夢  | ナノ


夏の始まりに零れる




 梅雨が明けて、日差しの強さを感じる今日この頃。福富君は、毎日忙しそうだ。
 一方の私も忙しい。勉強、プライベート…学校生活。

 なんでこうなったのだろうか。いや、仕方ない。だってクラスに女子が四人しかいないんだもの。副委員長を女子の誰かにというクラスの流れに、美香ちゃんは私がやるよ、と言ってくれたのだ。文化祭委員・体育祭委員・卒アル委員の片割れは女子にというのも納得だし、面倒な委員会ばかりだけれど仕方がないのだ。誰かがやらなければならない。そう、仕方がない。
 体育祭委員となった私は、新開君を相棒に、再来週に迫った体育祭に向け現在奔走中である。何故部活で忙しいはずの新開君が体育祭委員になったのか…男子の選抜方法は知らないが、大した理由はないに違いない。
 まあ、猛暑の中体育祭を行うのは問題がという保護者会からの訴えで、本年度から七月頭へと日程は変更に。夏に向け部活に集中したい生徒側と、保護者会への配慮で生徒には無理をさせたくない学校側の兼ね合いもあって、プログラムは最小限に整理され、三年の委員にはあまり多くの仕事はない。種目は陸上各種と綱引き、借り物競争くらいしかない。応援合戦も団長以外は一、二年。三年の委員は、クラスの調整位しかやることはなかった。

 委員会の帰り道、私の隣で鼻歌を歌いながら廊下を歩く、赤毛こと新開君を見上げる。私の視線に気付いたのか、ニコリと笑った彼に邪気はない。
「私、ちょっと寄りたいところがあるからここで」
 教室へ向かう廊下の途中、別棟へ通じる渡り廊下を指差して、私は新開君に告げた。
「久瀬ちゃん、うちのクラスそっちじゃなくて、こっちだよ」
「知ってます」
 もう日が傾いた廊下は、オレンジ色に染まって薄暗い。放課後になって廊下の窓が閉められたからか、空気が流れず暑く湿った空気が体に重く纏わりついていた。
「何か用事でもあるの?」
「まあ、ちょっと」
 用事はあるが、彼に言うのは憚られた。何故なら、私の行く先は利用者の少ない第二図書室で、尚且つその目的は読書ではなく、目の前に立つ新開君の所属する自転車競技部の主将福富君の姿を見るためだったりするからだ。
 長時間見るわけじゃない。ほんの少しの時間だけ。
 主将である福富君は多忙だ。それでも、それなりに規則正しいサイクルで練習を行っているようで、夕暮れを迎えるあと数分から十分後くらいには、外練習からトレーニングルームでの練習に切り替えるために学校へ戻ってくる姿が見られる予定なのである。
 練習を見学しに行ったら良いのかもしれないけれど、そんな勇気は私にはなかった。なにより、目の前で福富君が自転車に乗っているところなんて見たら、変なことまで口走ってしまいそうだったし。
「F棟なんて、なんの用事?オレ付き合おうか。暗いし」
 新開君の言う通り、F棟へ放課後向かう人間は少ない。図書室や職員室、ゼミ室といった人気のある部屋はF棟にはないからだ。
「大丈夫。急いでるから行くね!お疲れ!」
 話をしている間にも、徐々に日は傾いている。新開君に手を振って、彼に背を向け最初は早歩きで。F棟に到着して角を曲がってからは走って第二図書室へ向かう。第二図書室の利用には登録が必要だから出入り口の扉は閉まっているけれど、一年の時に図書委員だった私は、第二図書室の先、更に一本奥に曲がった廊下にある図書室隣の図書準備室の窓は壊れて鍵がかからないことを知っている。あらかじめ廊下に用意しておいた椅子を踏み台にして窓から準備室に入り込み、第二図書室への扉を開けた。少し埃っぽい空気を感じながら、あちこちに積み上げられている図書を引っ掛けないように気をつけて薄暗い室内を窓際に向かって進む。
 一番奥の四人がけのテーブルの椅子を一つ引いて、腰を下ろした。F棟の前には、自転車競技部用の部室とトレーニングルームへ続く道路が敷かれている。丁度、自転車が何台もこちらに向かってくるところだった。その先頭で自転車を押しているのは、多分福富君だ。電気の点いていない室内からなら、どれだけ凝視しても外にいる福富君がこちらに気付く可能性は低い。ここぞとばかりに福富君を見つめる。
 トレーニング用のジャージ姿が、格好良いなぁ。福富君を好きになるまでは、変な服って思ってたのに。ヘルメットを外し、手の甲で額の汗を拭ったときの伏せ目がちな顔。脳内の記憶をプリンターで印刷できたら良いのに。
 その時ふと、姿勢良く歩く福富君の隣で自転車を押している存在に気付く。荒北君だ。チッ、いるのか。彼はなんというか、視線に対して敏感なのか、二回に一回の確率で校舎に視線を向けてくる。今の所図書室から私が見ているということには気付いていないようだけれど、その内気付かれてしまいそうで怖い。せっかく福富君をゆっくりと見つめられる良い機会だけれど、寄せるようにしていた体を窓から離した。二人を先頭にした自転車の集団は、ゆっくりとF棟の前を通り過ぎていった。
 いいなぁ。もしも私が荒北君だったら、あの距離で喋ったり目があったりするんだろうなぁ…あー、でも駄目か。動悸でまともに立っていられないかもしれない。
「メールも、迷惑になるかもしれないしなぁ」
 IH優勝常連校である箱学の主将なのだから、きっと重圧も大きいに違いない。今の時期は部活のことだけ考えていたいんじゃないだろうか。そういう気持ちが日に日に強くなって、最近は福富君とのメールのやりとりはない。新開君や荒北君に会いに来た時に、近況を尋ねあう言葉を交わす程度だ。
「そう言わずにメールしてみてよ、寿一からはメールとかしにくいみたいだからさ」
 誰もいないはずの空間から、話しかけられた。弾かれるようにして椅子をガタガタと鳴らしながら立ち上がって振り返ると、そこには薄暗い第二図書室の書架に寄りかかって腕を組んでいる新開君がいた。にこり、と笑う彼が、ただ朗らかで明るいだけの単純な人間でないことは、ここ数ヶ月の付き合いで分かっている。
「な、んで」
「久瀬ちゃんがあんなあせった顔して慌ててるなんて、絶対面白いコトあるんだろうなと思ってさ」
 予想通り、と満足そうに言って、私に向かって歩いてくる。
 正直に言おう。私は彼が苦手だ。新開君が悪い人間ではないことは知っている。仲間思いだし、親切だし、それなりに弱いものを思う正義感もある。けれど、それ以上に自分の好奇心というか、楽しそうなことに目がないというか、結果が悪くならないなら楽しい方が良いじゃないかという、享楽的な部分がいただけない。今私が隣の席なのも、同じ委員会なのも、私が福富君に好意を抱いていることを知っていて、彼と私との関係性の変化を特等席で楽しみたいからに違いないのだ。
「新開君て、嫌な性格ですよね」
「久瀬ちゃんは、健気だね。寿一に告白しちゃえば良いのに」
 彼は時々軽い口調で告白したらと言ってくる。そんなことができるはずがないじゃないか。口を噤み、新開君を睨むようにしている私に、彼は苦笑して両手で降参のポーズをとった。
「ごめんなさい」
「謝るくらいなら言わないでください」
「けどさ、寿一が時々、久瀬が無理していないか気をつけてやってくれ、なんて言ってくるからさ。期待しちゃうだろ、寿一に春が来たのかなって」
 一瞬、彼の言葉が理解できなかった。彼の言葉を噛み砕いて消化できた後に襲ってきたのは、喜びと恥ずかしさ。福富君が自分を気にしてくれているのだということが、嬉しくて。けど、きっとそれは去年のクラスマッチでの出来事で彼に染み付いた、危なっかしい女子のイメージから来るものなのだろうという恥ずかしさ。
「福富君は、優しいから」
 そう、彼は優しいのだ。自覚なしに自然に優しいから、罪な人だと思う。
「寿一は優しいけどさ、んー、長年の付き合いのオレの勘と自分の勘、どっちを信じる?」
「自分の勘」
「即答だね…」
 まいった、なんて言いながら頭をかく新開君は何か思案している様子だ。
 私の記憶が間違っていなければ、ここにいる彼も自転車競技部のIHメンバー筆頭候補だったはずなのだが、練習に行かなくても良いのだろうか。
「オレからすると、寿一も久瀬ちゃんもお互いないものねだりの憧れあいなんだよな」
 ぼやくように言った彼の言葉は、素直に頷ける内容ではなかった。お互いっていうのは、福富君に失礼だと思う。福富君になくて私にあるものなんて、きっとマイナスのものしかない。
「久瀬ちゃん、ちょっとした賭けをしない?オレが勝ったら久瀬ちゃんは寿一に告白する、オレが負けたらオレはもうなにも口出ししない」
「賭けはしないし、告白はしたくないし、そもそも福富君と私の話に新開君が口出ししてくる方がおかしい」
 新開君とは、リズムが合わない。悪い人じゃないのだと分かっていても、関わっているととても疲れる。いかにも良いことを提案したかのように言っていたけれど、私が勝ったところで彼の口出しが治まるとは思えない。賭けにのったところで、私に利はまったくない。
「あー、急に図書室司書さんに第二図書準備室の窓の鍵について喋りたくなってきたなぁ。そういえば、さっき廊下から忍び込んでる人間を見た気がするなー盗難とかじゃないといいんだけど」
「…賭けってなんですか」
 なんだこの男。うさぎを愛する心優しい好青年とか言ってた女子に見せてやりたい。汚い。お前も入ってきてんだろうがと言いたいが、どう考えても立場が弱いのは自分だ。
「簡単だよ、体育祭の日にベンチで寝転がってくれてればいい。そこに寿一が行ったらオレの勝ち、別の誰かが行ったらおめさんの勝ち」
「ちょっと待って。どういう設定でそうなるの?」
「それは企業秘密ということで」
 人さし指を唇に当てて、新開君は笑った。
 その顔は至極楽しそうで、悪気なんてこれっぽっちも含まれていないけれど。
 薄暗く埃っぽい静かな図書室に、大きなため息が一つ零れた。






荒北さんが姑なら、新開さんは旦那の兄弟的な面倒臭さ。
私の中で、新開さんは面倒臭い人、です。
普通の人とリズムが違う感じ。
これは福チャン夢ですよ。早いとこ続きを書きたいですが…









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