夢  | ナノ


食べなさいよ



「なに、その荷物」
「え?新開へのプレゼントだけど?」
 背中にパンパンのリュック、両手・両肩にパンパンのエコバック。これらの荷物を指しているのだろう。誕生日が部活休みにかぶり自宅に帰ってくるとメールで聞き、過去に交わした約束を果たすべく私は新開家の玄関の呼び鈴を押した。玄関を開けたのは目当ての人物新開隼人だった。
 自転車の強い学校に行ったご近所の幼馴染新開は、中学では真面目っぽい顔してたくせに、高校行って髪いじってみたり、なんだかんだと雰囲気が変わった…中身は大して変わらなかったけど。幼いころからご近所の友達として気の置けない付き合いをしてきた新開が寮に入ってほとんど会うこともなくなり、一時期自転車に乗れなくなったらしいと聞いたときは流石に心配したけれど、その後の活躍をおばさんから聞く度に安心したものだった。そんな新開は、今日は外出する気がなかったのか、ダブっとしたTシャツにジャージ姿だった。額に掛かった鬱陶しく長い前髪を彼が手の甲で払うと、額には汗が滲んでいた。
「暑いなら、縛っちゃえば。その前髪」
「おめさんは、涼しそうだな」
 私はお母さんに借りた麦藁帽子をかぶって、タンクトップに短パン、ばあちゃんのサンダルを引っ掛けた典型的な家で過ごす夏スタイルだ。普段はおろしている髪もざっとまとめている。
「いや暑いよ。どうみても暑いでしょ、見えないのこの玉のような汗!」
 照りつける太陽の日差しが暑い。額や首を伝う汗は、期待するほど身体を冷ましてはくれない。汗を拭いたくても両手がふさがっていてどうにもできなかった。
「あー、中入る?」
「あんた追い返すって選択肢あると思ってんの」
 玄関の扉を大きく開けて、私を通す新開は、何故だか微妙な苦笑を浮かべていた。

 休日だというのに、新開家はシンとしていた。人の気配がしない。
「おじさんとおばさんは?」
「親戚の結婚式」
 簡潔な答えを聞きながら、先を歩く新開の後姿を追いかける。久しぶりに嗅ぐ新開の家の匂いが懐かしい。新開が階段に足をかけたので、記憶よりも一回り大きくなった背中を人さし指でつつく。ちなみに新開が両手の荷物を持ってくれたので、だいぶ楽になった。
「リビングじゃないの」
「リビングのエアコンは絶賛故障中だってさ」
「でもあんたの部屋もエアコンないじゃない」
「オレの部屋の方が風通るんだ」
 あー、冷房のきいた部屋に入れると思ったのに。ガックリと肩をおとしながら新開の後を追う。通された部屋は、最後に見た記憶よりも物がなくガランとしていた。畳にベッドというアンバランスなところは変わらなかったけれど。部屋の窓の外にはよしずがとりつけられているようで室内は薄暗い。新開が言っていた通り、室内に足を踏み入れれば風が通って、私の首筋の汗を冷やした。チリンと風鈴の涼やかな音が聞こえる。
「荷物の中身、もしかして全部食べ物なわけ」
「そうだけど」
 抱えるようにしている保冷機能のある両肩のエコバックには果物やサラダや冷菓が詰まっている。新開の両手から畳に下ろされたバックの中身はせっせと朝一でデパ地下のデリ。リュックには冷えたお茶のペットボトル(2リットル)が2本。
「何が始まるのか、聞いてもいいか」
 勧められるまま、中央の小さなちゃぶ台とベッドの間に座ってベッドに寄りかかった。新開はベッドに腰を下ろして私を見下ろしてくる。
「新開忘れたの?約束したじゃない、あんたが箱学でレギュラーとれたら誕生日に好きなだけお腹一杯食べさせてあげるって」
 忘れてたなら、放置しとけばよかった。でもわざわざIHメンバーになったから誕生日は覚悟しとけよとかメールしてきたんだから、忘れているわけじゃないんだろう。
「約束したときの事、憶えてるか?」
 困ったような顔をして、新開は額に手を当てた。
 もちろん憶えている。中学の卒業式の帰り道、偶然一緒になって家に入ろうとする私に新開が言ったのだ。『オレが箱学でIHメンバーになったら、…オレにみちるの全部を寄越せ』と。
 箱学の自転車部が強豪であり、レギュラーになることの困難さは新開から聞いた話から察することができたから、約束したのだ。涙を呑んで。『分かった、新開が頑張ったら、絶対満足させてあげる』と。
「憶えてるから買ってきたんじゃないのよ、私の今月のバイト代全部つぎ込んで買ってきたんだからね」
 これが○×亭のデミグラスハンバーグ、これが△屋のローストビーフ、これが□○の小籠包、△□のカルツォーネ、×□本舗の焼き物と煮物、冷製パスタ、オムライス、ミネストローネ、エビチリ、とんかつ、カルパッチョ、たこ焼き、シーザーサラダ、フルーツ盛り合わせにバナナ一束、ショートケーキ、チーズケーキ、杏仁豆腐、フルーツサラダ。
 ちゃぶ台にエコバックから一つ一つ出しながら説明していくと、徐々に新開の瞳が虚ろになっていく。なにその反応。私が食べたいところを我慢して買って持ってきてあげたのに!
「美味しそうでしょ?」
「まあ、うまそうだな」
 ため息をつくような張りのない声で、新開は言った。なによその覇気のなさは!
「だったらもっと喜びなさいよ」
 背負っていたリュックから緑茶とウーロン茶のペットボトルを取り出して、畳の上に置く。ようやっと重い荷物から解放された。手のひらで顔に風を送りながら首や肩を回していると、深いため息が隣から聞こえた。当然その主は新開だ。
「そうきたかー」
「失礼な反応ばっかしてんじゃないわよ。いい加減殴るよ」
 目が据わるのを自覚しながら新開を見上げた拍子に、額から汗が伝って流れる。私を見下ろす新開は、困ったように眉を下げて私を見ていた。嫌な男ではないのだ、新開という奴は。そんなのは長い付き合いで分かっている。分かっているから、新開の困った顔を見て、握り締めた拳を振り上げるのをやめてあげることにして、正面に並んだ美味しそうな食べ物たちに顔を向けた。
 チリリ、と再度風鈴がなったのと同時に室内に流れ込んできた風が頬を撫でた。涼しい。額に張り付く前髪を除けながら瞳を閉じて風を堪能する。元々薄暗い室内だけれど、光を遮断することで更に涼しく感じるのは何故だろうか。
「オレにみちるの全部を寄越してくれるって約束は、まだ有効?」
「なに、まだ足りないの?」
 静かに届いた、新開が発した言葉の内容に目をむく。慌てて見上げると、新開はにこりと笑いながら、自分の隣をポンポンと叩いた。座れ、ということだろうか。
「ああ、足りないね」
「本気?これっだけあるのに?」
 新開の指示に従ってベッドに座りながら私が問うと、新開は再度、「有効?無効?」と、例の何を考えてるかよく分からない笑顔で私に問い返した。
「あーもう!約束したんだから、二言はないよ。有効有効」
 もう、お財布に紙幣はない。お母さんからお小遣いを前借りするしかないだろう。
 どれだけ腹減ってるんだ、この男。
「よかった」
 足元のリュックの中に入っているお財布の中身を、ないとは分かっているけれど念のため確認しようとしたとき、新開が私の肩を押した。結構な力で。
「どぉうわ!」
 咄嗟にバランスをとろうとして伸ばした腕が、何かを掴むことはなく、ベッドに背中を沈ませるようにして倒れこむ。勢いで両足が持ち上がって、ベタン、と落ちた。足の裏に、畳の感触。
「誕生日に家にいるって教えたのに、反応薄いと思った」
 私の左隣にいた新開が、私をのぞきこむようにして右耳のすぐ横に腕をついた。倒れた拍子に額や頬に張り付いた髪を、新開の右手が柔らかく避ける。私の額も、新開の指先も、熱い。
「なにすんのよ!」
 新開の手を払いながら身体を起こそうと肘を突いた私に、よりにもよって奴はのしかかってきた。当然ながら私の背中はベッドに逆戻り。
「ぐえ」
「はは!すごい声だな」
 すごい声だなじゃない!重い!苦しい!熱い!新開の体の下でもがいても、奴のTシャツを引っ張っても、笑うばかりで退く気配はない。それどころか新開の腕が背中に回されて、拘束された。ぎゅう、と腕に力が入れられて、胃袋が外に飛び出すんじゃないかと思った。苦しい!そしてやっぱり熱い!!
「こ、のァ…ホ」
 息も絶え絶えになんとか声を絞り出すと、ようやく新開の重みが消えた…というか、グルリと一回転して私が新開に乗っかる形になったというか。でも、背中に回った腕が緩むことはなく、思い出したようにギュウとされて、「う」とか「ウヘ」とか私は奇声を発する羽目になる。暴れても無駄だと悟ったのは約三分後のことで、脱出は諦めて私の体重を思い知れとばかりに全体重を新開にゆだねてやると、新開の腕が少し緩んだ。
「暑い!」
「オレが言うことじゃないけど、みちる、突っ込むとこ違う」
 苦笑する新開を奴の胸のあたりから睨みつけていると、なにやら新開の手がそろりそろりと背中やら太ももやらを撫で始めた。お互い汗ばんでいるせいで、しっとりと皮膚がくっつく感じがして気持ち悪い。
「ベタベタして気持ち悪いからやめて」
「んー、みちるが言うべきことはそこでもないかな」
 再度コロリと転がされて、天井を向く私と、私を押し倒している状態の新開。
「みちるが買ってきた食べ物も美味しそうだから後で食べるとして。オレはどっちかっていうとみちるの後れ毛が張り付いた首筋とか、肩から脇の無防備なラインとか、スカートで焼けてない太ももの白さとか、そっちの方が美味しそうだなと思うわけだけど」
「はあ!?」
 目を見開いて新開を見上げると、奴はようやく胡散臭い笑顔を消して私をひたと見つめた。
「満足させてくれるんだろ?」
「こ、こちらは商品には含まれませんからお手を触れないでくださーい!!」
「じゃあ、美味しくいただきます」
 待ての言葉は新開にペロリと食べられた。


※購入した食材とみちるさんは、この後新開さんが美味しくいただきました。






 お誕生日おめでとうございました…
 別に忘れてたわけじゃ、ないんだからね!!









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