──2009年7月11日。

満月の七夕スペシャルマッチから四日が経過していた。有里は送られてきた真田からのメールを開いて読む。幾月が来るから帰り次第、寮の四階へ集合。いつもの業務連絡だった。有里は携帯を閉じる。視線を黒板の方へ向けて。

「ミコト、近い」
文字通り、目と鼻の先にミコトの顔があった。綺麗な二つの瞳はじっと有里を凝視する。
「伊織、どうしたの、アレ」
「この間の満月からずっとああなってる」
「湊に敵対心抱きまくりみたいだけど」
「そう言われても僕にはどうにも出来ない。何言っても火に油を注ぐだけだ」
順平が有里に覚えた嫉妬心。有里は順平の抱く妬みに気付いてはいたが、かといってそれをどうにかすることは有里湊に出来ないことである。時間が解決してくれるのを待つしかない。それまでは不干渉が一番と放置していた。もちろん話しかけられればちゃんと応じる。

「あ。今日の夜、叔父さんが寮に行く。放課後は作戦室へシューゴー。今日は私も寮へゴー」
「さっき聞いたとこ。……それ、理事長の真似?」
「寒かった?」
「理事長のアレに比べたらいいと思う」
「勝ち誇っていい?」
「それはどうだろう……」


重苦しい空気が寮内に蔓延している。ミコトは幾月と風花とともに、順平へわかりやすく説明を行なっていた。

十年前の事故、ポートアイランドで行われた実験。十二体のシャドウ。
ゆかりの疑問は最もだった。これらを知らされないで活動するには、事が大きすぎた。謂れのない後始末。誰もが同じだと幾月は語る。

十二体のシャドウを消せば影時間もタルタロスも消える。それが幾月のもたらした“朗報”だった。
ミコトは黙って成り行きを見るだけだった。美鶴の隠し事など小さく見えるくらいのことを、ミコトはしている。そこに大義も道理もなく、あるのは個人の感情だけ。世界すら滅ぼしかねない選択。ミコトにとって世界が滅ぶとか滅ばないとかは関係ない。どちらに転んでも問題はなかった。どうせ、先は短いのだから。

有里が幾月へいくつか疑問を投げかけている横でミコトも二人の会話を聞いていた。横では理解しきれない順平の面倒を風花が見ている。

「事故に関して世間は?」
有里の問いに幾月は過去を思い返しながら答えていく。
騒ぎ立てるマスコミ。叩く為のイケニエを求める大衆。桐条がやらかしたことは到底許されるべきではないが、当時の世論も酷かった。人間が鬼より恐ろしく見えるほどのものだったと幾月は語る。人は見たいものだけを見る。首謀者として吊るし上げにされた研究者を擁護する意見も、少数ながらあるにはあった。が。理に叶っていた意見でさえ、庇うなど正気じゃないと大多数の人々は鼻で笑って一蹴した。地獄の様相だった。

これはミコトも目の当たりにしたことだった。当時、幾月にこれが人間の悪意だと見せつけられた。大人の醜さをこれでもかと言うほど知って、荒みきった幼いミコトが信じられるのは同じ境遇の子供だけになったのは無理もない。
今では人並みに幸せな生活を送っているけれど。しかし溶け込めているようで、そうでなかった。きっと心の中では有里たちでさえ信じきれていない。

幾月は何を思ってあの地獄をミコトに見せたのだろうか。
事故でそれどころではないとしばらくの間、実験がストップしていたとミコトは記憶している。その間、ミコトはもっぱら事後対応に追われる職員の愚痴相手となっていた。とくに何も反応を返さないミコトは、湧き出るばかりの愚痴や不満をぶつけるのにちょうどいい相手だった。
幾月もその中の一人だった。ただ一人彼だけはミコトにニュースや新聞などを見せ、その反応を窺っていた。あのときばかりは幾月も弱っていたように思う。世間の声とはそれほどまでに圧倒的だったのだ。
運良く生き残ったのではなく生き残ってしまった──。そんな空気が残された職員たちを支配してしまうほどに。

「ミコト、平気?」
有里の声で現実に引き戻される。上を向くように振り返れば、ソファ越しに有里の顔があった。彼の髪がミコトの鼻先を掠める。
「湊、近い」
「昼間のお返し」

有里の整った顔がいたずらっ子のような笑みを作って、それから離れていく。
こうして心配されるほどに思考が顔に出ていたらしい。
心配されることはそう悪くない気分だった。有里に気にかけてもらえて嬉しく思う、素直に。
この世界に生きる誰もが、あのような醜さを隠しているとは信じたくない。少なくとも、この寮のペルソナ使いたちは皆真っ直ぐだった。

幾月修司がミコトにあの惨状を見せた理由──。それにミコトが思い当たるのは、もう少し先の話である。

20191017


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