第2話 少年はそのまま異世界へ 前編(リメイク)
「コテモン進化……ムシャモン!」
眼球を突き刺し、頭蓋をも突き抜けていったように感じられる閃光が消えると、そこには小さな剣士の姿は無かった。
「進化だと!? まさか、あの餓鬼が……!」
狼狽える黒竜の視線の先、剣士がいた筈の場所にいたのは、戦国時代の武者……の、"ような姿をした何か" だった。服装はあちこちが擦り切れてはいるものの、昔の日本の鎧と言っても差し支えはない物だ。だが、それを身に纏う存在はかつての日本で戦っていた武士ではなく、異形と呼ぶべき存在だった。身長は成人男性の平均を遥かに超えており、タツキが隣に並んだとしたら、腰にまでしか届かないだろう。こちらに背を向けているので顔は見えないが、裸足に包帯を巻き付けただけの左足からは、赤く鋭い鉤爪が伸びている。
「ど、どういう事なんだ?あの小さいのが消えて、あのでかいのが出てきて……うわぁ!!」
混乱しているタツキの胸に、白い塊が飛び込んできた。
「やったね! 成功だよ! 進化したんだよ!」
「し、進化!? どういう事だ!? もしかして、防具着てたのが、あの鎧武者みたいな奴になったって事?」
テイルモンが言う"進化"とは、生物学で使われる進化とは違い、どちらかと言うと"変身"という言葉に近いとタツキとマチは解釈する。
「そう言えば、さっきあいつらの会話の中に進化って出てきたような……」
再び武者の姿をした異形の者に目をやると、それは刀の切っ先を黒い竜の眼前に向けていた。
「これで俺もお前も成熟期。五分五分だな。……なんだよ、進化しただけでビビってんのか?」
「黙れ!」
竜が黒い尾を振り抜く。しかし、尾は空を切り、虚しく地面に叩きつけられた。
「上か!」
ムシャモンと名乗った鎧武者の化物は、ひらりと宙を舞って攻撃を躱していたのだ。
「デビドラモンほど狂暴なデジモンはいないってのは、嘘らしいな」
「さっきまでボロクソにやられてた奴の言葉か!」
デビドラモンはムシャモンの挑発に乗ってしまい、激怒する。
「クリムゾンネイル!」
その名の通りの真っ赤な爪が、ムシャモンに襲い掛かる。グシャアと硬いものが折れる嫌な音と共に、大きな土煙が舞った。
「ああ……!」
タツキはその土煙の中で起きているであろう惨劇を想像してしまい、思わず目を閉じた。
「何!?」
デビドラモンの声に反応して目を開けると、晴れていく土煙の中に惨殺死体ではなく、ぐしゃぐしゃにひしゃげたジャングルジムがあった。その瞬間、
「ギャアアアアアアアアア!!!!」
デビドラモンが悲鳴を上げた。慌ててジャングルジムから黒い竜へと視線をずらすと、デビドラモンが持つ4つの瞳の内の1つに、深く切り傷が入っている。傷口を押さえる指の隙間からは、血の代わりに光の粒子のような物が流れ出ていた。
「なんだお前。血を見るような経験して来なかったのか。さては、偉そうな口叩けるほど長く生きてないな?」
「き、貴様! 貴様ーー!! 何故、お前を切り刻んだ筈……!」
痛みと悔しさに震えるデビドラモンに対し、ムシャモンは、無愛想な表情のまま溜め息をついた。
「お前さあ、『避ける』とか『躱す』とかの概念知ってるか? 鉄と生身の身体の感触の違い分かるか?」
ムシャモンの更なる挑発に、先程まで圧倒的に優勢だったデビドラモンが堪えられる筈もなかった。冷静さを完全に失った黒い竜は、牙を剥いて飛びかかっていく。
「食べられちゃう!」
マチの悲痛な叫びとは逆に、ムシャモンは涼しい顔のまま、刀を振り抜いた。
「切り捨て御免」
デビドラモンが突進する力と、ムシャモン本人が込めた力の相乗効果によって、その太刀筋は喉から尾の先まで綺麗な直線を描いた。つまり、デビドラモンは縦に真っ二つにされたのだ。黒い肉塊と化したそれは、呆気なく地面に落ちた。傷口から溢れる粒子の量が増えたかと思うと、身体全体が霧散して空に消えていく。
「悪いな。俺は餓鬼に何か教えるのにゃ向いてない……つーかこの発言も俺らしくない」
ムシャモンは血を拭うように刀を一振りし、鞘に収めた。
「……これって、助かったって事か?」
「倒したって、事は、助かったって事だと思う……」
タツキとマチが顔を見合わせている間に、ムシャモンは元の小さな剣士の姿に戻っていた。そこにテイルモンと太陽の様な生き物が駆け寄っていく。
「やったやった! 勝った勝った!」
「助けてくれてありがとうございます!」
「おう」
跳び跳ねて喜ぶ2匹とは対照的に、コテモンというらしい彼は素っ気ない返事を返した。そこにタツキとマチも加わる。
「き、君達は一体……」
「俺達は…… 」
コテモンが口を開いた瞬間、タツキの、いや、タツキ"達"の足下に幾何学的な紋様が出現した。それが光を放つと、タツキ達の身体もデビドラモンと同じように光の粒子と化していく。
「えっ!? 俺も、え、ええ!?」
気が付くと、タツキ達は公園とは全く別の場所に立っていた。そこには大理石の柱が立ち並び、天井にはステンドグラスが、更に奥には祭壇のような物まである。とある宗教の教会と、また別の神話に登場する神殿が織り混ぜられたようにタツキは感じた。
「ようこそ。デジタルワールドへ」
突然呼び掛けられ、タツキとマチは思わず身構えた。声のした方向には、白銀の鎧を身に付け、背からは10枚の黄金の翼を生やした人物が立っている。
「な、何者!?」
また一人と現れた人ならざる者に、タツキとマチは警戒する。自分達を襲おうとしたデビドラモンの事もあり、その声には恐怖の色も混ざっていた。
「待って待って!」
どこに隠れていたのか、テイルモンが現れ、タツキと人ならざる者の間に割って入った。
「この人! この人が私たちをあっちに連れていってくれたの!」
なるほど。彼……もしくは彼女がテイルモン達を自分達の町へと導いたのか。なるほど。
「……って納得出来るか!!」
危うく納得しかけたタツキが叫んだ。
「そもそもデジタルワールドって何だよ!」
いつの間にか自分達の側に立っていた、制服姿の少女がタツキの考えを代弁してくれた。全くだ。デジタルワールドって何なんだ。
「そしてそういう貴女はどなた!?」
「ええ!? 覚えてない!? あんなに衝撃的な現れ方したのに!?」
タツキが驚いて問い掛けると、彼女は逆に質問を返してきた。それを受けてタツキとマチは自らの記憶を辿ろうとした。
「ああ!! 突然俺達の後ろから走ってきて、独りでに転んだ人!」
「ザッツライ!! 何もない所で転んだ訳じゃないけどね!」
彼女は指をパチンと鳴らしながら言う。
「ボクのせいでもないからね! あれは事故だからね!」
「もしかして〜、その子も〜……?」
突然自己主張を始めたそれは、白い兎のような外見をしていた。大きな耳が目を引く。雰囲気は地球上の生き物よりも、突然公園に現れた不思議な存在に近かった。
「どうもそうらしい。と、その前に自己紹介。私の名前は斑目愛一好! 華のJK1年生! 愛は一つ! 好きだ! で愛一好だよよろしくぅ!!」
やはり年上だった彼女は、テンションが高い人間らしい。その身のこなしからは、高すぎるくらいの体力が垣間見える。
「そんでボクは跳兎! ジャンプラビットではねうさぎだよ! 種族はルナモンだよよろしくぅ!!」
跳兎は愛一好と酷似した自己紹介をした。もしかすると、愛一好の真似をしているのかもしれないとタツキは感じた。
「デジタルワールドとは、文字通りデータで出来た世界であり、我々デジモンが住む世界だ。君達の住むリアルワールド……所謂人間界とは表裏一体の存在。1つの世界で何かが起これば、もう1つの世界に必ず影響が出る。君達の世界に張り巡らされた電子の蜘蛛の巣は」
「え!? 今このタイミングで!?」
甲冑を身につけた天使の乱入を、タツキは止めずにはいられなかった。確かにデジタルワールドは何かと質問しておきながら、それを放置していたのはこちらなのだが、強引な手口を無視出来なかった。
「デジタルワールドと言っても過言ではない。逆に、デジタルワールドは人間のインターネット上の活動そのものでもある」
「え、このまま続けるんですか」
これが彼らの、『デジタルワールド』の住人の常識なのかもしれないが、日本の常識に慣れている自分達からするととても会話を続けられるような雰囲気ではない。タツキはデビドラモンと対峙した時とはまた別の不安を感じた。
「……しまった。迂闊だった。……自己紹介がまだだったな。私は三大天使が一人、セラフィモン」
「え、貴方も自己紹介するんですか」
「しかもこの人、大切な事言い忘れるタイプらしいぞ」
タツキと愛一好が天使と名乗った存在の態度に早くも不信感を抱いていると、タツキの足をコテモンがつついてきた。
「あいつ……じゃなくてあの人一応お偉いさんだから、あんまりツッコミ入れねえ方がいいぞ」
(皆にばっちり聴こえてるよ……)
この場にいる誰も気付いていないが、囁いたつもりのコテモンを見て、小さな太陽の姿をした生き物が震えていた。
「突然話に割り込んできたわたしが悪かったので、『デジタルワールドは何なのかを具体的に』『この不思議な生き物達は何なのか』『私達が置かれている状況について』をか・ん・け・つ・に教えてください!」
愛一好のはっきりした物言いを受け、やっとの事でセラフィモンから次のような説明を聞けた。
デジタルワールドはその名の通りデジタルな世界で、所謂人間界である現実世界(リアルワールド)に存在するインターネットと繋がりがある。突然タツキ達の前に現れたのはデジタルワールドの住人、『デジタルモンスター』。通称デジモン。デジモンは一体につき、一人の人間と組になっており、特殊な機器を使えば人間からデジモンに力を与えられる。
「ここまで〜、結構要約したけどね〜」
「しーっ! しーっ!」
デジモン達には闘争本能があり、そのために戦争が起こる事もある。『七大魔王』と呼ばれるデジモン達との戦いもその一つだ。
「1000年前、我々三大天使は悪逆の限りを尽くさんとする七大魔王を封じた。その際に七大魔王の中でも最強とされている『ルーチェモンフォールダウンモード』を倒したため、万が一魔王が復活しても最盛期ほどの勢いは無い。そう考えていた」
だがその予想は、希望は、最悪の形で裏切られた。七……否、六大魔王は何者かの手によって復活してしまったのだ。更に三大天使達の長である『ルーチェモン』が堕天、則ち《フォールダウン》させられ、七大魔王は1000年前の姿を取り戻した。
「これを『イグドラシル』は良しとしなかった。イグドラシルは『ロイヤルナイツ』に『三大天使と協力し、七大魔王を完全に滅せよ』と命じた」
『イグドラシル』や『ロイヤルナイツ』が何なのかはタツキ達には分からなかったが、また話の腰を折っておかしな方向に進まぬよう、最後にまとめて質問する事にした。
「この戦いは敵味方双方に多くの犠牲者を生んだ。七大魔王のベルフェモンとリリスモンを倒し、ベルゼブモンを生死不明の状態に追いやった代わりに、こちらは同僚のケルビモンとオファニモン、ロイヤルナイツのデュナスモン、アルフォースブイドラモン、デュークモン、エグザモンが犠牲になった」
こちらの方が犠牲が大きいのは重要な問題だ。だがこれだけではなかった。
「ダークエリアの奥深くに居を構える吸血鬼の王、グランドラクモンが、我々正義の軍と魔王率いる悪の軍双方に宣戦布告した。奴の目的は全くもって不明だが、これによって状況は更に混乱した。全く、忌々しい」
そこで終わればまだ良かった。しかし、イグドラシルはこれに対処しようと恐ろしい計画を始めた。それが『Project X』。デジモンそのものを消し去る強力なウィルスを散布することによって戦争を終着させる計画だ。当然ロイヤルナイツもセラフィモンも反対し、事無きを得たが、 またもや別の問題が発生した。此度のイグドラシルの行動に失望した高位の天使の一人が、反旗を翻したのだ。
「その天使はバグラモンと名乗り、どこから集めたのかも分からぬ兵隊を率いてイグドラシルを攻め始めた。プライドが許さないのか魔王軍には協力せず、寧ろ攻撃を加えているようだが。混乱に混乱を極めた戦場に、ビッグデスターズと呼ばれる正体不明の軍団が……」
「待ってストップ! 流石に登場人物多すぎて分からなくなってきた!後で分かりやすく図でまとめて! ノベルゲー形式だと面白く読めるからいいな!」
聴いている側の思考回路がショート寸前になった所で愛一好の止めが入った。少々上から目線の要求も添えて。
「兎にも角にも、この四つ巴の戦争は未だに続いている」
「そうか、まだ……は? まだ続いている?」
その事実は、現代日本に産まれた少年少女とっては受け入れがたいものだった。
「家に帰してください! 今すぐ元の世界に戻してください!」
「聞いてねーぞ!? わたしゃそんなこと1ミリも聞いてねーぞ!?」
「帰りたい……」
当然、子供たちは三者三様の拒否反応を示す。
「続いているとは言え、どの軍も疲労状態だ。今は休戦協定が結ばれている」
「な、なんだ。それなら安心か……」
タツキはほっと胸を撫で下ろした。
「それでも狡猾な奴等の事だ。いつ破られても不思議ではない」
「やっぱり家に帰してくれ!!!」
何故この天使は次から次へと大事な事を後から言うのだろう。タツキはテイルモンを追いかけた事を心の底から後悔した。
「そこで、君達人間の子供たちに協力を仰ぐことにした」
「嫌だ!……一応聞くけどなんで!?」
流石に訳も聞かずに拒否するのはまずいだろうと、タツキ達は念のため理由を訊ねた。尤も、どんな返答であっても拒否するつもりだが。
「まずはデジモンの成長、『進化』のシステムと、人間のパートナーの関係について語る必要がある」
「また説明か……」
デジモンは一部の種を除いては幼年期T、幼年期U、成長期、成熟期、完全体、究極体の順で進化する。進化の要因は単純な時間経過、戦闘の経験値の積み重ね、そして――パートナーとの絆が深まる事。
「パートナーとの、絆?」
「正確には、パートナーと感情がリンクすることによって、デジモンの身体を構成するデータの増幅によって進化が起こる。」
セラフィモンはまっすぐにタツキ達を見つめ、こう言った。
「我々には時間も人手も足りない。即戦力が必要だ。そのためには、君達人間の協力が不可欠だ。ここにいるデジモン達と友に力を高め合い……」
「お断りします」
タツキは当初の予定通り、きっぱりと断った。パートナーパートナーと言われても、はっきり言って赤の他人のために戦禍に飛び込みたくはない。
「おういいぞ。帰れ帰れ。俺は人間の力とか要らねえから」
コテモンが、虫や動物を追い払うように手――というよりは袖を振る。
「ありがとう! お前、良い奴だな!」
「おう、達者で暮らせよ」
「実は他でもない、君達を選んだのには理由がある」
「え、ここで割り込む普通?」
もう何度目か分からないセラフィモンの乱入によって、タツキの歩みは阻まれた。自力で帰る手段を持たないタツキは、結局はこうなったであろう。
「人間の中には、デジモンに更なる力を与える事が出来る者が存在する。彼らはほんの一握りの存在、言わば『選ばれし者』だ」
「選ばれし、者?」
「私は通常の人間では力不足だと判断し、特殊能力を持つ人間を選出した。それが……」
「……俺達、ですか?」
子供たちはお互いに顔を見合わせた。自分達が、選ばれた人間?
「そんな気はしていたけど、まさか私が本当に選ばれし者だったとは……!」
「何言ってるんだこの人……。それでも、俺達が戦うなんて、出来ません!」
「確かに君達にも戦いに参加してもらう。だが実際に戦うのは、そこにいるデジモン達だ。それに、君達は君達自身の意思とは無関係にデジモン同士の戦いに巻き込まれる事を知っている筈だ」
タツキとマチは自分の足元にいるデジモン達を見て、はっと思い出した。自分達が彼らと出会った時、同時に襲ってきた生命の危機。黒い竜の姿のデジモンを。
「あのデビドラモンは、戦争によって生まれた次元の歪みから、あちら側へと侵入した所謂はぐれデジモンだ。戦争が終わらない限り、ああいった悪意あるデジモンによるリアルワールドの蹂躙は終らないだろう」
「つまり、俺達が協力しなかったら、こっちにも被害が及ぶって事か!?」
自分達はどう足掻いても戦禍に身を投じなければならない事実を知り、3人は絶望したかに思われた……が、
「んじゃあ私やります」
愛一好はあっさりと承諾した。
「え!? なんで……」
「だって、どっちにしてもっていうか私達がやんなきゃ世界中が世紀末状態になるんだべ? それならせめて人間界の被害だけでも抑えた方が良いじゃん。それに……」
愛一好は自身のすらりと伸びた足をぺしぺしと叩きながら言う。
「多分、雑魚なら"私でも"勝てるよ」
「はぁ…………?」
タツキは少なくとも愛一好よりは理性的であろう幼馴染みへ、「ちゃんと断ってくれるだろう」という期待を込めた眼差しを向けた。
「私も戦います!」
「マチ!?」
いつの間にか『覚醒』していたマチは、タツキの期待を大きく裏切った。
「だって、私、自分が戦えば皆を守れるって分かってるのに、怖いからって逃げるなんて出来ない!」
マチの言葉は捻りの無い、真っ直ぐな言葉だった。だからこそ彼女の決意が真っ直ぐに届く。
「マチ……」
「ねえ、彼女、二重人格?」
愛一好がこっそりとタツキの肩をつつきながら訊く。
「二重人格というか、寝てるか起きてるかというか、そんな感じです」
「なるほど分からん」
残るはタツキ一人となり、その場にいる全員がタツキの決断を待っていた。ある者はイエスという言葉を、ある者はノーという返事をタツキに望んでいる。
「だから人間の力とかいらねえよ。さっさと帰れ……!?」
コテモンのほんの僅かな隙を突いて、テイルモンの爪が言葉通りに面の隙間から中身を引っ掻いた。この猫のような生き物は見掛けによらず、強烈な一撃を放てるらしい。
「俺は……」
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