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 化粧ポーチのファスナーを開けて、エリンは苦い顔を作る。いつもに増して乱雑としたポーチの中身。チークが割れていることに気付いて、そのまま肩を落とす。
 昨晩、荷物を整理している際に壁にぶつけたときはまさかと思ったが、眠気に負けたことと、もし割れていた場合の現実を受け入れたくなかったので確認することはしなかった(事実割れていたわけだが)。
 今いるところがたとえば地球や大きい基地ならよかったのだが、場所が場所だった。プラント本国攻撃を最終目標とした大規模作戦の準備。国防産業連合理事ムルタ・アズラエル直々の指名で、栄えあるこの任に就かせてもらったことはエリンの誇りだったが、なにしろ極秘裏の任務だ。とてもじゃないが化粧品を新調することはできそうにない。しかしエリンとて年頃の女子。敬愛する人の前では綺麗でいたいというもの。
 溜息をついて、エリンは妥協を決めた。まだファンデーションやリップじゃなかっただけマシだと思うことにして、ポーチの中身に手を伸ばす。ミューディーがいれば、彼女から借りたのに。同性の仲間の顔を思い浮かべて、はやく戦争なんか終わればいいのにとエリンはぼんやり思う。

「あなた、たしか……」
 背中の向こうから聞こえてきた声に、エリンは振り向く。エリンとは違い地球連合軍の士官服に身を包んだ赤髪の少女。同年代くらいだろうか?
「フレイ・アルスター。フレイでいいわ」
「エリン・ヒース。……フレイって重大な情報を持ち帰ってきたっていうあのフレイ?」
 フレイ・アルスター。その名前だけはエリンも耳にしていた。ザフトの捕虜となり、その後捕虜から逃れかつ戦争を終わらせる『鍵』を持ち帰ってきた少女。しばらくぶりに会ったアズラエルがあまりにも機嫌が良かったので、エリンはフレイの名前を意識の片隅に留め置いていた。それがこの赤髪の少女。とすれば、その年で士官の立場にあることも頷ける。
「ええ、そうね……あら、そのチーク……」
 フレイはエリンの手に収まっているそれを見るために側まで近寄ってくる。月の重力は地球の六分の一、降り立つフレイの髪がふわりとなびく様をエリンは見つめていた。
「ぶつけちゃって……この通り」
「それなら余らせているのがあるのだけど、よかったらあげるわ」
 一度買える機会があったから買いだめておいたのと、フレイは柔らかな笑みを見せる。買いすぎちゃったからもらってくれた方が助かるとまで言われてしまっては、断ることもできない。エリンとしてもありがたい話だ。それに同年代の同性とこうして話すのは気が楽だった、きっと互いに。ここは年上ばかりで、それも男性のほうが割合的に多い。

「エリン、あなたは戦場にでるの?」
「ううん、今回は雑用だけ。コーディネーターを殲滅できるなら戦線に加わりたかったけど、アズラエル様にはプラントを壊滅させたあとの地球での作戦に加われって言われてるし」
 フレイの問いにエリンは答える。自分が力不足であることは否めない。訓練を受け、MSも扱えるとはいえ、オルガたちブーステッドマンにはどうしても劣ってしまうのは確かだ。悔しいが認めるしかない。残党狩りを任されただけでもいいのだ。
「コーディネーター……」
「あの悪魔たちを倒さないと私たちに本当の平和は訪れない。家族はコーディネーターがいたから死んでしまったし、私も苦しい思いをした。だからフレイ、私貴方には感謝してるの」
「…………」
 エリンがありがとうと感謝の気持ちを伝えれば、フレイは目をそらす。彼女がどうしてそんな哀しそうな瞳をするのか、エリンにはわからなかった。フレイは戦果をあげたのだ、フレイのおかげで戦争は終わるはずなのに。

「……ねえエリン。ひとつ、聞いてもいいかしら?」
「いいよ」
「私のパパはコーディネーターに殺されたけど、でも良いコーディネーターもいると思うの」
「良いコーディネーターは死んだコーディネーターだけ。フレイのおかげで良いコーディネーターが増える。それってとても誇れることなんじゃないかな?」
「……ええ。……チーク取ってくるわね」
 くるりと向けられたフレイの背。噛み合っていない二人の感情にエリンは首を傾げるもそれまでだった。


 エリンがフレイ・アルスターと会話をしたのはこの日が最初で最後だった。

20200215

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