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 ──その日は珍しく単体行動を許された。

 オルガ・サブナックはひとり、商業施設を歩く。
 日用品に服やCDショップ、あるいはレストランなど、地球連合傘下のものと言えど扱うものは幅広い。しかしそれらがオルガの目に留まることはなく、彼はただ目的の書店へと歩くだけだった。

「……お腹空いた寒い怖い嫌、独りは嫌、お母さん」
 エレベーター近くの自動販売機横、頭を抱えて座り込んでぶつぶつと何か呟く少女。
書店は目と鼻の先にあるのでオルガは青ざめて震える少女を無視して通り過ぎる。下手に変なのに関わって面倒毎になるのは避けたかったし、関わったところで何かしてやれるわけでもない。特にしてやる気もない。義理もないし、人助けを出来るほど余裕もないのだ。
 そうしてオルガが通り過ぎたあともなお、少女は何かに怯えていた。

 薬が切れる前に用事を終わらせてさっさと帰ろう──。オルガが書店に足を踏み入れようとした瞬間、ふと脳裏に少女の顔が浮かび上がり、点と点が線で結ばれる。オルガはそのまま踵を返した。
 良心が咎めたとか後味が悪いとか、けしてそういう話ではない。単純に顔見知りで、その少女がオルガにとって思うところのある立場に位置していた。
つまるところ純粋な興味であり、これは慰めにもならない同情だ。その少女に何らかの感情を抱いたところで、オルガは何もできない。
 今オルガが自由にしていられるのは、気まぐれに許されたからである。薬が切れれば苦しむほかない。逃げ出そうなど思わない、逃げる場所もない。
 だがたとえ何もできないとしても、目の前で震える少女に話しかけられずにはいられない。
 エリンも同じだ。
 強化人間ではないものの、ブルーコスモス下の施設で特殊訓練を受け、戦場に立つこともあるその少女。
 ムルタ・アズラエルをまるで神のように信仰するエリンには腹立たしさすらある。少女を戦場に立たせているのはあのオッサンなのに、アイツはエリンのことを従順なペットくらいにしか思っていないのに。

「──悪魔、コーディネーターは宇宙の悪魔、コーディネーターは、」
「何やってんだよ」
 今度はエリンがオルガを無視する番だった。
 ダメだ何も見えちゃいねえ、オルガはしゃがみ眼下の少女の腕を強く掴んで。
「バーカ、ここにコーディネーターがいるものかよ」
 ここは実質的に地球連合の施設だ。コーディネーターなんかいないと告げてやれば、弱々しく揺れたエリンの瞳がオルガを見る。
「……アズラエルさまのとこの」
「オルガ・サブナック」
「オルガ」
 アズラエル基準だとしても、覚えられていたことには素直に嬉しく思う。と同時に、オルガはどこかでエリンに何かしらの感情を強く抱いていることを自覚する。

「いったい何があったんだよ」
 それも実質的な地球連合軍の施設と言っていいこの商業施設で。オルガはもう新しい小説を物色することを諦めていた。またあとで適当に買えばいい。与えて貰えばいい。
「エミリオもダナも来なくて、お腹も空いてつい」
 どうやらエリンは名前を出した二人とランチの約束をしていたらしい。空腹を覚えたエリンは連鎖的に過去の記憶を思い出し、そうして蹲っていた。そういうことだった。

「なら戻ってアズラエルに良いものでも食わしてもらえ。一緒に頼むくらいはしてやるよ」
「本当!?」
 次の瞬間にはエリンは立ち上がり、服に付いた埃を払っていた。ニコニコとオルガの腕をとって、まったくどうしてゲンキンなやつである。
 エリンがアズラエルを信仰することを快く思っていないくせに、オルガが彼女の笑顔を見るためにはアズラエルの名前を出さなくてはならなかった。彼女が笑顔になる条件は当然他にもあるだろうが、オルガはそれを知らない。気にくわない。

「あのオッサン、お前にだけは甘いからな」
「そうなの?」
 下から覗く表情に、オルガは頷いてやる。
 アズラエルはエリンをいっそう気に入っている。ただしそれは、ペットとしてだ。エリンが従順だから、あるいはそれ以外にもあるのか。
俺にしろよ、なんてそんなことは言えない。オルガがそれを言うことは酷く無責任で、許されないことだ。
 次々と並ぶ店に目移りして走りだそうとするエリンを手を強く繋ぐことでそれを阻む。こっちには時間制限があるんだと、柄でもないことをしてしまったとぼやきながら。


「そういうお年頃……ってのもわかりますけど、やめといた方がいいですよ」
 腹を満たし、信仰する相手にも可愛がってもらえたエリンは上機嫌で、迎えに来た仲間とともに帰っていった。
 窓から彼女の背中を見送るオルガにアズラエルは意地悪く忠告をする。
「うるせえ」
「おやおや、可愛くないですね。彼女のように尻尾振ってくれるなら、僕も君たちを存分に可愛がってあげるつもりですけど?」
 気色悪いとオルガはアズラエルの言葉を無視する。

 言われなくてもわかっている。エリンも含めて、オルガはアズラエルに飼われる身でしかない。もしオルガの感情がエリンに伝わったとして、エリンの感情がオルガを向いたとして、想いを通じあわせることの自由すらない。その一切もアズラエルが握っている。
 ──苦しい思いを強いているのはコーディネーターではなく、ナチュラルのこの男なのに、どうしてお前は。
 ガラスの向こう、去っていく彼女の背中を恨みがましく睨みつけてやる。

 そうしたところで結局、この想いは届かないのだ。
 意味のない行為だった。オルガもそれを理解っている。

20200208

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