夢  | ナノ


秋の夜長に混乱する


 
 夏休みの登校日、隣の席の新開君に、福富君を応援するならどこが良いのかを尋ねた。ものぐさな担任は、前期丸々席替えをする気はないようだったので、座席の配置は最初に座った廊下横一番後ろのままだ。
 応援しようと決めたからには、福富君が全力を注ぐIHは外せないと思った。なにより、私が観たかったし。けれどIHはコースが長すぎて、自転車競技応援初心者の私にはどのポイントに居れば良いのか判断ができなかったから。
 新開君はポカンと口を半分開けて、垂れた瞳をまあるくして、その後ちょっと眉を下げた情けない顔をして笑って、丁寧に教えてくれたのだった。

 IHでの福富君は、かっこよかった。
 IHが近づくにつれ、張り詰めるような緊張感を漂わせていた福富君は、1日目2日目とトップでゴールラインを越えた。
 特に、2日目のゴールは圧巻だった。ひたすらに前へ進む姿は、普段の冷静な彼を覆して情熱的で。正しい表現かどうか分からないけれど、美しかった。彼の姿に呑まれて、応援しに来たというのに、私は目の前を通り過ぎる福富君に、なにも声をかけられなかった。
 せめて、おめでとうと伝えたかったけれど、ゴール後に他校の選手と会話をしながら静かに涙を流す姿を観たら、また何も言えなくなって。
 表彰台の上に立つ、福富君をみて思った。大勢の観客にカメラや携帯を向けられて、インタビューされてて。
 自分が思っていたより、ずっと凄い人だったんだなぁ、って。もちろん、優勝して、すごい人なんだっていうのもあるんだけど。
 こんなに、本気で自転車に乗ってる人だったんだって。
 強いっていう話は知っていたし、福富君のことだから真面目に自転車に乗ってるんだろうって思ってた。でも、大会で見た福富君は、練習の時とは全然違ってて。
 分かっていたつもりだったんだけど、全然分かってなかったんだ、私。

 それで、急に、恥ずかしくなった。
 告白とか、しちゃったんだなぁって。
 あんなに真面目で優しくて頭良くて、自転車っていう競技に真摯に情熱を注いで結果を残してるような、そんな人に、告白とかしちゃったんだ私は。
 うちの自転車競技部って全国レベルですごいんだって、知識としては知ってたけど、実感はしてなかった。荒北君はたまに良い奴だけど口悪いし意地も悪いし、新開君も悪気なく面倒くさいし、クセは強いけどただの普通の高校生だったから。
 大会会場で見た箱学の集団は、なんていうか別格なんだろうなぁっていうのが、他校の選手や観客の反応から伝わってきて。知ってるはずの荒北君や新開君も遠く見えた。
 ただでさえ遠かった福富君が表彰台の上に立った瞬間、彼からは私は見えない存在になった気がした。

 なにができるでもない、周囲の反応うかがうだけが取柄みたいな中途半端な人間なんて。

 結局、IH中に福富君に声をかけることはできなかった。
 IHが終わったら、メールでおめでとうと伝えようと思っていたけど、最後の最後、箱学は優勝を逃した。周囲の観客の反応からかなりの番狂わせが起きたのだと悟った。
 福富君は4位でゴールした。全国4位、私からしたら驚くほどの好成績だと思うけど。ゴール直後の彼の様子や周囲から聞こえる会話からして、喜ばしいことではないらしかったから。
 家に帰って、ベッドの上で携帯を手に書いては消し書いては消し、何時間も繰り返して、結局何も送ることができなかった。何を書いたら良いのか分からなかったのもあったし、自転車という彼にとってかけがえのない存在である領域について、ねぎらいや感想という形とはいえ、口を出すのはおこがましいと思ったからだった。

 残りの夏休み、補習もなにもなくて、毎日毎日実家で天井をぼんやりと眺めながら、考えた。とりとめなく、色々と。
 最初は福富君は面倒な質の人だと思っていたのに。去年同じクラスになって、あれもこれもと押し付け合いのクラスの仕事を私がやることになって(まあここでいつまでも揉めるほどの仕事じゃなかったから私がやると言ったのだから別に良かったんだけど。早く帰りたかったし)、そうしたら福富君が異議を唱えたのだ。曰く、「全員で平等に分配すべし」と。終わり次第解散だったクラス最初のロングホームルームは、やたら長引きチャイムぎりぎりまでかかった。それでも、福富君が鼻つまみ者にならなかったのは、彼がどんな人に対しても平等に同じ行動をとる人間だと皆が知っていたからだ。そのくせ、福富君自身はできると思えばなんでも自分でやってしまう。
 去年のクラスマッチの時だってそうだった。私よりもよっぽど色んな種目に借り出されて、疲れているのは自分だったはずなのに、なんで気付いてくれたんだろう。
 バレンタインだって、ホワイトデーだって、舞い上がっていたのはきっと私だけだったんだ。渡すだけで満足だったはずなのに、なんでどんどん欲張ってしまったんだろう。福富君は東堂君や新開君に比べたら確かに女子のキャアキャアした声は少ないけれど、その分そっと思いを寄せている女子は多い。きっと、部活引退という一つの区切りで福富君は告白のラッシュを経験することになるに違いない。いつかきっと、福富君の隣には、いろんなことを一生懸命やってきた女の子が並ぶことになるんだろう。
 想像するだけでズキズキ痛んだ胸も、つれづれと何度も繰り返し想像するうちに鈍くなった。諦めない、諦められないと思っていたのに、なんで私は傷つく前提でいるんだろう。諦める準備を、しているんだろう。

「…諦めよう」
 登校日の前日に帰寮して、自室のベッドに寝転がり、実家とは違う天井を見つめながら、声に出した。
 言葉にしたら、思ったより簡単に諦められるような気がしたから、もう一度。
「福富君を諦めよう」
 言霊じゃないけれど、なんだか諦められた気がした。繰り返したリハーサルのおかげか、思ったよりも胸は痛まなかったのに、どうしてか目じりからぽろりと一粒涙がこぼれた。
「友達では、いたいな」
 福富君だから、きっと一度知り合った人間を無下にする人じゃない。彼女が出来たって、きっと、今まで通りの付き合いをしてくれるはずだ。

「久瀬ちゃんおはよう」
 隣の席の新開君が、明るく笑って言った。こんがり焼けた肌を見て、IHでの彼をぼんやり思い出した。ちゃらくて面倒くさくておせっかいで何考えてるか分からなくて面倒くさいけど、自転車に乗っている新開君は、真剣だった。
「おはよう、新開君…と荒北君」
「ハヨ」
 眠そうに目を瞬かせながら、荒北君は二つ隣の席からあくび交じりに言った。そんな彼のことを、新開君は笑いながら着席した。
「IH来てくれてたんだって?声かけてくれりゃ良かったのに」
「んー、そういう感じじゃなかったし。私、王者箱学あなどってた。オーラ出てたよ、うちの部の周辺。近寄れない感じのオーラ。…それより、物理の課題でどうしても気になるところあるんだけど、見せてくれませんか」
 なるべく明るく努めて笑ってから夏休みの課題に話題をシフトすると、新開君は少し怪訝そうな顔をしながらも自分のノートを広げて私に見せてくれた。
 そのやりとりのすぐ後に席替えが行われて、私は窓際の一番後ろという好位置をゲットした。しかも右隣の席は数少ない女子の美香ちゃん。荒北君と新開君は背の関係で前回と変わらない席をキープしている。羨ましい話だ。二人と離れたことで、彼らのついでに福富君と会話することもなくなった。
 努力していたって隣の教室にいるはずの福富君に中々会えなかったのだから、会おうとしなければ尚更のこと。たまに移動教室とか寮の共同ラウンジなんかですれ違って、軽く挨拶や世間話をする。違うクラスの友達なんて、きっとそんなものだ。偶然会ったときにちょっと喋って、じゃあねってお別れして。
 きっとそういうもの。私がなにもしなければ、それだけの。

 私の予想通り、福富君は時折呼び出されては告白されているようだ。まあそれは福富君に限った話ではなくて、自転車競技部の特にIHメンバーはよく告白されているようだけれども。
 今の所、福富君が誰かと付き合うことになったという話は聞かなかった。入念なリハーサルのお陰でか、友達の口から聞く告白されたという噂に動揺することもない。
 きっとこうして、少しずつ忘れていく。苦しいとか、切ないとか、哀しいとか、愛しいだとか、好きだとか。

 なのに、なんでなんだろう。どうしてなんだろう。

 ゼミ室で分からない課題についての質問を解決して、ついでに模試の解説で理解できなかった部分について教師に教えてもらっていたら、気付けば最終下校時刻になっていた。ゼミ室から廊下に出ると、空気は冷えていた。朝夕は、カーディガンだけではもう寒い。明日からはジャケットを着てこようと思いながら窓の外を見上げる。星の輝きが、夏から秋に移ろったことを教えてくれた。
 足早に昇降口を通って、寮へ走る。寮の総合玄関に飛び込むと、暖かな空気を感じて、ほうと息をついた。靴を脱いでスリッパに履き替えていると、ゆっくりとした足取りで誰かが私に歩み寄ってきた。天井からの照明がその人物に遮られて、ローファーを靴箱に入れるために屈んでいる私に影がかかる。きっと今日一緒に課題をやろうと約束していた幸ちゃんだろうと思って両手を合せてゴメンねと先手必勝、謝った。約束の時間を30分以上過ぎている。
「なにを謝っているんだ」
 頭上から届いた声があんまり意外な人物のものだったから、勢い良くその姿を確認するために顔を上げると、そこには予想通り福富君が立っていた。微かに眉を下げているから、困っているようだ。
「あ、幸ちゃんだと思って、あ、幸ちゃんて私の友達なんだけど」
「そうか」
「あはは、久しぶりだねぇ。こんなところにいたら風邪ひくよ。中入りなよ」
 外よりは暖かいけれど、ここも冷える。すぐ隣にはエアコンの効いた共同ラウンジがあるのだから、移動するにこしたことはない。私の言葉に、福富君はまた困ったような顔をした。
「久瀬のことを待っていた」
「私のこと?なにもこんなとこで待ってなくても、メールで教えてくれたら良かったのに」
「…オレはメールで何かを伝えるのは下手だと、東堂に言われた」
「はあ…そうですか」
 見上げるようにしながら、約1mの距離を置いて向かい合う。寮生は夕食で食堂に集まっているのか、通りがかる人はいない。
「久瀬は、最近、どうしてる」
 たっぷり10秒は沈黙した後に、福富君は言った。新開君だ、とピンときた。きっと彼がまた、元気がないだのなんだかんだと余計なことを福富君に吹き込んだのだろう。
「私詰めが甘いからイージーミス多いみたいでね。模試の結果が厳しくって、ゼミと補習で忙しいけど、でも先生も友達も付き合ってくれてるし、ありがたくって頭上がらないよ」
 なるべく明るく、笑った。最近忙しいのは本当だ。余計なことを考えないように、忙しくしているというのが正しいのかもしれないけど。
「無理はし…」
「無理なんてしてないよ、それに自分のためだから大変だけど楽しいし。心配することなんて、なんにもないよ。声かけてくれたのに申し訳ないんだけど、幸ちゃん待たせてるから」
 福富君の横をすり抜けて、女子寮入口へ向かう。ドアの取っ手に手をかけたとき、後ろに福富君が立った気配がした。
「久瀬」
 心配するような声色で、呼ばないで欲しい。福富君の優しいところに付け込むのは嫌なんだ。まったく、この前のことで反省したのかと思ったのに、新開君も懲りない人だ。
「オレにできることはないか」
「ないよ。なんにもない。あるのは私がやるべきことだけだから」
 笑いながら振り返ったら、思ったよりすぐ傍に福富君は立っていた。眉間を寄せた顔が傷ついているように感じたのは、多分気のせいだ。
「福富君は福富君がやりたいことをやったらいいと思う」
 私になんか構ってないで、とは言えなかった。流石にそれを言うのは嫌味すぎる。
 今度こそ女子寮に入ろうとした私の肩をつかんで留めたのは他でもない福富君で。予想外に加わった力に肩を震わせると、福富君は自分の行動に驚いたような顔をしてその手を外した。
「オレは自分のやりたいことしかしていない。オレが気になるから久瀬を待っていた」
「優しいからね、福富君は」
 だって知っている。強制されたわけじゃなくても、私みたいな存在でも、気に留めてくれる人だっていうことは。
「わざわざ、ありがとう。風邪ひかないように気をつけてね」
 ここに来てくれて、ありがとう。
 今度は、引き止められることなく女子寮へ入ることができた。背後で閉まった扉を振り返ることはできなかった。扉に嵌まったガラス越しに感じる視線を振り切るように奥へ進んで角を曲がった。
 顰め面の幸ちゃんにしこたま怒られながら、思う。福富君に再三心配されるほど、自分は無理をする人間に見えるのだろうかと。
「幸ちゃん、私って無理してるように見える?」
「最近は難しい顔して根つめて勉強してるけど…まぁ基本無理するタイプじゃないと思うけど?」
「だよねぇ」
 背中に感じた視線を向ける福富君は、きっと困ったような顔をしていたのだと思う。
 私の何が福富君をあんなに心配させるのかが分からない。







 じりじりした話になってしまったような。











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