がはずかしい、と思った。
「久瀬は普段から懸命だからな」
「頭のなかはいかに手を抜くかってことばかりだし」
 福富君は困ったような顔をした。その後、なにか考えるように腕を組んで、眉間に一筋シワを寄せた。
「オレは空気を読まずに言いたいことを言うし、自転車のことしか考えていないし、鈍感で口下手で頑固で図体でかくて顔が怖い、たまに天然だと言われる」
 珍しく長く喋ると思ったら、思いもよらない内容だった。福富君は自分を分かっていないようだ。
「見る角度の問題で、そこが福富君の良い所なんだと私は思うけど」
「…それだ」
 福富君が重々しく一度、首肯した。
「それって?」
「オレが久瀬に言いたいのも、それだ。久瀬が嫌だと思っている部分も、オレにとってはそのまま持っていて欲しい部分なんだろう、きっと」
 なんだか、ものすごいことを言われた気がする。
 ポカンとした顔をしていたのだろう、福富君はほんの数秒口元だけ小さく笑わせた。
「最近髪を、縛らないんだな」
 肩に流れる私の髪を見て、福富君は言った。もうずっと、例のシュシュは引き出しに眠ったままだ。
「寒くなってきたから」
「そうだな」
 もうすぐ冬だ、と窓の外へ視線を向けた彼につられて、私も倣う。窓に写る福富君を見ると、またもや目が合ってしまった。
「話はそれだけだ。新開、邪魔して悪かった」
「いや、かまわないさ」
 福富君は新開君の肩をポン軽くと叩いて去って行った。慌てて彼へ視線を向けたけれど、すでに背筋を伸ばした綺麗な後ろ姿は遠くなっていた。
 新開君と二人残されて、しばし無言。
「今の感想をどうぞ?」
 ニヤニヤしながら新開君は私に尋ねてくる。
「新開君が異常にうざったい」
「そろそろ泣くよ?」
「泣いて、かわいい女子に慰めて貰ったら?ココアごちそうさま」
 冷え切ってしまったココアの残りを飲み干して、私は席を立った。そのまま共同ラウンジから女子寮へ向かって歩きだした私に新開君も続いたらしく、すぐ後ろから押し殺せていない笑い声が届く。苛立ちが募るけれど、今はそれどころじゃなくて、無視して足を進めた。
「寿一は、寿一だ。久瀬ちゃんがIH見て何を感じたのかは、分からないけど。主将だったからじゃ、ないだろ?」
 あえてぼかしたのだろう最後の問いが、耳に残って、ぐるぐると何度も再生される。
 なんで、福富君なんだろう。
 優しいところ?まっすぐなところ?姿勢がいいところ?はっきり物が言えるところ?意思の強そうな顔?真面目なところ?不器用なところ?自転車に真摯に取り組んでいるところ?人を放っておけないところ?…もちろん全部が好きで。だってそうでしょう、それら全部、福富君を形作るものたちに違いなくて。
 荒北君に絡まれていたあの頃から進歩がない。なんで福富君が好きなのかは、やっぱり分からないのだから。

 久瀬の傍で久瀬を心配するのはオレでありたいと思っているらしい

 ふと蘇った福富君の言葉がすぐ耳元で聞こえた気がして、手のひらで両耳を塞いだ。そうしたら、余計に響く声が大きくなってしまった気がして、瞬いて触れた上下の瞼が熱を持つ。
 そんなこと言われたら、期待してしまうじゃないか。もしかしたらと思ってしまう。
 でも、当たって砕けた恋心はまだ修復しきれていないから、私は再度傷つくかもしれないリスクを負う勇気はない。
 しつこいくせに臆病な私の恋心は、奥にひっこんだまま震えている。






 思ったよりも進まなかったです。










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