夢  | ナノ


バレンタインに絡まる


「福富君」
 部活に向かう途中の福富君を、廊下で呼び止める。
 見上げるような立派な体躯を持つ福富君は、部での発言や外見から誤解されやすいけれど、普段はちょっととぼけたところのある優しい人だ。口数は少ないけれど、どんなに疲れていても掃除や委員会をサボったりしないし、睡魔に負けない限りは背筋をピンと伸ばして授業を真面目に聞いている。まあ、自転車競技部の授業態度がすこぶる良いのは有名な話だけれど、それでも、苛酷なまでの練習を己に課している部長の手本あってのことかもしれないと思わせる清廉さが、福富君にはある。
「?」
 私の声が届いたらしく、福富君は立ち止まってくれた。不思議そうにほんのわずかに首をかしげている。同じクラスの私と福富君は、それほど仲が良いわけではない。同じ班になったりすれば喋る、その程度。なぜ呼び止められたのかが分からないという福富君の表情に、つい苦笑してしまう。彼にとっては、今日はなんでもない365日のうちの1日に過ぎないのかもしれない。
「これ」
 紙袋を福富君に差し出すと、納得がいったように彼は頷いた。今日がバレンタインであることは認識しているらしい。
「東堂か? それとも新開か?」
 受け取りながら、自転車競技部の人気どころ二人の名前を挙げる福富君はどうやら誤解している。二人の人気はよく知っているし、福富君が代理で受け取って渡してくれることがあるらしいことも聞いたことがあるけれど、渡すなら自分で渡す。他人を仲介するなんて失礼はしない人間のつもりだ。荒北君という福富君の友人が「福チャンよりバカ二人が良いなんていう見る目ねぇ女な上に、他人任せの人間なんざ無視しちまえよ」とガウガウ言っているのを聞いたことがあるけれど、東堂君や新開君という人の人となりは知らないが、言いたくなる気持ちはよく分かる。
「あの、福富君宛てなんだけど…迷惑だったかな」
 パチ、パチ、と二回、福富君は瞬きをした。その後、視線が左手で持っている紙袋と私の顔を二往復。
「オレ、か」
「福富君、です」
 まじまじと私の顔を見つめてくる福富君の視線は、あまりにもまっすぐで、こちらが照れてしまう。
「ありがとう、大切に食べさせてもらう」
 一瞬、ほんのかすかに福富君の口元が緩んだ。
「受け取ってくれてありがとう、呼び止めてごめんなさい」
 頭を下げて、立ち去ろうとする私を、福富君が呼び止める。
「髪」
「え?」
「絡まってる」
 慌てて両手で髪を確認する。どうやらマフラーをした時に、左サイドでまとめている髪ゴムのチャームと髪が絡まってしまったらしい。おしゃれしてきたつもりが、肝心の福富君の前でみっともないことになっていたようだ。
 福富君は、SHRが終わると早足なわけでもないのに、あっという間に部活へ行ってしまうから、SHRの前に入念に鏡でチェックしておいたのに。あわててマフラーしなきゃよかった。
「あ、大丈夫、すぐ解けるし」
 髪ゴムを引っ張ってみせる。プチ、という手ごたえ。しかも引っ張ったことで髪が引っ張られてしまって、痛い。
 福富君が、眉間を少し寄せた。
「あの、どうにかなるから、部活! 行ってください」
 もう、頭はボサボサだろう。顔に熱が集まるのが分かる。あせって再度ゴムを引っ張ろうとした私の手を押し留めたのは、福富君の手だった。
「持っててくれ」
 福富君は自分のバックを廊下に下ろし、私が渡した紙袋を差し出してきた。受け取るのをためらっていると、再度差し出されて、その四角い紙袋を受け取った。
 私が受け取ったのを確認してから持ち手から手を離した福富君は、私の左側に回った。引っ張られていた髪とチャームが福富君の手に支えられて、少し楽になる。そのまま、私の視界の外側で、福富君は私の絡まった髪を解いてくれているようだった。
 時々、左耳やマフラーの隙間の首筋に、福富君の指先が触れて、こそばゆい。
 福富君は、そっと、そっと、絡まった私の髪を解いてくれているようだった。思いのほか繊細に、福富君の指は私の髪に触れる。
 何分かは分からないけれど、そう長い時間掛からずに福富君は器用に私の絡まった髪と髪ゴムを解いてくれた。
「悪い、何本か切れてしまったようだ」
 髪ゴムに絡みついている数本の髪を見て、福富君が眉間を寄せた。
「それは、私が引っ張ったときに抜けたやつだと思う」
 髪ゴムを受け取り、再度紙袋を渡しながら伝えると、福富君は頷きながら受け取ってくれた。
「ありがとう」
 福富君は律儀に、また私にお礼を言ってくれた。
「こちらこそ、ありがとう」
 自分でやっていたら、もっとブチブチ切れていたはずだ。
「部活、応援してるね。気をつけてね」
 廊下に降ろしていたバッグを肩にかける福富君に手を振ると、生真面目に頷いた後、遠慮がちに手首から先だけをかすかに動かして、手を振り返してくれた。

 廊下で女子の髪をいじる福富君という構図はやはり目立つものだったらしく、私が福富君の彼女だとかいう事実無根の噂が立ち、それ以降福富君の舅のような荒北君にからまれている。彼女ではないということを伝えても、恥をしのんで片思いであることを言っても、ことあるごとにからんできては、やれ声が小さいだの、今年のツールの感想はどうだだの、福チャンの良い所を言ってみろだの言われる。仕方がないから答えれば、ハン、と鼻で笑って見下してくる荒北君の表情は生き生きとしていて、心底むかつく。
 福富君はすごく素敵な人なのに、彼女ができないのって、荒北君のせいだと思う。








 多分、ホワイトデーに続きます。
 福ちゃんが好きな女子にとって、荒北君は小うるさい舅だろうと思って。









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