試験前日の日曜の昼間。
寮で順平が叫び声を上げている一方、幾月宅には必死に勉強に取り組んでいるミコトの姿があった。
将来がないから役に立つこともないと勉学に対し今まで投げやりでいたが、それでもミコトに人並みの理解力と応用力はある。
すべては寿司のために。
側で見守る幾月は寿司は言い過ぎたかなと悔いる。ここしばらく、ミコトに構ってもらえていなかった。
「ココアを作ってみたんだけど、砂糖は何グラムくらい入れてるのかな」
「グラム? え、普通に感覚だけど……。あ、あとは自分で入れるからいいよ。ありがとう」
即打ち止められた会話。
若者と戯れたい中年男性の胸中などつゆ知らず。好みの量の砂糖を入れたミコトはまた教科書と向かい合う。せっかくココアと絡めたダジャレまで思いついていたというのに。
「勉強も大変結構だが、あんまり構ってもらえんとオジサン寂しいよ……」
トホホと独り言を呟くが、そもそも幾月に焚きつけられていなければ、ミコトもここまで試験勉強を真剣に取り組まない。
「そんなに寂しいなら寮でも見てくれば」
「そうか、その手があったか」
「グッドラックー」
そそくさと幾月が家を出ていった音を確認してから、淹れてもらったココアに口を付ける。砂糖の配分は自分でやったが、自分で淹れるのとではどこか違う。
「まるで本当の家族みたい」
昔を思えば嘘のような毎日。その日常を保護者幾月と送っている。
「けど私はアイツを……」
自分に言い聞かせるように。かつてミコトは“彼”と約束をした。果たすためにここに居る。幾月とミコトの家族ごっこはそれぞれ思惑があるからこそ続く関係だった。とは言え互いにこのごっこ遊びを楽しんでいたりするが。
「……あたたかい」
嘘で塗り固められた二人の奇妙な関係。しかし、ココアの温かさは本物である。
「終わったーー!」
中間テストの全日程を終え、教室中があっという間に解放感に包まれる。
ミコトはなかなかの手ごたえを感じている。二十位以内も目じゃないくらいの出来栄えだと自負できる程に。今までとは自信も空欄も段違いだった。寿司の力、恐るべし。
「伊織、格ゲー行こう!」
「よしキタ! オレの実力、しかと目に焼き付けるがいいっ!」
テスト勉強のために見送らざるを得なかった例の約束。二人は暇そうに立っていた友近を抱き込んでさっさと教室を出てしまう。
「よくあんなにはしゃげるっつーか。ミコトは頑張ってたけど、順平は前日にやっとだったのにね?」
「順平も順平なりに頑張ってたと思うよ」
「ま、付け焼き刃でもやらないよりはマシか。でもテスト終わってホッとしたのは私もかな。有里くんは?」
「解放された気分だ」
「たしかにね」
遠くから見ていた有里とゆかりは互いに顔を合わせて笑いあった。
ポロニアンモール、ゲームパニック辰巳店。
筐体の音や客で賑わう店内、空調の行き届いた中、二人は燃える。
「順平押されてんぞー」
じわじわと削られていく体力ゲージ。順平の後ろで友近はヤジを飛ばす。
「まさかミコトッチがこんなに強いと思わ……ああッ!」
“K.O.”の文字が画面にデカデカと表示される。
「負けました」
「舐めてかかるからだよ」
筐体の向こう側にはしたり顔のミコト。
漢、伊織。素直に負けを認め、野球帽を脱いで再戦を懇願する。
「もう一戦頼む! ミコトッチ……いやミコト名人!」
「ふふん。マイスターミコトと呼ぶがいい」
上機嫌のマイスターミコト。お互い財布から百円玉を取り出してコイン投入口へ入れる。この日はさらに数戦やり、勝ち数は僅差でミコトに軍配が上がった。
新学期から二ヶ月近く。それ以前と比べて、ミコトを取り巻く環境は大きく変わった。誰にも興味を示さなかったようなミコトに友人が出来て、変化が訪れた。
友達としての信頼を寄せられている分、騙していることが心苦しくなるが……。ミコトは日記を書く手を辞めて、ベッドに倒れこんだ。
楽しいと思える日々を過ごすのは初めてのことだった。今は毎日が楽しい。罪悪感は消えないけれど。
天井をぼんやりと見つめ、この二ヶ月に思いを馳せる。浮かんでは消えていく、同じ秘密を共有した仲間たちの姿。
ふと押し寄せてくる睡魔に抗うことなく、ミコトはゆっくりと目を閉じた。
20190620
20200829 修正