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 ──生きたくて、死にたくなくて、でもどうすることもできなかった。

 寒さと飢えと孤独感に苛まれながらも、エリンはその日を生きようとあがいていた。その日も、次の日も、その次の日も生きてやると、歩く足を止めなかった。


 C.E.七〇。ナチュラルとコーディネーターの溝は、今やとめられないほど大きなものとなり、その戦火は地球全土や宇宙コロニー群を巻き込んでいった。
 四月一日。『血のバレンタイン事件』の報復でプラントの手によって、地球の地中深くに埋め込まれたNジャマー。核分裂を抑制するとともに副次的に電波を阻害する機能をもったNジャマーは地球連合国家に未曽有のエネルギー危機と情報の寸断を引き起こした。
 後に『エイプリル・フール・クライシス』と呼ばれるこの事件の被害者は、地球人口の十パーセント、十億人にも上ったとされる。

 そのうちの一人がエリン・ヒースであった。父親はプラントとの戦争で名誉の死を遂げ、身体の弱い母親と幼い妹は、今回のエネルギー危機を受けて体制が整う前に死んでいった。残されたのはエリンだけ。
 ロシア極東の地、五月に入ってしばしば暖かな日が訪れるようになったが、それでも日が落ちれば冷える。加えて飢えと、飢えからくる体力の低下。母が死んですぐは近所の人たちも助けてくれていたが、自分たちが生きることで精一杯なのだろう、結局エリンはひとりで生きることを余儀なくされた。恩を感じこそすれ、恨みはしない。悪いのはコーディネーターだ。
 戦わずして、たくさんの罪なき人々を死の淵に立たせたコーディネーター。あれを悪魔と呼ばずして、なんと呼ぶのだろう。
 地球では原子力発電に代わり、太陽光発電が早くも普及し始めていたが、エリンの住むこの地は高緯度で、日が落ちるのも早い。大した恩恵も受けられなければ、連邦政府の救援も行き届いていない。
 それでも、それでもと必死にその日その日を凌ぎエリンは食いつないできた。だがそれももう限界を迎えようとしていた。ふらふらと道を歩くエリンに目をくれるものはいない。それが当たり前の風景と化した日常。ほんの数か月前までは暖かな家庭がいくつもあったのに。
 すれ違いざまに押しのけられて、エリンは簡単に道の端へ飛ばされる。起き上がる力もない。気力も尽きようとしている。ぽつりと一滴の雫が大地を穿ち、そして雨は容赦なくエリンを濡らしていく。
「…………死にたくないのに」
 目元が濡れているのは雨のせいだけではなかった。どうしてと、理不尽を嘆かずにはいられない。あの宇宙の悪魔たちが、エリンからすべてを奪った。家族を、ありふれた日常の景色を。自分の命さえも奪われつつある。ああ憎い、できることなら家族の無念を晴らしてやりたい。だがその力さえも今のエリンにはない。現実は非情だ。弱いものはなすすべもなく、無念のままに死んでいくしかない。


「生きたいですか」
 その声とともに雨が止んだ。エリンは伏せていた顔をあげる。雨が止んだのではなかった。目の前の男は自分が濡れるのも厭わずに、傘を差し出しながらエリンに優しく語りかける。
「……だれ?」
「ムルタ・アズラエルです。詳しい肩書は置いておくとして……君、なかなかいい目をしているじゃないですか。そういうの、僕は嫌いじゃない」
「アズラエルさま」
 まるでその男が神のように思えた。あるいは、神が遣わした天使なのだと、エリンは言葉を聞き流しながらしばしアズラエルに見とれる。
「君、名前は?」
「エリン・ヒース」
 誰かと言葉を交わすのは久しぶりのことだった。しっかり発音できているか不安に思いつつも、自分の名前を告げる。
「へえ……ヒースさんねぇ。そう。なるほど、それは面白い」
 考え込むアズラエルをエリンはじっと見る。次々と表情を変える人だ。喜怒哀楽の怒と哀以外の感情に触れたのも随分久しぶりのことに思える。物色するようなアズラエルの目線を、エリンは背をピンと張って受ける。ここで彼の意にそぐわないことをすれば死が待っているだけと、無意識のうちに感じ取っていたのかもしれない。
「これは思わぬ拾い物だ。……君はどうしたい? コーディネーターを退治したいなら、僕の元に来るのが一番手っ取り早い。日々の生活も保障してあげます。もちろん、それなりの働きをしてくれれば、の話ですけど」
 好条件でしょう? アズラエルは上機嫌に手を差し出す。エリンが迷うことはなかった。どうせ、これ以上失うものもない。
「……やります、ついていきます」
「そう。じゃあ契約成立ってことで。青き清浄なる世界の為に、よろしくお願いしますよ、エリン・ヒースさん」
 アズラエルの笑みがエリンの脳裏に焼き付く。それは神の救いかはたまた悪魔の契約か。なんにせよ、エリン・ヒースの生はここからまた始まるのだ。

20200218

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