「ときに、ミコト。夏休みの宿題は終わったのかね」
朝の食卓、幾月はコーヒーを飲みながら何気なしに訊いた。
「あー……」
夏休みも残り十日とない。
屋久島で疑問を抱き、夏休みに入ってすぐはジンと一緒に調べ物をして、そのあとは夏期講習を受けつつもイズミの件で忙しかった。
忘れていた、などと言える雰囲気ではない。前に座っている男は自分が通っている学校の理事長なのである。
「今から手をつければ……終わる、よね?」
「君の宿題の量は知らんが……まあ、今から頑張れば間に合うだろう。この間は面白い話も聞けたことだしね、あんまり口煩くは言わないけど、ちゃんとやるんだよ」
ペルソナがシャドウを喰らい、果てには主までも喰らってしまった事件。
特殊な案件ではあるが、だからこそ幾月の興味を引いた。加えてペルソナ使いが周囲に及ぼす影時間の適性。ストレガと名乗る彼らが関わっていたことも幾月に伝えていた。一応、時系列などはぼかしたが。
ミコトは勉強という行為を毛嫌いしているだけであって、勉強自体はやればそれなりに出来る。今週はずっと家かな。壁のカレンダーを見てミコトは苦笑する。
「随分、表情を出すようになったものだね」
「それが良いことなのか、悪いことなのかはわからないけど」
イズミの言葉が脳裏をよぎる。
生きていくということは、変わっていくということ。
とすると自分は今、生きている。しかし先は長くない。どうあがいても大人になることはできなかった。
──知らない方が良かった、か。
少なくとも四月までの自分は他者に興味を抱くことなどありえなかった。
この数ヶ月間、出会いを経て他者と触れ合う事を知り、ミコトはその度に悩んできた。
「保護者として、君の成長は実に喜ばしいよ」
夏休みも残すところあと五日。ある程度期日までに終わる目処もつき、気分転換にミコトは長鳴神社まで散歩をしにきた。
「あ、ミコトさん」
コロマルを連れ、天田はミコトの元に駆け寄ってくる。
彼とは復讐代行サイトの件を聞いた以来だった。
天田はコロマルに遊んでおいでと告げて、改めてミコトの方へ向く。神妙な面持ちの天田は口を開く。
「ミコトさん、前に復讐したい相手がいるって言ってましたよね」
「言ったね」
「どうやって復讐するつもりなんですか? えっと、ほら、やり方とかそういうの。あるでしょう?」
そう言われると答えに困る。実際、どうしてやろうとかそこまでミコトは考えていなかった。
まずは十二体の大型シャドウを倒さないことには始まらない。ヤツの計画を寸前でへし折る。もう少しという絶望を味合わせてから息の根を止める。
ミコトの計画は漠然的なものだった。漠然としすぎてもはや計画と呼べるものではない。
「……悲願の達成、その目前で全てをめちゃくちゃにするの。思い通りにはさせたくない」
無計画に等しい、ミコトの復讐計画。
──けれど大丈夫、アイツは私を無下にできない。確信めいたものがあった。
「そうですか。ミコトさんの場合はそういう相手なんですね。僕も頑張らないと」
「天田くんは、仇見つけたの?」
「はい、この間偶然。ありがとうございました、ミコトさん。おかげで頑張れそうです」
ぺこりと一礼して、天田はコロマルのいる方へ去っていく。復讐を頑張る、なんて変な話だと他人事のように思った。
「天田くんの仇……か」
自分も復讐を誓う身だ、彼の望みは応援してやりたい。しかし同時に、仇の対象である荒垣をミコトは好ましく思っていた。だからあのとき、ジンに告げなかったのだ。
だが、きっとジンも分かっているのだろう。ジンも荒垣を好ましく思っていたから、彼を殺すという依頼自体がなくなったことにホッとしたはずだ。
復讐、殺す、死──。
イズミの死から一週間が経っていた。
死とはなんなのか。生きるとはなんなのか。
それはわかっているようでわからないことだった。命の重さ、その命を奪う重み。
イズミの死──つまり喪失は予想以上に根深く、ミコトの心も大きく揺るがせていた。
20190708
20200830 修正