強く、そして脆くもある、そんな人であった。剣術に秀で民を尊ぶ一国の主。たくさんのものを背負ったあの人の世界は常に左半分だけ。もう片方の世界はとうの昔に忘れてしまったと、いつしかあの人は語っていた。生まれたその日から国を背負う運命にあった、それ以外を除けば彼は一人の男である。竜でもなく、国主でもない。


時折あの人はぼんやりと空を眺めているときがあった。何もせず、執務を進める手を止めて。そんな時いつも私はどうしようもない寂しさに囚われる。何も見えない。あの人のことが見えないからだ。すいと私達の前を行くあの人を誰も掴めない。魚のような人である。すいすいと泳いで行って、いつしか見えなくなってしまうのではと思った。


「俺が魚ならお前は水だな」

私の言葉を聞いたあの人はそう呟く。


「お前がいなけりゃ、俺は生きられねぇ」
「では、貴方様が居られぬ時は私の世界は空虚になるでしょう」
そう返せばあの人は左目を静かに細める。ひどく居心地が良かった。それはあの人も同じであったのだろうか。ゆらゆらと程よい熱の中を漂うようなそんな感覚に身を委ねる。ずっとこうしていたいと思っていた。







まるで宙のような奴だと思った。小さくて、それなりに力はあっても俺に比べたら非力なもので。でも俺にとってアイツの存在は大きかった。息をするのが楽になった。アイツさえ居れば何だってできる気がした。ずっと傍にいてほしい、いつしかそう思うようになった俺はアイツを迎える準備を始めた。


「なりません」
「何故だ」
「貴方様はこの国の主、私のような者は相応しくないのです」
「俺の傍に、居てほしい」
「………」

アイツのことはよく知っているつもりだ。だけど俺はアイツのことを全て知っている訳ではない。アイツは一人の女であり、俺も一人の男。個体と個体が一つになることは決してない。まるで水と泡のように相容れないから、こぽりごぽりとアイツという宙の中で息をするしかない。二人で一つではなく、二人はやはり二人なのだ。どんなに頑張っても一つの存在にはならない。


気付けばアイツは俺を避けるようになっていた。声を掛けようとすれば苦笑いを浮かべて去っていき、すれ違っても目を合わすこともなくなった。最初は辛かった。俺はアイツがどうしようもなく好きで、向こうも俺のことが好きなのに。一国の主なのに自分のほしいもの一つ手に入れることができない。逆にその肩書きがずしりと重石になって、ひらりひらりと泳ぐアイツを捕まえることもできない。掴もうとすれば指の間から溢れていった。どうしようもなく寂しいと思った。そして心の何処かで、自由に泳ぐことのできる彼女のことを羨ましいとも思っていた。金魚鉢の中の俺と広い世界に住む彼女が一緒にいられるわけないだろう、そう誰かに囁かれた気がして苦しくなった。







時間というものは不思議なもので、人をこうも変えるのだと私は実感していた。あの頃の私であれば間違いなく彼の言葉に頷いていただろう。だけど私は頭を下げなかった。あの人の立場や境遇を考えての私の“応え”。私はあの人を陰ながら支え、愛していく道を選んだ。


ある日の戦場にて視界の隅で見かけたあの人はいつも通りであった。私も日頃と何一つ変わらなかった。これからもあの人との距離は一生変わることもなく、あの人もいずれはどこかの国の姫様を貰い、私も今はまだ見知らぬ誰かの元へ嫁いで行くのだろう。昔はあんなに近くにいたお互いが、どんどん距離を離していく。

「危ねぇ!」

誰かの声が聞こえた。振り向けば一人の兵が私に刀を降り下ろすところであった。地面に倒れる私の目に青いものが映った。







初めて抱えたアイツはやはり小さくて、そして温かかった。小さくて白い手がこちらに伸びてきたのを見てしっかりとそれを俺の手で包んでやれば、嬉しそうに口元を綻ばせた。

「貴方の手はこんなにも温かったのですね」
「お前の手はこんなにも小さかったんだな」
「主、」
「なんだ」
「幸せになってください」

今になって流星のようにアイツとの距離が縮んだのに、このあともう二度と届かなくなるかもしれないと思うと胸が軋んだ。


「最後みたいな言い方をするな」

小さい体を背負うとゆっくりと足を踏み出して歩いていく。喧騒や鍔迫り合いの止んだ煙の燻るこの場所は酷く歩きにくい。だらりと垂れ下がったままだったアイツの腕が俺の首の下でぎゅっと組まれたのを感じながら歩みを止めずに進む。たとえ目的地に着く頃にお前が動かなくなっていたとしても、神とやらに掛け合って、次のお前に会いに行けばいい。

























20110727

素敵な背景をお借りし、
素敵な企画に参加させて頂きました。
ありがとうございます。

企画:『星を泳ぐ魚』様
素材:『ぐにゃり』様

×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -