夢  | ナノ


真夏の熱に溶ける


 フラれた。



 なんともタイミング良く、体育祭の後は中間考査期間となり、中間考査後はそのまま夏休みに突入だった。
 体育祭委員の撤収作業時に新開君に「フラれた」とだけ報告した。作業の手を止めることはなかったけれど彼は何か言いたそうな顔をしていた。でも、私はそれに気付かない振りをした。告白の場を作ったのは、新開君だった。でも、フラれたのは彼のせいではない。彼がお膳立てをしなくても、そのうち溢れていたに違いなかった。
 でも、今彼に、「新開君のせいじゃないよ」と笑って言えるほど私の器は大きくなかった。きっと嫌な言葉を投げつけてしまうに違いないと思ったから。

 以前の私なら切望していた福富君との偶然の邂逅も、面倒なばかりだった新開君や荒北君との接触もないまま、夏休みに入った。正確には、そうならないよう息を潜めて避けていたというのが正しかったのかもしれないけれど。
 寮生である私は、本当は夏休みに帰省する予定がなかった。夏休みこそ、福富君の部活中の姿を見られる絶好のチャンスだと思っていたから。
 福富君の姿を見たい、IHでの彼の活躍を応援したい、その気持ちは今でも変わらない。でも、私がそっと自転車に乗っている姿を見ていることを、福富君が知ったらどう思うだろう。きっと良い気分にはならないはずだ。
 通うには遠い実家と学校の距離を考えて、夏休み頭の補習ラッシュ期間は在寮し、その後は帰省しようと決めた。

 夏休み三日目。携帯のアラームで目が覚めた。のそのそと起き上がる。
 今日から一週間の補習が終われば帰省して、夏休みを過ごす。
 首周りに纏わりつく髪が、暑い。鏡の前に立って髪をざっくりと編み込み、髪留めで留めると、少し涼しくなった気がした。
 以前は何回かに一度使っていたシュシュは、引き出しに仕舞いこんだままだ。使い続けるのも、急に使わなくなるのも、どちらも変な気がして、結局は普段開けることのない引き出しで眠っている。
 夏休みに入って帰省した子が多いからか、いつもよりも寮内は静かだ。でも、洗面セットを持って廊下へ出ると、見知った顔と出会う。今日の補習や昼食のメニューなんかについて話をしながら洗面所へ向かう。
 窓の外は快晴だった。

 教室の、エアコンで冷えた涼しい空気を感じてホッとする。教室には、もう既に補習の参加者の多くがそろっているようだった。今日の補習は希望者のみのものだったけれど、その割に参加者が多い。この教師の授業は評判が良かった。
 教室に入った私に気付いた前方の女の子の集団が、手を振りながら私を呼んだ。私も手を振り返して、その隣に座る。
「おはよ、みちるちゃん。遅かったね」
「早く来ると、教室エアコン効いてなくて暑いから」
「あー、私も次からそうしようかな」
 私一番乗りで最悪だったよ、と笑う美香ちゃんたちとは四月に比べて大分打ち解けた話もするようになっていた。皆穏やかな子ばかりで良かったなと思いながら鞄から勉強道具を取り出していると、私の更に隣にドスン、と誰かが乱暴に座った。私の到着は遅かったけれど、それでも遅刻ギリギリというわけではない。もっと静かに来たらいいのにと思いながらその主に視線を向けると、非常に目つきの悪い細目と目が合った。
「…………」
「…………」
 思わず、眉間に皺が寄る。そんな私を見て、何故だか彼は愉快そうに笑った。
「人に会ったら挨拶、ダロ?久瀬チャン?」
「他も空いてますけど」
 確かに席は埋まってきているけれど、わざわざ隣に座る必要はない位には空いている。
「挨拶はァ?」
 ニヤニヤと笑う荒北君は、直接言った憶えはないけれど、きっと私がフラれたことは知っているはずだ。多分。なんて嫌な奴なんだろうか。忘れていたけれど、今度荒北君の鞄の中になにか臭いものを入れてやろうと心に決めた。
「荒北君背が高いからこんな前にいたら邪魔ですよ」
「オレァここが良いんだヨ。補習は自由席なンだ、文句あんならオレより早く座っとけっつう話だろ」
 まさに、正論だった。自由席なのは以前から言われていたことだ。その上、今回の補習は自由参加のものなのだから、前で聞きたい者はさっさと前に座れば良い。その通り。
「……おはようございます」
「オハヨ」
 どうやら、新開君は一緒ではないらしい。私の挨拶に満足したように笑うと、荒北君は鞄の中身を机に出し始めた。しばらくその様子を見ていたけれど、隣に座ったのに補習参加以外の他意はないのか、何か私に言ってくることもなかった。
 申し訳ないことをしてしまったのだ、と思う。前方で補習を聞くためにたまたま隣に座っただけなのに、私に嫌な態度をとられて、朝から不快だっただろう。
「ごめん」
「…何のコトぉ?」
 私の謝罪の意味に気付かないほど、荒北君は鈍い質でないことを私は知っている。気分を害した様子もなく答えた荒北君は、大きく一つ、あくびをした。


 参加者の期待通りの補習内容を提供した教師は、次回の補習日を黒板に書いて教室から出て行った。
「みちるちゃん、お昼どっかで食べていかない?」
 美香ちゃんが綺麗にたたんだプリントをファイルに挟みながら言った。私以外の三人は、通学生だ。
「今日寮のお昼希望にしちゃったんだ、また今度にする」
「そっかぁ、じゃあ明後日の補習の後行こ。色々喋りたいし」
「うん、ありがと。あ、バスの時間大丈夫?」
 美香ちゃんと話していると、教卓の前を数名の男子が慌しく廊下へ出て行った。たしか彼らも通学生だ。補習は充実したものだったけれど、予定時刻よりも長くかかった。
「次逃したら1時間後なんだっけ。ごめんみちるちゃん、また明後日ね!」
 私に手を振りながら、美香ちゃんたちも慌しく外へ出て行った。
 恐らく目当ては同じバスなのだろう、あっという間に教室内に残る学生の姿はまばらになった。
 次の補習日を手帳に記入して、鞄に勉強道具を仕舞っていると、隣から視線を感じた。気付かないフリで立ち上がると、私が立ち上がるのを待っていたかのようにその視線の主…荒北君も立ち上がった。ダルそうにスクールバックを肩にかけて、私を見下ろしてくる。
「お、お先にどうぞ」
 道を譲るように、手で荒北君を促す。確か、荒北君も寮生だったはずだ。寮までの道のりを二人で歩いていくのは気まずすぎる。福富君との一件があっても、なくても。
「面白くネェな、キャンキャン噛み付いてきてた頃は子犬みてぇで笑えたのによ」
 キャンキャンって…私は本気で怒ってたんだけど!!
 睨むように荒北君を見上げると、彼はフンと鼻を鳴らした。
「ったくよぉ、お前福チャンのこと好きなんダロ?」
「な!なに言ってんの!」
 教室という公の場で!と思いながら周囲を見渡したけれど、私たち以外の学生の姿は既になかった。荒北君の発言が誰にも聞かれていなかったことに安堵する。
「久瀬チャンの男見る目だけは評価してやってもイイと思ってんだ。福チャンが、どういう奴だか知ってんだろうが。例え久瀬チャンのことを、女として、まったく、これっぽっちも、少しも意識してネェにしても」
「荒北君私に喧嘩売ってる?」
 目が据わるのが分かる。傷口に塩を塗りこむために荒北君はここに残ったのか。
 私の反応を見て、荒北君は小さく舌打ちすると頭を乱暴に掻いた。
「あー、振った人間だって、元気ネェんじゃねぇかって気にする奴だろ、福チャンはァ!」
 うっすらと、荒北君が何を言いたいのかが分かった気がした。
「話しかけて、嫌がる奴じゃネェよ」
 不機嫌そうな顔と口調は、彼なりの照れ隠しなんだろう。口は回るくせに、不器用な人だ、と思う。不器用に優しい人なんだと。やっぱり、福富君の友達なんだなぁ。
「…いいのかな、応援しても」
「少なくとも、コソッコソ逃げる後姿見るよりはマシだろうナァ」
 そっと気配を殺していたつもりだったのに、バレてたのか。
 荒北君がこうして言ってくるということは、福富君が私のことを気にしてくれていたということなのだろう。例え私がどれだけ落ち込んでいたとしても、そしてそれに荒北君が気付いていたとしても、それは彼の行動理由にはならないから。
「フラれても諦められないしつこい女でも、応援して大丈夫かな」
「オレなら勘弁だな」
「仮定だとしても、荒北君は私も勘弁です」
 素直に言えない人間なのだろうと分かっていても、荒北君の小舅発言につい噛み付いてしまう。きっとまた、嫌味が返ってくるのだろうと思ったら、意外にも彼は笑った。
「福チャンは今頃自主トレ終わって部室から食堂に移動してる頃なんだけどォ、久瀬チャンには関係ネェ話か」
 想像もしなかった。荒北君が、福富君の元へ行けと促すなんて、そんなこと。
 でも口も目つきも悪い荒北君がしてくれている今の行為は、なにより強く私の背を押した。
「ありがとう、荒北君」
「礼言われることしてねーけどォ?」
 嫌そうに顔を歪めて、荒北君は言った。
 私は、鞄を肩にかけて、廊下へ飛び出した。むわっとした不快な空気を感じながら、廊下を走る。上靴のまま昇降口を飛び出して、夏の日差しに焼かれながら、こめかみを伝う汗を感じながら、走る。炎天下の中、外を歩く人の姿は遠くに一人だけ。
 その一人に向かって走る。背の高い、広い背中。太陽に照らされて、キラキラと髪が光っている。背筋をピンと伸ばして、寮に向かっているらしい、彼を目指して。
 50m、40m、30m、20m…
「福富君!」
 10mの距離を残して、私は彼を呼んで立ち止まった。久しぶりに全力疾走したからか、喉とわき腹が痛い。立ち止まった途端、汗がたらりと顎を伝った。
 視線の先にいる福富君は、ゆっくりと振り返った。私を認めて、小さく瞠目したのが分かった。真っ直ぐに私を見返す彼の目を見つめ返すことができなくて、彼の足元に視線が下がる。意気地がないな、ホント、私は。
「久瀬」
「あの…応援してるから」
 息が切れるせいで思ったよりも通らない声に、軟弱だな、と自分の身体を内心で笑う。何度か深呼吸して、もう一度。
「私、福富君のこと、応援してるから!告白したことも、後悔してないし。全然落ち込まないわけにはいかないけど、傷ついてはいないし。福富君を避けたのは、これ以上福富君に迷惑かけたくないって思ったからで」
「久瀬に迷惑などかけられたことはない。一度も」
 珍しく、福富君が私の言葉を遮った。そろりと視線を持ち上げると、福富君の真っ直ぐな瞳と目があった。いつだって、そうだった。福富君は、まっすぐ人を見つめてくる。すべてを見透かすように。自分に偽りはないと証明するように。
「インターハイ、応援してる。…応援していいかな」
「断る理由は何もない。久瀬」
 福富君は、言いにくそうに、口を開けたり閉じたりした。
「…何かあれば、言ってくれ。言い難いならオレでなくてもいい。無理をするな」
 その言葉を聞いて、つい、笑ってしまった。やっぱり、彼の中の私はどこまでも無理をする人間らしい。私は自分よりも他者を優先するような、立派な人間ではないというのに。
「福富君が思う程、私は無理はしてないし、他の人に優しくもない。ただ人とぶつかるのが嫌なだけな臆病な人間だよ」
 福富君に言われると、もしかしたら自分は良い人間なのじゃないかと一瞬錯覚するけれど、やっぱり違うんだ。違うから。
「福富君が、私を心配する必要なんて、どこにもないんだよ。クラスマッチの印象が強くてそうなってるんだと思うけど、福富君が思うより、私はずっと強かだから」
「久瀬の知っている久瀬と、オレの知っている久瀬は違うようだな」
 ジャリ、と福富君が土を踏んで、私に歩み寄ってくる。一歩一歩、近づくにしたがって、彼の顔がハッキリと分かる。額に浮かんだ汗まで分かる50cm前で立ち止まった福富君と見詰め合う。
「オレの知る久瀬は、自分に自信がなくて、周囲に気を配って自分を抑える、自分を振った人間にまで気を使わずにいられない、不器用で優しい人間だ」
「私そんな人知らないけど」
「…そうか」
 福富君が困ったような顔をして、小さく笑うから。
 その笑顔に溶かされるように、私も、笑った。






 荒北さんの行動原理は、自分のことと福チャンだと思っております。
 新開さんは余計なことしたかなと反省してバナナでも食べてるんじゃないですか。











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