夢  | ナノ


雨雨、降れ降れ


 田所

「本日より関東地方が梅雨入りいたしました」
 テレビの中の美人キャスターが淡々と告げた。
 カーテンの外の天気は雨。まとわり付くしっとりした空気。髪だって、いくらセットしても落ち着かない。学校までの道のりで、足元も濡れることだろう。
 いやあ、ほんと嫌になっちゃいますよねこの天気。

「田所君おはよう。今日も元気そうだね」
「おうおはよう。久瀬は元気ねぇじゃねえか」
 予想通りに靴下がしっとり濡れた状態で学校に到着した私は、ため息をつきながら靴下を履き替えていた。前の席の田所君は梅雨なんてなんでもない、って顔をして笑いながら椅子に座った。朝も自転車に乗ってきたのか、髪がしっとりと濡れていた。
「梅雨入りしたらしいから…傘さしてても靴も靴下もびっしょりだし」
 しばらくはこの不快な思いをしながら登下校しなければならないのだろう。
 私の言葉を聞いて、田所君は豪快に明るく笑った。
「なんだ梅雨入りしたからってそんな顔してんのか」
 まあ、田所君にとって、梅雨入りなんてなんてことないんだろう。彼が打ち込む自転車競技に雨天なんて関係ないらしいから。
「田所君は全然気にしてなさそうだね」
「そうでもねぇぜ?パン屋にとって梅雨は天敵だからよ」
 たしかにそうなのかもしれない。
「早く梅雨が明けるといいねぇ」
「雨もいい練習になっけど、やっぱり晴れだよな、ロードの醍醐味は」
 そういえば、田所君は今年IH優勝を目指していると言っていた。去年もIHに出場していたらしいし、時々練習しているところを見かけるけれど、驚くほど速く通り過ぎていく。
「田所君、部活頑張ってるんだね」
「まあな。久瀬も梅雨明けたら見に来いよ!」
 田所君は白い歯を見せて、今は雲に覆われて見えない太陽みたいに明るく笑った。





 福富

「久瀬」
「福富君」
 教室移動の途中、廊下で福富君とすれ違うときに呼び止められた。梅雨で湿った空気のせいか、廊下の窓は曇っている。
「これから移動か?」
「うん、私世界史選択だから」
 どうも、日本史は似たような名前が多いように思えていけない。
「福富くんは?」
「オレはこれから体育だ」
 福富君は体操服を抱えていた。あー、体育。去年は同じクラスだったから、ちょいちょい盗み見できたのになぁ。福富君は背が高くて身体能力も高かったから、サッカー陸上バスケにテニス、全部格好良かった…!!脳内HDだけじゃなく、リアルHDに残したかった…!!
「…久瀬?」
「え、あ!今日は何やるの?」
「雨で陸上が中止になった。体育館で恐らく男女混合で球技でもするのだろう」
 福富君のクラスと合同なのは、私立文系のとあるクラスで、女子は結構キャピキャピかわいい系が多い。国立理系は女子が少なく、私立文系は男子が少ないので自然と体育の組み合わせはこうなる。せっかく隣のクラスだから、体育は合同だと思ったのに。
「そ、そそっか。福富君て運動神経いいから、女の子たちも喜んじゃうね」
「?」
 でっかい図体して不思議そうな顔をして首を傾げるとか、なにこの人。殺される。
「福富君、格好良いから」
 お世辞でもなんでもない。本当に格好良いのだから、褒め言葉ではないはずだ。
 でも、目の前に立つ見上げるほど背の高い福富君は、小さく眉間を寄せて難しい顔をした。なにか気に障ることを言ってしまったのだろうか。
「…笑ったら、いいんだろうか?」
「え?」
「冗談か」
「はい?」
 体操服を抱えていない右手を顎に当て、なにかを考えているようだ。
 もしかして、格好良いという言葉を冗談だと思っているんだろうか。そんなまさか。箱学の自転車競技部の部長なのだから、自分がモテることくらい自覚しているだろう。いや、でもそう言えばバレンタインでチョコを渡そうとしたときも、東堂か新開かとか言ってたような気が。
「冗談のつもりで言ったんじゃ、ないんだけど」
「そうか。それは、…その、ありがとう」
「ど、どういたしまして」
 なんだろう、この、お見合いであとは若い人たちだけでって言われた後の二人きりの空間みたいな状況。
「あ、じゃあ、着替えもあるだろうし、またね!」
 私が手を振ってこの場を離れようとすると。
「待ってくれ」
 少し困ったような顔をした福富君が私を呼び止めた。踏み出そうとした足を止めて、再度福富君に向き直ると、彼の右手がそっと私に向かって伸ばされた。今日は、彼からもらったシュシュは使っていない。そのままおろしただけの髪に、その右手は伸びていく。
「跳ねている」
 右手が私の項の方まで伸ばされたかと思うと、項から前に流すように髪を指で梳かれた。慌てて教科書を持っていない方の手で後ろ髪を確認したけれど、彼によってもう直された後だったようで。またか!なんで好きな相手にみっともない頭を見られなくちゃいけないんだ。しかも直されるっていう。
「あ、ありがとう」
「いや…今日はお互い、礼を言っているな」
 福富君が静かに笑った。
 あー、どうしよう。のぼせてしまいそうだ。





 鳴子

「あー、スカシの奴、腹ったつわー!」
 隣の席に乱暴に座った鳴子君は、声を荒げていつものスカシ君に腹を立てている。
 鳴子君がどこかのクラスのスカシ君に対してライバル心を抱いていることは、うちのクラスでは有名な話だ。
 梅雨に入って、連日雨ばかり。それでも毎日自転車競技部は練習しているらしく、今日も鳴子君は髪からポタポタと雫を垂らしながら、スカシ君への不満を喋りたおしている。
「なんであんな言い方しおるのか理解できんわ!」
 言い切ってようやくお腹に溜まった不満を出し切れたのか、勢いよく鼻息をフンッとついて、腕を組んだ。
「あー、落ち着いた?」
「まあそこそこな!」
 口をへの字にしたまま、腕を組んでいる鳴子君が髪から垂れている雫を気にする様子はない。風邪ひいちゃうんじゃないだろうか、と私が思ったのとほぼ同時に、鳴子君は大きなくしゃみをした。やっぱりね。
「タオルは?」
「あ?ああ、練習中にビショビショになってもうたから、マネージャーに洗濯頼んどる」
 なんのためのタオルなんだか。幸い、私のカバンにはまだ使用していないタオルが入っている。ちょっとおせっかいかもしれないが、同じようにびしょぬれ頭で風邪をよくひく弟を持つ身としては、目の前に髪からポタポタ雫たらしてる人間を放置できない。
「鳴子君、ちょっといい?」
「どないしたん?」
 不思議そうな顔をして私を見つめてくる鳴子君は、まだあどけない顔をしている。その中身が案外男らしくて頼りになることは知っているけれど。
 カバンから取り出したタオルを広げて、彼の赤い頭を覆うと、そっと手を動かした。普段の髪はセットしているため、ツンツンと堅そうな髪だと思っていたけれど、こうして触れると案外柔らかそうな手ごたえだった。
「うわ、久瀬さんやめてや。なんや子どもみたいで恥ずかしいわ」
「髪から雫垂らしてる方が子どもみたいでしょ」
 片目を閉じ、肩を竦めて抗議する鳴子君を一蹴して、彼の髪をワシャワシャとかき混ぜてやる。恥ずかしいと言っていた鳴子君は、タオルの下から私を上目遣いで見たかと思うと、クシャリと笑った。
「案外、強引やな」
 笑って、大人しく目を閉じた鳴子君の頭を気が済むまで拭いて、タオルを取り去る。
 鳴子君が跳ねた髪を手で撫でながら、私を見つめた。ペタンと大人しくなった頭の鳴子君は、なんだか変な感じだ。
「久瀬さん、おおきに」
 思いがけず、大人びた笑みでお礼を言われて、胸がドキリとした。それをごまかすように、彼から視線をそらしてタオルを畳んでいると、手からタオルを奪われた。
「ワイは兄貴やから、いっつも拭く側やねん。なんやくすぐったかったけど、嬉しかったわ」
 洗って返す、と言って、鳴子君は前を向いた。もしかしたら、私のおせっかいを甘んじて受け入れてくれた鳴子君は、私より余程大人なのかもしれない。
 前を向いた彼の背中が、なんだかいつもよりも大きく見えた。






梅雨入りしましたね。じっとりするんだろうなぁ。
けど、雨自体は嫌いじゃないです。
暑くないといいなぁ。










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