秋雨




 3人が女来山の頂上――もとい『顔』に到着したのは、呪霊の気配が消えてから10分後のことだった。いくら2人が名前の足の速さに合わせてゆっくり歩いていたとはいえ、予想以上に頂上は近かったらしい。

「綺麗……」
「東京じゃなかなか見られない景色だからね」

 標高が低い山ではあるが、拓けた場所からは近隣の山々や村を見下ろすことができ、眼前に広がる色鮮やかな光景を見、名前は感嘆した。
 紅葉や秋の産物が山装う美しい情景は、まるで女性が化粧をしたような姿であり、『女来山』や『顔』と呼ばれた理由に納得した。
 今が、紅葉前線のど真ん中であることも相俟って、任務のついでと言えども、この時期に来られたことに、名前は甚く感動した。

「悟、名前、見てくれ」
「……お社か?」

 しかし、感動に浸る時間は、傑の声によって幕を閉じる。
 傑が指を差した先には、古びたお社――もとい摂社が建っていた。
 古びてはいるが、この山自体が地元民の散歩コースになっていたり、登山初心者が訪れている恩恵からか、手入れはされているようだ。とはいえ、真鍮作りの鬼紋が錆びていたり、塗られた赤色が所々剥げていたり、柱となる木が所々朽ちていたりと、摂社全体から年季が感じられる。
 ただ、先述の通り、手入れは行き届いており、そこに行くまでの道はしっかりと雑草が刈られ、お供えが置かれていただろうお雑器なども残っていた。

 名前と傑は摂社に近づき、あらゆる方角から観察する。その中で、悟がサングラスを富士額までずらし、一歩引いた位置から摂社全体を見渡していた。

「ここ、呪霊の残穢が残ってるな」
「さっきの呪霊のかい?」
「いや、別のやつ。さっきのは術式を持ってないからそもそも残穢は残らない」
「そうだったな。名前はどう? 呪霊を感じられそう?」
「……いや、やっぱり何もいないかな」
「たしかにあるのは残穢だけで、本体の姿は見当たらねえ」

 悟の六眼が呪霊の残穢を感知したようだが、本体の姿は見当たらないようだった。そもそも残穢とは、術式を用いた術師ないし呪霊の呪力の残滓である。呪霊に限っては、等級を決めるひとつの基準であり、術式を持っている呪霊は2級以上の等級が与えられている。
 先程、名前たちが遭遇した呪霊は術式を持っていない個体であり、残穢は残らないのだ。すなわち、悟が感知した残穢は、別個体のものということになる。

「またしても消えたということか?」
「……奇妙だな」
「悟くん?」
「悟?」

 悟は眉根を寄せると、顎を親指と人差し指で挟みながら思案し、「思ったよりも面倒な任務かも」と嘆息混じりに言った。名前と傑が、首を傾げる。

「呪霊ってさ、雑魚ほど逃げ足が早かったり建物を通り抜けできたりするんだよ。蝿頭なんか空飛んで移動できる。だからさっきの奴が運良く傑から逃げられたのも有り得ない話ではなかった。例としては少ねーけどな」
「たしかに」
「逆に言えば、力を持っているやつほどその場に縛られることが多い。呪いは、その場所に集まった負の感情が形成されて呪いに転ずる。要は――」
「力を持っている呪霊になればなるほどその場に留まるということか」
「正解。しかもこのお社で残穢を感じたということは、このお社が関わっている可能性が大だ。となると、土地神や鎮守神が呪いに転じたケースかもな」
「まさか……」
「神って仮想怨霊か!?」
「そう。こいつが例の奴かも」

 悟の説明に、名前と傑がハッと息を飲み瞠目した。
 神仏が呪いに転ずるケースは稀にあり、呪術高専としては、仮想怨霊に分類し、大抵は1級以上が与えられる。他の例としては、都市伝説や御伽噺に出てくる妖怪なども仮想怨霊とされるが、要はそれだけ力を持った呪霊である。
 今回3人が派遣された呪霊も、人的被害が多数出ていることから、事前調査による呪霊の等級は1級から特級とされていた。それらを踏まえると、この残穢の呪霊は、3人が狙っている個体と同一の可能性が大きかった。

「じゃあそいつを見つけだし祓った方が良さそうだね」
「でも悟くんの六眼と私の術式では見つけられなかった……」
「そこなんだよ。さっきも言った通り、もしこいつが鎮守神ならば、ここから離れることは滅多にない。縛りと言ってもいい。しかも残穢もあるきた。ただし姿が見えねえ。となると、考えられる可能性としてはひとつ」
「呪霊がいないんじゃなくて、何らかの条件を満たさない限り顕現しないとか……」
「そういうこと」

 悟の人差し指がビシッと名前を差した。「条件、か……」次は傑が思案する。
 何らかの条件を満たしたことによって発現する呪霊は、最近で言えば、庵歌姫と冥冥が迷い込んだ御屋敷が最たる例だった。
 今回も、その類いなのでは無いかと、名前と悟が予測したのである。見解を聞いていた傑も、2人の意見に異論は無かった。

「ならばその条件がなにかを洗い直す必要があるな。下山する時にヒントを探しつつ、旅館で被害報告書を改めて読み返そう」
「そうだね」
「はー、まじでめんどくせー。一丁前に条件なんてつけてんじゃねーってな」

 


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