夢  | ナノ


ストレート


サラツヤ髪な東堂が羨ましいくせ毛ヒロイン


 漫画とかで天パだからまとまらなくてとかコンプレックスでとかっていう話がよくあるけど、大抵ヒロインはフワフワのくせ毛だったりしてそれならいいじゃないかなんて、困ったくせ毛代表の私なんかは思うわけで。
 鏡の向こうの私は、顰め面をしている。お風呂後にタオルドライ、そしてドライヤー。しっかり乾かした私の髪は、右はクルックルでボリューミー、左はそこそこウェーブでヘタってる。
 あー、アンバランス。
 中学校は肩につく長さの女子は髪をまとめましょう、なんて校則があったりしたから皆髪を縛っていたし良かった。けど、流石に高校にそんな決まりごとなんてない。みんなそれぞれにおしゃれにまとめたり、シンプルにおろしていたりと髪型を楽しんでいるように見える。私はと言えば、ショートは寝癖のようになってどうにもこうにもならなくて、肩甲骨に届く長さの髪をきっちり後ろでまとめて縛るだけのワンパターンな髪型しかできない。
 中学の頃は、高校生になって縮毛矯正さえかければ憧れのサラサラヘアーが待っていると信じていた。高校に入学してせっせとアルバイトして、GWに意気揚々と美容室へ行ったその日の自宅への帰り道、私は絶望していた。矯正がうまく効いた部分と、いまいちな部分が入り混じった私の髪は、結局纏め髪の一択しかできなかった。

 さて、ここで話は変わるのだけれども、最近よく絡んでくる男子がいる。その子とはそれまで挨拶くらいしか交わさないくらいの付き合いしかなかったのだが、つい先日たまたま調理実習で同じ班になった。
 やたら仕切りたがるわりにどこか抜けたところのあるその子は、そこそこ器用だったけれど、調子に乗ってしまったのかスライサーで人さし指を削ってしまった。ボタボタと血が滴って、キュウリが赤く染まっていき、周囲の生徒からは小さな悲鳴があがった。出血は肘に伝い落ちるほどだったし、その上彼は強化部のレギュラー選手だった。
 周囲の反応に反し、本人は落ち着いたもので指の付け根を圧迫しながら「赤・緑・白でクリスマスカラーだな」などと笑っていた。周囲は浮き足立つばかりで、本人は血で他を汚すのを気にしているのかシンクから動かないまま。仕方がないので使用していないふきんを持って彼に近づき、指先の皮膚が削られた人差し指をふきんで圧迫した。わずかに彼の顔がゆがんだけれど、それも一瞬だった。
「おお、助かったぞ久瀬さん」
「保健室行ってきなよ。指先だししばらく痛むよ、それ」
 そんな会話をした頃、騒ぎに気づいた教師が到着した。
「みんな作業に戻って。気が散ってると、怪我するわよ。……東堂君、作業中に切ったのかしら」
「ええ、オレの注意不足です。保健室へ行ってきても良いですか」
「行ってらっしゃい。…ああ、誰か付き添って行って頂戴」
 教師と東堂君の会話を聞きながらも、私は彼曰くボウルの中でクリスマスカラーになっているキュウリをビニール袋に流し込んでいた。今日の我が班のサラダにはキュウリは不在となりそうだ。
「久瀬さんどうしたものだろうか」
 手を念入りに洗っていた私の名が呼ばれた。周囲を見ると、他の班の子たちは作業に戻っており、同じ班の女子は血が苦手だったのか青い顔をして椅子に座っていた。東堂君よりよほど調子が悪そうである。もう一人の男子はその女子と東堂君を心配そうに見てはオロオロとしていた。
「新藤君、東堂君と日下さん連れて保健室行ってきて。こっちは私がなんとかしとく」
「悪いな、久瀬さん。頼む」
 三人が連れ立って保健室へ行き、私だけが残った。高校の調理実習で手の込んだものを作るはずもなく、たどたどしい手つきの新藤君と日下さんをみている方がハラハラしていたので逆にほっとした。両親共働きの我が家では、平日夜の食事の準備は私の仕事だったので作ることには負担を感じない。
「うん、やるか」
 一人で作るんじゃ調理実習という感じではなかったけれど、できあがった料理はなかなかのものだったと思う。
 それ以降だ、なにかと東堂君から話しかけられるようになったのは。どうやら、調理実習の時の私に思うところがあったらしい。きっと一人で作らせたことに責任を感じているのだろうと思った。彼が女子に優しいのは有名な話だったし。なので、私は料理は作りなれているし、弟はよく怪我をするから血にも慣れている、気にすることはないと丁寧に説明した。
 しかしそれ以降も、ふきんを血で汚してしまったからと、何故かハンカチを渡されたり(丁重にお断りした)。一人で作らせてしまったからと、東堂君お手製らしい謎の煮込み料理を渡されたり(珍妙な味がした)。弁当を作ってくれないかと頼み込まれたり(丁重にお断りした)。断ったらオレは泣くと言いながら再度弁当を乞われたり(仕方ないので作った)。弁当の礼だと言ってなにかの包みを差し出されたり(丁重にお断りした)。
 私はあまり東堂君とは関わりたくなかった。何故かと言えば、東堂君は私が喉から手が出るほど欲しい、サラサラストレートキューティクルヘアーの持ち主だったからである。常に天使の輪っかを作り、肩の上で揺れる艶やかな髪をどれほど羨んだことか。
 彼といると、私の劣等心がこれ以上ないほどに刺激されて、陰湿な気持ちになってしまうのだ。どうせ私はチリパー(ちりちりパーマ)ですよ、とか纏め髪か坊主の二択しかありませんよとか思ってしまうわけである。

「久瀬さん、明日なにか予定は入っているか?」
 放課後の教室、にこやかな笑みを浮かべて東堂君が私に話しかけてきた。肩にカバンをかけた彼は、流石に強化部選手らしく立っているだけで様になる均整のとれた体つきをしている。
 明日からは三連休。定期試験にはまだ日数があり、部活に所属していない私は遊び放題だ。
「特になにも予定はないけど。なんで?」
 机上のプリントや筆記用具をバッグに収めながら私が彼を見上げて問うと、東堂君は困ったように眉を下げて笑った。小さく首を傾げた彼の肩上ほどの髪が、サラサラ揺れた。
「明日の部活が、顧問の都合で中止になった。一緒にどこかに行かないか」
「あ…あー、そういえば連休明け提出の課題レポートが終わってなかったなぁ…」
 嘘だ。とっくに終わってる。つい目が泳いでしまって、教室の前方をさまよう私の視線に気付いたのか、東堂君が再度苦笑した。
「久瀬さんに学校以外の場所で会ってみたい」
 駄目だろうかと問うてくる東堂君の瞳が微笑んでいて、あからさまな嘘をついてしまった私はどうにも居心地が悪い。東堂君はちょっと自信過剰なところがイラっとすることもあるけれど、悪意のない優しい性格であることはなんとなく分かっている。
「会ってなにするの」
「休日に男女が会う、それを世間一般ではデートというのだとオレは認識しているが」
 大層真面目な顔をして、東堂君は言った。デート。デートと言ったかこいつ。
 まじまじと私が見返すと、東堂君は爽やかに笑った。
「久瀬さんの家は駅の側だったな。では11時に駅前で待ち合わせしよう。オレとしては、ワンピース姿で髪をおろした久瀬さんを期待している」
 私は一瞬、呆気にとられて、そして我に返った時には東堂君はじゃあなと私に手を挙げて教室から颯爽と立ち去っていたのだった。あっと言う間だった。
 どういうつもりなのだろうか。嫌われてはいないだろうと思っていたけれど、デートだとああもはっきり言われてしまうと対応に困る。なにより、スカートはともかく髪をおろしてという言葉がいただけない。私の髪を甘く見るなと説教したい気分だった。

 そして今、こうして鏡とにらめっこしている訳である。
 一方的とも言える約束ごとだから、律儀に期待に応える必要はないだろうとも思う。けれど、なにぶん私は今までの人生で、男子から休日に出かけようなんて言われたことがなかったので、どうしたものだろうかと迷う。困惑と疑問の方が断然強いけれど、絶対に嫌なのかと聞かれるとそうだとは答えにくい。浮かれる部分がないわけではなかった。それも、こうして鏡と向き合うまでの短い時間だったけれども。
 こうして見ても、私のコンプレックスは癖毛に限られたものではないのだろうと確信する。こんな髪だって、もっと目が大きくて、まつげが長くて、鼻筋が通ってて、口角があがってたら、肌が白くてスベスベだったら、あと5kg細かったら、きっと違ったに違いない。そうなったら別人だけどもそう思ってしまう。
「華がないよね、華が」
 親指と人差し指で憎き頬肉を抓る。どうよく見ても中の中、ふとした瞬間撮られた写メなんかは酷い顔をしていることも多い。卒業アルバムでは、実の親があなたどこにいるのか分からないわねというコメントを残したくらいだ。あんたら譲りの地味な顔なのだと言いたい。
 一方の東堂君は華どころか、電飾と拡声器つけた孔雀みたいな人間だ。どこにいるのかすぐ分かる。見た目も性格も鮮やかで、そういう意味では私とは対局にいる存在だろう。
 女子に優しい東堂君だから、からかいや嫌がらせという線は薄いだろうけれど、なぜ私を誘ったのか首を傾げずにはいられない。東堂君に彼女がいるという話は、入学してから三年になる今まで一度も聞いたことがなかったけれど、強化部でも指折りの選手である東堂君はそこそこモテる人だったはずだ。
 鏡越しに、壁に掛けてあるワンピースを見つめる。淡い水色のワンピースは、一目惚れして買ってはみたものの着る機会がなく、クローゼットで眠っていたものだ。襟や袖と裾に施されたレースは繊細で、ハイウエストで切り替わったシフォンスカートはフワリと膝上まで。袖は七分。背中にはレースの小さなくるみボタンが並んでいる。一緒に履けたらいいなと思っていた水色のサテン地のパンプスにはレースで作られたバラ。キラキラと輝く真紅のビーズで出来たペンダントトップは、華奢な金のチェーンの先で今日も光っている。服も靴もペンダントも、身につける人間が問題なのである。
 顔はもう、どうしようもない。問題は髪だ。やはりおろして行ったほうが良いのだろうか。しかし、先ほどから雑誌やネットでヘアアレンジを探しては試行錯誤しているけれど、うまくいかない。一人で簡単アレンジ!なんて書いておいて、嘘ばっかり。
「あー、もう、いいや。今日は寝よ」
 諦めて、布団に入った時にはもう日付けを跨いでいた。

 翌朝起きたらあら不思議、なんて魔法かしら?……ということは当然なく、相変わらずのアンバランスな髪のままだった。一つため息をもらしてから、ベージュの縦ストライプのストッキングを履き、ワンピースに袖を通す。サラサラとした肌触りのワンピースは、着るだけで少し幸せな気分にさせてくれた…鏡を見るまでの短い時間。
 結局、髪はざっくりと編み込んで肩に垂らした。私の地味な顔は化粧をしたところでさほどかわることはないので、一応形だけ。だいぶ早めに準備したつもりだったのに、爪を整え桃色のマニキュアが乾いた頃には、出発しようと思っていた時刻が迫っていた。コートに腕を通し、ハンドバッグを肩にかけて慌てて階下へ降りると、丁度私以外の家族がリビングに勢ぞろいしていた。
「みちる、どこか出かけるのか」
 お父さんがニコニコと私に聞いてきた。頷いて、遅くはならないと告げる。家族みんなでなにをしているのかと思えば、プロ野球の生中継を観ているようだった。父と母がひいきにしている球団の試合のようだ。普段友人と遊ぶ時とは違う雰囲気を感じ取ったらしい弟妹たちが、私を見て一斉に口を開いた。
「お姉ちゃん今日かわいいねぇ」
「お、姉ちゃんデートだろデート!」
「デート?え、彼氏?彼氏出来たの?」
 末っ子の発言は良かったが、残る弟妹たちの瞳は興味津々と輝いている。帰ったら厄介なことになりそうだと思いながら玄関へ早足で進む。パンプスを履いている私に、お母さんが折りたたみ傘を差し出してきた。
「夕方から崩れるらしいわよ。気をつけて行ってらっしゃい」
 お母さんが私のコートの襟をそっと直し、背中を押した。駅前に到着するのは、ほぼ約束と丁度の時間になるだろう。
「行ってきます」
 夕方から雨になるなんて思えないような、きれいな青空が広がっていた。

 駅前に着き、そういえば駅前のどことは指定されていなかったけれど見つかるだろうかと思っていたら、流石は電飾拡声器孔雀の東堂君、すぐ分かった。混雑する駅前の時計の下でそわそわと落ち着かない様子で立っていた。男子のファッションは良く分からないが、やはり立っているだけで絵になる体型をしているなぁと思う。もう少し近づいてから声をかけようと思ったら、先に東堂君が私に気づいたらしい。私に駆け寄ってくる様子が子犬のようで可愛いと思うけれど、走る度にサラサラ揺れる彼の髪はちょっと憎らしい。
「おはよう!」
 全開の笑顔で東堂君が言った。ちょっといい匂いがした。
「おはよう、東堂君」
 近くで見ると、東堂君はやっぱり目立つ人だなと思う。なんていうか、華があるのだ。
「良く似合っている、かわいいな!」
 唐突に言われてどう反応したら良いか戸惑っている私を待たずに、東堂君は私の右手を引いた。
「すっぽかされても仕方ないと思っていたから、うれしいぞ。では行こう」
 引かれながら、その背を追う。つないだ手に疑問と恥ずかしさを覚えないでもなかったけれど、まずはそれよりも。
「今日どこへ行くの?」
「久瀬さんと一緒ならどこでも良い。どこか行きたいところはあるか?」
 行きたいところ…?そもそもあまりアウトドア派ではないし、友人とはショッピングとカラオケとカフェでおしゃべりが鉄板だし、地元だからとあまり行かない美術館に行ってみたい気もするけれど混雑は嫌いだ。
「どこ行っても混雑してそうだよね」
「よし、ではまずは昼メシに行こう」
 東堂君に手を引かれて歩く。斜め前を歩く東堂君の黒髪がそよ風に揺れて、耳から顎までの綺麗なラインが見えた。きっと髪が絡まることもないのだろうな。
 駅前の人混みを抜けると、静かな街並みに戻った。二人並んで歩けるようになっても手がはなされることはなく、閑静な住宅街を並んで歩く。どうやら東堂君にはお目当ての店があるらしいので、黙って着いていくことにした。
「久瀬さんは、好きな奴はいるのか」
「え!いない、いないけど?」
 連休中の課題についての話がひと段落したところでの唐突な振りだった。慌てて首を振る私に、東堂君は目を細めて笑った。変なところで大人びた顔をするなと思う。
「そうか。オレは自分で言うのもなんだが美形だし、成績も悪くないし、ロードで山に登ることに関しては天才だぞ!」
「あ、うん。本当に自分で言うのもちょっとどうなんだろうってことをさらっと言ったね」
「真実だからな!」
 わははと笑う東堂君が森の忍者として有名であることは私も知っている。本人と一部女子は天才美形クライマーだ山神だと言っているけれど、箱学では忍者忍者と良く言われている。何でも音もなく忍び寄って前方の選手をしとめるとかなんとかで、天才であることは間違いないらしい。こんなに目立つ人間が忍者というのも変な話だと思うけれども。
 それに本人が言う通り、東堂君は運動部に所属しながらも線の細い顔をしていた。美形かどうかは分からないが、中性的にもなりそうな容姿なのにそうならないのは、運動部で鍛えているのが分かる体躯をしているからだと思う。私の手を握る左手も、骨ばって皮膚は硬い。
「天才忍者ですか」
「眠れる森の美形と言ってほしいところだが」
 私だったら眠れる森の美形と呼ばれるよりも天才忍者って呼ばれる方がましだと思うけれど。
「着いたな」
 東堂君が足を止めたので、私も立ち止まる。店の軒下には小さな木のベンチ、その上に小さな黒板が置かれていて、チョークでメニューが書かれているようだった。解放されている入り口から中を窺うと、四人掛けの丸いテーブルが三つに、二人掛けの四角いテーブルがいくつか見えた。それらの半分ほどが女性やカップルらしき人たちで埋まっている。
「このお店、初めて知った」
 駅から歩ける範囲に、こんなお店があったとは。大きくとられた窓から光が入り込む店内は、明るい。あちこちに置かれた観葉植物、紅茶の匂い。
「デートのエスコートも完璧だろう」
 ワハハと笑って私を先に店内へ促す仕草も自然で慣れた様子だ。まあ、当然か。東堂君だし。

 促されるままにランチプレートを頼み、色々な話をした。
 まあ主に東堂君が喋っているのを聞いていて、時折投げかけられる質問に私が答えていたのだけれど。東堂君の引き出しの数はそんなにないようだったけれど、その深さは結構なものだったようで、自転車と、学校と、自分の話をし続けた。途中からは口が疲れないないのだろうかと心配になったけれど、私に東堂君の口を休ませるだけの話術があるわけもなかった。
 私に問われる内容は至って普通のことで、家族構成や、好きな科目や苦手な科目、趣味。ぽつりぽつりと語る私の話を東堂君はあいづちを上手にうちながら聞いてくれた。
 こうして向かい合って分かったのは、東堂君は自転車が好きなのだなということと、案外まじめなのだなということと、自分が大好きなのだなということである。東堂君は応援してくれている人(主に女子)の期待には男として完璧に応えなければならないという固定観念を持っているようで。速いのはもちろんだが美しくなければならないとか、常に見られていることを意識していれば写真うつりの角度などは考える必要がないとか、汗臭いのはなるべく避けたいところだが自分の容姿的に少しくらいワイルド感がある方が良いのかもしれないと最近思っているとか、トイレに行くときは誰にも見られてはいけない(男を除く)とか言っていた。多分その努力は一部しか報われていないと思うよ…
 東堂君について少し分かったような、より一層分からなくなったようなところでお店を出ることになった。

 花を見に行こう、と東堂君が言った。少し歩いたところにある小さな公園に、見事な藤棚があるのだという。住宅地から少し離れた、遊具があるわけでもない小さな公園だからきっと人もいないはずだと東堂君は言った。その公園は彼の自転車の練習コース沿いにあるらしかった。
 並んでしばらく歩く。東堂君は寮暮らしだが、実家は駅付近ではないが遠くもないらしい。それにしてはこの辺の土地勘があるんだねと伝えれば、自転車であちこち走り回っているから道には自然と詳しくなるのだと笑った。高台にあるという公園までの道のりも配慮してくれていたらしく、急な坂は通らなかった。ここで飼っている犬は目が合うと吠えてくるぞとか、ここは沈丁花が良い香りだったとか、ここで振り返ると見えるあの家の桜が綺麗なのだとか、東堂君の話を聞いているうちにいつの間にか公園に到着した。
 教室ほどの広さの小さな公園に、人影はなかった。小さな水場と自動販売機、そして大きくはないものの手入れされた藤棚があった。その下にはベンチが一つ。おそらく手入れしている人がいるのだろう、規模に見合わず梅に桜、金木犀、牡丹が植えられていて、雑草もほとんどみられない。
「綺麗だね」
 棚の下に入り、見上げる。紫の花が房になっていくつも垂れて咲いていた。
「それだけではないのだぞ久瀬さん、座ってみてくれ」
 いつの間にか隣に並んで同じように藤を見上げていた東堂君が、私を見下ろす。促されるままにベンチに座ろうとして、いつの間にかベンチに小さなシートが敷かれていることに気づいた。少し得意げな東堂君がちょっと苛…じゃない、手慣れているようでちょっと…
「用意周到すぎてなんかちょっと…」
「まて!ここは引くところではないぞ!」
 要は想像力と思考力だ、とか訳のわからないことを言って私の肩を掴んで強引に座らせた。その後東堂君も並んで座ったので、東堂君の身体で遮られていた目の前の景色が開ける。
「ここは、穴場だねぇ」
 さほど登ったつもりもなかったのに、場所が良いのか、街を一望できた。とは言っても五階くらいから見下ろす感じだけど。あまり高い建物が周囲にないため見晴らしが良い。
「ここからだと、朝日も夕日も綺麗に見える」
 言うとおり、きっと美しいに違いない。けれど今見える青空と街並みも、なかなか見応えがある。見上げれば見事な藤の花。藤棚で日差しが遮られたベンチは、丁度ぽかぽかと温かい。時折吹く風も心地よい温度で、緑の香りがした。連休中だというのに住宅地から少し距離があるからだろうか、人の声も聞こえず、時折公園横を通る車の音と、鳥の鳴き声、風が吹いて葉の重なる音がさやさやと聞こえるだけの静かな時間が流れる。お互い無言だったけれど、居心地の悪さは感じなかった。そうして二人並んで景色を見はじめ、しばらく経った頃だった。
「久瀬さんを誘ったは良いが…普段遊ぶのは男ばかりだし、遊ぶ場所を探す時間もなくてな。部の奴らも皆似たり寄ったりで当てにならん」
 不意に、東堂君が呟いた。隣を見ると、東堂君は藤を見上げていた。藤の蔓の影が東堂君の顔の上で揺れている。
「牛丼屋・カラオケ・サイクリング、買い物してプレゼントを渡すのはどうだ、映画でも観てりゃいいだろだの、あいつ等他人事だと思って言いたい放題だったな」
 あいつ等とはやはり部の誰かなのだろうか。確かに、牛丼屋というのは斬新だ。けど東堂君とそのあいつ等がわいわいと話している姿が想像できるようで、微笑ましい。
「一人まともな奴がいて、その人と一緒に行きたいところへ行ったらいいんじゃないですかと言った。……よく練習帰りに通るカフェに久瀬さんと行ったらどんな感じだろうと思った。この公園で夕日や朝日を見る度に、久瀬さんと一緒にこの景色が見られたらなと思った」
 真上の藤の花を見つめているらしい東堂君の横顔から、目がそらせない。きっと勘違いだろうと思う自分と同じくらいに、その勘違いをしてしまいそうな自分がいて、ドクドクと心臓が鳴った。
「久瀬さんと一緒にこられて、良かった」
 藤から私に視線を向けて、東堂君は笑った。
 久瀬さんには面白味のないコースになってしまったかもしれんが、と付け加えた東堂君は小さく伸びをした。
「オレは一目惚れは信じない、でもまあ、実際は一時間もかけずに惚れ込んでしまったのだから信じるしかないのかもな」
 東堂君は私に向き直って座ると、改まった様子で私の名を呼んだ。それにつられるように私が東堂君に向き直ると、東堂君の膝と私の膝がコツリと触れ合った。
「久瀬さん、オレと付き合ってくれ」
 付き合ってくれ
 つきあってくれ
 ツキアッテクレ
 あれ、付き合うってなんだっけ。
 オレとって、東堂君とだろうか。
「そう驚いた顔をするな、オレもそう悪い方ではないと思うぞ」
 悪い方ではないというか、きっと良い方だろう東堂君は。ちょっとあれなところはあるけど。
「なんで私なのかなと……」
「きっかけは、調理実習でオレが怪我しただろう、あの時だ。保健室から戻ったオレに手伝えることなんて大してないのにな。お皿戻してきてもらえる?助かりましたありがとう……久瀬さんは優しいなと思った」
 東堂君にできることはやってもらおうと思っただけだ。
「やるべきことを見失わない人間をオレは好ましいと思う。それに久瀬さんの料理は旨かった」
 オレは、あまり料理の才能はないらしいからなと東堂君は言う。あの謎の煮込み料理からするとあまりというかほぼ才能はないだろう。
「あと、オレは追いかけられるより、追いかける方が性に合っているようだ」
 静かに、距離を詰められた。東堂君の動きとともに、なにか爽やかな香りが届く。彼の柔らかな髪が私の頬を撫でたかと思うと、すぐ目の前で東堂君の瞳が私を見つめていた。
「逃げられるほど、燃える」
 射るような彼の視線が、私の視線を縫い止めているかのようで、そらせない。数秒、瞬きもせずに見つめ返していると、東堂君の視線がふと和らいだ。
「久瀬さんは、逃げるのは上手な方か?」
「あ、あんまり…」
 鬼ごっこやドッジボールは、苦手な方だ。すぐ捕まるし、真っ先にぶつけられる。そのくせ、捕まえるのも投げるのも下手なのだから、単純に鈍くさいのだろう。
「もっと必死に逃げないと、捕まってしまうぞ」
 なし崩しに付き合わされた今日みたいに、と東堂君は私の耳元で囁いた。
 左耳を手のひらで押さえながら、東堂君から身体を引く。きっと顔は真っ赤なのだろう。ああ、もうなにしてくれるんだと思ったけれど、睨みつけてやろうとした東堂君の頬が赤く染まっていてなにもできずに俯いた。
「久瀬さん、どうやら雨になるようだ。下りようか」
 東堂君は立ち上がって、私に手を差し伸べた。まだ彼の頬も赤い。手を取るべきか迷う私の膝上の右手を、東堂君は握りしめた。手を引かれて立ち上がり、藤棚から外へ出て空を仰ぐと、重い雲がこちらへ迫ってきているのが見えた。

 夕方から崩れるという予報は、少し前倒しで当たった。東堂君が言っていた庭先の犬と目があって、吠えられたのとほぼ同時に、ぽつりと頬に雨粒が当たった。降ってきたなと思っているうちに、だんだん雨粒の落ちる間隔が狭まり、大きな粒になった。急ごうと言う東堂君を引き留めて手をはなしてもらい、折りたたみ傘を開く。私と東堂君の二人の頭上に黄緑にに白いドット入った傘が広がったと同時に、雨になった。パラパラという雨をはじく音が頭上から聞こえる。
「流石久瀬さん、用意がいい」
「お母さんに持たされたんだけどね」
 東堂君の背に合わせて持ち上げていた傘を、彼は私の手からそっと奪うと、ゆっくり歩きだした。
「久瀬さんと相合い傘とは役得だな」
 二人で入るには、折りたたみ傘は小さい。肩と肩が触れ合うほど近くにいても、どこかがはみ出てしまう。東堂君は傘の多くを私にかざして、自分の肩を濡らしていた。柄の部分を黙って押して、傘を東堂君の方へ傾けようとしても、彼は困ったような顔で私を見てそれを阻んだ。
「東堂君運動選手でしょ。身体冷えちゃうよ」
「それを言ったら久瀬さんは女子なのだからもっと身体を冷やしてはいかんだろう」
 ちょっとした押し問答をしているうちに、どんどんと雨足は強くなっていく。風も吹きはじめて、斜めに降る雨が足元を濡らした。
「あそこで少し風がおさまるまで待とう」
 東堂君の示す先、道路沿いに屋根付きのバス停が見えた。早足で到着した頃には、東堂君の右半分はびしょ濡れになっていた。雨水を吸って色の濃くなった袖から、ポタポタと滴が垂れ落ちている。私はあわてて鞄の中を探ったけれど、ハンドタオルくらいしかない。それでもないよりましかと思って差しだそうと東堂君を見上げようとしたら、白いふわふわしたものが私の視界を覆った。やんわりと触れていた白い物体がよけられ、視界が開けた先には、タオルを手に持つ東堂君がいた。せっせと手を動かして私の髪や肩の滴をタオルで拭っていくその動きを、押しとどめる。
「私ほとんど濡れてないし。タオル持ってるなら自分のこと拭いて」
 実際、私に降りかかった雨水は彼によってほとんど払われている。きょとんとした顔で私を見返してくる東堂君の顎から、雨水が流れ落ちた。ハンドタオルを東堂君の顔に押し当てると、彼は少しくすぐったそうに肩をすくめた。
「こんなに濡れて、風邪ひくよ」
 私がハンドタオルを動かしているのを黙って見ているだけの東堂君にじれて、彼の手からタオルを奪い、首から肩を押し拭きする。さっきまでの温かさが嘘のように、急に冷えた風と雨が停留所の薄い壁を叩いた。
「東堂君の女子を大切にって考えを否定するつもりはないけど、優先順位ってものがあると思う」
 これは説教だ。相合い傘だとか言いながら、自分は半分も入っていないじゃないか。びしょびしょの人間に、大して濡れてもいない人間がタオルで拭かれているというのは、何様感漂う微妙な構図だ。そもそも彼は運動選手で、身体が資本というやつではないのか。軽い憤りをおぼえながらタオルを握りしめていた私の手をそろそろと撫でたのは、東堂君の骨っぽい手だった。促されるままタオルを手渡すと、彼はタオルで口元を覆った。
「せっかく、久瀬さんの匂いがしたかもしれないのに、これじゃ分からんな」
 いたずらっぽく細められた東堂君の瞳が、私をとらえる。あーまったく、東堂君という人はなにを言ってくれるんだ。私がなにも言えずにいると、おもむろに東堂君の手のひらが私に伸ばされた。
「ワンピースは着てくれたのにな」
 東堂君の手のひらが、肩に流した髪に触れる。無言で責められているような気分になった。髪はおろさないのかと、東堂君の静かな目が問いかけてきているようだった。
「私癖毛がひどくて、おろしたらみっともないことになっちゃうから。東堂君みたいな髪だったら、良かったんだけど」
 見上げた先にある東堂君の髪は、雨に濡れた今もやっぱりまっすぐだ。もしかして髪質はその人の性根を表しているんじゃないかと思うほどに、言葉も視線も彼から注がれるものはまっすぐと届く。
「おろしたところが見てみたい。今なら、誰もいない」
 私の毛先を指で撫でながら、乞うように東堂君が言った。空気が濃く、重い。両肩にのし掛かるようで、こんなに時というのはゆっくりと流れるものだったろうかと思う。
「本当にひどいんだよ、左右の癖の強さが違うし、剛毛だし、寝癖みたいだし」
 私のいいわけを静かに笑って黙殺して、東堂君はもう一度毛先を指に絡めて遊んだ。
「東堂君て、物好きだね」
 うっかり、苦笑してしまう。変なところで人をイラっとさせることがあるのに、重要なところでの押しに嫌みがないなんて、おねだり上手な得な人だなと思う。
「学校じゃ見られない久瀬さんが見たい」
 東堂君は私の反応を窺うように、殊更ゆっくりと髪留めに手をかけて、慎重に外した。骨ばった指が毛先からそっと、編み込んだ髪を器用に解いていく。湿気を含んだ私の髪は、きっとみっともなく広がっているはずだ。東堂君はまじまじと髪をおろした私を見つめた。
「なんだ…」
 頭のてっぺんからお腹のあたりまでを視線が何度か往復した、数秒後だった。
 ため息混じりの、言われ慣れているはずのその一言が突き刺さるのは、私のコンプレックスだからなのか、それとも東堂君に言われたからなのか。コートの袖を握りしめている私はきっと、東堂君ならと期待していたのだ。彼なら女子の傷つくようなことはしないはずだと。
 だから言ったのに。みっともないからって言ったのに。
「……かわいい」
 東堂君の指が私の髪を梳きながら、雨音にかき消えそうな音で漏らした。
「え?」
「あー、男子からすると項とか後れ毛とかも、それ相応にぐっとくるものだからおろしてもらおうと思ったのだが…どちらもかわいいから意味がないな!」
 東堂君はからりと明るく笑ったかと思うと、私の髪を一房鼻先に引き寄せた。
「久瀬さんの匂いがする」
「わー!」
 意味ありげな瞳が、愉快そうに私を見つめてきたところで、限界になった。だめだやっぱり無理、この空気、無理!
 東堂君の手の髪留めを奪い取って、一つに纏める。もうこの際くちゃくちゃになってようがどうでもいい。とにかく恥ずかしかった。
「なにやっちゃってんの、なにやっちゃってんのー!!」
「久瀬さんを口説いている」
 あっさりと告げられた言葉があんまり予想外だったものだから、またなにも言えなくなってしまった。そんなことあっさり言っちゃうとか、ずるい。ちょっと笑って私を見つめてくるなんてずるい。
 微笑む東堂君から目を反らし、道路へと向き直る。
 風と雨が少し弱まってきたのか、サワサワと雨がトタンの屋根を叩いた。不思議だ。なんで私は今、東堂君と二人でここにいるんだろう。なんで、あんな何でもないことがきっかけになって、私に付き合おうなんて言ったんだろう。
「誰か、好きな奴がいたり、するのだろうか」
 隣から、戸惑いがちに問われた。彼にしてはいつにない響きだった。
 道路の向こうの民家に花壇があったので、なんとなくそこに咲くチューリップを見つめながら考えて、答えた。
「いない、けど」
「では付き合おう!」
「誰かと付き合うとか考えたことないし」
「少し考えてみてくれ。………どうだ」
「思考時間短すぎませんか」
 わずか三秒程度でなにが決められるというのか。
「なにも今日急に言ったつもりはない。結構アピールしてきたつもりなんだが」
「東堂君は女子全員にアピールしてるじゃないですか」
「久瀬さん、オレは悲しいぞ」
 こうして東堂君と軽口をたたきあうのは、楽しい。
 けど、付き合うってなんなんだろう。全然イメージが沸かない。
「じゃあ、また一緒にどこかへ出かけてくれないか」
 そろりと、東堂君の左手が私の手を握った。合わさった手から伝わる鼓動は、私のものなのかそれとも東堂君なのか。
「え、あ、うん」
 果たして東堂君は楽しかったのだろうか。疑問が残る。
「約束だぞ」
 強く手を握られ、見上げた東堂君は朗らかに笑っていたのだから、きっと今日二人で過ごした時間は不毛ではなかったのだろう。
 雨足が弱くなるのを待って、結局そのまま手を繋いで家まで送られた。相合い傘をしながら手を繋ぐという芸当を東堂君は器用にやってのけた。家の前に着いて、繋いだ手を離したときに、少し寂しさを覚えたのは気のせいではないのかもしれない。
 今まで異性の気配がさっぱりなかった私が男子に送られて帰ってくるというのは、我が家にとっては大事件だったらしい。私が玄関を開けた途端、質問責めになったのは言うまでもない。

 連日交わされる、弁当を作るか作らないかというやり取りに先に飽いたのは私で、最近は週に何回かは二人分のお弁当を作っている。自分の分だけを作るのも二人分を作るのも大して手間は変わらないのだけれど、誤解を招きそうなので毎日は渡せずにいる。
 東堂君の部活が休みの日には、一緒に遊ぶこともある。その度に発見する東堂君の一面に、確実に捕らわれつつある自分の気持ちは自覚している。付き合ってくれと言われただけで気持ちがあっさり傾くなんて自分も軽いなぁと思うけど、今までこんなに好意を寄せられたことがなかったんだから仕方ないじゃないと言い訳しておく。

 東堂君は今日も駅前の時計の下で手を振って笑っている。
 私が羨んでならないサラサラストレートの髪を揺らしながら。





この辺で終わりにしておきます…
私の中の裏テーマは、山神様に優しくされながら初々しいデートしようぜ!でした。
東堂君は、好きになったらひたすら押しだと思うんですよね。巻ちゃんにもそうっぽいし。
でも逆にに両思いになったら、色々考えすぎそうなイメージです。










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